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第四章 蒲生定秀編 三好長慶の乱
第54話 鉄砲放ちの久助
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主要登場人物別名
左兵衛大夫… 蒲生定秀 六角家臣 蒲生家当主
藤太郎… 蒲生賢秀 蒲生家嫡男
左京大夫… 六角義賢 六角家嫡男 定頼に代わって六角軍を率いる
中務大輔… 大原高保 六角定頼の実弟
右京大夫… 細川晴元 細川京兆家当主 三好長慶の叛乱によって没落する
――――――――
滝川資清は次男の久助を伴って京の町をはるかに望見していた。
甲賀大原村の出身である滝川資清は目が良く、はるか先に見える三好勢の動きを櫓から見張る役目を与えられている。
天文十九年(1550年)六月
足利義晴が死去し、六角定頼が相国寺にて義晴の葬儀を行う中で将軍足利義藤は喪が明けるのも待たずに築城成った中尾城に入城した。
本来は四十九日を必要とする中陰も二十日あまりで切り上げ、一刻も早く京を三好長慶から奪回すべく軍を起こす義藤に定頼も一度苦言を呈したが、『京を奪回することが亡き父への何よりの供養』と言い張って聞かなかった。
「どうだ?三好に動きは見えるか?」
「これは中務大輔様。今は三好も本軍の到着を待っているようです」
「そうか。この老骨では前線に立って攻めかかるということもままならん。なんとか左京大夫の援軍が到着するまで持ちこたえねばならんな」
六角定頼の実弟で足利義晴に供奉していた大原高保は、義晴の息子の義藤に従って中尾城に入城していた。東湖大将軍とまで称された勇将も寄る年波には勝てず、この頃では前線に立つことも滅多に無くなっている。
「中務様、お願いがございます」
父の資清と大原高保の会話に割り込んで突然滝川久助が平伏する。
「これ、中務大輔様に対して無礼であろう」
「良い。申してみよ」
「されば、某に是非とも鉄砲の撃ち手をお任せいただけませんでしょうか?」
「鉄砲のか……」
大原高保の耳にも先ほどから洛中で鉄砲を撃つ音が聞こえてくる。もっとも、この頃は未だ鉄砲の有用性に疑問を持つ者も多く、この時の銃撃音も訓練ではなく多くは三好方の武士が面白半分に遊んでいるだけだった。
「某は弓の技前は人に勝るところはありません。ですが、鉄砲ならば未だ誰も名人になったという者は聞きませぬ。某は弓の技前を磨くよりも新たな武器として鉄砲の扱いに熟達しとうございます」
二十六歳になる滝川久助は人に比べて弓を引く力が弱く、その為に弓の鍛錬を怠りがちな所もあって弓の腕が良くはなかった。だが、武士として戦う以上は弓矢の道も鍛錬しなければならない。刀槍の技だけで務まるほど武士の戦は甘くはない。
久助は弓に代わるものとして鉄砲の扱いに長じようとしていた。鉄砲ならば皆等しく扱いがまだ熟練していない。そこに光明を見出していた。
「ふむ。分かった。右京大夫様に願って鉄砲と弾薬を回すように言っておこう」
「有難き幸せ。必ずや物にしてみせまする」
「うむ。期待しているぞ」
そういって大原高保は物見櫓の梯子を下りて行った。
辺りには断続的に鉄砲の射撃音が響いている。
「あんなに騒がしい物が戦で役に立つかの」
「必ずや役立ちましょう」
父の滝川資清は未だ懐疑的だったが、翌日に鉄砲と弾薬を受け取った久助は見張りの合間に鉄砲射撃の腕を磨き続けた。元々の才もあって久助の射撃の腕前はめきめきと上達し、一月が経つ頃にはかなり的に当たるようになっていた。
