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タウロニスAステーションでの最初の1ヶ月は、歓迎式典と訓練の中であっという間に過ぎた。
到着からわずか数日で、巨大な訓練施設での戦闘シミュレーションが始まった。
今回の想定シナリオは、敵対勢力に占拠された民間輸送船の奪還作戦だ。俺たちのチームが強襲部隊、相手が防衛側という設定。当然、両陣営とも武器とシステムに訓練用制限をかけている。
シミュレーションは僅差での敗北で終わったが、十分に意地を見せつけられる接戦だった。
俺のチームは狭い空間を利用して甲虫族との体格差を相殺しながら戦い、相手の司令部を制圧するあと一歩のところまで食らいついた。
格納庫で、シューッと減圧する音が連続する。マークVIIの前面が分割されて後方に折りたたまれ、余熱と循環空気を排出した。汗びっしょりの肌に冷たいステーション内の空気が当たる。
ニューラルメッシュ全身スーツの上半身を脱いで腰のあたりにぶら下げ、チームの他のメンバーと共にブレイクルームの隅に集まった。スーツ内部で循環するリサイクル空気以外のものが吸えることに、みな感謝していた。
「うわ、メッシュが完全にグチャグチャっす」
マルティネス一等兵がメッシュスーツを肌から剥がしながら唸った。部隊最年少のオペレーターだが、今日は見事な動きを見せてくれた。
「よくやった、みんな」
チームの顔を見回し、心からの賛辞を込めて言う。
「特にCデッキでの動きは見事だったぞ、マルティネス。縦方向での陣形分断は向こうも予想してなかっただろう。あのバックスラスト機動はどのマニュアルにも載ってないはずだが」
「隊長の動きを見て覚えました。それより隊長もすげえ汗ですよ」
ウォン軍曹が笑いながら俺にタオルを投げてよこし、俺は有り難く受け取った。
和やかな雰囲気もつかの間だった。
「……まただ。始まったぞ」
そこでムベケ伍長が後方を顎でしゃくりながら呟く。
何を指しているのか見るまでもない。ブレイクルームの窓際に甲虫族の一団が集まり、会話に没頭しているフリをしながら、何対もの複眼があからさまにこちらに向けられている。
「……クソ、また虫どもだ」
「あいつらにとってストリップショーみたいなもんだ。俺たちが『殻』を脱いで、柔らかい中身を晒してるわけだからな」
伍長が鼻を鳴らす。その通りだ。俺たちが外骨格を脱ぎ、本来覆い隠すべき脆弱な生身の体を人前で露出するのは、硬い甲殻を持つ甲虫族の基準ではポルノも同然だ。
「なーにが異種間交流だよ、あの虫どもはただ単に俺らをズリネタにして――」
「言葉に気をつけろ、ムベケ。我々の同盟種族だということを忘れるな」
と俺は警告するが、本気で叱る気はない。
我々はみな、異種族から向けられるこの手の関心に慣れてしまっている。
「失礼ながら、隊長」
副官のオニール中尉が低い声で口を挟む。
「ご自身も気をつけられた方が。左の大きい個体、例のあいつです。ここに入ってきてから、ずっと隊長から目を離してません」
さりげなく目をやり、視界の端でその巨大な甲虫族の戦士を捉える。4つの主眼とこめかみに並ぶ副眼すべてで俺を見つめていた。
甲虫族の中でも際立って威圧的な、優に2.5メートルはある巨躯は見逃しようがない。頭部からまるで軍艦の艦首のように突出している太く長い角はさらに半メートル近くあり、攻撃的な弧を描いて上方に反り返っている。弧の内側には鋭い鋸歯状の突起が並び、外面には撃墜数を表す刻み目が刻まれている。角は戦士カーストのオスの誇りだ。あれほどのサイズともなれば、さぞかし自慢だろう。
ゼクスカ少佐。このステーションに着任して最初に行った能力評価のデモンストレーションで対面した相手だ。
