江雲記―六角定頼に転生した舐めプ男の生涯―

藤瀬 慶久

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篠原大和守長政

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 ・享禄四年(1531年) 六月  山城国久世郡淀城  六角定頼


 進藤貞治が緊急の用件とかで本陣を訪れた。三好の重臣、篠原大和守が突然進藤を訪ねて来たそうだ。以前の和睦交渉で進藤は六角側窓口を務めていたから、篠原大和守とも面識があったんだろう。

「篠原大和守が訪ねて来たか」
「はい。密かに御屋形様とお会いしたいと陣を抜け出て参っております」
「下交渉も無しにか?」
 進藤が怪訝な顔で頷く。

 篠原長政か……三好元長の意を受けての事なのかな?
 だが、それなら密かに会う理由が無い。つまり元長の意を受けてではなく篠原の独断ということだろうな。用件は何かな?まさか暗殺しに来ましたというわけでもあるまいし……。

「いかがいたしましょう?追い返しますか?」
「用件は何か言っていたか?」
「いえ、御屋形様にお願いの儀があるとのみ申しております」

 ふむ……
 元長にも内緒で会いたいということは、よほど容易ならざる覚悟を持って来ているんだろう。
 追い返せばそのまま腹を切るかもしれん。

「よし、会おう。至急床机を用意させてくれ」
「ハッ!」

 進藤が下がった後に本陣で待っていると、やがて武装解除された篠原長政が案内されてくる。
 随分ひょろりと細長い男だな。だが、眼差しには必死の気迫が籠っている。この顔で刀を振り下ろされたら生きていられるか自信が無いな。
 念の為脇差や懐の短刀まで預からせてもらった。極秘ということなので、こちらも同席者は進藤だけにしてある。

「篠原大和守殿だな?」

 声を掛けると、篠原長政が何も言わずに床に額をこすり付ける。思わず呆気に取られてしまった。

「此度は突然の事にも関わらずご面談頂きましたこと、深く御礼申し上げます。その上で、厚かましきことながらお願いの儀があって推参致しました。どうか某の願いをお聞き届け頂きたく、伏してお願い奉りまする」
「……よい。それよりも床机に座ってくれ。このままではまともに話もできん」

 何度か押問答をした挙句、ようやく顔を上げた篠原長政と視線を合わせた。
 この男、死ぬ気でいるな。言葉にしなくても命を懸けているという悲壮感がビンビンと伝わって来る。

「お手前の顔からすれば、此度の事は筑前守殿(三好元長)も知らぬようだな」
「はい。全ては某の独断で参りました」
「……それで?」
「弾正様にお願いでございます。どうかこの戦、お互いにこれ以上攻めることを慎むように約定を結んでいただけませんでしょうか?」
「不可侵ということか?しかし、筑前殿は納得するまい。此度の戦は筑前殿から仕掛けて来たものだ。大和守殿と不可侵を結んだとしても筑前殿が攻めかかって来ればこちらも応じぬわけにはいかん」
「主は某が必ずや説得いたします。何卒、お願い申す」

 説得もクソも、密かに俺に会いに来たことが三好元長にバレれば、それだけで激怒されるだろうに。それこそ、六角に通じたと言われても言い訳できないはずだぞ。それを分からない男でもあるまい。

「そうは言うが、お手前が密かに俺に会いに来たということそのものが筑前殿の怒りを買うのではないか?それで説得など聞き入れてもらえるのか?」
「某の一命を持って説得いたします」

 ふむ……やはり命を捨てる覚悟か。

「何故そこまでして不可侵を望む?」
「正直に申し上げます。今我が主は堺方にて孤立しております。摂津、河内の者達はこぞってこの戦に反対しており、我ら阿波勢は六角様とまともに戦える状況ではありません」

 おいおい。それを敵の総大将に言ってしまっていいのか?
 状況を知れば、俺が全軍で攻めかかるかもしれんのだぞ?