※ ※ ※
「かかれー!」
三好長慶の武将、三好弓介の一隊が鴨川を渡って東山に攻めかかる動きを見せる。細川晴元はこれに応戦すべく岡崎の辺りに陣取り、川を渡って来る敵兵に矢の雨を降らせていた。吉田山には足利義藤が陣取り、北白川からは六角軍の援軍として三雲定持の一隊が向かっているという報せがあった。
滝川久助は喧騒を避けて岡崎神社の境内に潜み、弾込めの済んだ鉄砲を愛おしそうに抱えながら座っている。同じく岡崎神社の塀の上には甲賀の郷士が数名上って敵陣に矢を射かけていた。
「久助!お前も弓を持て!」
同輩の一人から叱責されても久助はどこ吹く風と鉄砲を撫でている。同輩も苛立ちながら、それでも前面の敵兵に矢を射る手を止めることは出来なかった。
―――何とでも言え。俺は弓が下手だ。だが鉄砲ならばお主らよりも良い働きができる
先ほどから細川晴元の陣から鉄砲の射撃音が響いているが、目立った戦果は挙げられていない。そもそもが弾込めに時間のかかる鉄砲は一射したらすぐに置いて弓に持ち替える武士も多かった。たった一発の射撃で効果的な銃撃が出来るはずも無い。
「ここも退くぞ!右京大夫様の撤退を援護する!」
「オウ!」
同輩が岡崎神社周辺の戦いに見切りをつけ、細川晴元を逃がす為に移動を始める。先ほどから敵の喚声がだいぶ大きく聞こえるようになっていた。
―――頃合いか
久助が塀の影から外を伺うと、一町(約百メートル)ほど先に五十人ほどの部隊が進軍してくるのが見える。戦闘を切り抜けてきたのだろう。隊列も乱れてバラバラに敵を追っている形になっていた。
塀の破れ目からゆっくりと銃口を覗かせた久助は狙いを先頭の足軽に定めて引き金を搾った。
耳慣れた轟音を聞きながら銃口の先に視線を注ぐと、狙った足軽の二人横を走っていた足軽がもんどりうって吹き飛ぶのが見える。
―――ありゃ。どうしてもこれだけ離れると狙いがぶれてしまうな
突然味方が吹き飛んだことに動揺した足軽達は思わず足を止めて周囲を伺う。だがその時には久助は既に手近な茂みに隠れて次弾の装填に掛かっていた。
次々に位置を変えながら足軽を次々に狙撃していくと、やがて岡崎神社の方から銃撃音が聞こえると勘付いた足軽達が久助の潜む辺りをめがけて殺到し始めた。
―――次撃ったら引き上げよう
そう思いながら狙いを定めていると、足軽達に混じって立派な兜を被った武士が久助の方に近付いて来るのが見えた。距離は既に半町(約五十メートル)にまで迫っている。
今までと同じように兜首に狙いを定めて引き金を搾る。今度は狙い通りに兜首に命中したが、顔を狙った銃弾は少し逸れて左肩の辺りに着弾した。
恐らく部隊の指揮官だったのだろう。手傷を負った兜の武士を取り囲んで足軽達が一斉に退いていく。その隙に久助は悠々と中尾城まで引き上げた。
―――鉄砲は命中させるのが難しい。だが集団で撃ちまくれば敵は容易に近づけんようになるな
実戦の中で久助は鉄砲の運用法に様々な思いを巡らしていた。
だが、細川晴元らの鉄砲兵の奮戦も虚しく足利義藤は積極攻勢に出ることが出来ずに十一月に三好長慶の本軍が摂津から上洛すると再び坂本に退いた。
七月から度重なる小競り合いの中で滝川久助は鉄砲の名手として徐々に名が高まっていたが、鉄砲の脅威を実感した三好軍によって三十丁の鉄砲部隊も次々に刈り取られて行った。
滝川資清を始めとした大原高保配下の甲賀衆も次々に討ち取られ、息子の滝川久助も行方が知れずに討死したものと思われた。
