5 / 16
【五】
しおりを挟むその日――春香たちが帰る少し前だった。
「今日は、先に出ます。お疲れ様です!」
礼がそんなことを言ったのだ。僕たち三人は驚愕した。
彼女がどこかへ行くのを、見たことがなかったからだ。
資料類をそれとなく確認したが、持ち出している様子もない。
そもそも持ち出し禁止だけど。
とりあえず、何が言いたいかというと、研究でどこかに行く気ではないらしい。
「礼、何処へ行くの?」
「ちょっとね! また明日!」
春香の問にそう答え、礼は笑顔で出て行った。
残された僕たちは、首をかしげた。
翌日、研究室の鍵を開けた僕は、無人の室内を見て、なんだかすがすがしい気分になってしまった。これまでと同じ時間に来る必要はなかったのだが、何時に礼が来るかわからなかったから、つい来てしまったのだ。さて、何時に来るのか。時計を見ていると、いつも春香たちが来る、ぴったり十分前に訪れた。
「おはようございます!」
「うん。おはよう」
心からの健やかな笑顔を浮かべてしまった。毎日こうだったらいいのに。
その日は、清々しい気分で一日を終えた。
しかし、この日も、誰よりも早く、礼は帰った。
ちらりと時計を見ると、春香たちがいつも帰宅する十分前だ。
昨日と同じだけど、なにか予定でもあるのだろうか?
三日目も全く同じだった。
さすがに四日目、帰ろうとした礼に、春香が代表して聞いた。
「ねぇ、どこへ行っているの?」
「ん? ああ、紺くんのおうちのほうだよ!」
それを聞いて僕らは心底安堵した。なるほど、そういうことか。
なので五日目も普通に見送った。
六日目からは、春香達より少し遅く帰るようになった。
ただし僕が強制的に鍵をかけていた十時までには帰る。
朝はいつも、春香たちが来る十分前だ。
そんなある日、僕は気がついた。日に日に、礼の指に絆創膏が増えていく。
しかも……本日は、あきらかに血が滲んでいる。
春香たちが帰った後、僕は思わず聞いてしまった。
「礼、その指、痛そうだけど、どうしたの?」
すると礼が不思議そうな顔で、僕をしばしの間じっと見た。
そしていつも通りの笑顔を浮かべた。
「柾仁さんには、もう迷惑をかけないから大丈夫!」
「え?」
「今日はもう帰ります! また明日! 心配してくれてありがとうございます!」
僕は、ズキリと胸が覚えた痛みに唾を飲み込みながら、彼女を呆然と見送った。
引き止める暇もなかった。
――迷惑?
いいや、『もう』……?
つまりそれは、以前は迷惑をかけていたという意味だろうか?
別に僕は、そうは思っていなかった……のだと、個人的には思う。
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
悪役令嬢と氷の騎士兄弟
飴爽かに
恋愛
この国には国民の人気を2分する騎士兄弟がいる。
彼らはその美しい容姿から氷の騎士兄弟と呼ばれていた。
クォーツ帝国。水晶の名にちなんだ綺麗な国で織り成される物語。
悪役令嬢ココ・レイルウェイズとして転生したが美しい物語を守るために彼らと助け合って導いていく。
【完結】転生したら悪役継母でした
入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。
その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。
しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。
絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。
記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。
夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。
◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆
*旧題:転生したら悪妻でした
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる