江雲記―六角定頼に転生した舐めプ男の生涯―

藤瀬 慶久

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楽市

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 ・永正十八年(1521年) 三月  近江国蒲生郡 今堀日吉神社  伴庄衛門


「皆、集まってもらって申し訳ない」

 いつもは保内衆の座を開催する日吉神社だが、今日は珍しい客を迎えている。
 小幡の布施源左衛門、石塔の宮内太郎、沓掛の今在家弥太郎の三人。それぞれが各郷の商人衆を束ねる頭分になる。
 保内、小幡、石塔、沓掛の四カ郷の商人を合わせて山越衆と呼ぶ。山を越えて伊勢との通商を行うから山越衆だ。
 もっとも顔を合せるのは伊勢に行くときだけで、このように声を掛けて一同に会するのはよほどの重大事のある時だけだ。

「庄衛門さん。今日は一体何事かね?」
「皆さんの所では、最近人手は足りておられますか?」

 小幡の源左衛門さんがため息を吐いて首を横に振る。他の二人も同様だ。
 まあ、当たり前だな。ご当代の六角様が家督を継がれてから、ここ二年で荷の量が倍以上に膨れ上がっている。保内も足子を十人ほど座人に昇格させて新たに足子を二十名雇ったが、それでも人手が全く足りない。
 おそらく各郷も状況は似たようなものだろう。

「うちでは申し上げているように、二カ月に一度くらいしか伊勢行きに参加できん。もちろん人手など増える当てもないし……」

 沓掛の弥太郎さんが申し訳なさそうに言うが、誰も責めることは出来ない。ただでさえ沓掛は伊勢から一番遠い郷なのだ。

「やはり皆さんの悩み事は人手不足ですかな?」
「もちろん、そうです。毎月のように伊勢に行っていては人手がいくらあっても足りん。かといって里売りを減らして伊勢行きの人数を増やすわけにもいかん。
 各村の肥料蔵や塩蔵に届ける荷が遅れれば、それだけ百姓は生活に困ることになりますから」
「そうですな。現状では里売りを減らすことは出来ない。そこで、我ら山越衆共同で『楽市』を開いてはどうかと」

 皆が顔を見合わせている。突然のことだから無理もない。だが、こちらも熟慮を重ねた末だ。今の人手不足を解消するにはそれしかない。

「楽市ですか……しかし、楽市にすれば値の維持が難しくなりませんか?卸した商品がどれくらいの値で各村に売られるかは確認のしようがない。百姓の弱みに付け込んで、法外な値で塩や肥料を売られては市場が崩れます」
「各村へは我々が訪問して値を聞いて回ります。法外な値で売る者が居れば、今後その者には商品を卸さないように致しましょう」
「しかし、それでは保内衆の人手が足りなくなるのでは?」

「そこも考えてあります。
 楽市では仕入れは自由。つまり、村方の衆が独自に楽市で買い付けてもらうことも自由としましょう。こちらの運び賃が減る分、楽市での卸値は里売りよりも安くする。
 そうすれば、村方も積極的に楽市に買い付けに来てくれるのではないでしょうか?」

 一座に沈黙が落ちる。皆私の提案に問題点が無いか頭の中で必死に考えているのだろう。
 もちろん、事前に考えられる問題点は私も甚太郎と共に考えた。だが、現状の人手で出来ることはこれが最善のはずだ。

 里売りの人手が不足するなら、里から買い付けに来てもらえばいい。
 実際に桑名ではその方法で繁盛させている店がいくつもある。近江はどうしても牛馬で運ぶから、湊町のように船荷で大量には運べない。ならば、伊勢行きの回数を増やして対応するしかないんだ。

 まったく、六角様にも困ったものだ。あれだけ革新的なことを発想されたりするから、それに対応する私らの負担が馬鹿にならん。
 まあ、そのおかげで百姓の暮らしは以前よりも豊かになった。私らも苦労のしがいがあるというものだがな。

