鶴が舞う ―蒲生三代記―

藤瀬 慶久

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第二章 蒲生定秀編 天文法華の乱

第27話 無敗の称号

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主要登場人物別名

藤十郎… 蒲生定秀 蒲生家当主 六角家臣
藤右衛門… 岡貞政 蒲生家臣

新助… 進藤貞治 六角家臣
次郎… 大原高保 六角家臣 六角定頼の弟

六郎… 細川晴元 細川京兆家当主
左京亮… 木沢長政 畠山家臣
孫次郎… 三好長慶 三好家当主 細川家臣

――――――――

 
  
 風が肌寒さを増してきた頃、定秀は辰と長男の鶴千代を伴って日野の中野城に戻った。
 辰は定秀の発言にしばらくは素っ気ない対応を繰り返してきたが、鶴千代も一緒に日野を見に行こうと言うと、ようやく機嫌を直してくれた。

「殿、お待ち申し上げておりました」

 日野中野城の留守居役を務める岡貞政は、いつもの厳めしい顔つきを満面に笑み崩していた。
 定秀が待望の嫡男を得たという報せは、日野城に居残る家臣一同にとっても朗報だった。秀紀と高郷の内紛によって、今や蒲生の血筋は定秀の系統しか残っていない。

 定秀には二人の弟も居たが、二人とも僧籍に入っていたために家を継ぐべき男児は居ない。二十八歳になる定秀にいつまでも男児が生れなければ、弟を還俗させて男児を設けさせるということも考えなければいけない。いや、中野城では現実に動き出さねばならないのではないかという者も居た。
 そうなれば、家の相続を巡って争いの火種になることも充分にあり得る。そこへ来ての辰の懐妊と男児出産は最大の慶事だった。

 医療技術の低い時代の事、出産と同時に母子共に亡くなることも珍しくない。そんな中で嫡男の鶴千代は順調に育ち、既に二歳になっている。
 中野城を預かる岡貞政にはあからさまな安堵の色があった。

「お方様も、お手柄でございました。なんとも珠のような和子様で……」
 岡貞政は、居室内を自由に歩き回るわんぱくな鶴千代の姿に目を細めた。
「藤右衛門殿にもご心配をおかけしました。でも、殿は最初鶴千代を見た時に『本当に俺の子か』などと申されたのですよ」
 辰が口をすぼめて岡に告げ口する。岡は辰が嫁入りした当初、不在がちな定秀に代わって辰を不自由させないようにと心を配ってくれた。
 辰にとっても、心を許せる忠臣の一人になっている。

「もうその件は堪忍してくれ。いきなり大きな男児を見せられて『お主の子だ』と言われても驚くしかないではないか。おまけに懐妊のことまで秘密にしよって…」
「あら、京で働く殿に余計な気を回させないようにというお心遣いでしたのに…」
「わかったわかった。俺が悪かった。この通りだ」
「はっはっはっは。殿もお方様もすっかり打ち解けられたようですな。この藤右衛門、安心いたしましたぞ」

 岡が二人のやり取りを見て心からの笑顔を見せる。定秀と辰のやり取りは傍から見れば犬も食わない性質たちのものだった。
 新婚当初のぎこちない夫婦関係を知っている岡からすれば、むしろ微笑ましいと映るのだろう。


 おもむろに鶴千代を抱き上げた定秀は、窓際に行って城下の景色を鶴千代と共に眺めた。
「見よ、鶴千代。藤右衛門が精魂を傾けた中野城下だ。美しいであろう」

 定秀の傍らには辰と岡も並んで立ち、四人で中野城下を眺めた。
 中野城を頂点に武家屋敷が立ち並び、その後ろには鍛冶町や大工町が並んで、鍛冶町の建屋からは白煙がもうもうと立ち込めている。
 鍛冶町では刀や槍が生産され、その横の弓矢町などでは弓を生産している。
 武家町や職人町などを含む元町一帯には曲がりくねった道が配置され、武者隠しなども設けて城の防衛にも注意を払われていた。

 職人町を過ぎると横に一本大路が引かれ、その大路の左右に大小様々な店が軒を並べている。
 店といっても粗末な造りだが、それでも以前の中野城下に比べて格段に活気にあふれていた。
 店の立ち並ぶ街並みの先に視線を移すと、木地師たちの作業場が軒を連ね、あちこちの家屋に人が頻繁に出入りしているのが見える。木地師だけでなく旅人を泊める木賃宿などもあり、千草街道へ至る街道の起点として多くの行商人が出入りしている所が見えた。

