鶴が舞う ―蒲生三代記―

藤瀬 慶久

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第七章 蒲生賢秀編 本能寺の変

第85話 滝川鉄砲隊

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主要登場人物別名

忠三郎… 蒲生賦秀 蒲生賢秀の嫡男 次期蒲生家当主

――――――――

 
 十九歳になった蒲生賦秀は、日野中野城内の広場で父賢秀の出座を待っていた。
 眼前には今回の戦陣に参加する兵が規則正しく整列している。織田家の軍制を受けて蒲生家でも独自に軍制と軍事規律を策定し、この頃にはようやくその成果が出始めていた。
 以前は集合と言っても各郷の部隊がてんでバラバラにたむろしているような状態だったことを思えば、軍事規律の浸透はかなり進んだと言っていいだろう。

 やがて城内から父の賢秀が現れると、その場に居る全員が『気を付け』の姿勢に移る。

「準備は良いか?」
「いつでも出立できます」

 父の問いに賦秀もしっかりと頷いて返す。元亀争乱の混乱の中で、賢秀が身動き取れない時には嫡男の賦秀が陣代として軍勢の指揮を執ることもあった。現代であればようやく少年と呼ばれなくなったぐらいの年齢でありながら、賦秀には既に大将の持つ風格が備わりつつある。

「よし! 出立する!」

 賢秀の合図を受けて、賦秀を先頭に先陣がまず城門を潜る。先陣が出陣すると総大将の賢秀が率いる中軍が続々と城門を出、その行列は三千人を数えた。


 天正二年(1574年) 六月
 朝倉・浅井を滅ぼし、武田信玄が病没したことで信長包囲網は完全に崩壊した。足利義昭を追放して畿内を制覇した信長は、伊勢長島で頑強に抵抗を続ける一向一揆を討滅するべく織田領全域から兵を動員した。それに伴い、蒲生賢秀も柴田勝家の寄騎として出陣が命じられている。
 信長は今回で長島一向一揆の息の根を止めるつもりであった。



 ※   ※   ※



「一揆勢の抵抗はどうか」
「松木の渡しで戦端が開かれております。忠三郎様が陣頭に立ってかなり押し込んでおりますが、こちらにも討ち死にする者が多数出ております」

 賢秀は馬上から伸び上がって戦場を見渡した。だが状況がつかみきれない。
 それもそのはずで、織田領の全域から集まった兵は揃って木曽三川の中州にある長島目がけて攻めかかっている。一揆勢も合わせると十万近い人数がこの小さな中州周辺に集結しているのだから、上空からでも見ない限り戦場の全てを把握することは不可能だろう。

 西の賀鳥からは柴田勝家や佐久間信盛らの近江衆が攻め、東の小木江からは信長の嫡男織田信忠を中心とした尾張勢が圧迫している。そして中央の早尾からは信長自身が美濃勢を率いて包囲していた。
 各所で激烈な戦闘が行われ、それに加えてこの頃ようやく織田軍内に広く普及してきた鉄砲の黒煙が戦場全体を覆っている。

 ―――海上に見えるのは船か?

 信長は長島を東・西・北の三方向から包囲するとともに、南の海上には九鬼嘉隆を中心とした水軍の船を浮かべて海上封鎖を実施していた。九鬼水軍の船には滝川一益の率いる鉄砲隊が乗船し、海上封鎖だけでなく銃撃戦も展開している。
 もはや誰の目から見ても一揆勢に勝ち目はないように思えた。


「伝令ー!関四郎殿お討死!」
「なんだと!」

 賢秀は思わず下唇を噛みしめた。
 賢秀の妹婿である関盛信と神戸信孝は、前年に揃って信長から勘気を被っており、二人とも蒲生賢秀の預かりとして日野中野城に蟄居している。もっとも、賢秀は二人の妹婿を不憫に思ってある程度の外出は黙認していたが、それでも窮屈な暮らしをしていることには変わりが無い。

 今回関四郎が蒲生勢に参加したのも、信長に父の勘気を解いてもらうためだ。必ずや武功を上げて父共々織田家に復帰すると意気込んでいた。そのため、わざわざ激戦が予想される賦秀指揮の先陣に配置を希望していた。

