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―― 本編 ――

【四】逃げてきたという現実

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 それから改めて駅構内へと続く窓口から待合室を見れば、ポツリポツリと始発を待つ客達が姿を現し始めた。その多くは、深水町の人間だ。高齢者が多い。

「すみません、遅くなりました!」

 勢いよく扉が開いたのは、槙永が丁度コーヒーを飲み終えた時の事だった。首だけで振り返れば、駅員専用の出入口から、本日の日勤の澤木が顔を出していた。今年で二十四歳の駅員で、槙永が眞山鉄道に就職して出来た初めての後輩だ。

 時計を見れば、日勤の始業時間である五時半の一分前だった。遅刻ではないが、多くの場合、早めに出勤するのが日勤の常だ。

「おはようございます!」
「おはよう」

 澤木とはもう一年ほど一緒に働いている。だいぶ会話にも慣れた。

 無表情が多く、淡々としていてどこか冷たい印象を与える槙永に対しても、澤木は明るく接してくれる。少し幼く思える部分もあるが、元気な澤木との会話は、槙永にとって貴重な日常風景の一つだ。

 その後は二人で仕事を分担し、無事に始発の発車時刻を迎えた。

 去っていく電車をホームで見送り、細く長く吐息をし、槙永は空を見上げる。これで本日の勤務は終わりだ。

 槙永が駅員室へ戻ると、澤木がテーブルに体を預けて、大きく溜息をついていた。

「朝は本当に忙しないっていうか」
「……そうだな」

 答えながらも、満員電車の対応に追われていた過去を思い出し、槙永は複雑な気持ちになる。本日の乗車客の数は六人しかいなかったが、それでも今日は多い方だ。

「あーあー。俺も早く、眞山の営業所に移動したいです。もうやだ、この田舎。慢性的な人手不足だし!」

 澤木が疲れたような目をしてぼやいた。

「都会に行きたいです、俺!」

 黙々と澤木の言葉に耳を傾けながら、槙永は泊まり勤の引き継ぎ用の資料を見る。既に起床後に作成していたので、後はサインをするだけだった。

「槙永さんは、都会から来たんですよね? 田舎過ぎて嫌になりませんか?」
「別に」

 淡々と返しながら、槙永は印刷した資料にペンを走らせる。

 多くの場合、深水駅の駅員は、新人の内に派遣されてきて数年業務を行った後、別の任地に移動になる。駅長の田辺をはじめ、希望してこの地に配属してもらった場合だけが例外となる。槙永は、希望して深水へとやってきた、そんな例外の一人だ。

 都会から来た――と、澤木は表現したが、槙永自身は、『来た』のではなく『逃げてきた』のだと考えている。この深水が、現在の安住の地だ。もう、都会に戻る予定は無い。

「俺はずっとここにいるつもりだよ」
「それが本当に信じられません。俺なんて、実家が深水町だって伝えたら、数年働けって言われて強制的にこの駅に配属されましたよ? もう、嫌だ……俺の夢は、格好良い車掌になる事だったのに!」

 駅員として勤務した後、乗務員になる事は多い。実際、澤木の夢は叶うのではないかと、槙永は考えている。項垂れている澤木を見る槙永の瞳が、心無しか優しくなった。自分と澤木は、『違うな』と思わせられる。澤木には夢がある。

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