堕落した淫魔は夢を見る

雪之丞 親実

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暴君

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  何気なく来た水族館。
  大量のいろんな種類の魚を一度に見れる場所があるとは思っても見なかった。
  色とりどりライトに照らされた小魚やクラゲの群れ、優雅に泳ぐサメや亀。
  よちよちと歩くペンギンや、大きな体を揺さぶりながら歩くトドやセイウチ。
  水を泳ぐホッキョクグマも居た。
  イルカのショーで大量の水を浴びたルシカは笑いながら、木陰のベンチに座った。

「冷たいけど楽しかったー。イルカっての?すげぇ頭良いし可愛いし」

  暖かい飲み物を受け取りながら、ルシカは言った。

「向こうの世界とか、やっぱ水族館みたいなのはねぇか」

  楼依はルシカの横に座る。

「魚は居るけど、こんなに可愛くねぇし、デカイんだ。焼いたら美味いけど」
「貴重な食料は何処の世界も同じか」
「俺一人じゃ捕まえれねぇから、いつもヨゾラが捕まえるの。俺は捌いて調理するだけ。……家の事しか、出来ねぇからな。外は怖くて、家の周りだけだし。……だから、今の生活が夢見たいだ」

  暖かい飲み物を両手で包む様に掴むと、ルシカは嬉しそうに笑みを浮かべた。

「……髪、濡れてる」

  ふと、楼依の手がルシカの髪の毛に触れる。

「さっき、イルカの水飛沫浴びたからな」
「ちゃんと拭かねぇと風邪引くだろ?体調崩しやすいって、末っ子から聞いた」
「……大丈夫だよ、これくらい」

  ルシカも自分の髪の毛に触れようとした。
  手が触れ合うと、ピクっと身体が反応する。
  昨夜は中途半端だったが故に、いちいちドキドキと期待をしてしまう。
  しかし、今夜は楼依は仕事だ。
  そのまま手を取ると、指を絡めた。

「……まだ、早いけど帰るか」

  ポツリと楼依が呟く。
  帰るってどっちだろう。
  時間的にまだヨゾラの友達はマンションに居るだろう。
  聞くのは野暮だ。

「……うん」

  ルシカはぎゅっと握り返した。
  手を繋ぎながら、ベンチから立つ。
  
『……不自由な生活に泣き言を言うて帰ると思うたが』

  背後から、頭に響く様な低い声が聞こえた。
  楼依はルシカを抱き寄せると、振り返った。
  人間の姿をしているが、褐色の肌と禍々しいオーラは隠し切れない魔王が居た。

『久々のニンゲンの身体、やはり窮屈じゃ』

  楼依の腕を掴むルシカの手は強く、震えている。

「窮屈だったらわざわざ来るなよ。こっちは楽しくやってんだ、邪魔するな」

  グッとルシカを抱き締める。
  
「叔父なら叔父らしく甥っ子達の幸せ考えてやれよ」
『我らの幸せは貴様らニンゲンの不幸じゃ。その不幸を持って来るのが、こやつらの幸せに繋がる』
「んな幸せ、あってたまるか」

  ルシカを落ち着かせる様に、楼依は頭を撫でた。
  ルシカもしがみつく様に楼依に抱き着く。

「連れ戻しに来たなら、喧嘩買ってやる」
「……楼依」

  ルシカは心配げに見上げる。

『たかだが奴隷の分際で』
「ど、奴隷じゃ、あ、ありませんっ!母さんが父さんを一途に思った様に、……お、俺もっ!」
『ニンゲンは裏切る生き物じゃ。そやつさえ、いつ何時心が移るか分からん。……情なぞ持ったが故に、知らぬ輩と交尾を続けるよりも傷付くのはお前じゃ』
「そ、それでもっ!俺は、この気持ちは後悔しないもんっ!」
「……もんっ!て、可愛い過ぎんだけど……」

  ヨシヨシとルシカの頭を撫で続けた。
  魔王は鼻先で笑った。

『……カグヤを見ても分からぬか』
「兄さん……」
『情なぞ知ったが故に、苦しんでおる。自らを汚れた存在と知り、満足に交尾も出来なくなった。お前がその奴隷と一緒に居れば居る程、カグヤは苦しむ。自分は何故ルシカの様になれないんだ、弟達の為に身体を汚して来たと言うに』
「……」
『何もしないお前が、そうやって自由にやりたい放題すれば……、穏便なカグヤとて弟に憎悪が増すのも仕方あるまい』

  ルシカの手から力が抜ける。

「……それをどうにかすんのは、アンタじゃねぇし。案外、今は楽しくやってんじゃねぇの?」

  楼依はルシカの手を握るとそう言った。

「アンタが兄弟達に何を思ってんか知らねぇし今後どうしてぇか知らんが、甥っ子だからとか妹に似てるからとかそう言う簡単なもんじゃねぇんじゃね?」
『ふん、何を……』
「妹の子供だから、甥っ子だから心配、だとしても、傍に置いておきたいから身体に叩き込む、だとしても、自分の傍に置いて置きたい、だとしても、それ引っ括めて情だろ?アンタも俺達ニンゲンと変わんねぇんじゃね?」

  楼依は鼻先で笑った。

『儂が貴様ら虫ケラと同等とは……、笑わせてくれる』
「ちょっと疑問に思ってたんだ。アンタのやり方は、……ニンゲンっぽいからな」
『……』

  魔王は赤いつり目で楼依を見る。
  ルシカは不安げなまま楼依を見上げた。
  
「兄貴を引き合いに出したって無駄だ。精を無理矢理取らなくても生きて行けてる。現に兄貴も……」
『カグヤは淫魔じゃ。……今にまた目が醒める』
「どーだか。もし仮に、何らかの事情で兄貴が戻ったとしても、少なくともテメェ等は触る事すら出来ねぇ」
『戻ればどうにでもなる。今後拒否など出来ぬ様、あの身体を隅々調べ上げ、実験するのも面白かろうて』