「そんなことを俺に話して良いのか?これを好機と攻めかかるとは思わんのか?」
「今回の六角様の陣立ては明らかに防衛戦の構えと拝見しました。弾正様は摂津に野心を持っておられる訳ではないと推察いたします。これ以上の戦を避けたいのは弾正様とて同じお気持ちのはず。そのお気持ちにすがりに参りました」
「随分信用してもらっているようだが、今この場で気が変わったと言ったらどうする?」
「その時は、この首をお取り頂きたく。某が討たれたと知れれば、阿波勢にも火が付きましょうし、我が主は某の敵討ちと号して味方の士気を上げることもできましょう」
「そなたを召し捕っておけば?」
「六角様を訪ねることは民部殿(三好一秀)だけには告げております。某が戻らなければ、その時は討たれたと主に申し上げることになっております」

 ふむ……正面から俺の目を見返してくる。嫌でも必死さが伝わって来る眼差しだ。

 信じてもよさそうか。これほどの目をして嘘を吐ける男なんかそういないだろう。
 まあ、どのみちこっちも摂津まで進軍する気は最初から無いんだから、不可侵を結びたいという申し出は俺にとっても有益ではある。今の摂津に介入することは自ら望んで泥沼に嵌りにいくようなものだ。

「……ふっ。命を捨てて掛かって来られては敵わんな」
「では!」
「ああ。わかった。そちらから攻め込まぬ限り、こちらも軍を動かすことは控えよう」

「御屋形様。よろしいのですか?」
「構わん。どのみちこちらも積極的に討って出るつもりは無い。俺にとっては約定があろうがなかろうが同じことだ」
「ご本人を前にして言うのも何ですが、これそのものが篠原殿の計略ということも……」
「それならば、今にも腹を切りそうな顔をしたりはするまいよ」

 進藤と言葉を交わした後に再び篠原に視線を戻す。

「お手前の覚悟のほどは良く分かった。これから一番厳しい戦いをせねばならんのは大和守殿のはず。
 こう言うのも妙な話だが、困ったことがあれば何でも言って来るがよい。俺に出来ることならば力になろう」
「……お言葉、かたじけなく」

 男が命がけで事を為そうとする姿は美しいな。今回のことも何とか三好元長の苦境を救おうと考え抜いてのことだろう。
 三好元長は良い家臣を持っている。徒や疎かに思ったら罰が当たるぞ。




 ・享禄四年(1531年) 六月 摂津国堺 金蓮寺  三好元長


「六郎様はそこもとにお会いにはならん。大人しく芥川城へ帰るがよかろう」
「何とか取り次いでは頂けまいか。どうしても六郎様に申し上げねばならんことがある」
「くどい。そもそも此度の六角との戦は六郎様も反対しておられる。そこもとの意地だけで戦を起こすとは不届千万。即刻陣を退いて阿波に帰国されるがよろしかろう」

 越後守め……
 うぬは我が三好家の傍流でありながら宗家の儂に対して何たる言い草だ。

「それは越後殿のお言葉か?それとも六郎様の仰せか?」
「同じことでござる。そも、六郎様がそこもとに求めたは道永の撃退のみ。上洛軍を率いて六角と戦えとは一言も申されておらぬ」
「しかし、某への文には『望みの向きは全て叶える』と」
「いつの話をしておられる。道永を撃退した功により、そこもとには河内十七箇所の代官職という恩賞を与えられたはず。これ以上を望むのは強欲というものでござろう」

 視線を巡らせると木沢左京亮(木沢長政)や茨木伊賀守(茨木長隆)までもが越後守の言葉に頷いておる。こ奴らもまとめて騙されておるか。

「某は元々領地を欲しいと言った覚えはござらん。某の望みは左馬頭様を奉じて上洛することのみ」
「それがまことに六郎様の御為になりますかな?」
「どういう意味だ?」
「今から六角と敵対して左馬頭様を奉じるよりも、六角を通じて公方様へ臣下の礼を取る方が余程に早く上洛が叶おう。道永は既に亡く、細川京兆家の家督を継げるお方は六郎様のみ。
 左馬頭様に拘ることが六郎様御為になるとは思えぬ」

 この外道共が。六郎様に一度は主と仰いだお方を捨てさせようと企むか。

「六郎様御自らそのような事をされては天下に信義を示すことなど……」
「それが余計なことだと申している。我らは細川六郎様の家臣。目指すべきは六郎様が細川家の家督を継がれることでござろう。筑前殿はいつから左馬頭様のご家臣になられたのかな?」

 ……これ以上の問答は無駄か。

「良くわかった。某は芥川城に戻る。六郎様に今一度よくお考え遊ばされとお伝え頂こう」
「……申し上げるだけは申し上げておきましょう」

 ふん。
 こうなれば讃岐様(細川持隆)と上総介様(畠山義堯)に合力を願おう。南山城を抑える軍勢があれば大山崎に陣する六角勢を踏みつぶすことも不可能ではない。
 儂が上洛を果たせば六郎様のお考えも変わるだろう。


