江雲記―六角定頼に転生した舐めプ男の生涯―

藤瀬 慶久

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新風雅和歌集

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 ・貞吉三年(1545年) 九月  近江国滋賀郡 坂本城  六角定頼


「御譲位……か」

 ポツリと呟いた俺の言葉を受け、向かいに座る山科言継が眉根を寄せる。
 先に文で知らせてくれていたから驚きはないが、やはり帰京すればその問題に当たらぬわけにはいかんよな。

「山科卿は反対なのだな?」
「無論のこと。畿内から戦が遠のき、西国を安定させたとは言え、まだ東国や九州では戦が続きましょう。その最中にあって御譲位とは、いささか性急に過ぎるのではないか、と……」

 山科の言い分は分かる。いや、むしろ六角の事情を勘案してくれてのものだ。
 天下静謐は未だ道半ばだ。東国や九州・東北でだって戦をせずに済むとは思えん。帝が御譲位遊ばすからと言って戦を控えるというのでは、戦機を逸する恐れもある。

 新帝の御即位を寿ことぼがぬ不逞の輩を征伐するという名分を使うことは出来るが、鎮守府大将軍となった今ではその意味も薄い。
 そもそも鎮守府大将軍は征夷大将軍に代わって天下静謐事業を行うよう帝から委託されているからな。鎮守府大将軍六角定頼に逆らうことは帝の勅に逆らうも同義だ。
 俺が戦を起こす時点で、既に名分は立っている。

 加えて、山科の下心もあるだろう。
 史実と違い、今の朝廷には金が無いわけでは無い。山科楽市のアガリや各公家が開いているサロンの会費などで公家自身の生活もそれなりに潤って来ているし、御所の破れた塀を直す費えも無いという有様ではない。
 だが、御譲位となると中々馬鹿にならない費用が掛かる。

 新帝の即位式ももちろんだが、それまでの諸儀式や仙洞御所の造営などには莫大な費用を要する。
 出せないことは無いが、出来れば六角も巻き込んで費用を負担させたいというのが山科の本音でもあるだろう。

 だが、東国情勢が大きく動き始めた今、こちらとしても軍の再編に金と人を使わねばならん。
 となると、帝には今少し天下が落ち着くまでお待ち頂く方が良いが……。

「主上の御意志は固く、来年か再来年には帝位を方仁様にお譲り遊ばされたいとこぼされておじゃります」
「確かに某を含め、周囲が揃ってお留めすれば帝はお考え直し下されるかもしれん。だが、それでは帝のお心にはご不満が残りましょう」
「それ故に、麿も苦慮しておじゃります。何か良いお知恵は無い物かと……」
「ふぅむ……」

 思わず俯いて指で顎を挟む。良い知恵と言われてもなぁ……。
 そう言えば、以前にもこういうことがあったな。足利義晴が産まれたばかりの義輝に将軍位を譲ると言いだしたんだったか。
 あの時は、内談衆を作る方に興味を向けさせて有耶無耶にしたんだっけかな。

「何か、別の事にお心を傾けて頂くのはいかがですかな?」
「別の事、でおじゃりますか……」
「左様。帝が御譲位よりも興味をお持ちになることがあれば、そちらを為されている間に当面の準備を進められましょう」

 今度は山科言継が俯いて考え込む。
 その時、傍らで聞いていた織田頼信が口を開いた。

「あの……歌集をお作り頂くのはいかがでおじゃりましょう? 主上は以前より良く歌をお作り遊ばされておりました。歌集を作るとなれば、主上もご興味を持たれるのではないかと」

 勅撰……!
 パッと顔を上げると、思わず山科と目が合った。

 ――悪くない

 山科の顔もそう言っている。

「勅撰の歌集を作るということか」
「ううむ。良き考えやもしれませんな。侍従(織田頼信)の申す通り、主上は歌を殊の外好まれます。奏上すれば恐らく親撰(天皇自身が撰者となる)にて行うと仰せ遊ばされましょう」

 それだけじゃない。
 近年の勅撰和歌集は足利将軍家によって執奏されてきたが、応仁の乱以降は足利家自体が混乱したこともあってそうした執奏も無くなっている。
 その執奏を六角家が行えば、文化面でも足利家に代わって六角家が天下を差配しているという絶好のアピールになる。

「うむ。良い考えだ。それで行こう」
「麿も異存はおじゃりません。歌の収集は仍覚じょうかく法師(三条西公条)にお願いすればよろしいでしょう」
「うむうむ。織田侍従(頼信)には仍覚殿の小間使いを務めさせよう」
「それは良きお考えにおじゃりますな」

 俺と山科の盛り上がりを呆然と見ていた頼信だが、『仍覚殿の小間使い』という言葉を聞いて「げっ」と声を上げた。
 瞬間、俺と山科がピタリと会話を止めて二人で頼信の顔を覗き込む。

「侍従殿。ご不満がおありかな?」
「いえ……そんなことは……」
「内府(近衛前久)から聞いているぞ。近頃では坂本に入り浸って遊び惚けてばかりいると」
「それは……そのぉ……」
「麿も憂いておじゃる。歌集の仕事は主上の御為に働く好機とは思われぬか?」
「は……そのぉ……」

 山科と二人でズイッと顔を近付ける。
 逃がさんぞぉ。



 ・貞吉三年(1545年) 九月  近江国滋賀郡 坂本城  六角定頼


 勅撰歌集の執奏について詳細を打ち合わせた後、山科は意気揚々と京へ引き上げて行った。
 歌集と並行して仙洞御所の造営も進め、五年後を目途に譲位を実行いただくことでおおよそ話がついた。しかも、仙洞御所の造営費用は六角持ちということにされてしまった。
 ちゃっかりしてるよ。まったく。

