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第二十六話 夢ってなによ
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覆いかぶさるように龍空と向かい合った瞬間だった。
ドクンッと一際大きく胸が跳ねあがり、思わず生唾を飲む。
ドッドッドッドッド……と激しく脈打つ心臓を握りつぶしてしまいたくなる。
平静を装いたいのに気持ちとは裏腹な体が恨めしい。
伸びてくる龍空の手に私が唯一できることと言えば――
「ま……待って!」
振り絞れるだけ振り絞ったありったけの叫び声に、龍空が手をとめて私を見た。
「どうしたの?」
いつものごとく小首を傾げられると余計に気恥ずかしい。
顔が上気してくる。
なにをこんなに慌てているのか。
こんなに焦っているのか。
これほど動揺しているのか。
別にセックスなんて初めてじゃない。
そう、処女じゃないんだから。
なのに、この間の首責めといい、控室での一件といい……思い出したくないことを思い出して、見事なまでに体コチコチ、緊張マックスになっている。
もう恥ずかしいなんてもんじゃない。
滑稽すぎる。
「なにするつもり……よ?」
「なんでしょう?」
「質問しているのはこっちなんだけど」
「うん、わかってる」
「なら、答えなさいよ」
「もしかして、愛希ちゃんってばセックスしたくなっちゃってるのかな?」
言いながら龍空は私のつま先を包み込むように掴むと、ぐぅっと足の裏側へ向けて折りこむように力強く引っ張った。
「いっ……!」
不意打ち攻撃に声が詰まる。
それを無視して今度はつま先を反対側、足の甲に向かって指の根元を軸にしながら折り返した。
それを数回繰り返すと今度はもうひとつの足を同じように裏側に引っ張ったり、戻したりした。
「な……にやってるの?」
「ストレッチ」
真顔のまま、ポツリと返される。
『ストレッチ』をやろうとしていた龍空にドキドキして爆ぜそうになっていた自分が恥ずかしい。
穴があったら入って蓋をしたい。
ストレッチなら確かに筋肉痛は治ると思う。
筋肉痛になる一番の原因は血流が悪いことなのだから。
固まってしまった筋肉では血の流れが圧倒的に悪くなる。
流れが悪くなれば痛みの改善は遅くなる。
ストレッチこそ、筋肉痛を治す最短ルートであることもよく理解しているのに、どうしてそれが働かなかったのかが本当に恥ずかしい。
「愛希さ、ずっと運動してきたんでしょ? だったらストレッチの大切さ、ちゃんとわかっているんじゃないの? まったく、疲れていたからってわかるけど、これ疎かにしたら翌日動けなくなるのあたりまえだよね」
心配になって見に来てよかったんだけど――そう付け加えながらも手の動きはとめなかった。
まったくの正論。
その通り。
あのしごきのあと、しっかりストレッチしていればホラー映画のキャラクターのような動きになることもなかっただろうし、こういう恩も売られずに済んだはずだ。
「仕方ないじゃない……精神力もなにもかも使い果たしちゃった後だったんだもん……」
私に責めるように見る龍空にプッと頬をふくらませて答えた。
「その顔はかわいい」
「ちょ……ちゃかしたって……」
無駄なんだからねと続けようとした言葉はしかし、龍空によって遮られる。
「そういうちょっとした顔かわいいんだけどなあ。今までの男たちって本当に見る目がなかったんだねえ。こんなかわいい愛希を見られるオレってば、本当に役得、役得」
言いながら丹念に足首をほぐしていく。
龍空の手によるストレッチ。
それはちゃんと体の動きを意識したものだった。
しっかり伸縮を意識して、どこをどうやれば効果的に伸び縮みするかがきちんとわかっているような。
そう、昔スポーツトレーナーに施してもらったようなことを龍空は簡単にやってのけていた。
そのせいで私は次の文句を見つけられずにいる。
足首からふくらはぎ、そして足全体をやってもらう頃には完全に体を預けていた。
いや、上手く動けなかったのも理由の一つだったけれど、施術といっていいほどには上手いんだから文句を言うほうがおかしい。
「実はね、オレ。スポーツトレーナーの資格を持ってるんだよねえ」
「それならなんでホストなんてやってるのよ?」
「だって男も相手にしなくちゃいけなくなるじゃん」
「だから……ホスト?」
「男の肌なんか触りたくないもん」
「それだけ?」
「まあ、それも理由の一つだけど、他にも理由はあるよ」
私を横向きに寝かせながらそう答えた。
「他の理由ってなによ?」
「こういう姿勢で後ろ向かれると本当、襲いたくなっちゃうなぁ」
はぐらかされた。
他の理由をどうやらこの男は言いたくないらしい。
「それ以上、エロいこと言ってると後でその口に鉄拳制裁加えるわよ」
「それはやだ」
「まじめにやって」
「続けてもいいんだ?」
「……背に腹は代えられないもん」
「素直じゃないねえ」
龍空が楽しそうにクスクス笑う。
素直じゃない。
それはわかっている。
背に腹は代えられないなんて皮肉な言い回ししなくても、楽になってきた、気持ちいいと言ってしまえばいいんだって。
そのほうが相手は絶対に嬉しいに決まっている。
だけど相手は龍空だ。
そんな素直に言えるかッ!
