藍円寺昼威のカルテ

猫宮乾

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御遼神社の狐と神様

【7】新しい扉

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 続いて向かった先は、御遼神社である。

 本日は雨ではない。梅雨の合間の晴れだ。
 午後の日差しの中、神社へ行くと、侑眞が観光客の相手をしていた。
 大学生のバイトの巫女と談笑している。眺めていると、二人が昼威に気づいた。

「こんにちは」

 挨拶をしてくれた楠原という巫女を見て、昼威は考える。己が大学生だった頃は、もう十分大人だと思っていたし、三十代の人間を見るとオッサンだと感じていたが――今、二十代前半の彼女を見ると子供に見える。きっとおそらく、あちらから見れば、自分がオッサンなのだろう……。

「昼威先生、珍しいね」

 侑眞がそう声をかけてきたので、小さく昼威は頷いた。

「ちょっとな」
「お茶でもどう?」
「ああ」

 頷いた昼威を見てから、侑眞は楠原に視線を向けた。

「あとはよろしくね」
「はい!」

 それから侑眞が歩き出したので、昼威はその後に従った。
 通された離れの侑眞の家で、昼威は――コップを受け取った。
 お茶の代わりに、ビールが注がれる。発泡酒ではない。


「それで、先生、なんです? もしかして金欠かな? 今、手頃な頼みはないんだけど」
「そうじゃない!」

 ムッとして、ぐいっと昼威はビールを呑んだ。そしてコップをテーブルに置いてから、睨むようにして侑眞を見た。

「おい。遺言状に出てきたお前の従兄弟の内、二十代の方の名前は?」
「え? ああ、前回の話?」
「いいから、早く言え」
「――そうは言ってもね。御遼神社の問題だし、部外者の先生に言うのはちょっとなぁ」

 もっともな言葉だとは思ったが、昼威は休日を無駄にしたいとは思わない。

「六条彼方か?」
「ん? 先生、なんで知ってるの?」
「ちょっと気になってな」
「俺の事が――俺の財産が気になるって、そんなに金欠なの?」
「は? なんだと?」

 あからさまに昼威が眉間に皺を刻むと、侑眞が喉で笑った。


「だってねぇ、先代だったお祖父様の資産は、孫三人で、っていう内容だったから」

 それを聞いて、昼威は首を捻った。

「普通は、配偶者に半額、子供が残りを分割じゃないのか?」
「遺言状は、それ以外の配布をする時とかに有効みたいだよ。いやぁ、親戚が騒いで騒いで大変だったよ」
「その六条彼方というのは、どういう関係なんだ? 母親が御遼の関係者か?」

 ビールを飲みながら昼威が聞くと、同様にコップを傾けながら侑眞が言う。

「わからないんだよね。お祖父様は、『孫』と書いていたけど、家系図には、俺の父親と伯父さんの名前しかなくて、伯父さんに関しては、俺は亡くなったと聞いてた。だから次男の父さんは、最初は神社を継がない予定だったから会社員になったし――ただ」

 そこで言葉を区切り酒を飲んでから、侑眞は続けた。

「父さんの話だとさ、俺達は知らなかったけど、亡くなった俺の祖父って、比較的派手な人だったみたいで――祖母の他に、愛人がいたらしいんだよ。そちらにも子供がいたみたいで、女の人でね……彼方さんという人は、もしかすると、そちら側の孫じゃないかって話だった」

 愛人――妾の、子の子……その人物を、浮気をされた祖母が妾とした……?
 昼威は考えた。その場合、現在の男妾と祖母には血縁関係は無いという事だ。

「もう一人の従兄弟は、芹架《セリカ》くんって言うんだ。こちらは、伯父さんの子供。ただ結婚する時にもめたみたいで、駆け落ちしていて、伯父さん夫妻と芹架くんは御遼の家とは関わらずに暮らしていたそうなんだけど――伯父さんはかなり前に亡くなってるし、奥様も亡くなっていて……今は、芹架くんは独りきりなんだ」

 侑眞はそう言うと、遠くを見るような瞳をした。


「まだ小学生だから、芹架くんに関しては、大人になるまで、御遼の人間が後ろ盾になるようにと遺言状にはあったんだけど……今、どこにいるのか、俺にも分からなくて」
「どういう事だ?」
「うーん。お祖母様がさ、長男の一人息子だから、まぁ俺よりも正当な御遼神社の跡取りだと話していて、自分が保護して育てているから心配はないって言うんだよね」

 そう言うと、侑眞は深々と溜息をついた。

「まぁ俺も、別に俺の子供がいつか生まれたとして、後継にしたいと思うわけでもないし、その子がやるというんなら、別に神主の座はいつ譲っても構わないけどね」
「中々、御遼神社も複雑なんだな」
「まぁね。あ、つまみを持ってくる。昼威先生は口が堅いし、こうやって愚痴を話せるから気が楽だ。みんなゴシップが大好きだから、迂闊に相談もできなくて」

 侑眞は微苦笑すると立ち上がった。
 そしてツマミを取りに出て行った。
 残された昼威は、ビールを飲みながら、ここまでに聞いた話を整理する。

 ――バシン。

 音が聞こえたのはその時だった。昼威は苦々しい顔で、コップに口をつける。
 何の音なのか、本気で気になっていた。



 近いものを挙げるとすれば、縄跳びの音だ。
 あるいは、馬を鞭で打つような音である。
 ひも状のもので、何かを打つ音としか言えない。

 だがそれ以上に気になるのは、その音がする度に、息を呑むような気配や、涙声を含むような悲鳴じみた小声が時折聞こえてくる部分だ。

「よし、食べますか」

 そこに侑眞が戻ってきた。アンチョビやチーズ、サラミやバジルソースをのせたパンの皿を持っていた。ミックスナッツもある。どれも美味しそうだ。

「なぁ侑眞」

 早速ご馳走になりつつ、昼威は丸い窓を見る。閉められているから外は見えない。

「あの音は、何なんだ?」
「俺も気になってるんです。この前も言わなかったっけ?」
「ああ、聞いた」
「先生は何の音だと思う?」
「分からん」

 昼威がそう答えると、侑眞が少し思案するような顔をしてから呟いた。



「お祖母様さぁ、最近……鞭とロウソクを買った形跡があるんだよね」
「鞭とロウソク?」
「俺は見ていないけど、俺の家族は二十代の男を見たって言ってて、それがお祖母様の愛人だとするでしょう? それが事実なら――そういうプレイかな、って」

 その言葉に、昼威はビールを吹き出しそうになった。

「先生なら、何の音か分かるかなと思って」
「ちょっと待ってくれ。何故俺が、そういったプレイの音を知っていると思うんだ? わかるわけがないだろう」
「――あ、そうじゃなくて、一応あの音に、心霊現象的な要素があるかどうかを判別して欲しかっただけ」
「断言して無い。ただ、確かに言われてみれば、鞭で打つ音だな……」
「……七十代にして、新しい扉をお祖母ちゃんは開いてしまったのかなぁ。俺、憂鬱だ」

 そんなやり取りをして、昼威の休日は過ぎていった。
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