これを受けて瓜生山に陣した六角軍も再び傍観の姿勢に入る。
この頃北近江で京極高延が再び六角に対して兵を挙げ、多賀郡などに放火する事態となっていた。六角軍は観音寺城に居残る部隊で素早く京極高延の軍を撃退するが、京極高延は三好長慶と連携して六角を攻める形勢を崩さずにいる。そのため、京に出陣している六角義賢としても軽々に三好と正面から組み合う訳にはいかなかった。
北近江では浅井亮政の後を継いだ浅井久政が六角家の支配下に入っていたが、三好との挟撃ならば勝ち目があると判断した久政は京極高延と合力して南近江に進軍する構えを見せている。六角軍もここに至っては京で積極攻勢に出る訳にはいかなかった。
※ ※ ※
「申し訳なきことながら某は観音寺城に戻らねばなりません」
堅田の足利義藤本陣では義藤を前に六角義賢が頭を下げていた。中尾城を落ちた足利義藤は坂本まで逃れたが、三好長慶配下の松永甚助らの軍が山科郷を越えて大津にまで進軍し、辺りに放火するという事態に陥っていた。
そのため、足利義藤らは坂本からさらに北の堅田まで退いていた。
「左京大夫。しかし今六角の軍勢を失う訳には……伊勢守も松永甚助らと共に坂本まで軍を進めておるし、今六角が戦線を離れれば我らは……」
言いさして義藤が絶句した。
思わず感情が昂ったのか、目頭を押さえて涙を堪える仕草をしている。
「申し訳もござらん。北近江が三好に寝返りました。我らも観音寺城を落とされれば公方様をお支えするどころではなくなってしまいます。ここはどうか御辛抱下り、再起の時をお待ち下され」
一座にしんみりとした空気が満ちる。頼みの六角軍も滋賀郡と北近江に分断されることを余儀なくされ、足利義藤の京奪回は失敗に終わることが確実だったからだ。
長く政所執政として足利将軍家を支えて来た伊勢貞孝も三好長慶に寝返り、義藤をさらって三好長慶に投降しようと企てていた。策謀が事前に露見したために義藤は無事のまま伊勢は京に戻ったが、これによって伊勢家は義藤を支える帷幕から事実上脱落した形勢となった。
「泣いていても仕方がないな。余は朽木に逃れて再起を図る。再び軍を起こす時には六角の援助を期待している」
「ハッ!せめてものことに蒲生隊と三雲隊を公方様警護に残してゆきまする。高島郡でも京極に同心した高島越中が朽木家と戦をし、朽木弥五郎殿を討死させております。朽木家も今公方様をお迎えできるほどの余力があるかはわかりません。蒲生左兵衛大夫親子には朽木にて公方様が落ち着かれるまで警護の任を与えておきまする」
「有難い。左京大夫の心遣いに感謝する」
天文二十年(1551年)二月
足利義藤は蒲生定秀・賢秀親子に守られながら高島郡朽木谷へと逃れた。
高島郡では稙綱の嫡男晴綱がこの昨年の河上庄を巡る戦で討死しており、現当主は未だ二歳の朽木元綱が継いでいた。無論二歳の赤子に当主が務まるはずもなく、祖父の稙綱が後見人として領内の差配を行うこととなった。
また、六角義賢は主力を率いて細川晴元と共に観音寺城に戻り、北近江の浅井と再び戦火を交える準備に入った。将軍家の後ろ盾として天下を差配した六角家はこの時を持って三好長慶に天下人の地位を譲ることとなる。
足利義藤を朽木谷まで送り届けた蒲生定秀は、三雲賢持と合流して滋賀郡の堅田に再度布陣する。
大津に進軍して坂本まで迫った松永甚助らを京へ撃退するべく戦火を交える覚悟であった。今まで数的優位を常に保ち続けてきた六角軍だったが、この時ばかりは数的不利の中で戦をしなければならない。
