江雲記―六角定頼に転生した舐めプ男の生涯―

藤瀬 慶久

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暖冬

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 ・享禄四年(1531年) 一月  近江国蒲生郡観音寺城下 楽市会所  伴庄衛門


「それでは皆様。本年もよろしくお願いいたします」
「よろしくお願いいたします」

 今年も年始の宴会を催すことができた。今年からは桑名衆も参加してくれている。粟津の岩城さんも来てくれたし、年々賑やかになっていくのは有難いことだ。

 昨年は六角様の北伊勢遠征で京方面の商いが手薄になった。だが、そのおかげで浜田に新たな楽市を立てることができるようにもなった。
 今は干鰯を丸ごと積んで山を越してるが、横関衆の加工場を浜田に作ってもらえば現地で粉末の肥料と魚油に加工してから山を越せるようになるだろう。そうなれば今までよりも運搬効率が良くなる。
 肥料の商いはまだまだ伸びる余地を作れそうだ。

 それに、牛馬の肥育数も順調に増えている。
 肉は食料にするし皮は鎧や衣服の材料になり、糞は藁と混ぜて堆肥になる。骨も焼いて砕けば土を粘り強くする肥料になるし、本当に捨てる所がない。
 皮は特に堺からの引き合いが強い。摂津では戦が続いているから武具が良く売れているようだ。

 問題は製品加工だな。産量が上がって来たことで作り手の職人の手が足りなくなっている。近在の女房衆などにも手伝ってもらうかな。
 綿製品や革製品をもっと多く作れるようにして、もう一度京の商いを仕切り直さねばならん。今年も忙しくなりそうだ。

 ……うん?
 妙だな。いつもなら酒宴になれば一番にはしゃぐ布施さんが今日はやけにちびちび飲んでいる。何か心に溜っているものでもあるのかな?

「布施さん」
「ああ、伴さんか。昨年は桑名の説得に浜田の市立てにと大変だったな」
「いえいえ。より大きな商いにするための仕事であれば否応はありませんよ。それより、若狭の方はいかがですかな?」
「さて……」

 布施さんが少し口ごもって一口酒を含むと、やがて意を決したように顔を上げる。一体何事だ?

「伴さんは今年の冬をどう思うな?」
「どう、とは?いつもの冬に思いますが……布施さんは何か変だと思っているので?」
「今年は若狭に雪が積もっておらんのだ。例年なら十二月も半ばになると九里半街道は雪に埋もれるはずだ。だが、今年は年末になっても普通に通行できた」
「結構なことではないですか。ますます商売がやりやすく……」

 ……待てよ。

「冬が暖かい、とそう仰りたいわけですな」
「左様。いつもの年に比べて今年は特に暖かい」

 ……つまり、夏は暑くなる。いや、暑くなるだけならいい。問題は雨が降らなかった時だ。

「夏は干ばつになる、とそういうことですか?」
「……確証はない。だが、儂がガキの頃に同じように暖かい冬があった。その年はこのあたりでも雪が一度くらいしか降らなかった。翌年の夏には干ばつで飢饉が起きたから良く覚えている」
「暖かい冬の翌年に飢饉が来たというのは確かですか?記憶違いということも……」

 瞬間、布施さんがフッと寂しそうな顔をした。何か嫌な思い出でもあるのだろうか。

「当時五歳だった儂の妹は、その飢饉と次に来た疫病で亡くなった。忘れるはずがない」
「それは……申し訳ないことを聞いた」
「いや、かまわんさ」

 布施さんがまた一口酒を飲む。腹に溜っていたものを吐き出したからか、今度は幾分晴れやかな顔をしている。

「では、今年の夏にはまた干ばつが起きると?」
「重ねて言うが確証はない。何もかも儂の勘だ。起きるかもしれないし、起きないかもしれない。だが、嫌な予感がすると思ってな」

 ふむ……
 仮に今飢饉が起きればどうなるだろうか?

 摂津・伊勢・越前
 今年は各地でそれなりに大きな戦があった。その分兵糧として米をだいぶ消費した。
 市場には米が不足気味になっているはずだ。そこに飢饉が起きれば、小規模な飢饉でも餓死者が大勢出る。米屋の倉庫を打ち壊して奪おうとする者も出てくるだろう。そうなれば最早まともな商いなどできなくなるか。

 ……いかんな。万一に備えて今の内から米を買い集めておくべきだ。

「布施さん。皆の衆も聞いてくれ」

 大声で呼びかけると会合衆の全員が会話を止めてこちらを向く。

「今布施さんと話していて、今年の夏は飢饉が起きるかもしれないという話をしていた。仮に今飢饉が起きれば米不足で国中がとんでもないことになる。我らの商売にも支障が出るだろう。
 多少高値でも構わないから今から米を買い集めてくれないか?」
「おい、伴さん。全ては儂の勘だと言っただろう。仮に高値で買い集めて、飢饉にならなければ丸損だぞ」
「その時は六角様に買い上げて頂きましょう。それくらいのわがままを聞いて頂けるほどにはお役に立っているはず。
 それよりも、仮に飢饉が起きた時、餓死者が出るのを防ぐためには今から買い集めておく必要があります」

 一座にもざわめきが広がる。だが、例え損をしてでも今は先々の米を集めておくべきだ。いざという時には蔵を開いて飢えた人々を救う。そうしなければ商売ができない状態になってしまう。

「伴さん。米を集めると言って、どれくらい集めるつもりだ?」
「左様。仮に来年米が取れなくても餓死者が出ない程度には」
「とすると、手持ちの蔵を全て埋め尽くす勢いでやらねばならんな……
 わかった。粟津衆の蔵はパンパンにしておく」