  魔王は不敵に笑った。

『カグヤが戻れば、ルシカも戻らねばなくなるじゃろう』

  魔王の目がルシカを捕らえる。
  その目は冷たく、ルシカの震えが大きくなった。

『ルシカが魔界に戻っても貴様は離れる事は出来ぬ。……下界になぞ固執する必要もなかろうが』
「ルシカが望めば着いて行くだけ。こっちを望むなら、渡す気はねぇよ」
『時間の問題じゃ。あのニンゲンがカグヤに幻滅すれば、忌々しい魔力も消えるじゃろうて』

  ククッと低い含み笑いが聞こえる。

「大丈夫だ。先輩は簡単に幻滅とかする人間じゃねぇし。そもそも、幻滅なんてするのか」
『そう言う強がり……、何時まで続くか』
「お互い様じゃねぇの?」
『ルシカ、考え直すなら今のうちじゃ。淫魔の儀式はしたが、カグヤの様にならなくても良い。仕事はカグヤがやれば周りは黙らせれる。……お前は城にて優雅に暮らせば良い』
「……」
『どちらにせよ、カグヤが戻ればお前は帰らねばならぬ。力づくで強制送還されるよりは素直になる方が良いと思うが』

  ルシカはどう答えて良いか分からない。
  戻りたくないし、離れたくない。
  でも、これ以上カグヤの事を出されたら、いづれは戻らないとならなくなりそうで。

「……あのさ、何で兄貴とコイツだけなんだ?もう一人弟いんのに」

  楼依はふと聞いた。
  前から気にはなっていた。
  魔王はカグヤとルシカを取り戻したいのは分かるが、ヨゾラの事は触れない。
  前回逢った時もそうだ。
  
『コヤツらが戻れば、自然とアヤツも戻る。ただそれだけじゃ』
「んな事分かんねぇよ?末っ子君の意地は強ぇから、兄貴らが帰っても残るだろうし」
『兄達を捨てても、か』
「捨てる気はねぇよ。……こっちから取り戻す算段はするだろ。それなら、兄貴達より末っ子君を先にどうにかするべきなんじゃねぇの?」

  カグヤとルシカは手元に置いて置きたい。
  言い方からすれば、手元に置きたいのはルシカであってカグヤではない。
  カグヤに対する思いはどうか不透明だが、ルシカを取り戻す手段にも、別の想いにも取れる。
  こちらから口にしなければ、ヨゾラは眼中にもない、そんな感じがする。
  ヨゾラだけなら、抵抗を続ける力は弱い。
  だが、同じ兄弟なのにこの差は違和感だらけだ。
  魔王はふっと笑った。

『ヨゾラは儂を憎んでおる。父親はおろか、母の記憶さえないのじゃからな。儂も気に入らぬ』
「……末っ子君が、親父に似ているからか?」

  楼依の言葉に、魔王のコメカミがピクっと反応した。

「兄貴は初めての甥だし、ルシカは妹に似てるんだろ?末っ子君は上二人よりはちょっと男前な顔だし」
『……』
「一番しっかりしてんのに、蔑ろとか勿体ねぇの」

  楼依は小さく笑みを見せた。
  
「アンタが軽視してるガキが、一番深く噛み付くかも知れねぇのに」
『確かに探究心の塊は厄介じゃな。……じゃがそれだけじゃ。ネズミ一匹足掻いたとて、何の問題もない。……確かに、儂の甥とやらじゃろうが』
「妹の子供なのにたかだが親父に似てるからって、嫉妬丸出しじゃねぇか。それこそニンゲンと同じだ」

  魔王は不服そうな表情を浮かべながら、一歩一歩と二人に近付く。
  ルシカの心臓が恐怖で鼓動が早くなる。
  それが痛みとなって、楼依の心臓に直接響くが、表情を変えれば魔王にルシカを連れて行かれてしまう。

「悪いけど、今から恋人らしい事教えるんだ。兄貴を取り戻してぇなら、俺より先に逢いに行く奴が居るだろ」
『……お前はこのニンゲンに捨てられた時、どんな泣き顔で儂に縋るんじゃろうな』

  近付くに来れば、魔王のオーラに飲み込まれそうで、身体が重く固くなる。
  スルッとルシカの頬を撫でる。
  冷たい指先は、背筋が凍った。

『……それまではせいぜいごっこ遊びでも楽しむ事じゃ』
「捨てる訳ねぇだろ。ごっこじゃねぇし」
『一つ言うといてやろう。ヨゾラの最初の相手はジルバじゃ。儂に隠れてコソコソしとるが、契約を交わしておる』

  魔王の指がルシカから離れた。
  ルシカの目が魔王を見上げる。

『儂なら、その契約を無に返す事も出来る。……早急に無にしたくば、お前かカグヤ次第じゃ』
「……深く考えるな。末っ子君も一人じゃねぇ」

  ルシカの目は不安と混乱で見開いたままだ。
  それを見ると、魔王は鼻先で笑った。
  そして、強い風が吹いたかと思うと、その姿が消えていた。

「……大丈夫だ。落ち着け……」

  魔王が消えた後も、震えが止まらないルシカに、楼依は落ち着くまで優しく抱き締めた。


  

  
 





  

  

  
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