「確かに、庄衛門さんの言う通りかもしれん。しかし楽市をするとして、場所はどこでやる?この日吉神社かね?」
「いや、六角様のお膝元でやった方がいいでしょう。観音寺城には今ご家臣の屋敷が建ち始めているし、私らもご城下に居を構えさせてもらって、そこを市とすればいい。
 ご城下ならば六角様に警備をお願いもできます」

 各郷の市では野盗に襲われることもある。楽市となれば大量の物資が常にある状態だからな。盗賊達にとっては宝の山になるだろう。
 自分達で武装するよりも、六角様に警備していただければ盗賊達もそうそう襲っては来れないだろう。

「ふむ……わかった。六角様へは誰がお願いにあがる?」
「この場の全員で行きましょう。山越衆の総意として六角様には言上した方がいい。ご当代の四郎様は、我ら商人の言葉を真剣に聞いて下さります」

 場の全員が頷く。おそらく四郎様ならば我らの願いを容れて下さるだろう。



 ・永正十八年(1521年) 四月  近江国蒲生郡 観音寺城  六角定頼


 昨日商人達が雁首揃えて願いがあると言って来た。
『楽市』を観音寺城下に作りたいから警備を頼みたいということだ。もちろん、嫌も応もない。
 六角家にとっても城下が繁栄することは望ましいし、城下町の警備は当然六角家の仕事だからな。

 楽市か……

 いわゆる『楽市楽座』政策の走りだ。楽市楽座は自由商業政策と言われるが、それは決して座を否定するものではない。むしろ座を積極的に保護する政策だった。
 座を解散させたのは豊臣秀吉の『破座令』であって織田信長の『楽座令』じゃない。

 この時代の座は様々な制約に縛られている。それは座が元々神事のためのものだったからだ。
 中右記という源平合戦の頃の史料に『虹見ゆるところ、市を立つ』という言葉がある。市とは偶然に発生する虹の橋を渡ってやって来る『市庭神いちばがみ』をお招きする神事だった。

 市庭神の前で様々なお供え物を捧げ、集まった人たちは神様から下されるお供え物を分け合った。現代でも地蔵盆などでは子供達がお地蔵様に捧げられたお供え物のお菓子を分け合っている。
 これがそもそもの市の起源だ。この時代の商人が烏帽子に素袍すほうという神官の装束を身に付け、神人の位を持つのも、元々市が神事だったことに由来する。

 一方で中世までの観念では盗まれた物はあくまでも所有権は盗まれた被害者にある。当然だな。盗んだ者勝ちなんてことはいつの時代でも許されることじゃない。
 だが、こと商業ということになるとこの観念が邪魔になることがある。
 例えば店で買い求めた物が盗品だった場合、せっかく銭を出して買った物でも元の所有者に返さないといけなくなる。徳政令というのは元々盗品を本来の持主に返すという政策だ。

 しかし、銭を出して買った者には何の過失も無い。現代ならばこれは『善意の第三者』として正当に所有権が認められるが、この時代では善意の第三者は認められない。
 となれば、銭を出して買うことにためらいが出る。この物は盗品かどうかなんて客にはわかりっこないからな。

 そこで、市庭神様のお力を借りるということになる。
 市に並ぶ品物は神様への供物であり、神様のものだ。ということは、市に捧げられた物はその時点で所有権が一旦リセットされる。
 元が盗品であろうが、市で買ったものは銭と引き換えに神様から下された物なのだから、元の所有者との縁は切れていると解釈されるわけだ。
 これで人々は安心して市で買い物が出来る。商業の発展のためにはこの『所有権のリセット』の機能が必須だった。


 時代が下ると、市は日常の物品を買いに来る場所として虹とは関係なく定期的に開催されることが望まれた。いつも行くスーパーは虹の出ているときだけ開いているより、営業時間が分かっていた方が圧倒的に利用されやすい。
 そうやって毎月『八』の付く日に開催された市が八日市の地名の由来だ。

