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ブラックベリーの霊能学
【五十三】夏祭り①(SIDE:火朽)
しおりを挟む――夏祭りの当日が訪れたのは、八月の最後の週の事だった。
もう一ヶ月以上前の事ではあるが、バスの中で約束した午後五時に祭りに行くという話を思い出しながら、火朽は朝から上機嫌でいた。キッチンの椅子に座り、長い足を組んで時計を眺める。正面にはアイスコーヒーがある。紬に美味しいと教えてもらった店で購入してきた、最近お気に入りの飲み物だ。
そして時計が午後二時を回った時、火朽は紺色の浴衣に着替えた。
これもまた、紬に推してもらった店で買った浴衣だ。
その後、絢樫cafeを出て、火朽はピッタリ午後三時に、御遼神社へと到着した。
果たして紬は来るのだろうか?
来ると半ば確信しながら待ち合わせをしている鳥居を見た時、既にそこには紬がいた。
鳥居の左側に立ち、まだ出店などが準備中の敷地を不安げに見ている。
それから幾度も、石段の下へと視線を向けている。
――一体いつから待っていたのだろうか?
火朽は興味があった。二時間前には来ている気がしていたが、紬はそれよりも早くからそこにいたらしい。しかし、それよりも興味があるのは、いつまで己を待つかという事だった。
火朽は鳥居の右側に陣取り、堂々と左手に視線を向ける。
紬には火朽が見えていない。
通行人達は、紬の姿を見ると会釈をして通り過ぎる事が多い。
それもまた、紬には距離を感じさせているようだと、火朽は判断した。
本日は、紬もまた浴衣姿だ。
火朽と同じ店で買ったのだと分かる。どちらの色にするか、火朽が迷った――もう一方の色を着ている。黄緑色のその浴衣は、紬によく似合っていた。
人が横を通るたびに、紬は表情を引き締めている。
不安など微塵も感じさせないように――取り繕っているのが、火朽には分かった。
だが、ずっと見ていると、押し殺せない寂しそうな瞳をするから、本当は心細いのだろうと、手に取るように分かる。それを眺めていると、火朽の気分がさらに良くなった。
時計の文字盤が四時を指し、四時半を指し、ついに五時を指す。
紬が辛そうな顔で周囲を一瞥している。
ただそれを、火朽は楽しそうに笑いながら見ていた。
――祭りが始まったのは、午後六時の事である。
笛や太鼓の音が谺する中、ぞくぞくと見物客が集まり始める。
石段を登り、敷地へと入っていく人の波が、紬と火朽の間を流れていく。
どこか焦燥感に駆られているような表情で、紬が通行人を見ていた。
六時半、七時、七時半――花火が始まったのは、その時だった。
二人の背後、夜空には、満開の炎で出来た花が咲いている。
しかし、紬がそれを見上げる事は無い。
ただひたすら、紬は大勢の人の中に、火朽がいないか探しているようだった。
その白い横顔を見て、苦しそうな眼差しを見て、火朽は考える。
花火よりもよほど情緒的で風流だ。
人間が生み出すある種の芸術よりも、人間そのものの方が見ていて刺激的だ。
長い刻を生きてきた火朽だが、今までその事に気付かなかった。
そのまま眺めていると、八時となり、花火が終了した。
祭り自体は八時半までを予定しているようだったが、帰り始めた客が多い。
二人の間には、再び人の波が出来る。
九時になる頃には、帰る人の波が最高潮に達した。
渋滞しだしたせいで、列が進むのは非常に遅い。
そうして九時半、十時。
既に敷地の出店は撤収準備を始め、幾ばくか人の波が緩まった。
「五時間、ですか」
火朽がそう呟いたのは、諦観するように紬が腕時計を見た時の事だ。
暗い表情で俯きながら嘆息した紬が、何度か瞬きをしてから歩き出そうとした。
それを見て、火朽は吐息に笑みをのせてから、紬に歩み寄った。
そして――穏やかに声をかける。
「紬くん」
「!」
紬の足が止まった。息を飲んでいるのがよく分かる。
火朽はそれに気を良くしてから、帰る人の波に紛れ、逆方向――神社の中へと歩き始めた。
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