 ―――言わぬことではない

 賢秀は関四郎に何度も賢秀の側に居るように言ったが、若い四郎は何よりも武功を上げるのが先決とあくまでも先陣を希望した。ついには賢秀も折れて賦秀に預けていたのだが、それでも死んだ関四郎と父親の関盛信には申し訳ないという気持ちになる。

 ―――それにしても一揆勢は何故これほど頑強に抵抗できるのだ

 それが何より疑問だった。
 拠点である長島は完全に封鎖され、伊勢周辺の国人衆や商人らも信長の脅しに屈して一向一揆への協力を控えている。
 しかも、今回の戦は電撃的に進軍したため、一揆勢にはほとんどまともに準備する時間が無かったはずだ。普通に考えれば戦わずして降伏というのが最も現実的な選択だ。
 にも関わらず、各地の一揆勢は抵抗を止めようとはしない。これが武士ならば勝ち目が無いとなれば降伏の交渉に入るのが本筋だ。それをしないで無闇に抵抗を続ける一揆衆に対し、賢秀はある種の恐怖を感じた。自分に理解できない物に戦慄する恐怖だ。

「忠三郎に突出しすぎるなと伝えよ」
「ハッ!」

 賢秀の下知を受けて再び前線へ駆けていく使番を見送りながら、賢秀はむしろ賦秀ら先陣を呼び戻すべきだったかと密かに考えていた。

 信長の下知は『全軍長島に攻めかかれ』であり、無論のことここで軍を退けば軍令違反となるのは避けられない。しかし、軍令違反を犯してでもなおここで死ぬ者を減らすべきではないかと思うほどに一揆勢の抵抗は賢秀の理解を越えていた。

 七月に始まった長島制圧戦は、十月に入ってようやく終結する。
 信長は結局一揆勢の降伏を許さず、包囲したまま砦に火をつけて二万人以上が焼け死んだという。賢秀が感じた恐怖を信長もまた感じていた。



 ※   ※   ※



「どうやら城内の掃除は終わったか」

 夥しい餓死者の死体を焼く炎を見ながら、滝川一益は心の中で嘆息した。
 長島一向一揆を制圧した信長は、一揆の拠点となっていた長島城を滝川一益に与えたが、入城した一益は何よりもまず餓死者の死体処理という面倒な仕事を片付けねばならなかった。

「良くもこれだけ抵抗をつづけた物ですな」
「まったくだ。一揆とは恐ろしいものよな」

 隣に控える従兄弟の滝川儀太夫益氏も眉間に皺を寄せて炎を見つめている。
 城内の食糧は二か月に渡る籠城で悉く食い尽くされ、果ては土壁の藁や松の木の皮まで剥がされている。松の木の幹にくっきりと歯型が残っていることから、どういう状況だったかは想像に難くない。

「ですが、長島城を頂いたことでようやく伊勢も治まりましょう。まずは良うございました」
「うむ」

 一益にも一種特別な感慨がある。

 元亀争乱を通じて急激に領土を拡大した織田家では、人手不足も相まって新参であっても能力のある者は次々に取り立てられていた。
 例えば、幕臣であった明智光秀は足利義昭の裏切りと同時に織田信長への臣従を選択し、比叡山焼き討ちの後は滋賀郡を与えられて坂本に城を築いて居城としている。
 対浅井の前線指揮を任されていた木下秀吉は、浅井滅亡後に北近江三郡を与えられて長浜に城を築いている。なお、木下秀吉は二年前の元亀三年に木下から『羽柴』と改姓している。

 そんな中、古くから信長に従う重臣の一人であった一益は早くから伊勢方面を担当していたが、北伊勢は中々に治め辛い場所であり、しかも長島一向一揆などによって政情は常に不安定になっていた。信長はそのことで一益を責めることは無かったが、一益としても自分がもっと素早く一揆を鎮めていれば明智や羽柴などに大きな顔をさせずに済んだかもしれないという思いもあった。