蒲生軍の真価が問われようとしていた。
左兵衛大夫… 蒲生定秀 六角家臣 蒲生家当主
藤太郎… 蒲生賢秀 蒲生家嫡男
左京大夫… 六角義賢 六角家嫡男 定頼に代わって六角軍を率いる
中務大輔… 大原高保 六角定頼の実弟
右京大夫… 細川晴元 細川京兆家当主 三好長慶の叛乱によって没落する
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滝川資清は次男の久助を伴って京の町をはるかに望見していた。
甲賀大原村の出身である滝川資清は目が良く、はるか先に見える三好勢の動きを櫓から見張る役目を与えられている。
天文十九年(1550年)六月
足利義晴が死去し、六角定頼が相国寺にて義晴の葬儀を行う中で将軍足利義藤は喪が明けるのも待たずに築城成った中尾城に入城した。
本来は四十九日を必要とする中陰も二十日あまりで切り上げ、一刻も早く京を三好長慶から奪回すべく軍を起こす義藤に定頼も一度苦言を呈したが、『京を奪回することが亡き父への何よりの供養』と言い張って聞かなかった。
「どうだ?三好に動きは見えるか?」
「これは中務大輔様。今は三好も本軍の到着を待っているようです」
「そうか。この老骨では前線に立って攻めかかるということもままならん。なんとか左京大夫の援軍が到着するまで持ちこたえねばならんな」
六角定頼の実弟で足利義晴に供奉していた大原高保は、義晴の息子の義藤に従って中尾城に入城していた。東湖大将軍とまで称された勇将も寄る年波には勝てず、この頃では前線に立つことも滅多に無くなっている。
「中務様、お願いがございます」
父の資清と大原高保の会話に割り込んで突然滝川久助が平伏する。
「これ、中務大輔様に対して無礼であろう」
「良い。申してみよ」
「されば、某に是非とも鉄砲の撃ち手をお任せいただけませんでしょうか?」
「鉄砲のか……」
大原高保の耳にも先ほどから洛中で鉄砲を撃つ音が聞こえてくる。もっとも、この頃は未だ鉄砲の有用性に疑問を持つ者も多く、この時の銃撃音も訓練ではなく多くは三好方の武士が面白半分に遊んでいるだけだった。
「某は弓の技前は人に勝るところはありません。ですが、鉄砲ならば未だ誰も名人になったという者は聞きませぬ。某は弓の技前を磨くよりも新たな武器として鉄砲の扱いに熟達しとうございます」
二十六歳になる滝川久助は人に比べて弓を引く力が弱く、その為に弓の鍛錬を怠りがちな所もあって弓の腕が良くはなかった。だが、武士として戦う以上は弓矢の道も鍛錬しなければならない。刀槍の技だけで務まるほど武士の戦は甘くはない。
久助は弓に代わるものとして鉄砲の扱いに長じようとしていた。鉄砲ならば皆等しく扱いがまだ熟練していない。そこに光明を見出していた。
「ふむ。分かった。右京大夫様に願って鉄砲と弾薬を回すように言っておこう」
「有難き幸せ。必ずや物にしてみせまする」
「うむ。期待しているぞ」
そういって大原高保は物見櫓の梯子を下りて行った。
辺りには断続的に鉄砲の射撃音が響いている。
「あんなに騒がしい物が戦で役に立つかの」
「必ずや役立ちましょう」
父の滝川資清は未だ懐疑的だったが、翌日に鉄砲と弾薬を受け取った久助は見張りの合間に鉄砲射撃の腕を磨き続けた。元々の才もあって久助の射撃の腕前はめきめきと上達し、一月が経つ頃にはかなり的に当たるようになっていた。
※ ※ ※
「かかれー!」
