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第一章 蒲生定秀編 両細川の乱

第12話 決裂

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主要登場人物別名

弾正… 六角定頼 六角家当主 細川高国軍の主力
藤十郎… 蒲生定秀 六角家臣
新助… 進藤貞治 六角家臣
源六… 平井高安 六角家臣
新九郎… 三雲資胤 六角家臣
三左… 後藤高恒 六角家臣
三郎… 池田高雄 六角家臣 宿老格 観音寺城留守居役

筑前守… 三好元長 三好家当主 細川晴元軍の主力

六郎… 細川晴元 細川高国と権勢を争う
管領・道永… 細川高国 細川京兆家当主 細川晴元の父の仇

公方… 足利義晴 十二代足利将軍
左馬頭… 足利義維 堺公方・平島公方と呼ばれた

京極五郎… 京極高延 六角定頼に敗れて尾張へ逃走していた
京極長門守… 京極高吉 兄の高延と家督を争う 六角定頼が庇護している

――――――――

 
「ふぅむ… 筋目か…」
 六角定頼は下鳥羽の本陣内で進藤の復命に難しい顔をしていた。

「話は分からぬでもないが、今更そのような事を言われてもなぁ…」
 フゥーと大きく息を吐きだし、上体を逸らして両手を後頭部で組む。
 表情にはどこかこの事を予感していたような諦めの気配がある。

「筑前守殿がそこまで心を配らねばならぬほどに、六郎は阿呆だということかな…
 婚姻は早まったかもしれんな」
 ははっと軽く笑って場を和まそうとするが、一座の空気は重苦しさを増すだけだった。

「申し訳もございません。交渉に当たった某の失態でございます」
 進藤が面目なさげに頭を垂れる。
 会議には進藤・定秀の他に後藤・平井の両名も参加していた。

「馬鹿を申せ。新助に出来なければ、他の誰が当たっても同じであろうよ」
「しかし、このままでは正面から三好とやり合う事になります。朝倉がヘソを曲げた今、こちらとしても戦は避けねばなりませんし…」
「わかっている。………一度会うか」
「筑前守様とですか?」
「うむ。会ってお互いの肚の内を確かめ合わねば、これ以上話が進まんように思う」

 手を後頭部から下ろした定頼は、一座を見回して異存の無い事を確かめた。
 確かに、今の状況を打開するにはそれしかないだろう。と、全員が思った。
 各人の顔を見回した定頼の視線が、定秀の前でピタリと止まる。

「藤十郎。お前はこれからは新助と別で動け。
 保内の弥二郎と馬五郎が来ている。その二人を使って仕込みをしろ」
「はっ……」

 保内衆の二人は、足子を連れて京洛の各陣に米や塩・衣服などの日用品を持ち込んでいた。
 戦が小休止となった事で各陣の足軽や庶民達も物資を必要としている。
 ただし、定頼がわざわざ保内から呼び寄せたのは別の目的があっての事だった。

 ―――あまり気乗りはしないな…

 定秀は少し気が重くなった。
 これから定秀は三好元長をめる準備をする。しかし、周囲に明るさを振りまくあの青年を謀略で泥まみれにしたくは無かった。

 ―――できれば、穏便に収まって欲しい物だが…

 定秀の内心とは裏腹に、明るい日差しは京の大地を照らし、雪解けの時を知らせている。
 この雪が溶ければ朝倉が帰国する。それまでには仕込みは充分に終わるはずだ。



 ※   ※   ※



「朝倉勢が消えただと!?」
「は!夜の内に忽然と消えたとのことで、諸将の陣では混乱が広がっております!」

 東福寺の本堂を歩きながら、細川高国は配下の報告に声を張り上げる。
 陣中の騒がしさに何事かと跳ね起きて、一番にもたらされた報せだった。

「六角はどうしておる!弾正はどこだ?」
「六角様も混乱しているとの由。今はいずかたも事実確認に追われています。こちらには諸将から管領様に何かご存知ではないかと問い合わせの使者が続々と来ております」
「くっ… こちらも確認中だと言って追い返せ!」

 ―――弾正… 貴様知っていたのではあるまいな…


 大永八年(1528年)三月六日 上洛していた朝倉勢は一夜のうちに忽然と姿を消した。
 まだ和睦交渉は続いていたが、高国としては和睦が成らぬ前提で動いている。そこへ来て朝倉勢の離脱は青天の霹靂へきれきだった。
 何か見えない布でじわじわと首を締め上げられているような不気味な焦燥感だけがあった。