だが、それとは別にこの時一益の心にあったのは蒲生賢秀に対するライバル心だった。

「蒲生は……」
「は?」
「蒲生の武功はどれほどだったか分かるか?」
「……いえ。未だ論功行賞は行われておりません故」

 一益は益氏の言葉に思わず自嘲の笑みを浮かべた。
 余りに蒲生を意識しすぎていると自分でも可笑しくなる。だが気になる物は気になるのだ。

「蒲生は鉄砲の扱いに巧みであった。今後の戦は益々鉄砲の重要性が増してくるだろう。将来鉄砲隊を預かるのは我が滝川勢であらねばならん」

 益氏も神妙な顔で頷く。

 信長の方針もあり、織田家では各武将が保有する鉄砲の数が日増しに増している。だがそれらは誰かが指図をして運用しなければ本来の強さが活かせないと一益は考えていた。
 実際、先の一向一揆制圧戦では各武将がてんでバラバラに鉄砲を撃ちかけた為に黒煙によって味方の視界を遮るという、一益から見れば下策に近い運用に終始している。
 自分が全鉄砲部隊を預かれば、もっと鉄砲兵を効果的に運用して見せるという自信があった。余人には自分ほどに上手く鉄砲隊を扱えないだろうと自負もしている。

 しかし……

 ―――観音寺城攻めの折の蒲生の運用は見事だった

 この一点だけが引っ掛かっている。
 近頃ではやれ明智や羽柴が鉄砲を上手に使うと評判だが、一益から見ればまだまだ無駄なことをしている印象がある。少なくとも彼らよりは自分の方が鉄砲隊を有効に使えるだろう。
 だが、あるいは蒲生賢秀ならば自分と同じ力量を持っているのではないかとも思う。

 観音寺城攻めで敵対した折、蒲生賢秀の指揮する鉄砲兵は滝川勢の身動きを封じていた。これは言い換えれば蒲生の鉄砲に手も足も出なかったということだ。滝川勢は野戦であり、蒲生は和田山城に籠る籠城戦だったという立地の有利不利はあるが、それにしてもあそこまで完封された経験は他にない。

 近い将来、信長は鉄砲隊の運用を見直しにかかる必要に迫られるだろう。一益の目から見ても、今のまま各武将に預けた状態ではあまりに非効率的だ。効率主義の信長がその状態を放置しておくわけがなかった。

 ―――その時に鉄砲の指揮を任されるのは儂だ

 今回の戦で蒲生の武功が優れていれば、あるいは蒲生賢秀に白羽の矢が立たないとも限らない。それに新参者の登用は信長が好む手法でもある。新参者を積極的に登用することで、旧来の譜代層を奮い立たせようというのだろう。
 だが、鉄砲隊の総指揮官としての地位だけは余人に譲るつもりは無かった。


「ん?何やら騒がしいな」

 炎を見つめながら物思いに耽る一益の耳に、城内から騒ぎ声が聞こえる。
 振り向くとそこには前田慶次郎利益がまたぞろ喧嘩沙汰を起こしている所だった。

「またか……」
「申し訳ありません。すぐに止めて参ります」

 益氏が慌てて騒ぎの中心に向かって駆け出す。
 利益は益氏の子だが、前田利久の養子となって尾張荒子城を継ぐ予定となっていた。だが信長の鶴の一声により、荒子城は利久の弟の前田利家に与えられることとなり、利益は荒子城を出て実父である益氏の元へ出戻ったような格好になっている。

 白兵戦となれば無類の強さを発揮する利益だったが、今回の滝川勢の役目は海上からの援護射撃であり、白兵戦を行う場面は無かった。
 その為、力を持て余した利益が同僚をからかっているのだろう。

 ―――あ奴にも時代に慣れていかさねばならんな

 利益のように個人の武勇を誇る気持ちはこの時代の武士にも濃厚に残っている。だが鉄砲が戦場の主力となれば、重視されるのは個人の武勇では無く規律の取れた集団行動だ。その中で個人の武を誇る気持ちはむしろ邪魔となる。大げさに言えば時代が変わったのだ。
 悲しいことだが、今後利益のような生き方は益々苦しくなるだろう。
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