「失礼いたします」

 軒先に伴庄衛門と伴伝次郎が揃って跪く。相変わらず庄衛門はいきなり居室に上がることはしない。
 もはやルーティーンになってしまっているんだろうな。

「そこでは声が聞こえん。遠慮などせずに上がれ」
「はっ。それでは……」

 庄衛門と伝次郎が揃って居室に入り、俺の側へと寄る。
 茶が運ばれてくるまでの間、束の間の世間話に花が咲いた。

「西国征伐の折はご苦労だったな。伝次郎が大坂までの米・矢弾・築城資材などを運搬する手配りをしてくれたと聞いている。
 一年以上に渡る遠征だったが、おかげで兵達を飢えさせずに済んだ」
「恐れ入ります」

 伝次郎が恐縮した風に頭を下げる。
 今や保内衆も世代交代が進み、観音寺城下の会合衆は伝次郎が取りまとめ役を務めている。庄衛門は俺と一緒に坂本に居を移し、今は各地の会合衆のご意見番として金融政策の仕事に専念してもらうようにした。
 だが、今回の仕事は庄衛門にも一枚噛んでもらった方がいいと思い、伝次郎と共に来てもらった。

「で、今日お呼びになったのは、甲斐の件ですかな?」

 ひとしきり世間話をした後、茶をすすりながら庄衛門が本題を切り出した。
 先ほどまで緊張しながらも笑顔を見せていた伝次郎も既に真顔に戻っている。

「さすがに、察しがいいな」

 それに耳も早い。既に武田晴信が北条から離反したことを知っていたか。

「六角様とは長い付き合いですからな。越後から甲斐に塩が入らぬようにせよ、と?」
「逆だ。今それをすれば武田が暴発する恐れがある。こちらとしても西国征伐を終えたばかりで、今すぐに戦をする余裕は無い。むしろ、積極的に甲斐へ塩を運ばせてほしい」
「……お呼び出しは我ら二人のみ。しかも下知状ではなく口頭で。ということは、会合衆として動かぬ方が良いということですな?」
「ああ。保内衆が動けば、背後に俺が居るとバレるからな」

 保内衆が俺の手足となっていることは世間にも知られている。武田も含め、各地の間者が近江に入り込んでいるから、表立って保内衆が動けば晴信や景虎も何らかの謀略が動いていると勘付くだろう。

「承知いたしました。では、甲斐への塩止めのお触れを頂戴致したく存じます」

 つまり、抜け荷の扱いをするということか。

「かまわんが、越後よりも値が上がっては意味が無いぞ」
「今まで甲斐に出入りしていた者は引き上げさせた方が良いでしょう。新たな荷運びの者を用意いたします。越後からの塩と同じか、少し安いくらいで捌かせましょう」
「それで、相手に悟られぬようにできるか?」

 庄衛門がチラリと伝次郎に視線を送る。伝次郎は無言でゆっくりと頭を下げた。

「分かった。あと必要な物があれば遠慮なく言ってくれ」

 俺の言葉に、今まで沈黙していた伝次郎が口を開いた。

「遠江の井伊殿といささか緊張があれば良うございますが……」

 井伊と揉める……か。
 吉良の扱いについて多少注文を付けるとするか。戦にならぬ程度の落としどころを用意せねばならんな。

「分かった。塩については、伝次郎に任せる。甲斐に出回る塩のうち、半分はこちらが自由にできるようにしておいてくれ」
「承知致しました」

 これで良い。
 塩や各種生活用品は保内衆の手で甲斐に届けられる。甲斐の物価は驚くほど安定し、民衆の暮らしは今までよりもはるかに楽になるだろう。
 武田晴信は甲斐を救った英雄として名声を得ることになるはずだ。

 だが、それは俺が作り出した名声だ。
 現実に戦が起こり、六角と戦端が開かれるまさにその時、甲斐の塩は一気に不足することになる。甲斐国内は混乱し、民衆は戦どころではなくなる。
 そうなった時、果たしてどれだけ踏ん張れるかな?

 ……武田晴信。
 お前は戦国大名の中でも極めて忍びの扱いが上手かったとされている。三ツ者と呼ばれる集団を用いて遠国の情報までも収集していた、と。
 だが、縁もゆかりも無い者が敵城に忍び込み、敵の謀略の全貌を掴んで帰るなどとは絵空事に過ぎない。歩き巫女や透破(野盗)・修験者が敵地を徘徊したとして、得られる情報は世間の噂話や既に起こった軍事行動などが関の山だろう。
 その裏にどのような謀略があるのかは知る由も無い。

 しかし、お前にとってはそれで充分だったのかもしれない。
 本音を言えば、世間で自分がどのように評されているのか、それを知りたい一心だったんじゃないのか?
 武田家とはかかわりのない遠国の情報まで仕入れさせたのは、自分の評判を知りたかったからじゃないのか?

 晴信は忍びと会う時、敵はおろか家臣にすら会わせず自分一人で会ったと言う。
 ……会わせられるわけが無いよな。
 自分の都合で周囲を裏切りまくっているものの、世間の評判が気になってエゴサーチしていますなんて知られたくは無いものな。

 俺が突くのはお前のその虚栄心だ。
 武田晴信を『甲斐を建て直した英雄』にしてやろう。お前はその名声に酔い、全てが上手く行っていると錯覚することになるだろう。
 それが俺の用意した地獄への道とも知らずに、だ。

 経済の急所は物流と金融。
 そのことを、若僧共に嫌というほど教えてやる。
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