弱みになるじゃないか!
結局、会話も体も龍空の良いように扱われている。
それがとても癪なだけ。
「オレにも夢はあるんだけどねえ……」
私の体をほぐしながら、ぽつりとつぶやくように龍空は落とした。
こんなふうに静かに、そして零すように話すことがなかったから驚いてしまった。
けれど残念なことに体の体勢も悪く、首も動かせない。
どんな顔でこんなことをこぼすのか、それを確認することもできない。
「夢って……なによ?」
見えない相手に向かってそう尋ねる。
けれど龍空は答えなかった。
だからそれ以上なにも言えず、沈黙が静かに私たちを包み込む。
やたら長く感じるこの沈黙に自然、眉間にしわが寄る。
らしくない姿で同情を引こうとしてる?
騙されるな、愛希。
コイツはそういうことに長けているザ・女の敵なのだから!
「愛希の夢は?」
不意の質問に思考がとまる。
夢――考えたことがない。
道場を継ぐのが嫌だから実家から遠い大学に行って、就職して。
とりあえず生きていられればそれでいいって具合だ。
同じような年齢の友達が結婚して子供を産んでいく中で、取り残されていくような感情をもてあまし、きっといつか自分を理解してくれる素敵な男性に出会えるなんてどこかで期待しながら。
自分がどうしたかったのか、どうしたいのか。
そんなこと考えることもなく、ただぼんやりここまでやってきたような気がする。
「夢は……ないよ」
「じゃあ、探そうか」
私の体の向きをもう一度真正面に戻して龍空がそう言った。
体の痛みはずいぶんよくなっていて、先ほどよりはかなり動けるようになっていた。
「一緒に、さ」
龍空がベッドに両手を突き、その重みでベッドのスプリングが沈み込む。
巻き戻される。
これはさっきと同じシチュエーション。
だけど違うのはきっとそこにある空気と温度だ。
このままじゃダメだと頭の中で警告音が鳴り響いている。
わかる、わかる、わかる、わかっている。
なのに石のように固まった体が動かない。
怖いからじゃない。
ダメだとわかっていながら抗わずにいるのはたぶん、私が望んでいるからなんだ。
「な……」
『にを探すのよ』――とは続けられなかった。
温かくて柔らかい龍空の唇に塞がれた私の唇はもうそれ以上言葉を紡げなかった。
―― ああ……私は……
ギシッと重みが増すベッドに二つの体が沈み込む。
静まり返った部屋の中、ただスプリングの軋む音だけ響かせて――
ドクンッと一際大きく胸が跳ねあがり、思わず生唾を飲む。
ドッドッドッドッド……と激しく脈打つ心臓を握りつぶしてしまいたくなる。
平静を装いたいのに気持ちとは裏腹な体が恨めしい。
伸びてくる龍空の手に私が唯一できることと言えば――
「ま……待って!」
振り絞れるだけ振り絞ったありったけの叫び声に、龍空が手をとめて私を見た。
「どうしたの?」
いつものごとく小首を傾げられると余計に気恥ずかしい。
顔が上気してくる。
なにをこんなに慌てているのか。
こんなに焦っているのか。
これほど動揺しているのか。
別にセックスなんて初めてじゃない。
そう、処女じゃないんだから。
なのに、この間の首責めといい、控室での一件といい……思い出したくないことを思い出して、見事なまでに体コチコチ、緊張マックスになっている。
もう恥ずかしいなんてもんじゃない。
滑稽すぎる。
「なにするつもり……よ?」
「なんでしょう?」
「質問しているのはこっちなんだけど」
「うん、わかってる」
「なら、答えなさいよ」
「もしかして、愛希ちゃんってばセックスしたくなっちゃってるのかな?」
言いながら龍空は私のつま先を包み込むように掴むと、ぐぅっと足の裏側へ向けて折りこむように力強く引っ張った。
「いっ……!」
不意打ち攻撃に声が詰まる。
それを無視して今度はつま先を反対側、足の甲に向かって指の根元を軸にしながら折り返した。
それを数回繰り返すと今度はもうひとつの足を同じように裏側に引っ張ったり、戻したりした。
「な……にやってるの?」
「ストレッチ」
真顔のまま、ポツリと返される。
『ストレッチ』をやろうとしていた龍空にドキドキして爆ぜそうになっていた自分が恥ずかしい。
穴があったら入って蓋をしたい。
ストレッチなら確かに筋肉痛は治ると思う。
筋肉痛になる一番の原因は血流が悪いことなのだから。
固まってしまった筋肉では血の流れが圧倒的に悪くなる。
流れが悪くなれば痛みの改善は遅くなる。
ストレッチこそ、筋肉痛を治す最短ルートであることもよく理解しているのに、どうしてそれが働かなかったのかが本当に恥ずかしい。
「愛希さ、ずっと運動してきたんでしょ? だったらストレッチの大切さ、ちゃんとわかっているんじゃないの? まったく、疲れていたからってわかるけど、これ疎かにしたら翌日動けなくなるのあたりまえだよね」
心配になって見に来てよかったんだけど――そう付け加えながらも手の動きはとめなかった。
まったくの正論。
その通り。