 一方、定頼は桂川原に張った陣幕の中で三好元長との会談の場に居た。
 傍らには進藤貞治と後藤高恒がはべり、元長も家臣を二人連れている。
 

「このような場を作って頂きかたじけない。その上で改めてお願い申します。
 どうか左馬頭様への譲位をお願いできませんか?」

 開口一番定頼に対して頭を下げた元長は、早速に本題を切り出した。
 顔には約束を反故にする事への申し訳なさ以上に、使命感のような強い意志の光が籠もっていた。

「お気持ちは分かります。が、お手前の申される事は六郎殿のお立場の事のみ。
 天下の戦乱を早く収めたいというならば、悪評を恐れぬ強さが必要なのではないですかな?」

 茫洋ぼうようとした顔つきで定頼が気楽な様子で語りかける。
 その言い方はまるで今日の晩飯の事を話しているような気易いものだった。それだけになお一層、底知れなさを感じて元長は心胆が寒くなった。

「京に限らず、今天下は戦で苦しむ民が満ち満ちております。これを救うには民を豊かにする必要がある。
 民の腹を満たし、民の暮らしを楽にし、民の暮らしを脅かす者を討ち滅ぼす。それこそが天下人の役割でございましょう。
 天下を掴むということはこれらの責任を背負うという事。悪評を背負おうが、他人から恨みを買おうが、迷わず突き進む強さが無ければならぬのではないですかな?
 弱き者では務まらぬ。世の悪評を跳ね返すほどの心の強さが必要です」

 元長は定頼の言葉にうなだれた。


 ―――確かに、自分は主君六郎の弱さを覆い隠そうとしているだけなのかも知れない。そもそもそのような弱き心では天下人などになるべきではないのかも知れない。
 だが…

「それでも、それがしには六郎様を担ぎ上げた責任がござる。六郎様をお守りし、六郎様を立派な天下人として導いてゆかねばならぬ責任があり申す」

「それほどに、六郎は阿呆なのか?」

 定頼の真っすぐに射すくめるような目に、元長は背筋が冷たくなるような感覚に襲われた。
 どう答えればいいのかわからないでいると、定頼がふっと笑って視線を逸らして続けた。

「お手前の顔を見れば分かり申す。 …少し安心しました」
「安心……?」
 おおよそ場違いな発言に、元長は一体何を言い出すのかと不審の色を強くする。
 六角定頼という男の心底を掴み切れないでいた。


 その時、陣幕の外から声が掛かって篠原長政が入ってきた。心なしか厳しい顔つきをしている。

「殿、堺の六郎様より至急参上せよと…」
 そう言いながら篠原が差し出した書状を受け取ると、中を見て愕然とした。
 思わず定頼の方を振り返る。

「弾正殿… まさかこれはお手前が…」
「阿呆でなければ思い通りに踊ってはくれませんからな。安心いたしました」
 定頼は相変わらず茫洋とした顔を崩さない。元長とは対照的に、憎らしいほどの落ち着きぶりだった。

 書状には柳本賢治と三好政長の言により、和議が進まぬのは元長のせいであると聞かされた事。
 義維の事よりも高国を追い落とす事を第一に考え、義晴に臣下の礼を取る事。
 六角と協力して高国を放逐し、一刻も早く自分の上洛の準備を整えるようにという事などが書かれてあった。

 ―――嵌められたのか… 私の同意があろうがなかろうが、我が陣営は既に六角の思い通りに動いている…

 理解すると同時に怒りが湧いて来た。
 目の前に座る六角定頼という男と、その謀略の力を過小評価していた自分自身に怒りが湧いて来た。

「き… 貴様!―――」
 立ち上がった元長の手が思わず脇差に伸びる。それを受けて六角、三好双方の家臣が脇差に手を掛けた。

「やめよ。筑前守殿も今はそれどころではあるまい」

 定頼の言葉に全員が動きを止める。元長も今は一刻も早く堺に行って晴元を説得しなければならなかった。

 キッと定頼を睨むと、元長はそのまま背を向けて陣幕の外へと向かう。
 その背後から定頼の声が追いかけて来た。

「筑前守殿は一度阿波へ戻られよ。これから先、京はお手前には辛い場所になり申す…
 六郎殿の事よりも、まずは阿波の民の暮らしを考えるのが守護たる者の務めではないかな?」

