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伏喰童子
契約悪魔『ガレッタ』
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「キョウさん?どうしたの?」
フクがキョウを見て首を傾ける。フクの視線の先が、キョウではなく、その後ろであることに気がつく。視線に釣られて後ろを振り返ると、一本杉を思わせるように真っ直ぐに背を伸ばした一人の女性、ガレッタの姿があった。彼女は柔らかい笑みを浮かべたまま、フク達、そしてエドワードを見ている。
キョウは自分が携わった死体ならば、操ることができる。生前、得意としていたことを命令して動かすこともできるし、生きていた当時に苦手としている特性も、緩和し、無理やり動かせることだって可能だ。だからガレッタが自分の後ろに現れた時は、一瞬、自分が彼女を動かしているのかと思った。だが彼女は、犬神の封印が終わるまで、秘密の部屋で待機させていたし、何の命令もなく動かせるほどキョウは彼女に『手解き』をしていない。キョンシーを動かすことはできるが、彼らが何の指示もなく動くわけがない。それはキョウが絶対としている術の条件だからだ。
だとすれば彼女が動いたのは、一つしかない。『別の誰か』が動かしているのだ!
「フク!エドワード様を!」
キョウは咄嗟に叫んだ。だが途端に、キョウの体は横に、部屋の壁まで弾き飛ばされた。
「きょ、キョウさん!!?」
死体であるはずのガレッタが、キョウの断り無しに動いている。それどころか、細身のガレッタが、腕力だけで、成人男性の体を吹き飛ばしたのは、どう考えても異常事態だ。
ガレッタはニィ、と頬を釣り上げると、フクのそばに倒れているエドワードの顔を覗き込んだ。
「おや、父親の呪縛から解けたのかのぉ!よかったなぁ!」
「日本語!?」
ただでさえ異常事態なのに、今度は目の前のガレッタが、この世界とは別の世界、フクの母国語である、日本語を喋っているのに驚いていた。
(この人も、フクたちと同じ世界の人?!)
ガレッタはフクの言葉を聞いて、死体だと言うのに、表情豊かに口を開けてケラケラ笑う。
「んん?おまえさん、この世界の新入りか?よぉきたのっ!」
「あなた、誰?・・・何の用?」
「ワシか?ワシはこの世界で悪魔と呼ばれておっての、あ、お主もか!あははは!!ここの主人が自分の嫁さんを助けたい故に教えを乞うてきてな、その結果を見にきたんじゃが、やっぱり失敗しておったか!」
「雨師(ユーシー)!!」
飛ばされたキョウが、壁の側で吠える。どこか痛めたのだろうか、立ちあがろうとしているが、力が出ずに何度も、腕が壁を滑って失敗している。
ガレッタは横目でキョウを見て、ニヤニヤと顔を歪めている。フクは驚きのあまり、どうすればいいのか頭が全く動かない。混乱のあまり、涙がまた滲み始めてきた。
「お主、キョウと言ったか?貴様の言っていた奴だが、ワシも色々あってな、言うに言えんのじゃ、すまんな」
「別開玩笑了(ふざけるな)!!」
キョウは中国語らしい言葉で、激しい言葉を吠えている。だが目の前の女は、キョウの激昂も気にしていないのか、ケラケラと笑って、会話をしている。だが、一瞬だけ、キョウの視線がフク達に向けられた。それがキョウがフクに託した『時間』であることに、フクが気がついた。
(今のうちに逃げろってこと!?)
フクはその意図に察すると、滲んできた涙を乱暴に拭き取って、咄嗟にエドワードを抱えて、走り出す。両手で彼の体を姫抱きにし、決して後ろを振り返らず、部屋の外に出た。
「おっと、逃げるとは・・・連れないのぉ」
「ゴぅっ!!」
瞬間、フクの首に、今回4回目の激痛と嗚咽を漏らす。またパーカーを掴まれているらしい。
「が・・・!」
喉に食い込む襟元。ガレッタはフクの目線に合わせるように、持ち上げている。地面に足がつかず、ぶらぶらと操り人形のように足を動かすしかない!
「ふむ、おおかた『座敷童』かの?ほれ、頑張れ、頑張れっ!」
「わっ!」
その言葉を最後に、本当におもちゃのようにフクをガレッタは月に向かって放り投げた。フクはエドワードを守るために咄嗟に身を小さく固めた。
背中から窓、ガラス、そして強風と共に浮遊感が背中を通り抜けた。そして背中に強い衝撃と同時に摩擦による熱が背中を炙る。
「ぐっ・・・!」
「う・・」
衝撃は抱えていたエドワードにまで伝わったのか、顔色が悪くなっている。エドワードの体、容体を見たいが、上から降ってきたガレッタ着地に、寸前のところでかわすので精一杯だった。
「座敷童はやっぱり、素早いのぉ」
上から降ってきたガレッタの言葉を無視して、フクはエドワードを抱えて逃げ出そうと足に力を入れる。が、しかし、屋敷の中よりも足の動きが鈍い。
(しまった・・・!)
「じゃが、座敷童は外に出てしまうと、そこらの子供と変わらんのう」
ガレッタの顔が、花のように美しく笑う。
『座敷童』というのは家の中で、一番、力を発揮する。だがその逆を言えば、家の外に出て仕舞えば、ただの人間の子供の浮遊霊と大差ないのだ。
フクは元が鬼であるために、人一人抱えるだけの力はある。だが、キョウの人形達の包囲網を突破したり、家の中で見せた神出鬼没のあの素早さだけは、『ざしきわらし』の肩書を持つ以上、屋敷の中でしか適用されない。
目の前でワンピースのホコリを払うガレッタ。青白くも綺麗な指先の、ホコリを叩く様は舞を見ているよう。なぜか、最後に「はっ!」とポージングまで決めていた。
彼女はフクとエドワードのことを、特に気に留めているわけではなさそうだ。だが、気まぐれにまた捕まるわけにはいかない。
「エドワードくん!起きて!」
「・・・う」
(ダメだ!起きない!)
エドワードの体をゆすってみるが、彼はうめくだけで、目を固く閉ざしたままだ。無理もない、先ほどまで犬神憑きによって体力を消耗していたのだ。三途の川がこの世界にあるならば、片足突っ込んでいるだろう。
必死にエドワードを起こそうとするフクを見て、ガレッタの目じりが下がり、うっとりと眺めている。
「健気じゃのう・・・、本当に可愛らしい・・・」
そんな彼女の顔に、フクはブルリ、と肩を振るわせ、震える口で彼女に問いかける。
「あ、あなたは・・・」
「うん?」
不安を必死に隠しながら、フクは目の前のガレッタの中の人に話しかける。
「・・・あなたはヘンリーさん、この屋敷の主人が契約した悪魔? なぜその体の人にいるの?」
時間稼ぎのつもり、という希望はなかったが、まだ凶暴な妖怪より比較的話を聞いてくれそうなので、素直に質問を投げかけてみる。
「ふむ、確かにここの主人に『妻を生き返らせて欲しい』と願われたが、ワシは特に契約なんぞしておらんぞ?ただ魂を定着させる丸薬を渡しただけじゃ」
「なら何であなたが、ガレッタさんの中に入っているの?」
「ふむ・・・、あやつに渡した丸薬は二つ、一つは空っぽの丸薬、もう一つはわしの血を混ぜた丸薬じゃ。あやつ、丸薬を間違えたか、そもそも同じものかと思ったのか、あろうことか女の方に『わし』を入れるとはの!」
悪魔は「だから薬品の区別ははっきりさせんといかんというのに!!」と、美しい顔で腹を抱えて笑っている。
「・・・初めから失敗するとわかっていたの?」
「もう一つを飲ませた後に、わしが奴の目の前に出てくるつもりだったんじゃがの・・・お互いうまくいかないものじゃ」
「ろくに説明もしなかったくせに・・・」
「『死者は生き返らない』、おまえさんだってわかるじゃろ?わしらの居た天界の神ですら、その禁術に手を出さないと言うのに・・・」
「やっぱり、あなたは・・・日本の・・・」
「まあ、そういうわけじゃ、ほれ、ここに丸薬が残っとる!これを破壊すればこの死体も止まるじゃろうて」
彼女はそう言って、シャツの襟首を開き、トントン、と指先で喉をつつく。彼女なりのハンデなのだろうか、なぜか指が触れた部分が光っている。
「ほれ、来ないならこっちから行くぞ!」
「! 待って、せめてエドワードくんを!」
「そ~れっ!!」
気軽な掛け声で飛んできたガレッタだが、その威力は全く軽いものではなかった。
「地面がっ!?」
飛び跳ねて避けたそこに、庭の中央に円形のクレーターができた。まるでそこに隕石が飛んできたかのように、近くにいたフクもその振動で足元がぐらつき、バランスを崩してしまった。
どうにかエドワードを下敷きにせずには済んだが、エドワードが十歳といえど、発育が良い彼の身長はフクよりずっと上だ。
ガレッタに取り憑いた悪魔は、フクが動きづらいのを理解している。さながら、獲物を弄ぶ猫のように、フクがギリギリ攻撃をかわせるかどうか、五回に一回動けなくなるような蹴りを入れてくる。
フクは、エドワードを無傷の状態でかわすのに精一杯で、攻撃ができない。いや、そもそもフクは戦える存在ではないのだ。
(でもっ、このままだと・・・!!)