 西を見れば、日野川が天然の濠の役目を果たし、城と城下町が日野川に上手く包み込まれるように整備されている。川べりには小舟がいくつも繋がれ、収穫を終えた米俵を小舟に積み込む人足が活き活きと動いている。
 東に視線を移せば、馬見岡綿向神社の杜が見え、その手前に浄土真宗の寺院の屋根も見える。
 二年前に町割りを完了した中野城下では、日野各地の地侍や職人、商人が続々と屋敷を建築し、城下に槌音の止む時は無かった。

 しばらく景色を眺めていた鶴千代だったが、やがて飽きたのか辰の方に手を伸ばしてむずがりはじめた。

「やれやれ、やはりかか様の所がいいか」

 定秀は苦笑して鶴千代を辰に渡した。辰も鶴千代を受け取ると、上機嫌で定秀の隣に立つ。

「良き城下町になったな」
「恐れ入りまする。皆も戦が遠のき、安心して城下に拠点を移しているようでございます」
「よくやってくれた。俺が戦で出払っている間、引き続き辰と鶴千代を頼むぞ」
「ハッ!」

 定秀は年が明ければ再び上洛することが決まっていた。
 先帝の崩御により即位してから十年。未だ即位式を行えていなかった後奈良天皇だが、足利義晴の室町第復帰に伴って朝倉や北条、大内からの献金があり、それを受けて天文五年の二月にようやく即位式を実施する手はずとなっている。
 六角家からも足利義晴を通じて献上を行っており、定頼の他に義賢の名前でも献上品を用意していた。

 定頼はこの頃から積極的に義賢を立て、後継者として各種公的儀式に列席させている。
 周囲から見れば定頼が後継者義賢を中央政界に紹介していると受け取っているようだが、定秀から見れば単に自分が出るのを面倒臭がっているだけに見えていた。

 中野城に辰と鶴千代を留め、定秀自身は観音寺城下へと戻った。
 幼い鶴千代には、日野の悪ガキ共と泥だらけになって遊んでいて欲しかった。その悪ガキ共が、やがて鶴千代のかけがえのない家臣になるだろう。
 定秀にとっての外池兄弟がそうであったように……



 ※   ※   ※



 明けて天文五年(1536年)六月
 観音寺城の評定の間では、仏頂面の定頼を前に六角家の家臣達が集合していた。

「新助。概要を頼む」
「はっ。それでは……」

 定秀の隣に座す進藤が、書状を取り出して皆に語り出す。どうもいい話ではなさそうだということは定秀にも見当が付いた。

「此度、比叡山が山門大講堂で衆議を行い、京の法華宗を追討することで一決したようです。
 園城寺や東寺、興福寺にも協力要請が出ているとの由。容易ならざる事態になって参りました。
 公方様からも増長する法華門徒を懲らしめよとの御内書が参っております」

 一座にざわめきが起きる。
 確かに法華宗の増長は近頃目に余り、京では比叡山の僧兵と法華宗の町衆の小競り合いも散見されていると聞く。それに加えて、この三月には法華門徒の松本久吉と比叡山の華王房が問答をし、一門徒に過ぎない松本に比叡山の僧が論破されるという事件もあった。

 足利義晴も京の段銭を拒否する法華宗を懲らしめる機会を伺っており、六角定頼に対して比叡山に援軍を出すように要請していた。


「聞いての通りだ。本願寺の次は法華宗、そして比叡山とキリがない。公方様の体面も守ってやらねばならんが、そうは言っても帝が即位式をされて間もないことでもある。それに正直、宗門争いなんぞに巻き込まれるのはまっぴらだ。
 次郎からは援軍よりも調停を依頼する文が来ている。そこで、新助と藤十郎にはわしの名代として法華宗側と話し合いをしてもらいたい。法華宗側は木沢左京亮を代理に立てて来るそうだ」

 ―――やれやれ、ずいぶんと木沢が出て来るものだ

 定秀は法華宗側の代理として木沢長政が出て来ることに違和感を覚えていた。

 細川晴元は最初一向一揆を使って三好元長を討ち、その後暴走した一向一揆を討伐するために法華門徒を動員したが、その策を進言して実際に法華門徒を率いたのが木沢長政だった。
 そのため、長政は法華宗側から総大将のような扱いを受けており、今回も法華宗の代表として交渉に当たるという。