「桑名や浜田でも集めておいてもらいたい。軍勢に提供するためではなく、いざという時には人々に配るためのものです。
 余った分は六角様に買い上げて頂くようにお願いする」

 集まった会合衆も全員が同意してくれた。
 今から動き出せば夏までにはそれなりの米が集められるだろう。

「くれぐれも言うが、飢饉が起きたとしても決して高値で売ろうと思ってはなりませんぞ。いつもの値で売ることを徹底してもらいます。これは楽市会合衆の掟として取り決めたい」

「何故高値で売ってはいかんのだね?米が不足するなら商売人にとっては儲ける好機だと思うが……」

 桑名衆から疑問の声が上がる。桑名は昔から自前の兵力を持っていたからピンと来ないのも無理はないか。

「高値で売れば、買える者と買えない者が出来てしまいます。そして、買えない者達の不満が高まれば蔵を襲うことも考えられる。
 それでなくとも、飢饉の折りに高値で売っていたなどという評判は百害あって一利もありません。世の中が困った時こそ『信用』という財産を作る好機なのです。
 どんなに困った時でもいつもの値でいつもの物を用意してくれる商人なら、こちらが困った時には人々の方が助けてくれるようになります。それこそが商人の本当の財産でしょう。
 いいですね。くれぐれも高値で売ろうなどと考えてはいけませんよ」

「……わかった。他ならぬ伴さんの言うことだ。桑名でも厳しく申し付けておく」

「よろしくお願いします」

 後で念の為に六角様にも申し上げておこうか。仮に飢饉が起きなければ買い取ってもらう相談もせねばならんしな。
 しかし、こういう勘は外れてほしいものだが……。



 ・享禄四年(1531年) 一月  近江国蒲生郡観音寺城  六角定頼


 伴庄衛門が赤い顔で至急目通りを願いたいと言ってきた。
 こちらも宴会を抜けて来たから顔が赤いが、庄衛門も同じだからお互い様だな。
 しかし、庄衛門が至急に会いたいという時はロクな事が無い。まあ、知らなければもっとロクな事にならないから必ず会うが……
 今度はどんな問題が起きたかな?

「お目通りをお許し頂きありがとうございます」
「いや、庄衛門からの呼び出しならば例え公方様との予定でも切り上げて会わねばならんからな。それで、今度はどんな難問が起きた?」
「まだ起きてはいません。起きるかどうかもわかりませんが、お耳に入れておかなければならないと思いまして……」
「ほう……?」


 話を聞いて驚いた。
 確かに言われてみれば今年の冬は暖かい気がするが、先日まで温暖な伊勢に居たから気のせいと言われれば気付かぬ程度だ。だが、布施源左衛門の言う通りならば若狭や越前も同様ということになる。

 飢饉か……

 享禄四年は確か史実では六角定頼と浅井亮政が箕浦河原で戦った年だったな。
 そう言えば、箕浦河原の戦いの影響で北陸からの物流が遮断されて京で飢饉になったと何かの記録で読んだ覚えがある。
 今の歴史じゃ箕浦河原の合戦は終わっているから問題にならないと思っていたが、仮にとしたら……

 考えてみれば、そこに需要があって品物があるのなら商人は何とか迂回路を探して京に運びこもうとするだろう。飢饉が起きたということは、それすら出来なかったということだ。
 つまり、そもそも享禄四年に北陸で北陸の荷が届かなかったと考えた方が自然な気はする。

 仮に北陸から米が届かなければ、京の民衆は近江の米を奪い取りに来るだろう。
 浅井亮政は一向一揆と連動したと言われるが、そもそも飢饉で飢えた民衆が兵糧米を奪うために蜂起したのが実情だったのかもしれない。一向宗の寺院を中心に結束したから一向一揆と言われているだけで、実情は宗門の利益のためなんかじゃなく惣村の利益のためだったとしたら……
 だからこそ、定頼は箕浦河原の合戦に勝利していながら北近江に軍を進めなかった。正直それどころじゃなかったのかもしれないな。

 嫌な話だが、妙に辻褄が合ってしまう。
 庄衛門の言う通り今年は飢饉が起きるんだろう。おそらく北陸を中心に……
 とすれば、俺がやるべきことは決まっている。

「わかった。商人たちの集めた米のうち残った分は全て六角家で買い取ろう。六角家の政策として米の備蓄を進めてくれ」
「よろしいのですか?飢饉が起きなければ全て六角家に買い取って頂くことをお願いすることになりますが……」
「構わん。足りぬよりははるかにいい。売り先もある程度目途は付けられる。それよりも、布施源左衛門の予感が現実の物となった時に対応できる準備を進めておく方が肝要だ」
「承知いたしました。では、北近江、南近江、伊勢、堺でそれぞれ兵糧の備蓄を急ぎまする」
「よろしく頼む」

 各地の内政官に通達して今年はサトイモの作付けを多くするように指示を出しておこう。綿花なんぞよりも今は食う物が最優先だ。
 朽木にも兵糧を蓄えろと文を出しておこう。摂津・河内にどの程度の影響が出るかはわからんが、いずれにせよ近江にも被害が出ることは確実だ。あっちの被害が軽微ならばこちらが一方的に兵糧不足で苦しめられる事になる。

 負けるかもな……
 いや、負けても挽回する方法はある。だが、飢饉のダメージを抜くには数年がかりの仕事になる。例え一戦に負けてでも今は糧食をかき集める方が重要だ。
 今回は割り切ろう。最悪の場合は京を撤退する。

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