 ここで、市を主催する座というものが出来上がるが、座にはそれぞれ専門分野がある。
 生鮮食品を扱う座もあれば、呉服を扱う座もある。それぞれの座は仕入れはおろか販売先まで本所である神社や寺から規制を受けていた。
 例えば、呉服座を主催する保内商人は『近江国内の呉服』を扱う権利を有するが、保内商人が伊勢や京に行って呉服を販売することは掟破りとされた。京には京の呉服座があるからだ。
 だが、販売が拡大してくると『誰にでも売りたい』と考えるのは自然なことだ。だから、楽市が生まれた。

 つまり、楽市とは『誰が』商売してもいい場所ではなく、『誰に』商売してもいい場所なわけだ。
 当然、誰が楽市で仕入れをしても自由だし、楽市で仕入れた品物を持って里売りに出かける行商人も出て来る。自由商業とはそういうことだった。
 要するに『中央卸売市場』のようなものだな。小売業者も買いに来るし、もちろん一般客も大歓迎というわけだ。
 ただし、楽市内で店を出す権利は座商人にある。楽市内で勝手に商売をすることは制限された。
 誰でも客になれるが、店になるには資格が必要ということだ。


 これを大名側から見ると、楽市は買い物に来る客や仕入れに来る商人で賑わう場所になる。それが自分のお膝元であれば、自国領は栄えているという宣伝になる。店からは地子銭という税金も入るし、いいことずくめだ。
 当然ながら俺にとってもいい資金源になるし、これから観音寺城の城下町を作ろうっていうんだからそこに人が集まるのは願ったり叶ったりだし、楽市内での裁判は六角家が裁くことになる。
 裁判には上納金が欠かせないから、その面でも俺の資金源が充実するわけだ。拒否する理由はないな。

 なるほどなぁ。楽市ってこうやって生まれたのね。


 さて、内政は順調だが、外交の方は……
 京では将軍義稙が出奔したらしい。まあ、無理もない。さすがに一度見捨てた高国が返り咲くとは思わなかったんだろう。
 高国の方も今度は追いかける気がないらしい。先月には後柏原天皇が即位されたが、その即位式の警備もほっぽり出して家出したもんだから朝廷も庇う気がない。早晩義稙は将軍位を召し上げられるだろうな。

 細川高国からは播磨に逃れていた足利義澄の遺児である亀王丸を迎えると連絡が来た。後の足利義晴だ。
 これでもかっていうくらいに高国の傀儡だな。まあ、別にどうでもいいけど……

 こっちはこっちで近江国内を安定させなきゃならん。
 足利義稙が出奔したことで日野の蒲生本家が怪しげな動きをしていると保内衆から連絡があった。
 蒲生は分家の高郷が完全に俺の家臣となったが、本家の秀紀は未だに幕臣として六角家からは中立の立場を保っていた。

 だが、義稙の出奔によって六角家に敵意を見せているらしい。
 何と言っても今の六角家は細川高国の主力軍だ。要するに義稙を出奔させた元凶に見えているらしい。そこまで言うなら秀紀が義稙を迎えてやれば良かったんだと思うが、細川高国と正面切って争う意気地はないんだろう。
 しかし、日野は捨て置いていい場所じゃない。
 観音寺城から甲賀へ行くには日野の近くを通る必要があるし、伊勢に行くのに千草街道の起点となるのも日野だ。要するに自国領内で交通の要衝に当たる場所に不穏な動きをする国人が居るということだ。放置しておける問題じゃない。

 今はこっちも城下町の整備に力を使わないといけないが、いずれ日野は討伐せねばならんな。


――――――――

ちょこっと解説

ここで描いた楽市の成立過程は、あくまでも私が調べた史料による独自の仮説でありトンデモ論の類です。楽市楽座は現在でも研究者の間で見解が分かれているものであり、こういうものだったという定説が完全に固まったものではありません。
ただ、ここで描いた楽市の成立過程は今後の物語に深く関連してきますので一応頭の片隅に置いておいてください。

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