鶴が舞う ―蒲生三代記―

藤瀬 慶久

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第四章 蒲生定秀編 三好長慶の乱

第43話 好機到来

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主要登場人物別名

少弼… 六角定頼 六角家当主 弾正少弼 
新助… 進藤貞治 六角家臣

孤竹斎… 宗牧 連歌師

河内守… 遊佐長教 畠山家臣 畿内有数の勢力を保持する
右馬頭… 細川氏綱 細川高国の遺児 細川晴元に反旗を翻す
右京大夫… 細川晴元 細川京兆家当主 三好長慶の主筋
宗三… 三好政長 細川晴元家臣

――――――――

 
 天文十三年(1544年)十月
 連歌師の宗牧は観音寺城二階の座敷で定頼を待っていた。
 特段何か用事があって寄ったわけではない。だが、宗牧も既に四十を越え、この当時としてはいつ冥土に参ることになるかわからないという年齢である。
 そのため、今生の名残に今まで交流のあった懐かしい人々を訪ねて東国を回る予定をしていた。

 六角定頼とも様々な交流があったため、挨拶に立ち寄った次第だ。

 隣では宗牧の息子の宗養がそわそわと落ち着かない様子で座っている。何と言っても天下第一の権勢を誇る六角定頼に面会するのだから、二十歳の宗養には何か粗相があってはという思いが先行しているのだろう。
 まして、定頼は前年の病がまだ完全に癒えたわけではなく、今も療養中として一握りの重臣しか会うことができないと聞く。
 それでもふらりと立ち寄った宗牧を歓待してくれるということが嬉しく、懐かしい縁に宗牧の顔は自然と綻んでいた。

 ―――最後に会ってからもう十年近くになるかな

 思えば、宗牧が若い頃には六角家は強大ではあってもまだ畿内の一勢力に過ぎなかった。
 六角家は定頼を得たことによって畿内随一の勢力へとのし上がったのだ。来し方を思う時、宗牧には自分が紛れもなく歴史の一幕に立ち会っているという感慨深さがあった。

 やがて襖が開くと奥から定頼が進藤貞治を伴って入って来る。
 宗牧が頭を下げると息子の宗養も慌ててそれに倣う。緊張が空回りしている息子を見て宗牧はますます可笑しさが込み上げてきた。

「孤竹斎殿。久しいな」
「太守様にもご無沙汰をいたしました。本日はお目通りが叶いまして有難きことにて……」
「ああ、良い良い。わしと孤竹斎殿の仲だ。そのように堅苦しい挨拶など抜きにしよう」

 病身と聞いていたが、定頼の顔色は悪くなさそうだった。
 だいぶ病は癒えたのかもしれない。

「お加減はいかがですかな?」
「うむ。だいぶ良くなったのだがな……。酒はいかんとこの新助が聞かんのだ」
「当たり前でございます。快方に向かっているとはいえ、未だ御屋形様は療養中の身。もっとご自身のお立場をお考えなされ」
「新助の小言はいつもこれだ。まったく、どちらが主君かわからんな」

 宗牧と定頼の笑い声が響く室内で、ぶすっとしかめっ面の進藤が端座している。
 進藤貞治は定頼の体を慮り、歓待の席でも酒を一切飲ませなかった。

 酒宴の後で茶が振る舞われ、お菓子なども餡子を包んだ餅が出された。
 砂糖をふんだんに使う餡子は言うまでも無くこの時代では超高級品であり、このような上等の菓子をポンと振る舞える定頼の力の一端を遺憾なく見せつけていた。

 一頻り定頼の歓待を受け、宗牧は茶室から見える景色にそっと視線を移す。
 東近江でもひと際高い山に立つ観音寺城からは、老蘇おいその森の向こうに甲賀山地が見え、さらに奥には大和・河内・伊勢の山々が連綿と連なる。
 視線を反対側に移せば水茎岡山の向こうに湖水が広がり、その奥には比良山系が威容を誇るようにそびえ立つ。
 水茎岡山の手前にも内湖が広がり、水辺で遊ぶ水鳥が時折羽ばたくのが見えた。