 背を向けたまま一礼すると、そのまま何も言わずに元長は陣幕の外へと去って行った。



 ※   ※   ※



 四月に入ると将軍義晴は東福寺から相国寺に陣を移した。
 六角定頼は下鳥羽の陣を後藤高恒に任せ、相国寺の雲頂院うんちょういんに入って義晴の警護に当たった。

 三好元長は堺へ下向して細川晴元の説得に当たっているようだが、最近では三好元長よりも柳本賢治の言を重視しているとの情報が聞こえてくる。
 和戦いずれにせよ、今は細川晴元の出方を待つしかない。
 数多くの保内衆を堺に行かせながら、定頼自身は公家や僧侶の訪問が引きも切らずだった。

 今や義晴方の有力大名として六角定頼の名は京洛中に鳴り響いており、今のうちに誼を通じておきたいという者が定頼の元を次々と訪れていた。


「やれやれ、やっと解放された」
 肩をぐるぐる回しながら、定頼が清々しい顔をしている。朝から今までずっと作り笑いをしていたので、本当に気を抜ける所に帰って来たという安堵の色があった。

 定頼の宿舎にしている相国寺雲頂院の一室では、定頼を囲んで進藤・蒲生・目賀田・平井・三雲が集まっていた。
 と言っても、何か話し合う議題があるわけでもない。
 ただ集まって茶でも飲もうと定頼から声を掛けられたのだ。

「随分とお公家衆が熱心に訪ねて参りますな」
 三雲資胤が感心したように定頼に話しかける。目の前にはここ数日で訪れた公家衆の文や和歌が並べられていた。

「ふふふ。わしに誼を通じておけば、いざという時近江に逃げて来られると思っているのだろう」
「近江は御屋形様の御威光で今は穏やかになっておりますからな。お公家衆には魅力的な下向先に映るのでしょう」

 事実、近江には昔から政争に敗れた公家や武士・僧侶などが多く落ち延びて来ていた。
 京の隣にありながら明らかに他国であり、逃避先として近江は最適の地であると認識されている。
 今の六角人気も公家衆の下心が見え透いていた。


 しばし一座で歓談していると、小姓から保内衆の頭分である伴庄衛門が目通りを願っていると告げられた。
「ここに通せ」と定頼が告げると、すぐに庄衛門が障子を開いて中に入って来る。
 一座を見回した庄衛門だが、あえて人払いは言わなかった。
 ここに居る者は定頼の血肉と言っても差し支えない重臣たちだ。彼らに隠さねばならん事など何一つないと常々定頼は公言している。

「庄衛門自ら来たという事は、何か大事が出来したか?」

 普段は保内の野々川郷で配下を指揮している庄衛門が自ら会いに来た。
 その一事が、事の重大さを物語っていた。

「……は。北近江で浅井が再び起ちました。尾張から京極五郎様を迎え、小谷城を奪取したとの由」

 ―――ざわ

 一座にざわめきが起きる。定秀は嫌な予感の正体をようやく知った気がした。
 こうなれば、こちらも京でのんびりしているわけにもいかなくなる。
 チラリと定頼を見ると、いつにもまして真剣な顔をしていた。

「京極長門守殿はどうしている?補佐に残した上坂はどうした?」
「長門様は上坂様と共に坂田郡の河内城に逃れたとの事」

「鳥居本以北を取り返されたか…
 しかし妙だな… 北近江にまだ浅井を支援できる勢力などあったか?」
「それが…」

 庄衛門がやや言いにくそうに口ごもる。

「近江国内ではないのか?」
「はい…」
「しかし、美濃や尾張には近江にまで軍勢を出す余力は……」
 言いさして定頼がはっと顔を上げる。

「朝倉……か…」

 定頼の言葉に、庄衛門が頭を下げて肯定する。
 見る見る定頼の顔に赤みが差してきた。

「あんのクソジジイ!!」

 手にした扇子を力任せに床に叩きつける。この場に居るのは身内だけという安心感から、定頼の素の部分が覗いていた。

「新助!もはや猶予はならん!十日以内に返答がない場合は和睦交渉を打ち切ると通告しろ!」
「ハッ!」
「藤十郎!源六!お主らは明日出立して近江へ戻れ!観音寺城の三郎に合流し、長門守の支援を行え!」
「ハッ!」
「新九郎!三左と協力して下鳥羽の陣を引き払う用意をせよ!」
「ハッ!」

「庄衛門は保内衆に越前で商売をさせよ。高島の商人共はわしが抑える」
「承知いたしました」

 定頼の号令一下、場の全員が動き出した。
 平島方の内紛に乗じて和睦交渉を有利に進めるつもりだったが、こうなっては六角も急いで帰国せねばならない。
 定頼にとって、京での事はあくまで近江を守るための布石でしかない。
 三好元長にも言ったように、定頼にとって本当に大切なのは領国近江の民の暮らしだった。

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