三好長慶の武将、三好弓介の一隊が鴨川を渡って東山に攻めかかる動きを見せる。細川晴元はこれに応戦すべく岡崎の辺りに陣取り、川を渡って来る敵兵に矢の雨を降らせていた。吉田山には足利義藤が陣取り、北白川からは六角軍の援軍として三雲定持の一隊が向かっているという報せがあった。
滝川久助は喧騒を避けて岡崎神社の境内に潜み、弾込めの済んだ鉄砲を愛おしそうに抱えながら座っている。同じく岡崎神社の塀の上には甲賀の郷士が数名上って敵陣に矢を射かけていた。
「久助!お前も弓を持て!」
同輩の一人から叱責されても久助はどこ吹く風と鉄砲を撫でている。同輩も苛立ちながら、それでも前面の敵兵に矢を射る手を止めることは出来なかった。
―――何とでも言え。俺は弓が下手だ。だが鉄砲ならばお主らよりも良い働きができる
先ほどから細川晴元の陣から鉄砲の射撃音が響いているが、目立った戦果は挙げられていない。そもそもが弾込めに時間のかかる鉄砲は一射したらすぐに置いて弓に持ち替える武士も多かった。たった一発の射撃で効果的な銃撃が出来るはずも無い。
「ここも退くぞ!右京大夫様の撤退を援護する!」
「オウ!」
同輩が岡崎神社周辺の戦いに見切りをつけ、細川晴元を逃がす為に移動を始める。先ほどから敵の喚声がだいぶ大きく聞こえるようになっていた。
―――頃合いか
久助が塀の影から外を伺うと、一町(約百メートル)ほど先に五十人ほどの部隊が進軍してくるのが見える。戦闘を切り抜けてきたのだろう。隊列も乱れてバラバラに敵を追っている形になっていた。
塀の破れ目からゆっくりと銃口を覗かせた久助は狙いを先頭の足軽に定めて引き金を搾った。
耳慣れた轟音を聞きながら銃口の先に視線を注ぐと、狙った足軽の二人横を走っていた足軽がもんどりうって吹き飛ぶのが見える。
―――ありゃ。どうしてもこれだけ離れると狙いがぶれてしまうな
突然味方が吹き飛んだことに動揺した足軽達は思わず足を止めて周囲を伺う。だがその時には久助は既に手近な茂みに隠れて次弾の装填に掛かっていた。
次々に位置を変えながら足軽を次々に狙撃していくと、やがて岡崎神社の方から銃撃音が聞こえると勘付いた足軽達が久助の潜む辺りをめがけて殺到し始めた。
―――次撃ったら引き上げよう
そう思いながら狙いを定めていると、足軽達に混じって立派な兜を被った武士が久助の方に近付いて来るのが見えた。距離は既に半町(約五十メートル)にまで迫っている。
今までと同じように兜首に狙いを定めて引き金を搾る。今度は狙い通りに兜首に命中したが、顔を狙った銃弾は少し逸れて左肩の辺りに着弾した。
恐らく部隊の指揮官だったのだろう。手傷を負った兜の武士を取り囲んで足軽達が一斉に退いていく。その隙に久助は悠々と中尾城まで引き上げた。
―――鉄砲は命中させるのが難しい。だが集団で撃ちまくれば敵は容易に近づけんようになるな
実戦の中で久助は鉄砲の運用法に様々な思いを巡らしていた。
だが、細川晴元らの鉄砲兵の奮戦も虚しく足利義藤は積極攻勢に出ることが出来ずに十一月に三好長慶の本軍が摂津から上洛すると再び坂本に退いた。
七月から度重なる小競り合いの中で滝川久助は鉄砲の名手として徐々に名が高まっていたが、鉄砲の脅威を実感した三好軍によって三十丁の鉄砲部隊も次々に刈り取られて行った。
滝川資清を始めとした大原高保配下の甲賀衆も次々に討ち取られ、息子の滝川久助も行方が知れずに討死したものと思われた。
これを受けて瓜生山に陣した六角軍も再び傍観の姿勢に入る。