「いや、素晴らしい。この景色も含めて太守様のおもてなしですな」

 感嘆の声を上げる宗牧に対し、定頼がフッと鼻で笑った。

「景色もいいが、やはり孫の顔を見るのが一番の養生だ。なんとも言えずかわゆいものよ。孤竹斎殿も長生きして孫の顔を見ねばならんぞ」
「ははは。私は様々なお方と御縁を結ばさせていただきました。今の東国行脚が孫の顔を見て回るようなものです」
「はっはっは。それでは、わしは孤竹斎殿の初孫か。それはいい」

 愉快そうに笑う定頼の顔に宗牧にも笑顔がこぼれる。

 ―――また、東国からの戻りには立ち寄らせてもらおう

 しかし、この東国紀行の途中に下野国佐野で宗牧は病に倒れる。
 定頼の持つ縁は、一つまた一つとこの世を去って行った。



 ※   ※   ※



「くっ……」

 山科言継は屋敷の居室に座って六角定頼からの書状を穴の空くほど見つめていた。

「少弼め……朝廷の権威をなんと心得ている」

 山科家と三井寺園城寺とは山科郷西庄の領有を巡って争っていたが、昨年に定頼が三井寺の勝訴としてしまった。
 山科言継はそれを不服とし、裁判のやり直しを求めていた。

「肝要に候や、とは何たる言い草だ。朝廷の財政を司る内蔵頭の職を一体何だと思っておる!」

 手元の文には一度判決を出したものをもう一度蒸し返すなと書いてある。
『この結果に納得することが大事ですよね?』という一種恫喝とも取れる厳しい文調で、以後この問題を蒸し返すなとはっきりと書かれてあった。

「摂関家は朝廷の窮乏に素知らぬ顔をしているし、当てにならぬ……」

 山科言継は思わずため息を吐く。
 近衛家を始めとする摂関家は、この頃には皇室や廷臣と所領を巡っていがみ合うことも多くなっており、言継のような役人とは距離を取るようになっている。朝廷の窮乏を訴えても柳に風と聞き流す公算が大きい。
 また、左大臣を務める三条公頼も六角の威光にすっかり息を潜めている。
 天文十三年には三条公頼の三女が産まれ、本願寺証如の嫡男茶々丸との婚約を整えていた。だが、細川晴元の養女にした上での輿入れを望む三条公頼に対し、細川晴元も本願寺証如も六角定頼の意向を伺わねば決められないという有様だった。
 ここに来ても六角の影が山科言継を圧迫していた。
 ちなみに、この時に産まれた三条公頼の娘が後に本願寺顕如の妻として有名になる教光院如春尼である。

 ―――かくなる上は大徳寺に申し上げるか

 大徳寺は定頼の得度した相国寺と同じ臨済宗の寺で、定頼との関係も深い。
 山科言継は一縷の望みをかけて大徳寺に嘆願することにした。

 だが、結局は大徳寺の説得も定頼の決定を覆すには至らなかった。

 天文十四年の五月には三好長慶らが宇治田原に籠る細川氏綱方の武将を攻めたが、ここでも山科言継は金策に走り回った。
 山科家の領有する山科七郷は軍勢の通過点に当たったが、この当時では軍勢が通る時には乱暴狼藉が付き物だった。事実、この時の軍事行動でも宇治・木幡・石田・伏見などの各郷では軍兵の略奪に晒されている。
 これを避けるためには矢銭や制札銭を支払って略奪を禁じてもらうしかない。
 結局は奪い取られるか自ら進んで支払うかの違いしかなかった。

 この時も山科家は矢銭二百貫を三好長慶に支払い、何とか略奪を避けている。
 朝廷や公家の窮乏は領地からの年貢が支払われなくなったことに加え、京近辺の荘園では軍勢によってさまざまに銭を奪い取られていたことも一因としてあった。