「筑前守!覚悟!」
「む!何奴!」

 危ない!
 金蓮寺を出た所で黒い影が踊り掛かって来た。咄嗟に脇差を抜いて何とか刃をとどめたが、危うい所だ。
 刺客……であろうな。門の内側に潜んでおったようだ。覆面をして顔を晒さぬようにしている。
 二つ三つと斬撃が飛んで来るが、防げぬほどではない。戦場ではこの程度の剣はざらにある。

「殿!何事ですか!」
「刺客だ!儂の命を狙ってきた!」

 斬り合う気配に気づいた馬廻が駆けよって来て刺客の男を一突きする。男が逃亡に掛かろうとするが、その傷では逃げられん。召し捕って首謀者を吐かせてやるわ。

「ぐっ」

 む……自らの首筋に刃を当てて自害したか。

「殿、お怪我はありませんか?」
「大事ない。それよりもこの男の覆面をはぎ取れ」
「ハッ!」

 この男、どこかで見た覚えがある。誰だったか……

「この男を知っているか?」
「確かとは言えませんが、柳本甚次郎殿の配下ではなかったかと」

 ほう。柳本の子倅が儂を狙っているという噂はまことであったか。
 ……丁度良い。これを機に君側の奸を取り除いてくれる。

「この男の首を取れ!柳本の屋敷に参る!」
「しかし、問い詰めても惚けられればそれまでですが……」
「話し合う気など毛頭ない。これより柳本甚次郎を討ち取る。付いて参れ!」
「ハッ!」

 大和守の言う通り軍勢を引き連れて来て正解だったな。このまま柳本の子倅を討ち取ってくれるわ。
 屋敷にはせいぜい三十ほどの者しか詰めておるまい。二百の軍勢を持って一気呵成に攻め潰してくれる。



 ・享禄四年(1531年) 六月  摂津国堺 細川持隆屋敷  細川持隆


「兄上の怒りは凄まじいわ。何が何でも筑前に腹を切らせよと言って聞かぬ」
「讃岐守様にもご迷惑をおかけいたします」

 筑前守が剃り上げたばかりの頭を下げて平伏する。筑前は詫びの印として頭を丸めたが、それでも兄上は一切赦そうとされぬ。
 まったく、三好筑前ともあろう者が勢いで柳本を討ってしまうとは珍しく思慮を欠いた行いだな。

「まあ、そもそもは柳本甚次郎がお主に刺客を向けたことが始まりだ。生き残った柳本の家臣からも言質は取れている。いずれは兄上のお怒りも収まるだろう」

 柳本甚次郎は見目の麗しい若衆だった。兄上の怒りには恋しい者を討たれた怒りも混じっているのだろう。筑前が詫びを入れたからと言ってもそう易々と怒りは収まらぬかもしれん。

「ともかく、お主は一旦芥川城に戻るが良い。兄上への取りなしは折を見て儂から申し上げる。それまでは大人しく身を慎んでおくが良い」
「恐れながら、芥川城では六角の軍勢を迎えております。こちらが大人しくしようとしても向こうから攻めて来られては応じぬわけにはいきませんが」
「その時は応戦せねばならんが、くれぐれも自らことを起こすことは控えよと申している。お主は兄上の忠臣だ。そのことは兄上も重々ご承知のはず。
 ……そう遠くないうちに儂が何とか取りなそう。それまでの辛抱だ」

 ふむ。筑前の目が危うさを持っているな。それほどに思い詰めておるか。

「くれぐれも早まったことを考えるでないぞ。今は兄上も京兆家の家督を継ぎたい一心で公方に頭を下げると言っておるが、黙っていてても京兆家を継ぐのは兄上しか居られぬ。そのことに思いが至れば、改めて摂津衆や河内衆をまとめて行かねばならんことに気が付くだろう。
 そうなった時に兄上が頼りとできるのは筑前しか居らぬ。くれぐれも、今は身を慎むのだぞ」

「はい。何卒、よろしくお願いいたします」
「うむ」

 やれやれ。
 念の為三好民部(三好一秀)や篠原大和守にも文を書いておくとするか。
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