この頃北近江で京極高延が再び六角に対して兵を挙げ、多賀郡などに放火する事態となっていた。六角軍は観音寺城に居残る部隊で素早く京極高延の軍を撃退するが、京極高延は三好長慶と連携して六角を攻める形勢を崩さずにいる。そのため、京に出陣している六角義賢としても軽々に三好と正面から組み合う訳にはいかなかった。
北近江では浅井亮政の後を継いだ浅井久政が六角家の支配下に入っていたが、三好との挟撃ならば勝ち目があると判断した久政は京極高延と合力して南近江に進軍する構えを見せている。六角軍もここに至っては京で積極攻勢に出る訳にはいかなかった。
※ ※ ※
「申し訳なきことながら某は観音寺城に戻らねばなりません」
堅田の足利義藤本陣では義藤を前に六角義賢が頭を下げていた。中尾城を落ちた足利義藤は坂本まで逃れたが、三好長慶配下の松永甚助らの軍が山科郷を越えて大津にまで進軍し、辺りに放火するという事態に陥っていた。
そのため、足利義藤らは坂本からさらに北の堅田まで退いていた。
「左京大夫。しかし今六角の軍勢を失う訳には……伊勢守も松永甚助らと共に坂本まで軍を進めておるし、今六角が戦線を離れれば我らは……」
言いさして義藤が絶句した。
思わず感情が昂ったのか、目頭を押さえて涙を堪える仕草をしている。
「申し訳もござらん。北近江が三好に寝返りました。我らも観音寺城を落とされれば公方様をお支えするどころではなくなってしまいます。ここはどうか御辛抱下り、再起の時をお待ち下され」
一座にしんみりとした空気が満ちる。頼みの六角軍も滋賀郡と北近江に分断されることを余儀なくされ、足利義藤の京奪回は失敗に終わることが確実だったからだ。
長く政所執政として足利将軍家を支えて来た伊勢貞孝も三好長慶に寝返り、義藤をさらって三好長慶に投降しようと企てていた。策謀が事前に露見したために義藤は無事のまま伊勢は京に戻ったが、これによって伊勢家は義藤を支える帷幕から事実上脱落した形勢となった。
「泣いていても仕方がないな。余は朽木に逃れて再起を図る。再び軍を起こす時には六角の援助を期待している」
「ハッ!せめてものことに蒲生隊と三雲隊を公方様警護に残してゆきまする。高島郡でも京極に同心した高島越中が朽木家と戦をし、朽木弥五郎殿を討死させております。朽木家も今公方様をお迎えできるほどの余力があるかはわかりません。蒲生左兵衛大夫親子には朽木にて公方様が落ち着かれるまで警護の任を与えておきまする」
「有難い。左京大夫の心遣いに感謝する」
天文二十年(1551年)二月
足利義藤は蒲生定秀・賢秀親子に守られながら高島郡朽木谷へと逃れた。
高島郡では稙綱の嫡男晴綱がこの昨年の河上庄を巡る戦で討死しており、現当主は未だ二歳の朽木元綱が継いでいた。無論二歳の赤子に当主が務まるはずもなく、祖父の稙綱が後見人として領内の差配を行うこととなった。
また、六角義賢は主力を率いて細川晴元と共に観音寺城に戻り、北近江の浅井と再び戦火を交える準備に入った。将軍家の後ろ盾として天下を差配した六角家はこの時を持って三好長慶に天下人の地位を譲ることとなる。
足利義藤を朽木谷まで送り届けた蒲生定秀は、三雲賢持と合流して滋賀郡の堅田に再度布陣する。
大津に進軍して坂本まで迫った松永甚助らを京へ撃退するべく戦火を交える覚悟であった。今まで数的優位を常に保ち続けてきた六角軍だったが、この時ばかりは数的不利の中で戦をしなければならない。
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