右膝と右肩に、肉が砕けるような痛みが、フクの思考を停止させる。
「ぐっ!!」
たまらず片膝をつく。
エドワードをまだ抱けているので、実際に砕けてはいないようだが、悪魔のガレッタが指先をこちらに向けているのをみると、何か奇妙な術でも出したのだろう。
「弱いなぁ・・・楽しいのう・・・」
楽しそうに笑うガレッタをよそに、エドワードを庇っていたフクは静かに一度だけ目を瞑った。そのおかげで、なけなしの冷静さを取り戻す。
(丸薬は喉の中、エドワードくんを庇いながらは、流石に無理だ!でも間違いなく、よそに置いたら狙われる・・・どうすれば・・・)
目の前の『悪魔』は、どうやら戦い好きというより、からかって遊ぶのが好きな性格のようだ。意外にも行動以外の悪意は感じられない。
それに、もし彼女の核が丸薬であるならば、フクがそれを「取り除いて」しまえば、勝ちだ。フクにとって勝負自体は悪くない。
問題は、目の前の悪魔が、戦闘能力が「食べる」ことしかないフクを、集中攻撃していることだ。
「⚫︎、⚫︎・・・⚫︎⚫︎⚫︎・・・」
「エドワードくん?! どうにか起きれる?!」
まだぼんやりとしているが、腕の中にいるエドワードの意識が戻りつつあるらしい。あまり混乱させることはしたくないが、意識が戻ってくれれば、自分で逃げてくれるだろう。
「それまでは君を守るしかないか・・・まだ住み着いてもないのに!」
「何じゃ、お主、まだこの家についておらんのか」
意外そうに悪魔が言う。
「ならば、うちに来ないか?わざわざ悪魔と罵られる『この国』にいる必要はないいじゃろ?」
(どの口が言うかっ!)
フクは心の中で悪態をついた。だがこの身勝手な悪魔に、徹底して反抗する決心もついた。
「『やー』だ!」
ぴょん、とエドワードを抱えて後ろに飛ぶと、ガレッタの体はフクを追いかけてくる。
「悪くない提案とは思うのじゃが、それにしてもお主、逃げてばっかで反撃する気はないのか?」
「ない!」
ガレッタの人差し指は親指をストッパーにして、エドワードの額を狙っている。何をするのか察したフクは、すぐに体を捻って射線を逸らす。
ピンと弾かれた指から何が出るのかと思ったら、ただの『デコピン』だ。だがさっき地面砕くほどの威力を出していたのだ、警戒するに決まっている。
「このワシに鬼ごっこも良いが、もう飽きてきた・・・」
フクは再び後ろに飛び、ガレッタの蹴りに狙われるエドワードの頭を守る。何度も何度も、腕の中の少年を守っていた。だが次第に疲労から足がもつれて、尻餅をついてしまう。
「うっ!」
「ほれ、もうしまいじゃ」
背の高いガレッタを見上げる。フクはガレッタの顔が笑顔だったのが、急に興味をなくしたようにつまらなそうな顔に、フクの指先が震えた。
目の前にはピストルに見立てたような右の手の、指先がフクの眉間を捉えている。
「まあまあ暇つぶしにもなった、ご苦労じゃった」
そういって彼女の指は、フクではなく急にエドワードの頭に指の銃口を向けた。驚くフクに、ガレッタは意地悪な笑みで、彼を見下した。
「わしって、イタズラ好きじゃから」
なんの免罪符にもならない、その言い訳に、フクは怒りなど通り過ぎて、呆れてしまった。
(でもっ・・・!)
今なら『食指』が使える。
フクの『指』が痙攣し、不規則に動き、指先から、ちろちろと舌がでる。
今、フクがエドワードを庇わず、『食指』を動かせば、目の前の悪魔の首は簡単に飛ばせる。
(今ならこいつを・・・!)
ついた膝で、エドワードの膝裏を支え、素早く右手を前に出す。ほんの一瞬できたスキを逃すほど、フクは落ちぶれていない。もしかしたら『発射』されるより、フクの『食指』が動く方が早いかもしれない。
「フクッ!!」
指を動かす瞬間、屋敷の方から聞こえた、自分の名前。
ふと、視線を下に向ければ、腕の中の少年と目が合った。
「ぱん」と、楽しげな女性の声と共に・・・
とても、とても真っ黒な飛沫が、少年たちの周りを、花弁のように囲ったのだった・・・。
◼︎
僕は、あれから悪夢を見る。
エリスがお父様を殺す夢だ。使用人たちを殺す夢だ。屋敷の人間を殺す夢だ。
決まって農具のナタを右手に持って、みんなの首を切り落とすのだ。
目が覚めれば、僕は真っ暗な部屋にいて、ずっと外は真っ暗なまんまだ。そして周りを見ればみんな、夢の通りに死んでいる。ほんのわずかな時間だけれども、僕の思い通りに体が動くことにホッとする。
僕は悪魔に取り憑かれてしまったらしい・・・。それも一家全員を殺した、恐ろしい悪魔に・・・。
(いつか僕は天使に殺される・・・)
だから僕はわずかな時間で、屋敷を見回り、日記を書く。
僕が消えてしまうまえに、生きていた証拠として・・・
「 !!」
外が騒がしい。誰かが喚いている声がする・・・。
重たい瞼を押し上げれば、目の前に誰かが僕を見ている。
いや、違う・・・僕の体に覆い被さっている。目の前の人は、僕より体が小さいらしい・・・僕の頭を隠すために体全体が見えるのだ。
目の前の体が、ビクン、と振動すると、僕の頬にばた、と生暖かい液体が落ちてくる。それを確認して、目の前の人から落ちてきたものだとすぐに理解した。
「・・・・」
目の前の人は、子供だった。僕より小さい男の子・・・
頭から真っ黒な血を流して、顔を痛みに顰めている。僕が、男の子の顔を確認したら、彼も僕に気がついた。男の子は痛みに顰めながらも、精一杯の笑顔を僕に向けてくれた。
「・・・⚫︎⚫︎⚫︎」
「なに?」
彼の言葉は、僕には全く理解できない。それどころか、周囲の言葉も聞きなれない言語だ。でも、僕たちの前に、女の人がいて、キャハキャハと笑いながら、僕たちに何かを撃っていた。ソレから男の子が僕を庇っているのだ!