 だが、木沢氏は本来畠山家臣であり、細川晴元の直臣というわけではない。にも関わらず細川晴元から指名を受けて南山城守護代に任命されている。
 定秀には木沢が何故そこまで畿内で権勢を振るっているのかがよくわからなかった。

 ―――結局、六郎様の覚えが目出度いということか

 定秀にはそれ以外の理由が考え付かなかった。晴元のお気に入りということは、ロクな者ではあるまいという予感がある。
 宗門を武家の争いに介入させた元凶が木沢ならば、今のこの事態をどう思っているのかという興味はあった。もしかしたら反省してこちらの言うことに従うかもしれない。定頼も出来れば首を突っ込みたくないと思っていることでもあるし、可能ならば穏便に収めたい。

「ただし、出陣の用意はする。やるとなったならば、徹底的にやる。各々胆に銘じよ」
「ハッ!」

 一座の者が平伏する中、定秀はなんとか話し合いで法華宗側が引いてくれることを願っていた。

 天文五年(1536年)七月十一日
 定秀は進藤と共に上洛し、伏見の醍醐寺にて木沢長政と和平交渉を行うこととなった。



 ※   ※   ※



 摂津国の中嶋城では、十五歳になった三好長慶が細川晴国と下間頼盛らを中心とする一向一揆残党軍の討伐に当たっていた。
 本陣に座す長慶は、傍らに立つ篠原長政と共に戦況を見つめている。
 中嶋城の総堀を突破し、今は城壁にいくつかの梯子が掛けられている所だった。

「ようやく中嶋城を攻略できそうか…… しかし、叔父上や左京亮殿の軍勢を借りねば勝てぬとは情けない」
「孫次郎様、今は焦らず力を蓄える時でございます。中嶋城を手に入れたことでようやく摂津半国を回復することが出来ます。
 …我らもここからでござる」
「わかっておる。しかし、口惜しいのう……」
「若……」

 篠原が悲痛な顔で沈黙する。
 細川晴元の下で摂津半国守護代の地位を回復した長慶は、守護代として中嶋城を攻めるも細川晴国と一向一揆残党軍の前に一度は敗れていた。
 再度の出兵となった今回の合戦では、三好政長や木沢長政の援軍を得て辛くも勝利している。
 まだまだ一人では立てていないことは若い長慶にも充分に理解できていた。

「法華宗の代表者は左京亮殿だと言うではないか。本来ならその役目は父上のものだったはずだ」
「若、今は……」
「力を蓄えよ、だろう。分かっておる。そなたの言う通り弾正は大きい。わしはまだまだ小僧っ子だということは身に染みて分かった」
 長慶はギリっと歯を食いしばった。

 長慶の父である三好元長は熱烈な法華宗門徒で、京の法華宗寺院からも頼りにされる存在だった。
 それが故に一向一揆の標的にされ、本願寺証如は三好元長を仏敵と名指しした。
 法華宗の保護者は本来であれば父の跡を継いだ自分であり、今回の六角との交渉も本来であれば自分が行くべきだと長慶は思っていた。

 ―――力が無いと宗門からも相手にされぬ。乱世で力が無いということはそういうことなのだ

 思えば篠原長政はそのことをよくわかっていたのだろう。たとえ惨めな思いをしてでも生き残る方法を長慶に教えてくれた。
 激情に駆られて父が討たれた時に兵を挙げていれば、今頃は細川晴元に弟共々討たれていただろうと思う。

 ―――それにしても、弾正の大きさよ……

 思わず拳を強く握る。
 父の元長が唯一敵わぬと言った六角定頼は、驚くべきことに今まであらゆる戦に出陣し、ただの一度たりとも敗れていない。
 局地戦で六角家臣が敗れたことはあっても、定頼自身が出陣した戦は全て勝つか、最悪でも引き分けに持ち込んでいる。
 長慶自身が今回の戦で一敗地にまみれただけに、余計にその大きさが重くのしかかっていた。

 ―――見ていろ。俺は必ずや弾正をも超える男になってやる

 戦場を見ながら、長慶の視線は遥か先の近江を見つめていた。

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