マダム・シレーヌの文房具

猫宮乾

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【004】出会い

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 ――お客さんは、めったにこない。

 この日もだれもこないだろうと、ぼくはイスに座って天井を見上げていた。
 気配けはいなく声をかけられたのは、そのときだった。

「定規?」
「っ」

 ビクリとした。反射的に視線を向けると、そこにはぼくと同じくらいの男の子がいた。私立の小学校の制服をきているけど、顔に見おぼえはない。だけど、今たしかに、『定規』と口にした。ぼくは男の子を観察する。少しつり目の瞳は黒い。短いかみの色も黒で、どことなく犬に似ていた。

「怪我は大丈夫か?」

 目が合うと、男の子が小さく首を傾げた。やはりとぼくは思った。この男の子は、さっきの戦いを見ていたのだろう。

 だとすればこの子もまた、文房具の持ち主だ。

 ぼくはいつも死ぬとき、

何分なんぷんでたおれた』
『今日もよくたおされてる』
『早かった』
『さすがはコンパス!』

 という言葉を聞いているため、誰かに心配をされたのは初めての経験だ。
 新せんだった。

「大丈夫です。あの、どなたですか……?」
「なるべく早く楽にしてやりたくて、手加減てかげんできず悪いと、いつも思っていたんだ。これでもいつも、できるかぎり早く気絶させようとしてるんだけどな――いつも罪悪感ざいあくかんがあって」
「えっ?」

 その言葉に、僕はあらためて男の子を見た。首をひねってみる。
 言われてみれば、どこかで見たことがある気がする。
 けれどぼくは、この制服の学校に友達はいない。見覚えがない。まぁ、マホロバの街に移動すると、かってに衣服が変わるから、当然といえば当然なのかもしれない。

「もしかして、コンパス……さん?」

 ぼくは男の子の言葉から推測すいそくして聞いた。

「ああ。オレの文房具はコンパスだ。俺は紺野こんのという。お前は? ここは遠坂《とおさか》さんの店だから、遠坂……」
「夏織《かおる》です。遠坂夏織。遠坂春人はるとおいです」
「そうか。実はマダム・シレーヌの手記しゅき写本しゃほんを見せてもらうやくそくになっていたんだ」
「すみません、叔父は今ご飯を作っていて」
「――そうか」

 あっさりと頷くと、紺野くんは腕を組んだ。

「一度話がしてみたかったんだ。よかったら、少し話していてもいいか?」
「え? ええ……いいですけど」
「どうして敬語けいごなんだ?」
「べつに……なんとなく」

 だって相手はコンパスだ……。せいかくには持ちぬしだけど、みんな、もっている文房具の名前でよばれるから、〝マホロバの街〟では、ぼくも定規とよばれている。

 答えたぼくを見て、紺野くんが、このとき初めて小さく笑った。すると印象が全然違ったものになり、やさしそうに見えた。さっきまでの仏頂面ぶっちょうづらよりもずっといい。

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