「君!」
「・・・!!」
もがこうとした僕を押さえつけるように、男の子は僕に体を密着させた。とても力強く、僕が押してもびくともしない。僕より幼い子とはとても思えなかった。
そうこうしている間に、男の子の頭を女の人が踏みつける。
「おや?起きたのか?」
男の子の体の隙間から、彼女と目があった。顔は子供っぽく無邪気に笑うのに、目だけは悪魔のように赤かった。
「まあ、なんじゃ、お主はわるぅない」
古めかしい言葉遣いが、見た目とのギャップに違和感を生み出す。
なぜ「僕は悪くない」というのに、僕を守る目の前の男の子を踏みつけているのだろう。踏みつけている足に力を込めたのか、男の子の顔と僕の顔が一層近づく。
月明かりに照らされた男の子の顔がよく見えた。
彼の瞳は目の前の悪魔のように、宝石のように赤い光を放ち、耳まで裂けた口がガチガチと歯を鳴らしている。特に目を引いたのは、額に生えた二本のツノだ。黒く、艶のあるその二本のツノは、月明かりさえも吸収してしまいそうな漆黒だ。ぽた、と食いしばる口のはし、血で濡れた髪は僕の頬を撫でる。
だけど、不思議と怖くはなかった。
(どうして彼は、僕を守っているのだろう・・・)
「じゃあの・・・」
女は、僕に、彼に、別れのことばを告げる。
周りの風景が霞むように、目の前が急速に白く染まりだした。それと同時に同時に周囲の気温が一気に下がった。
「・・・誰の許可を得て、この子を傷つけている」
黒い、翼が見えた。
◼︎
フクは『食指』を動かすのをやめて、出した右手をエドワードの前に出して覆い被さった。守るとなれば、確実な方法を優先した。
結果、ガレッタに取り憑いた悪魔に何度も打たれたし、蹴られた。頭からフクを構成する『黒煤』がどろ、と流れる。『黒煤』が顔じゅうを濡らすせいで、ぬるぬるとした液体で気持ち悪い。
(フクの顔、今なら氷より滑りそう・・・)
目の前のガレッタの悪魔が、好き勝手に『悪意』のこもった術を打ち込んでくるので、体から煤が溢れかえっているのだ。何より、普段より『食指』を使用したせいで、体のあちこちから『口』が形成されているような感覚がした。
(というか、さっきから好き勝手に体が動いている気がする)
フクは『ざしきわらし』、だが、屋敷の外で、この感覚は何かおかしい・・・
(体が、制御できない?)
体を支える腕に力が籠る。地面を握りしめる力で、スポンジケーキのように指がズブズブ入っていく。幼い頃に、力加減がわからずキシを困らせていた頃に、この感覚は似ていた。
人の形を得てからうまく食事ができなくて、よく泣いていたからだ。あとで『ざしきわらし』として、鬼の力を抑える『お守り』をお釈迦さまからもらってから、とうに忘れていた。だからこそ、わからない。なぜ今になって『伏喰童子』、鬼の力が出てきてしまったのか。
(ここが異世界で、お釈迦さまの加護が届かないから?!)
「⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎」
ガレッタが何かを言ったが、異世界語で意味がわからない。目の前のエドワードは、目を見開いてフクの向こうの悪魔を見ているのだろう。
(もーぅ怖くて後ろ見れない!!)
一体、後ろが今どんな状況で、悪魔がどんな攻撃を放つのか全くわからない。
悪魔は先ほどよりも、ずっと大きな出力を指先に込めている。フクはともかく、エドワード、庭の一部は簡単に消し飛ばせるほどの威力があってもおかしくはない。
そんな状況も確認できずに、フクはエドワードに、目を細めて笑っている『フリ』をして、目を瞑っている。
「⚫︎⚫︎⚫︎!!」
エドワードの大声が前から後ろに通り過ぎた。
突如、周囲の気温が三度ほど下がった気がした。
ゾワッ、と一斉に立ち上がる鳥肌、そしてフクの『欲望』の掻き立てる、苦味のある『黒煤』の匂い。前回と違って、あの気持ち悪い『視線』だけは一切なかったのは幸いだった。
「⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎」
聞きなれない言葉の、聞いたことのある声。
「なっ!?霧の・・・」
ガレッタの声が、遠くに吹き飛んだ。同時に強風がフク達の背中に当たって流れていった。
風が止む前に振り返れば、フク達のすぐ後ろに、黒い衣装と大きな翼を携えた男性が立っていた。それはフクがこの世界に訪れる前に出会った、あの霧の中の男だった。
「・・・霧のとき、の、かみさま?」
「・・・フク、大丈夫?」
背の高い男は、膝をつき、大きな手のひらでフクの頭を撫でた。フクのことを悲しそうに眉を寄せて見る様子は、フクにとって理解し難い行為だった。
「あの、フクは、もうだいじょ・・・おう・・」
散々痛めつけられた(と言ってもほとんどダメージはないが)体を、彼は遠慮なしに撫でて塞いでいるようだった。頭、背中、肩ときて、最後に顔の裂けた口をもにもにと柔らかく揉む。気づけば、フクの体はガレッタに痛めつけられる前に、ほとんど戻っていた。「一部」を除いて・・・
「あれ?ツノがまだ出てる?」
額に出ていた二本のツノが、フクの象徴のようにまだ出ていた。
フクは、ふと、エドワードと顔を見合わせた。エドワードもフクのツノをじっ、と興味深く見つめている。二人の目が合うと、フクは「まだある?」と言わんばかりにツノに指を差し、エドワードもまた肯定するように頷いた。
「ま、まさか霧の王直々においでなすったとは・・・」
離れたところから、土と草だらけになったガレッタの姿があった。彼女は強がっているのか、凶悪な笑顔で黒い神を睨みつけている。
「『霧の王』?」
これはフクではなく、屋敷の壁にもたれかかっているキョウが目を見開いていた。
(この人、『王さま』って呼ばれているの?)
まだこの世界に疎いフクには、なんのことか全くわからない。ガレッタは『霧の王』に向かい合うと、「ハハッ」と啖呵を切った。
「随分と、その『ざしきわらし』にご熱心のようじゃな・・・まさかお主、幼児趣味でもあったのか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん?」
突然、ガレッタがフクの方を注意深く見た。月明かりに照らされて、二本の漆黒のツノが際立つ幼子の顔に、悪魔は見覚えがある気がした。彼女は顔を顰め、「むむむ・・」とわざとらしく、唸った。
かと思えば、急に目を見開き、フクに向けて指を刺した。
「あーーーーーーー!!!!お主!「伏喰童子」じゃないか!?」
「うぅっえ・・・!」
正体を言い当てられたフクが、突如吐きそうな顔で呻いた。
「『伏喰童子』?」
「・・・・」
キョウと霧の王は、聞き覚えのないと言った顔だ。無理もない、日本でも一千年以上の昔のことだ。キョウに限らずとも、日本人でも神でも知らないものは少なくない。
だが目の前の悪魔は、フクを知っていて、なおかつ『ざしきわらし(ツノつき)』の姿でも言い当てた。つまり、一千年以上存在し、それなりに力のある妖、もしくは神にあたるのだろう。
(お願いだからもうこれ以上喋らないで・・・!)
「嘘じゃろ!座敷童に倒されたって聞いておったのに!まさか、座敷童になっておったとは!」
「うううう!!」
「大昔に天界も地獄も喰い散らかして、『三大災鬼』の一人とか言われとったのに!!なんじゃその姿!勿体無い!」
「ああああ・・・!」
「フク、そんなことしていたんですか?」
なんてことだ!正体をばらされたどころか、昔の失敗までバラされてしまった!「子供の頃の失敗は許して欲しい」なんて言えるほど、可愛いオイタではないことはもうわかっているが、流石に辛い。
「・・・」
霧の王はフクに気づかれないように、顔を顰め、そっと、手を伸ばそうとしてまた引っ込めた。
ガレッタは、フクの情けなく頭を抱える姿を見て「ええ、どうしよ」とか言っている。
「わし、別の意味で一人で対処しきれんのじゃが・・・なんでこんな奴をこの世界に放ちおったんじゃ?」
「フクも、知らないよ・・・いつの間にかここにいたんだもん」
「うわ、『だもん』とか・・・昔はもっと意味わからん感じでロックじゃったんじゃがのう・・・」
悪魔が気持ち悪いものを見るような目でフクを見つめた。もう、いっそのこと『気持ち悪い』とか言って欲しい。
「フクだって意味わからないもん!誰も言葉を教えてくれなかったんだから!」
フクが言葉を言い終わると『知らなかった?』と、ピタ、と悪魔の動きが止まった。
「ならば、やはりわしらのところへこんか?伏喰童子。お主がこの世界で生きるには、ちと、ここは狭すぎる」
一歩、二歩とフクの元へ彼女が近づく。先ほどの凶悪な笑みも、弱いものいじめの子供の顔は、彼女の顔にはない。今の彼女の顔は・・・どこか優しさが、こもった顔だった。
「ヤダ」
しっかりとした拒絶。
キョウも霧の王も、ふぅ、と静かに息を吐く。
「・・・ふ、フクは、『ざしきわらし』なんだもん・・・そっちの方がみんなが喜んでくれるんだもん・・・」
「・・・今、遠回しに、自分で可愛いって言った?」
「フクは可愛い」
「霧の王は黙っといてくれんか?」
ガレッタがそう言うや否や、『黒煤』で形成された槍が彼女の頭を目掛けて飛んでいく。彼女は首を横に曲げることで、無駄なく避けた。霧の王がフクたちの正面に立つ。彼女が再び正面を見た時、霧の王の頭上に一本、二本と次々と回転する槍が形成されていた。
「『可愛い』」
「槍をぶっ放す理由はそれでいいんか?」
霧の王が目をひん剥いて、ガレッタを親の仇のように睨みつけている。
(とはいえ、借り物の体とはいえ、少し分が悪いの・・)
ガレッタが左足を後ろに引いて、飛んでくる槍に対処するために構えた。彼女は目の前の相手に集中する。
だから、後ろから忍び寄る小さな影には気づけなかった・・・。
ザクっ!
「?」
ガレッタの首から黒い突起物が生える。その突起物の先には、血で濡れ黒光りする球体。
「エドワードくん!?」
誰にも気づかれずに影を伝って、悪魔の背後をとったエドワード。
(はじめに投げられた槍は、彼へ武器を届けるためじゃったかっ!)
【そのひとから離れろ・・・!】
フクは言葉の意味はわからなかったが、父親の、叔母の、そして自分を不幸に陥れた元凶だ。それが今、エドワードが自分の手で仇を討ったのだ。
ガレッタの体が糸が切れた人形のように、重力に従って前に倒れる。滑り台で滑るように、喉から真っ黒な槍が抜ける。槍の先に刺さっていた小さな丸薬を見ると、丸薬はもうすでに粉々に砕けて散って、無くなっていた。
◼︎
「・・・・・」
エドワードはフクを見て、笑顔を見せる。顔色こそ悪いが、表情は憑き物が落ちて、すっきりしていた。彼は、真っ直ぐにフクの方へ走った。犬神に憑かれていたと言うのに、力強くフクのことを抱きしめた。
「⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎!」
「え?」
エドワードが何か言ったが、フクには伝わらない。先程、壁に叩きつけられてボロボロになった体を、やっとの思いで引きずって、彼らにたどり着いたキョウが、フクのために翻訳する。
「『ありがとうございます、お兄様』だそうですよ」
「ど、どういたしまして?・・・『お兄様』?」
「懐かれてよかったですね」とキョウがニコニコと笑っている。いや、面白がっている。
「⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎?」
「⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎」
エドワードが話せないフクに首を傾げて何か尋ねているらしいが、フクにはそのことすらわからない。仕方なくフク代わりにキョウが答えている。
何度もこちらをみているので、自分のことについて話しているだろうが、二人の会話の内容がフクにはわからない。
「フクの・・・名前を聞いている・・・」
「ああ、そう」
二人の会話を森の王が代わりに教えてくれたが、やっぱりフクだけ蚊帳の外だ。森の王が目線を合わせてくれる。
「フク」
「なぁに?」
「なあに」と口を開いた途端、一気に森の王の顔が近づいた。
開いた口を閉ざす前に、再び口の中に、今度は舌を捻じ入れられて、口を塞がれた。
ぬるっとした何かを、口いっぱいに流し込まれて、また驚いてごく、と飲み込んでしまった。最初に出会ったときとは違い、ゼリーのような柔らかいものではなく、ジャリジャリした固形物が混じっている。
「「!!?」」
そばで話し込んでいたキョウとエドワードが、二人を見て息を呑んだ。
先に我に帰ったフクが、ドン、と霧の王を押して、彼から離れる。
「ま、ま、ま、また、ちゅーした!!」
憤慨したフクが顔を真っ赤にして口をゴシゴシと袖で擦る。黒い衣服の男は気まずそうな顔もせず、驚きのあまり顔を真っ赤にして涙を浮かべるフクに戸惑っているようだった。恥ずかしさも相まって、フクは「ううぅ」と顔を隠してうずくまってしまった。どうしてキスするのか、霧の王の目的がわからない。
「『また』!?」
「⚫︎⚫︎⚫︎!!」
「フク!こっちに来なサイ!」
エドワードは、持っていた槍を霧の王に向けて刺し殺そうと、フクとの間に入って突っ込んでいく。反対にキョウは、フクを霧の王から守ろうと腕を引っ張って腕の中に抱き抱えた。
再び始まる追いかけっこ。エドワードは霧の王を追いかけて、しばらくは帰ってきそうにもないし、キョウはフクのことを本気で心配している。
フクはジャリ、と口の中に固形物が残っているのに気づき、なんとなく指にとってみた。指についたのは、煤の混じった黒い液体と白い固形物を砕いたような、粉末。
フクはそれがなんなのか、首を傾ける。口の中から出てきたもので、白い固形物といえば・・・
「あ・・・・・歯か」
「すぐに吐き出しなさい!!」
真っ青になってキョウがブンブンとフクの肩を揺らした。
「もう、飲み込んじゃったよ!」
「さっき、魚の開きみたいに口を開けてたでショウガ!!」
またキョウがフクの口の中に指を突っ込んでいく。今は鬼の姿とっているので、えずくことはないが、何度も喉に、誰かの指が入るのは気持ちが悪い。軽くキョウの指を噛んで、反射でびくついたところで、口の中から引っ張り出した。
「フク」
霧の王がエドワードの攻撃範囲網を潜り抜けて、フクのそばにやって来ていた。離れたところからエドワードが走って向かってきているのが見えた。
フクは、わざとしかめっ面を作る。霧の王は静かに笑みを浮かべる。キョウはフクを囲うように腕に抱き、霧の王を睨みつけている。
「・・・またね」
「ちゅーしないならいいよ」
霧の王は答えず、また霧に飲まれて消えてしまった。消える際に、ちり、と金属音が聞こえた。
「・・・すず?」
その音には聞き覚えがあった。
最初に霧から彼が消える際に聞こえた音だ。初めはなんの音か思いつかなかった、だけど、たった今、思い出した。
「僕の『鈴』!!」
『鈴』は、フクが「ざしきわらし」を保つための、お釈迦さまからもらった「お守り」だ。さっきから体が保てないのも頷ける。彼が持っていってしまったのだ。
完全に泥棒である・・・
「また会う理由ができちゃった・・・。」
「あれに会うのはやめません?」
「⚫︎⚫︎⚫︎!!」
顔を真っ赤にしたエドワードが地団駄を踏む。
薄く霧でぼやけていた月が、高いところではっきりと見えた。
フクがキョウを見て首を傾ける。フクの視線の先が、キョウではなく、その後ろであることに気がつく。視線に釣られて後ろを振り返ると、一本杉を思わせるように真っ直ぐに背を伸ばした一人の女性、ガレッタの姿があった。彼女は柔らかい笑みを浮かべたまま、フク達、そしてエドワードを見ている。
キョウは自分が携わった死体ならば、操ることができる。生前、得意としていたことを命令して動かすこともできるし、生きていた当時に苦手としている特性も、緩和し、無理やり動かせることだって可能だ。だからガレッタが自分の後ろに現れた時は、一瞬、自分が彼女を動かしているのかと思った。だが彼女は、犬神の封印が終わるまで、秘密の部屋で待機させていたし、何の命令もなく動かせるほどキョウは彼女に『手解き』をしていない。キョンシーを動かすことはできるが、彼らが何の指示もなく動くわけがない。それはキョウが絶対としている術の条件だからだ。
だとすれば彼女が動いたのは、一つしかない。『別の誰か』が動かしているのだ!
「フク!エドワード様を!」
キョウは咄嗟に叫んだ。だが途端に、キョウの体は横に、部屋の壁まで弾き飛ばされた。
「きょ、キョウさん!!?」
死体であるはずのガレッタが、キョウの断り無しに動いている。それどころか、細身のガレッタが、腕力だけで、成人男性の体を吹き飛ばしたのは、どう考えても異常事態だ。
ガレッタはニィ、と頬を釣り上げると、フクのそばに倒れているエドワードの顔を覗き込んだ。
「おや、父親の呪縛から解けたのかのぉ!よかったなぁ!」
「日本語!?」
ただでさえ異常事態なのに、今度は目の前のガレッタが、この世界とは別の世界、フクの母国語である、日本語を喋っているのに驚いていた。
(この人も、フクたちと同じ世界の人?!)
ガレッタはフクの言葉を聞いて、死体だと言うのに、表情豊かに口を開けてケラケラ笑う。
「んん?おまえさん、この世界の新入りか?よぉきたのっ!」
「あなた、誰?・・・何の用?」
「ワシか?ワシはこの世界で悪魔と呼ばれておっての、あ、お主もか!あははは!!ここの主人が自分の嫁さんを助けたい故に教えを乞うてきてな、その結果を見にきたんじゃが、やっぱり失敗しておったか!」
「雨師(ユーシー)!!」
飛ばされたキョウが、壁の側で吠える。どこか痛めたのだろうか、立ちあがろうとしているが、力が出ずに何度も、腕が壁を滑って失敗している。
ガレッタは横目でキョウを見て、ニヤニヤと顔を歪めている。フクは驚きのあまり、どうすればいいのか頭が全く動かない。混乱のあまり、涙がまた滲み始めてきた。
「お主、キョウと言ったか?貴様の言っていた奴だが、ワシも色々あってな、言うに言えんのじゃ、すまんな」
「別開玩笑了(ふざけるな)!!」
キョウは中国語らしい言葉で、激しい言葉を吠えている。だが目の前の女は、キョウの激昂も気にしていないのか、ケラケラと笑って、会話をしている。だが、一瞬だけ、キョウの視線がフク達に向けられた。それがキョウがフクに託した『時間』であることに、フクが気がついた。
(今のうちに逃げろってこと!?)
フクはその意図に察すると、滲んできた涙を乱暴に拭き取って、咄嗟にエドワードを抱えて、走り出す。両手で彼の体を姫抱きにし、決して後ろを振り返らず、部屋の外に出た。
「おっと、逃げるとは・・・連れないのぉ」
「ゴぅっ!!」
瞬間、フクの首に、今回4回目の激痛と嗚咽を漏らす。またパーカーを掴まれているらしい。
「が・・・!」
喉に食い込む襟元。ガレッタはフクの目線に合わせるように、持ち上げている。地面に足がつかず、ぶらぶらと操り人形のように足を動かすしかない!
「ふむ、おおかた『座敷童』かの?ほれ、頑張れ、頑張れっ!」
「わっ!」
その言葉を最後に、本当におもちゃのようにフクをガレッタは月に向かって放り投げた。フクはエドワードを守るために咄嗟に身を小さく固めた。
背中から窓、ガラス、そして強風と共に浮遊感が背中を通り抜けた。そして背中に強い衝撃と同時に摩擦による熱が背中を炙る。
「ぐっ・・・!」
「う・・」
衝撃は抱えていたエドワードにまで伝わったのか、顔色が悪くなっている。エドワードの体、容体を見たいが、上から降ってきたガレッタ着地に、寸前のところでかわすので精一杯だった。
「座敷童はやっぱり、素早いのぉ」
上から降ってきたガレッタの言葉を無視して、フクはエドワードを抱えて逃げ出そうと足に力を入れる。が、しかし、屋敷の中よりも足の動きが鈍い。
(しまった・・・!)
「じゃが、座敷童は外に出てしまうと、そこらの子供と変わらんのう」
ガレッタの顔が、花のように美しく笑う。
『座敷童』というのは家の中で、一番、力を発揮する。だがその逆を言えば、家の外に出て仕舞えば、ただの人間の子供の浮遊霊と大差ないのだ。
フクは元が鬼であるために、人一人抱えるだけの力はある。だが、キョウの人形達の包囲網を突破したり、家の中で見せた神出鬼没のあの素早さだけは、『ざしきわらし』の肩書を持つ以上、屋敷の中でしか適用されない。
目の前でワンピースのホコリを払うガレッタ。青白くも綺麗な指先の、ホコリを叩く様は舞を見ているよう。なぜか、最後に「はっ!」とポージングまで決めていた。
彼女はフクとエドワードのことを、特に気に留めているわけではなさそうだ。だが、気まぐれにまた捕まるわけにはいかない。
「エドワードくん!起きて!」
「・・・う」
(ダメだ!起きない!)
エドワードの体をゆすってみるが、彼はうめくだけで、目を固く閉ざしたままだ。無理もない、先ほどまで犬神憑きによって体力を消耗していたのだ。三途の川がこの世界にあるならば、片足突っ込んでいるだろう。
必死にエドワードを起こそうとするフクを見て、ガレッタの目じりが下がり、うっとりと眺めている。
「健気じゃのう・・・、本当に可愛らしい・・・」
そんな彼女の顔に、フクはブルリ、と肩を振るわせ、震える口で彼女に問いかける。
「あ、あなたは・・・」
「うん?」
不安を必死に隠しながら、フクは目の前のガレッタの中の人に話しかける。
「・・・あなたはヘンリーさん、この屋敷の主人が契約した悪魔? なぜその体の人にいるの?」
時間稼ぎのつもり、という希望はなかったが、まだ凶暴な妖怪より比較的話を聞いてくれそうなので、素直に質問を投げかけてみる。
「ふむ、確かにここの主人に『妻を生き返らせて欲しい』と願われたが、ワシは特に契約なんぞしておらんぞ?ただ魂を定着させる丸薬を渡しただけじゃ」
「なら何であなたが、ガレッタさんの中に入っているの?」
「ふむ・・・、あやつに渡した丸薬は二つ、一つは空っぽの丸薬、もう一つはわしの血を混ぜた丸薬じゃ。あやつ、丸薬を間違えたか、そもそも同じものかと思ったのか、あろうことか女の方に『わし』を入れるとはの!」
悪魔は「だから薬品の区別ははっきりさせんといかんというのに!!」と、美しい顔で腹を抱えて笑っている。
「・・・初めから失敗するとわかっていたの?」
「もう一つを飲ませた後に、わしが奴の目の前に出てくるつもりだったんじゃがの・・・お互いうまくいかないものじゃ」
「ろくに説明もしなかったくせに・・・」
「『死者は生き返らない』、おまえさんだってわかるじゃろ?わしらの居た天界の神ですら、その禁術に手を出さないと言うのに・・・」
「やっぱり、あなたは・・・日本の・・・」
「まあ、そういうわけじゃ、ほれ、ここに丸薬が残っとる!これを破壊すればこの死体も止まるじゃろうて」
彼女はそう言って、シャツの襟首を開き、トントン、と指先で喉をつつく。彼女なりのハンデなのだろうか、なぜか指が触れた部分が光っている。
「ほれ、来ないならこっちから行くぞ!」
「! 待って、せめてエドワードくんを!」
「そ~れっ!!」
気軽な掛け声で飛んできたガレッタだが、その威力は全く軽いものではなかった。
「地面がっ!?」
飛び跳ねて避けたそこに、庭の中央に円形のクレーターができた。まるでそこに隕石が飛んできたかのように、近くにいたフクもその振動で足元がぐらつき、バランスを崩してしまった。
どうにかエドワードを下敷きにせずには済んだが、エドワードが十歳といえど、発育が良い彼の身長はフクよりずっと上だ。
ガレッタに取り憑いた悪魔は、フクが動きづらいのを理解している。さながら、獲物を弄ぶ猫のように、フクがギリギリ攻撃をかわせるかどうか、五回に一回動けなくなるような蹴りを入れてくる。
フクは、エドワードを無傷の状態でかわすのに精一杯で、攻撃ができない。いや、そもそもフクは戦える存在ではないのだ。
(でもっ、このままだと・・・!!)
