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第四章 蒲生定秀編 三好長慶の乱

第50話 榎並城包囲戦

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主要登場人物別名

弾正… 六角定頼 六角家当主
右京大夫… 細川晴元 細川京兆家当主
宗三… 三好政長 細川晴元の寵臣
刑部大輔… 細川元常 和泉細川家当主

――――――――

 
 観音寺城で三好長慶蜂起の一報を受けた定頼はすぐさま行動に移った。
 このことあるを予見していたため、摂津・河内・和泉の諸勢力には広く下交渉を済ませてある。

「御屋形様。三好筑前の先鋒が摂津柴島城を攻め、榎並城に迫らんとしておると報せが参りました」
「動いたか。右京大夫と宗三はどうしている?」
「三好宗三は丹波より迂回して一庫城へ向かっております」
「予定通りだな。細川刑部大輔へ使者を出せ」
「ハッ!」

 三雲定持は定頼の下知を受けて配下の甲賀衆を各地に走らせた。
 和泉守護の細川元常を始め、紀伊の根来寺一向門徒や伊賀守護の仁木氏などに出兵を促して摂津・河内を外側から包囲する体制を構築する。
 摂津国内では茨木長隆・三好政勝・伊丹親興などが三好長慶軍を牽制し、形勢はまだどちらに傾くか予断を許さなかった。

 ―――まだまだ若造に負けるわけにはいかんわ

 五十六歳の定頼は、三好長慶をはっきりと敵と認識したことで再び活力を取り戻していた。



 ※   ※   ※



 摂津中嶋城から遥か先を望見し、三好長慶はため息を吐く。
 中嶋城の先には柴島くにじま城があり、視線を南に移せば目的とする榎並城が見える。榎並城は長慶が求め続けた河内十七箇所を治める中心拠点だった。
 今も榎並城には三好政長の息子の政勝が籠って長慶軍を牽制している。榎並城に攻めかかれば柴島城から後ろを突かれ、柴島城に攻めかかれば榎並城から後詰が向かって来る。中嶋城の長慶軍だけではどうにも攻めようがなかった。

「これでは、こちらもうかうかと動けんな」
「まことに。さすがは六角弾正にございます」

 傍らの松永甚助も同じく視線を榎並城に送りながら長慶の言葉に頷く。大和からは筒井が河内十七箇所の榎並城に向けて進軍しているが、肝心の三好長慶はまだ摂津欠郡から動けずにいた。遥か近江から指示を飛ばすだけで瞬時に三好長慶を動けなくしてしまった定頼の手腕に、今更ながら長慶は戦慄する。

 ―――やはり弾正の壁は高いか

 背後からは細川元常の和泉軍が虎視眈々と長慶軍を狙い、その後ろには根来衆の来援もあると聞く。迂闊に背を見せれば腹背に敵を受けて長慶軍が壊滅する恐れがあった。

 ―――頼りの舅殿もまだ高屋城からは動けぬ。

 長慶の岳父である遊佐長教は同じく後ろに敵勢を抱えて河内の線で止まっている。お互いに戦線は膠着状態のまま天文十七年は暮れた。



 ※   ※   ※



「藤太郎。準備は良いか?」
「はい!いつでも行けます!」

 辰や家族たちに見送られながら蒲生定秀と蒲生賢秀は出陣の支度を整え終わっていた。
 今回は見送りの面々の顔も厳しい。前回の大和行きと違い、今回は紛れもなく戦をしに行くことになる。蒲生が前線に立つのは常のことでもあるし、最悪の場合は生きて戻って来られないかもしれない。定秀の顔にも笑顔は無かった。

「よし、では行って参る」
「御武運をお祈り致しております」

 三月の明るい日差しの中でも城下に整列する軍勢の顔は厳しく、皆が一様に容易ならざる戦の予感を感じ取っていた。
 定秀がチラリと隣を伺うと、軍馬に乗って隣を進む賢秀の顔も前回の上気した興奮は無い。むしろ戦に向けて覚悟を固めようとする横顔に見えた。

「父上。今回は摂津を攻める戦となりましょうか」

 不意に賢秀が話しかけたことで定秀はおもわずしっかりと賢秀の顔を見た。詳細はほとんど知らせていなかったが、どうやら賢秀なりに情勢や見聞きした情報を分析して遠征の目的を察しようとしているようだった。

「うむ。摂津では三好筑前が淡路島の援軍を得て柴島城を落とし、榎並城の包囲に掛かっているそうだ。三好宗三からは援軍を願うと矢のような催促だ」

 天文十八年の二月には三好長慶の元に弟の安宅冬康が援軍として駆けつけ、和泉からの細川元常らを引き受けていた。背後の脅威が無くなった遊佐長教も河内十七箇所に近い天満森に布陣し、榎並城を扼する位置を確保する。
 遊佐軍が榎並城を抑える配置に付いたことで中嶋城に籠る長慶軍は南を気にしなくても良くなり、全軍で北の柴島城攻略に掛かるとこれを落城させた。
 三月のこの頃には榎並城は河内平野の中で孤立している。

 一庫城に入った三好政長は息子の窮地を救おうと摂津北部各地で長慶軍を牽制するためにゲリラ戦を展開するが、長慶軍はあくまでも榎並城を標的に据えて小部隊を摂津各地に派遣するに留めている。今や榎並城は風前の灯になっていた。

「今回は御屋形様はご出陣されないのですか?」
「お体の具合が思わしくないのだ。気力は横溢しておられるが、やはり以前の通りというわけにはいかぬ。春とは言え朝晩はまだ冷え込む日も多いからな。今ご無理をされては万一のこともあり得る」