あのしごきのあと、しっかりストレッチしていればホラー映画のキャラクターのような動きになることもなかっただろうし、こういう恩も売られずに済んだはずだ。
「仕方ないじゃない……精神力もなにもかも使い果たしちゃった後だったんだもん……」
私に責めるように見る龍空にプッと頬をふくらませて答えた。
「その顔はかわいい」
「ちょ……ちゃかしたって……」
無駄なんだからねと続けようとした言葉はしかし、龍空によって遮られる。
「そういうちょっとした顔かわいいんだけどなあ。今までの男たちって本当に見る目がなかったんだねえ。こんなかわいい愛希を見られるオレってば、本当に役得、役得」
言いながら丹念に足首をほぐしていく。
龍空の手によるストレッチ。
それはちゃんと体の動きを意識したものだった。
しっかり伸縮を意識して、どこをどうやれば効果的に伸び縮みするかがきちんとわかっているような。
そう、昔スポーツトレーナーに施してもらったようなことを龍空は簡単にやってのけていた。
そのせいで私は次の文句を見つけられずにいる。
足首からふくらはぎ、そして足全体をやってもらう頃には完全に体を預けていた。
いや、上手く動けなかったのも理由の一つだったけれど、施術といっていいほどには上手いんだから文句を言うほうがおかしい。
「実はね、オレ。スポーツトレーナーの資格を持ってるんだよねえ」
「それならなんでホストなんてやってるのよ?」
「だって男も相手にしなくちゃいけなくなるじゃん」
「だから……ホスト?」
「男の肌なんか触りたくないもん」
「それだけ?」
「まあ、それも理由の一つだけど、他にも理由はあるよ」
私を横向きに寝かせながらそう答えた。
「他の理由ってなによ?」
「こういう姿勢で後ろ向かれると本当、襲いたくなっちゃうなぁ」
はぐらかされた。
他の理由をどうやらこの男は言いたくないらしい。
「それ以上、エロいこと言ってると後でその口に鉄拳制裁加えるわよ」
「それはやだ」
「まじめにやって」
「続けてもいいんだ?」
「……背に腹は代えられないもん」
「素直じゃないねえ」
龍空が楽しそうにクスクス笑う。
素直じゃない。
それはわかっている。
背に腹は代えられないなんて皮肉な言い回ししなくても、楽になってきた、気持ちいいと言ってしまえばいいんだって。
そのほうが相手は絶対に嬉しいに決まっている。
だけど相手は龍空だ。
そんな素直に言えるかッ!
弱みになるじゃないか!
結局、会話も体も龍空の良いように扱われている。
それがとても癪なだけ。
「オレにも夢はあるんだけどねえ……」
私の体をほぐしながら、ぽつりとつぶやくように龍空は落とした。
こんなふうに静かに、そして零すように話すことがなかったから驚いてしまった。
けれど残念なことに体の体勢も悪く、首も動かせない。
どんな顔でこんなことをこぼすのか、それを確認することもできない。
「夢って……なによ?」
見えない相手に向かってそう尋ねる。
けれど龍空は答えなかった。
だからそれ以上なにも言えず、沈黙が静かに私たちを包み込む。
やたら長く感じるこの沈黙に自然、眉間にしわが寄る。
らしくない姿で同情を引こうとしてる?
騙されるな、愛希。
コイツはそういうことに長けているザ・女の敵なのだから!
「愛希の夢は?」
不意の質問に思考がとまる。
夢――考えたことがない。
道場を継ぐのが嫌だから実家から遠い大学に行って、就職して。
とりあえず生きていられればそれでいいって具合だ。
同じような年齢の友達が結婚して子供を産んでいく中で、取り残されていくような感情をもてあまし、きっといつか自分を理解してくれる素敵な男性に出会えるなんてどこかで期待しながら。
自分がどうしたかったのか、どうしたいのか。
そんなこと考えることもなく、ただぼんやりここまでやってきたような気がする。
「夢は……ないよ」
「じゃあ、探そうか」
私の体の向きをもう一度真正面に戻して龍空がそう言った。
体の痛みはずいぶんよくなっていて、先ほどよりはかなり動けるようになっていた。
「一緒に、さ」
龍空がベッドに両手を突き、その重みでベッドのスプリングが沈み込む。
巻き戻される。
これはさっきと同じシチュエーション。
だけど違うのはきっとそこにある空気と温度だ。
このままじゃダメだと頭の中で警告音が鳴り響いている。
わかる、わかる、わかる、わかっている。
なのに石のように固まった体が動かない。
怖いからじゃない。
ダメだとわかっていながら抗わずにいるのはたぶん、私が望んでいるからなんだ。
「な……」
『にを探すのよ』――とは続けられなかった。
温かくて柔らかい龍空の唇に塞がれた私の唇はもうそれ以上言葉を紡げなかった。
―― ああ……私は……
ギシッと重みが増すベッドに二つの体が沈み込む。
静まり返った部屋の中、ただスプリングの軋む音だけ響かせて――
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