 山科言継は天文初年頃から全国を行脚して各地の大名と人脈を築いていくが、その目的は端的に言って朝廷への献金集めだった。



 ※   ※   ※



「何?河内守殿が?」
「はい。密かに右馬頭様を高屋城にお迎えし、右京大夫様に対して反旗を翻す御心積もりであると」

 三好長慶は越水城に戻った早々に驚くべき報せを受けた。
 報せをもたらしたのは松永久秀だった。

「摂津・河内の情勢はいかがなる?」
「同調する者は少なくないでしょう。先年の宗三殿の隠居が方便であったことは、畿内の全ての者が知っております。
 今や右京大夫様と宗三殿は畿内の者全てから嫌われていると言っていいでしょう」

 傍らの篠原長政が打てば響くように答える。
 長慶自身の読みも長政と一致していた。

「殿。我らも河内守殿にお味方いたしますか?」

 松永久秀の言葉に長慶がしばし考え込む。
 天文十三年から足かけ二年に渡り、この頃の三好長慶は細川晴元の走狗のごとく畿内各地を転戦していた。
 天文十四年の五月には南山城に出兵したかと思うと七月には丹波世木城を攻め、天文十五年の八月に和泉堺で戦い九月には摂津大塚城を包囲するといった東奔西走ぶりを見せる。
 だが、文字通り座の温まる暇もないほどの転戦の中でも長慶は連戦連勝の快進撃を見せ、ようやく畿内でも一目置かれるほどの声望を手にしていた。
 遊佐長教に味方すれば、細川晴元など立ちどころに粉砕できるだろう。

 だが……

 ―――これは好機かもしれんな

「情勢は河内守有利というわけだな?」
「おそらくは……」

 決意を込めた眼差しで松永久秀と篠原長政の目を交互に見る。やがて長慶は決然と口を開いた。

「このこと、右京大夫様にお知らせせよ」
「……よろしいのですか?」

 しばらくためらった後に松永久秀が念を入れる。しかし、長慶の決意は揺るがなかった。

「この情勢下では今から河内守に味方したところで行く末は知れている。それよりも、河内守を食えば俺の勢威は摂津・河内を圧するはずだ。
 敵は強大だが、やる価値はある」

 松永・篠原の両名は深々と頭を垂れる。
 再び顔を上げた時には、二人の目にも決死の気迫が籠っていた。

「急ぎ戦支度を整えよ。まずは堺を抑える」
「堺を……ですか?」
「そうだ。今は夏。高屋城がいかに大きな城郭でも、それほど多くの軍勢を食わせる兵糧は備蓄できておらぬだろう。密かに事を運んでいるなら尚のこと、目立つような真似は控えるはずだ。
 つまり、敵には今戦を行うだけの物資が不足しているはずだ。
 西国の物資が集まる堺を抑えてしまえば、河内守の機先を制することができる」

 二人ともが納得顔になる。
 松永久秀などは主の智謀と決断力に畏敬の念すら籠った眼差しを向けていた。

「わかったら急げ!今すぐに堺に参るぞ!」
「ハッ!一刻(二時間)お待ちくだされ!すぐに兵の支度を整えまする」

 松永と篠原が慌ただしく居室を出て行く。
 この戦いは完全な奇襲でなければならない。三好長慶が遊佐長教の謀反に気付いていることを悟られる前に動き出さねばならなかった。

 天文十五年(1546年)八月
 三好長慶は越水城を発ち、急いで堺を抑えるべく進軍する。
 堺は元々瀬戸内海を通じて西国の物資を集積することで富を蓄積している。そのため、瀬戸内海の最後の関門である淡路島を抑えた三好氏に対して友好的であった。
 三好長慶はさしたる戦闘には発展しないと見切りをつけ、越水城の有り合わせの軍勢で一路堺を目指す。
 真夏の日差しがようやく緩み、三好の軍勢が進む田園には蝉しぐれの音がうるさく響き渡っていた。

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