 六年前から定頼の体を蝕み続ける病魔は未だ衰えを見せず、近頃では体を冷やすと途端に体調を崩すことが多くなっていた。それでも定頼本人は陣頭指揮を取ると言って聞かなかったが、進藤貞治の一喝で渋々観音寺城に居残ることに同意した。今回の遠征軍の総大将は息子の六角義賢が務めている。

「この戦……勝てましょうか?」

 賢秀の問いに定秀も思わず言葉を切って黙り込む。
 定頼が陣頭にあるならば十中八まで勝てるだろう。三好長慶は榎並城の三好政勝を包囲しているが、その外側では定頼が敷いた包囲網が広く三好長慶・遊佐長教連合軍を包んでいるとも見える形勢だ。ここに定頼率いる六角軍が山城から攻め下れば、三好長慶は為す術無く越水城に撤退せざるを得ない。
 例え榎並城を落とせたとしても、それは自ら六角軍を中心とする包囲の目に飛び込むことになるからだ。

 だが、定頼の不在が各軍の将にどのように映るかは読めない。
 義賢も充分に一軍の将としての器量はあるが、この戦は六角軍の到着まで榎並城が耐えきることが前提だ。定頼の不在に絶望した三好政勝が玉砕してしまえば、全てが水の泡になる。

「摂津衆がどれだけ耐え忍ぶかに掛かっている。我らも進軍の足を速めねばなるまい」

 話ながら進んでいると間もなく目の前に瀬田川橋が見える。ここを渡って京に行けば、その先はいよいよ摂津だ。

 ―――若殿も既に三十歳を目前にされている。今や一方の大将として充分な御器量をお持ちだ。

 定秀ははるか後方に見える隅立て四ツ目の旗印を振り返った。
 明るい日差しに照らされた旗印は定頼の本陣にあった時と少しも変わらない。だが、家臣の方は顔ぶれが変わってしまった。
 配下にも若い家臣が増え、定頼の治世を支えた家臣は今や定秀と三雲定持くらいになってしまった。唯一進藤貞治だけは今回定頼からのお目付け役として義賢を支える帷幕に加わっている。
 だが、進藤の軍勢は息子の進藤賢盛が率いていた。

 ―――あの若造に先陣が務まるかどうか……

 十年前の伊勢遠征で醜態を演じた進藤小太郎も既に二十四歳になっている。年齢と家格を見れば先陣の将として充分な風格を備えているが、定秀にはどうしても十五歳の頃の初陣の醜態が思い出される。
 まるで子を心配する親の心持だ。

 キョロキョロと周囲の旗を見回していると、息子の賢秀が不審な目を向けて来ることに気付いた。

「なに、六角の家中もだいぶ若い顔ぶれが増えたと思ってな」
「某も実質的には今回が初陣です。無様な戦をせぬように気を付けます」
「うむ。だが何よりも生きねばならんぞ。死んでは武功は無い。武士は何よりも生き残らねばならん。良いな」
「はい!」

 蒲生の対い鶴の旗の先には、逢坂山が目前に迫っていた。この山を越えれば京に入る。



 ※   ※   ※



「まだか!六角の援軍はまだ見えぬか!」
「ハッ!未だ京に留まっております」
「ええい、六角は何をしている!よもや我らを見捨てるつもりではあるまいな」

 三宅城内では僧形の三好政長が苛立った様子で物見櫓に立っていた。
 目線ははるか西を望み、京からの六角軍の来援を今や遅しと待ちわびている。視線を南に移せば、遥か彼方で三階菱の旗に十重二十重に包囲された榎並城が見える。
 政長も同じ三階菱の旗印を使っているが、今榎並城を囲んでいる三階菱は敵方である三好長慶の旗指物ばかりだった。

 ―――これで榎並城と連絡が途絶えて二月が経つ

 三好政長は内心で焦りに焦っていた。何と言っても榎並城に籠るのは息子の三好政勝だ。四月に一庫城に入った細川晴元と共に何とか榎並城の包囲を打ち破ろうと戦を仕掛けるが、神崎川の対岸に陣する三好長慶の防御を崩せずに無為に時だけが過ぎている。

 ―――もはや待てぬ。今すぐに右京大夫様にお出まし願おう。

 一庫城の細川晴元には敵陣にほど近い三宅城に来てくれと何度も催促していたが、晴元は六角軍の来援を待つと言って一向に動く気配が無い。
 焦れた政長は何度も晴元に催促の使者を出し、細川晴元もついに折れて三宅城へと陣を進める。
 三好政長には知る由も無かったが、この時京では六角軍の足軽と丹後から駆け付けた一色義幸の足軽が些細なことから喧嘩を起こし、死人まで出る事態に発展していた。六角を主力とした細川晴元方の足並みは微妙に揃わず、摂津の軍勢との齟齬が生じていた。


 六月に入ると、三好政長は『六角軍間もなく来援す』の報に接し、勇気百倍して三宅城から江口城へと陣を進める。江口城は淀川と神崎川が分流する付け根のデルタ地帯にあり、三方を川に囲まれた一見堅固な要塞だ。
 だが、この城には致命的な欠点があった。三方を川に囲まれる要害であるがゆえに正面を囲まれれば兵糧の補給ができないという弱点があった。
 付け城として前線基地にするのならば有用だが、出城として防衛拠点にするには向かない城だった。



 天文十八年(1549年) 六月
 六角軍の来援にはまだ時が掛かる中で三好政長が敵方に突出する形勢となる。この形勢を好機到来と見て取った三好長慶は、六角軍が摂津に入る前に勝負を決めるべく軍を江口城に向ける。
 三好長慶が主君の細川晴元を完全に凌駕し、畿内に三好政権を打ち立てる契機となった『江口の戦い』の幕が、今切って落とされようとしていた。

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