右膝と右肩に、肉が砕けるような痛みが、フクの思考を停止させる。
「ぐっ!!」
たまらず片膝をつく。
エドワードをまだ抱けているので、実際に砕けてはいないようだが、悪魔のガレッタが指先をこちらに向けているのをみると、何か奇妙な術でも出したのだろう。
「弱いなぁ・・・楽しいのう・・・」
楽しそうに笑うガレッタをよそに、エドワードを庇っていたフクは静かに一度だけ目を瞑った。そのおかげで、なけなしの冷静さを取り戻す。
(丸薬は喉の中、エドワードくんを庇いながらは、流石に無理だ!でも間違いなく、よそに置いたら狙われる・・・どうすれば・・・)
目の前の『悪魔』は、どうやら戦い好きというより、からかって遊ぶのが好きな性格のようだ。意外にも行動以外の悪意は感じられない。
それに、もし彼女の核が丸薬であるならば、フクがそれを「取り除いて」しまえば、勝ちだ。フクにとって勝負自体は悪くない。
問題は、目の前の悪魔が、戦闘能力が「食べる」ことしかないフクを、集中攻撃していることだ。
「⚫︎、⚫︎・・・⚫︎⚫︎⚫︎・・・」
「エドワードくん?! どうにか起きれる?!」
まだぼんやりとしているが、腕の中にいるエドワードの意識が戻りつつあるらしい。あまり混乱させることはしたくないが、意識が戻ってくれれば、自分で逃げてくれるだろう。
「それまでは君を守るしかないか・・・まだ住み着いてもないのに!」
「何じゃ、お主、まだこの家についておらんのか」
意外そうに悪魔が言う。
「ならば、うちに来ないか?わざわざ悪魔と罵られる『この国』にいる必要はないいじゃろ?」
(どの口が言うかっ!)
フクは心の中で悪態をついた。だがこの身勝手な悪魔に、徹底して反抗する決心もついた。
「『やー』だ!」
ぴょん、とエドワードを抱えて後ろに飛ぶと、ガレッタの体はフクを追いかけてくる。
「悪くない提案とは思うのじゃが、それにしてもお主、逃げてばっかで反撃する気はないのか?」
「ない!」
ガレッタの人差し指は親指をストッパーにして、エドワードの額を狙っている。何をするのか察したフクは、すぐに体を捻って射線を逸らす。
ピンと弾かれた指から何が出るのかと思ったら、ただの『デコピン』だ。だがさっき地面砕くほどの威力を出していたのだ、警戒するに決まっている。
「このワシに鬼ごっこも良いが、もう飽きてきた・・・」
フクは再び後ろに飛び、ガレッタの蹴りに狙われるエドワードの頭を守る。何度も何度も、腕の中の少年を守っていた。だが次第に疲労から足がもつれて、尻餅をついてしまう。
「うっ!」
「ほれ、もうしまいじゃ」
背の高いガレッタを見上げる。フクはガレッタの顔が笑顔だったのが、急に興味をなくしたようにつまらなそうな顔に、フクの指先が震えた。
目の前にはピストルに見立てたような右の手の、指先がフクの眉間を捉えている。
「まあまあ暇つぶしにもなった、ご苦労じゃった」
そういって彼女の指は、フクではなく急にエドワードの頭に指の銃口を向けた。驚くフクに、ガレッタは意地悪な笑みで、彼を見下した。
「わしって、イタズラ好きじゃから」
なんの免罪符にもならない、その言い訳に、フクは怒りなど通り過ぎて、呆れてしまった。
(でもっ・・・!)
今なら『食指』が使える。
フクの『指』が痙攣し、不規則に動き、指先から、ちろちろと舌がでる。
今、フクがエドワードを庇わず、『食指』を動かせば、目の前の悪魔の首は簡単に飛ばせる。
(今ならこいつを・・・!)
ついた膝で、エドワードの膝裏を支え、素早く右手を前に出す。ほんの一瞬できたスキを逃すほど、フクは落ちぶれていない。もしかしたら『発射』されるより、フクの『食指』が動く方が早いかもしれない。
「フクッ!!」
指を動かす瞬間、屋敷の方から聞こえた、自分の名前。
ふと、視線を下に向ければ、腕の中の少年と目が合った。
「ぱん」と、楽しげな女性の声と共に・・・
とても、とても真っ黒な飛沫が、少年たちの周りを、花弁のように囲ったのだった・・・。
◼︎
僕は、あれから悪夢を見る。
エリスがお父様を殺す夢だ。使用人たちを殺す夢だ。屋敷の人間を殺す夢だ。
決まって農具のナタを右手に持って、みんなの首を切り落とすのだ。
目が覚めれば、僕は真っ暗な部屋にいて、ずっと外は真っ暗なまんまだ。そして周りを見ればみんな、夢の通りに死んでいる。ほんのわずかな時間だけれども、僕の思い通りに体が動くことにホッとする。
僕は悪魔に取り憑かれてしまったらしい・・・。それも一家全員を殺した、恐ろしい悪魔に・・・。
(いつか僕は天使に殺される・・・)
だから僕はわずかな時間で、屋敷を見回り、日記を書く。
僕が消えてしまうまえに、生きていた証拠として・・・
「 !!」
外が騒がしい。誰かが喚いている声がする・・・。
重たい瞼を押し上げれば、目の前に誰かが僕を見ている。
いや、違う・・・僕の体に覆い被さっている。目の前の人は、僕より体が小さいらしい・・・僕の頭を隠すために体全体が見えるのだ。
目の前の体が、ビクン、と振動すると、僕の頬にばた、と生暖かい液体が落ちてくる。それを確認して、目の前の人から落ちてきたものだとすぐに理解した。
「・・・・」
目の前の人は、子供だった。僕より小さい男の子・・・
頭から真っ黒な血を流して、顔を痛みに顰めている。僕が、男の子の顔を確認したら、彼も僕に気がついた。男の子は痛みに顰めながらも、精一杯の笑顔を僕に向けてくれた。
「・・・⚫︎⚫︎⚫︎」
「なに?」
彼の言葉は、僕には全く理解できない。それどころか、周囲の言葉も聞きなれない言語だ。でも、僕たちの前に、女の人がいて、キャハキャハと笑いながら、僕たちに何かを撃っていた。ソレから男の子が僕を庇っているのだ!
「君!」
「・・・!!」
もがこうとした僕を押さえつけるように、男の子は僕に体を密着させた。とても力強く、僕が押してもびくともしない。僕より幼い子とはとても思えなかった。
そうこうしている間に、男の子の頭を女の人が踏みつける。
「おや?起きたのか?」
男の子の体の隙間から、彼女と目があった。顔は子供っぽく無邪気に笑うのに、目だけは悪魔のように赤かった。
「まあ、なんじゃ、お主はわるぅない」
古めかしい言葉遣いが、見た目とのギャップに違和感を生み出す。
なぜ「僕は悪くない」というのに、僕を守る目の前の男の子を踏みつけているのだろう。踏みつけている足に力を込めたのか、男の子の顔と僕の顔が一層近づく。
月明かりに照らされた男の子の顔がよく見えた。
彼の瞳は目の前の悪魔のように、宝石のように赤い光を放ち、耳まで裂けた口がガチガチと歯を鳴らしている。特に目を引いたのは、額に生えた二本のツノだ。黒く、艶のあるその二本のツノは、月明かりさえも吸収してしまいそうな漆黒だ。ぽた、と食いしばる口のはし、血で濡れた髪は僕の頬を撫でる。
だけど、不思議と怖くはなかった。
(どうして彼は、僕を守っているのだろう・・・)
「じゃあの・・・」
女は、僕に、彼に、別れのことばを告げる。
周りの風景が霞むように、目の前が急速に白く染まりだした。それと同時に同時に周囲の気温が一気に下がった。
「・・・誰の許可を得て、この子を傷つけている」
黒い、翼が見えた。
◼︎
フクは『食指』を動かすのをやめて、出した右手をエドワードの前に出して覆い被さった。守るとなれば、確実な方法を優先した。
結果、ガレッタに取り憑いた悪魔に何度も打たれたし、蹴られた。頭からフクを構成する『黒煤』がどろ、と流れる。『黒煤』が顔じゅうを濡らすせいで、ぬるぬるとした液体で気持ち悪い。
(フクの顔、今なら氷より滑りそう・・・)
目の前のガレッタの悪魔が、好き勝手に『悪意』のこもった術を打ち込んでくるので、体から煤が溢れかえっているのだ。何より、普段より『食指』を使用したせいで、体のあちこちから『口』が形成されているような感覚がした。
(というか、さっきから好き勝手に体が動いている気がする)
フクは『ざしきわらし』、だが、屋敷の外で、この感覚は何かおかしい・・・
(体が、制御できない?)
体を支える腕に力が籠る。地面を握りしめる力で、スポンジケーキのように指がズブズブ入っていく。幼い頃に、力加減がわからずキシを困らせていた頃に、この感覚は似ていた。
人の形を得てからうまく食事ができなくて、よく泣いていたからだ。あとで『ざしきわらし』として、鬼の力を抑える『お守り』をお釈迦さまからもらってから、とうに忘れていた。だからこそ、わからない。なぜ今になって『伏喰童子』、鬼の力が出てきてしまったのか。
(ここが異世界で、お釈迦さまの加護が届かないから?!)
「⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎」
ガレッタが何かを言ったが、異世界語で意味がわからない。目の前のエドワードは、目を見開いてフクの向こうの悪魔を見ているのだろう。
(もーぅ怖くて後ろ見れない!!)
一体、後ろが今どんな状況で、悪魔がどんな攻撃を放つのか全くわからない。
悪魔は先ほどよりも、ずっと大きな出力を指先に込めている。フクはともかく、エドワード、庭の一部は簡単に消し飛ばせるほどの威力があってもおかしくはない。
そんな状況も確認できずに、フクはエドワードに、目を細めて笑っている『フリ』をして、目を瞑っている。
「⚫︎⚫︎⚫︎!!」
エドワードの大声が前から後ろに通り過ぎた。
突如、周囲の気温が三度ほど下がった気がした。
ゾワッ、と一斉に立ち上がる鳥肌、そしてフクの『欲望』の掻き立てる、苦味のある『黒煤』の匂い。前回と違って、あの気持ち悪い『視線』だけは一切なかったのは幸いだった。
「⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎」
聞きなれない言葉の、聞いたことのある声。
「なっ!?霧の・・・」
ガレッタの声が、遠くに吹き飛んだ。同時に強風がフク達の背中に当たって流れていった。
風が止む前に振り返れば、フク達のすぐ後ろに、黒い衣装と大きな翼を携えた男性が立っていた。それはフクがこの世界に訪れる前に出会った、あの霧の中の男だった。
「・・・霧のとき、の、かみさま?」
「・・・フク、大丈夫?」
背の高い男は、膝をつき、大きな手のひらでフクの頭を撫でた。フクのことを悲しそうに眉を寄せて見る様子は、フクにとって理解し難い行為だった。
「あの、フクは、もうだいじょ・・・おう・・」
散々痛めつけられた(と言ってもほとんどダメージはないが)体を、彼は遠慮なしに撫でて塞いでいるようだった。頭、背中、肩ときて、最後に顔の裂けた口をもにもにと柔らかく揉む。気づけば、フクの体はガレッタに痛めつけられる前に、ほとんど戻っていた。「一部」を除いて・・・
「あれ?ツノがまだ出てる?」
額に出ていた二本のツノが、フクの象徴のようにまだ出ていた。
フクは、ふと、エドワードと顔を見合わせた。エドワードもフクのツノをじっ、と興味深く見つめている。二人の目が合うと、フクは「まだある?」と言わんばかりにツノに指を差し、エドワードもまた肯定するように頷いた。
「ま、まさか霧の王直々においでなすったとは・・・」
離れたところから、土と草だらけになったガレッタの姿があった。彼女は強がっているのか、凶悪な笑顔で黒い神を睨みつけている。
「『霧の王』?」
これはフクではなく、屋敷の壁にもたれかかっているキョウが目を見開いていた。
(この人、『王さま』って呼ばれているの?)
まだこの世界に疎いフクには、なんのことか全くわからない。ガレッタは『霧の王』に向かい合うと、「ハハッ」と啖呵を切った。
「随分と、その『ざしきわらし』にご熱心のようじゃな・・・まさかお主、幼児趣味でもあったのか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん?」
突然、ガレッタがフクの方を注意深く見た。月明かりに照らされて、二本の漆黒のツノが際立つ幼子の顔に、悪魔は見覚えがある気がした。彼女は顔を顰め、「むむむ・・」とわざとらしく、唸った。
かと思えば、急に目を見開き、フクに向けて指を刺した。
「あーーーーーーー!!!!お主!「伏喰童子」じゃないか!?」
「うぅっえ・・・!」
正体を言い当てられたフクが、突如吐きそうな顔で呻いた。
「『伏喰童子』?」
「・・・・」
キョウと霧の王は、聞き覚えのないと言った顔だ。無理もない、日本でも一千年以上の昔のことだ。キョウに限らずとも、日本人でも神でも知らないものは少なくない。
だが目の前の悪魔は、フクを知っていて、なおかつ『ざしきわらし(ツノつき)』の姿でも言い当てた。つまり、一千年以上存在し、それなりに力のある妖、もしくは神にあたるのだろう。
(お願いだからもうこれ以上喋らないで・・・!)
「嘘じゃろ!座敷童に倒されたって聞いておったのに!まさか、座敷童になっておったとは!」
「うううう!!」
「大昔に天界も地獄も喰い散らかして、『三大災鬼』の一人とか言われとったのに!!なんじゃその姿!勿体無い!」
「ああああ・・・!」
「フク、そんなことしていたんですか?」
なんてことだ!正体をばらされたどころか、昔の失敗までバラされてしまった!「子供の頃の失敗は許して欲しい」なんて言えるほど、可愛いオイタではないことはもうわかっているが、流石に辛い。
「・・・」
霧の王はフクに気づかれないように、顔を顰め、そっと、手を伸ばそうとしてまた引っ込めた。
ガレッタは、フクの情けなく頭を抱える姿を見て「ええ、どうしよ」とか言っている。
「わし、別の意味で一人で対処しきれんのじゃが・・・なんでこんな奴をこの世界に放ちおったんじゃ?」
「フクも、知らないよ・・・いつの間にかここにいたんだもん」
「うわ、『だもん』とか・・・昔はもっと意味わからん感じでロックじゃったんじゃがのう・・・」
悪魔が気持ち悪いものを見るような目でフクを見つめた。もう、いっそのこと『気持ち悪い』とか言って欲しい。
「フクだって意味わからないもん!誰も言葉を教えてくれなかったんだから!」
フクが言葉を言い終わると『知らなかった?』と、ピタ、と悪魔の動きが止まった。
「ならば、やはりわしらのところへこんか?伏喰童子。お主がこの世界で生きるには、ちと、ここは狭すぎる」
一歩、二歩とフクの元へ彼女が近づく。先ほどの凶悪な笑みも、弱いものいじめの子供の顔は、彼女の顔にはない。今の彼女の顔は・・・どこか優しさが、こもった顔だった。
「ヤダ」
しっかりとした拒絶。
キョウも霧の王も、ふぅ、と静かに息を吐く。
「・・・ふ、フクは、『ざしきわらし』なんだもん・・・そっちの方がみんなが喜んでくれるんだもん・・・」
「・・・今、遠回しに、自分で可愛いって言った?」
「フクは可愛い」
「霧の王は黙っといてくれんか?」
ガレッタがそう言うや否や、『黒煤』で形成された槍が彼女の頭を目掛けて飛んでいく。彼女は首を横に曲げることで、無駄なく避けた。霧の王がフクたちの正面に立つ。彼女が再び正面を見た時、霧の王の頭上に一本、二本と次々と回転する槍が形成されていた。
「『可愛い』」
「槍をぶっ放す理由はそれでいいんか?」
霧の王が目をひん剥いて、ガレッタを親の仇のように睨みつけている。
(とはいえ、借り物の体とはいえ、少し分が悪いの・・)
ガレッタが左足を後ろに引いて、飛んでくる槍に対処するために構えた。彼女は目の前の相手に集中する。
だから、後ろから忍び寄る小さな影には気づけなかった・・・。
ザクっ!
「?」
ガレッタの首から黒い突起物が生える。その突起物の先には、血で濡れ黒光りする球体。
「エドワードくん!?」
誰にも気づかれずに影を伝って、悪魔の背後をとったエドワード。
(はじめに投げられた槍は、彼へ武器を届けるためじゃったかっ!)
【そのひとから離れろ・・・!】
フクは言葉の意味はわからなかったが、父親の、叔母の、そして自分を不幸に陥れた元凶だ。それが今、エドワードが自分の手で仇を討ったのだ。
ガレッタの体が糸が切れた人形のように、重力に従って前に倒れる。滑り台で滑るように、喉から真っ黒な槍が抜ける。槍の先に刺さっていた小さな丸薬を見ると、丸薬はもうすでに粉々に砕けて散って、無くなっていた。
◼︎
「・・・・・」
エドワードはフクを見て、笑顔を見せる。顔色こそ悪いが、表情は憑き物が落ちて、すっきりしていた。彼は、真っ直ぐにフクの方へ走った。犬神に憑かれていたと言うのに、力強くフクのことを抱きしめた。
「⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎!」
「え?」
エドワードが何か言ったが、フクには伝わらない。先程、壁に叩きつけられてボロボロになった体を、やっとの思いで引きずって、彼らにたどり着いたキョウが、フクのために翻訳する。
「『ありがとうございます、お兄様』だそうですよ」
「ど、どういたしまして?・・・『お兄様』?」
「懐かれてよかったですね」とキョウがニコニコと笑っている。いや、面白がっている。
「⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎?」
「⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎」
エドワードが話せないフクに首を傾げて何か尋ねているらしいが、フクにはそのことすらわからない。仕方なくフク代わりにキョウが答えている。
何度もこちらをみているので、自分のことについて話しているだろうが、二人の会話の内容がフクにはわからない。
「フクの・・・名前を聞いている・・・」
「ああ、そう」
二人の会話を森の王が代わりに教えてくれたが、やっぱりフクだけ蚊帳の外だ。森の王が目線を合わせてくれる。
「フク」
「なぁに?」
「なあに」と口を開いた途端、一気に森の王の顔が近づいた。
開いた口を閉ざす前に、再び口の中に、今度は舌を捻じ入れられて、口を塞がれた。
ぬるっとした何かを、口いっぱいに流し込まれて、また驚いてごく、と飲み込んでしまった。最初に出会ったときとは違い、ゼリーのような柔らかいものではなく、ジャリジャリした固形物が混じっている。
「「!!?」」
そばで話し込んでいたキョウとエドワードが、二人を見て息を呑んだ。
先に我に帰ったフクが、ドン、と霧の王を押して、彼から離れる。
「ま、ま、ま、また、ちゅーした!!」
憤慨したフクが顔を真っ赤にして口をゴシゴシと袖で擦る。黒い衣服の男は気まずそうな顔もせず、驚きのあまり顔を真っ赤にして涙を浮かべるフクに戸惑っているようだった。恥ずかしさも相まって、フクは「ううぅ」と顔を隠してうずくまってしまった。どうしてキスするのか、霧の王の目的がわからない。
「『また』!?」
「⚫︎⚫︎⚫︎!!」
「フク!こっちに来なサイ!」
エドワードは、持っていた槍を霧の王に向けて刺し殺そうと、フクとの間に入って突っ込んでいく。反対にキョウは、フクを霧の王から守ろうと腕を引っ張って腕の中に抱き抱えた。
再び始まる追いかけっこ。エドワードは霧の王を追いかけて、しばらくは帰ってきそうにもないし、キョウはフクのことを本気で心配している。
フクはジャリ、と口の中に固形物が残っているのに気づき、なんとなく指にとってみた。指についたのは、煤の混じった黒い液体と白い固形物を砕いたような、粉末。
フクはそれがなんなのか、首を傾ける。口の中から出てきたもので、白い固形物といえば・・・
「あ・・・・・歯か」
「すぐに吐き出しなさい!!」
真っ青になってキョウがブンブンとフクの肩を揺らした。
「もう、飲み込んじゃったよ!」
「さっき、魚の開きみたいに口を開けてたでショウガ!!」
またキョウがフクの口の中に指を突っ込んでいく。今は鬼の姿とっているので、えずくことはないが、何度も喉に、誰かの指が入るのは気持ちが悪い。軽くキョウの指を噛んで、反射でびくついたところで、口の中から引っ張り出した。
「フク」
霧の王がエドワードの攻撃範囲網を潜り抜けて、フクのそばにやって来ていた。離れたところからエドワードが走って向かってきているのが見えた。
フクは、わざとしかめっ面を作る。霧の王は静かに笑みを浮かべる。キョウはフクを囲うように腕に抱き、霧の王を睨みつけている。
「・・・またね」
「ちゅーしないならいいよ」
霧の王は答えず、また霧に飲まれて消えてしまった。消える際に、ちり、と金属音が聞こえた。
「・・・すず?」
その音には聞き覚えがあった。
最初に霧から彼が消える際に聞こえた音だ。初めはなんの音か思いつかなかった、だけど、たった今、思い出した。
「僕の『鈴』!!」
『鈴』は、フクが「ざしきわらし」を保つための、お釈迦さまからもらった「お守り」だ。さっきから体が保てないのも頷ける。彼が持っていってしまったのだ。
完全に泥棒である・・・
「また会う理由ができちゃった・・・。」
「あれに会うのはやめません?」
「⚫︎⚫︎⚫︎!!」
顔を真っ赤にしたエドワードが地団駄を踏む。
薄く霧でぼやけていた月が、高いところではっきりと見えた。
0
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2巻決定しました!
【書籍版 大ヒット御礼!オリコン18位&続刊決定!】
皆様の熱狂的な応援のおかげで、書籍版『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』が、オリコン週間ライトノベルランキング18位、そしてアルファポリス様の書店売上ランキングでトップ10入りを記録しました!
本当に、本当にありがとうございます!
皆様の応援が、最高の形で「続刊(2巻)」へと繋がりました。
市丸きすけ先生による、素晴らしい書影も必見です!
【作品紹介】
欲望に取りつかれた権力者が企んだ「スキル強奪」のための勇者召喚。
だが、その儀式に巻き込まれたのは、どこにでもいる普通のサラリーマン――白河小次郎、45歳。
彼に与えられたのは、派手な攻撃魔法ではない。
【鑑定】【いんたーねっと?】【異世界売買】【テイマー】…etc.
その一つ一つが、世界の理すら書き換えかねない、規格外の「便利スキル」だった。
欲望者から逃げ切るか、それとも、サラリーマンとして培った「知識」と、チート級のスキルを武器に、反撃の狼煙を上げるか。
気のいいおっさんの、優しくて、ずる賢い、まったり異世界サバイバルが、今、始まる!
【書誌情報】
タイトル: 『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』
著者: よっしぃ
イラスト: 市丸きすけ 先生
出版社: アルファポリス
ご購入はこちらから:
Amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/4434364235/
楽天ブックス: https://books.rakuten.co.jp/rb/18361791/
【作者より、感謝を込めて】
この日を迎えられたのは、長年にわたり、Webで私の拙い物語を応援し続けてくださった、読者の皆様のおかげです。
そして、この物語を見つけ出し、最高の形で世に送り出してくださる、担当編集者様、イラストレーターの市丸きすけ先生、全ての関係者の皆様に、心からの感謝を。
本当に、ありがとうございます。
【これまでの主な実績】
アルファポリス ファンタジー部門 1位獲得
小説家になろう 異世界転移/転移ジャンル(日間) 5位獲得
アルファポリス 第16回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞
第6回カクヨムWeb小説コンテスト 中間選考通過
復活の大カクヨムチャレンジカップ 9位入賞
ファミ通文庫大賞 一次選考通過
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