我々を下に見て慢心していた奴のエリート部隊を、ゼロ重力戦闘で完膚なきまでに叩きのめし、奴は人類の戦術について痛烈な教訓を得ることになった。局所的なEMPバーストで彼らのセンサーアレイを混乱させながら、的確に各個撃破していったのだ。
甲虫族の連中は敗北を個人的に受け止める傾向がある。それも劣等種と見なす相手に打ち負かされたとあれば、侮辱に等しい屈辱だろう。
ゼクスカはあれ以来、何かと俺たちの周りをうろつき突っかかってくるようになった。公の場ではプロトコルを守りながら、俺に近づく口実を片っ端から見つけ出してくる。
プライドを傷つけられた男は危険だ。武人として体面を何より重んじる甲虫族の場合は特に。
勝利を譲るべきだったかもしれないが、それは俺の選択肢になり得ないこともわかっていた。確かに人類は個体レベルでは他種族より劣るだろう。しかし連携の取れたチームとして動けば、どんな相手とも互角にやり合える。甲虫族や他の種族がまだ学びきれていない教訓だ。それが彼らのプライドを傷つけたとしても、我々の責任ではない。
「虫は皆同じに見えますよ」
「こら、敬意を持て。あれはゼクスカ少佐だ。ゼロ重力演習で出し抜いた相手の部隊長だぞ。覚えてないのか?」
「俺たちに顎をへし折られて以来、ご機嫌斜めのアイツですよね? リベンジを狙っているのかもしれませんね。あるいは別の方法で隊長と組み合いたいのかも」
部下たちは笑うが、目には心配の色が見える。
甲虫族に性的対象として見られることには慣れているが、ゼクスカの視線には違った種類の危険が潜んでいる。傷つけられた自尊心に絡み付いた性的な征服欲――極めて危険な組み合わせだ。
「我々が牽制しましょうか、隊長」
オニールが席から半ば立ち上がって静かに申し出たが、俺は手を上げて制した。
目をつけられているのが俺だけなら、この件にチームを巻き込む必要はない。
「俺の心配は無用だ。自分の問題は自分で対処できる」
「でも隊長、俺たちは……」
俺は更なる議論を打ち切るように言った。
「よし、おしゃべりは終わりだ。シャワーを浴びて休め。明日0700時から次のシミュレーションのブリーフィングだ」
みんなは互いに顔を見合わせたが、しぶしぶと立ち上がった。最後まで心配そうな顔を見せるオニールに、俺は軽く頷いて見せる。
チームが出て行く中、俺は居残った。タブレットで戦闘データを確認するフリをしながら。
案の定、仲間が去ってすぐに、巨大な影が俺のディスプレイを覆った。
『……大尉殿。リラックスしているお姿を拝見できて光栄だ』
俺の頭にインプラントされている翻訳機が、ギッギッギッという囀りに込められた幾重ものニュアンスを伝えようと苦心している。
「これは少佐」
俺はすぐに立ち上がって外向きの取り澄ました笑顔を作ったが、すでにこの成り行きにうんざりしていた。
まっすぐ背筋を伸ばしても、彼の胸部装甲にも届かない。
ゼクスカは主眼で俺を凝視しながら、メッシュスーツを脱ぎ、アンダーウェアだけになった俺の上半身を副眼で舐めるように見回した。プラズマ攻撃を受けた痕跡か、左の大顎の一部が溶けており、その表情を永遠に獰猛なものにしている。
『今日の貴官のチームの働きは……見事だった』
「光栄だ。そちらのチームも素晴らしい練度でした」
『……しかし、着任時のあの演習ほどの衝撃はない。私の部隊を徹底的に辱めた……あの時ほどには』
その声音に込められた苦々しさは明白だった。しかし大顎をカチカチと鳴らす様子は、彼らの文化で言うところの笑顔だ。
「……単なる演習です。恨みっこなしだ、そうでしょう?」
『それでも、我々は敗北した』
奴は更に近づき、その体高を利用して俺に覆い被さるように立つ。
『――我々より遥かに小さく貧弱な種に。興味深い』
ギチギチという不穏な囀り。
俺はできるだけ中立な口調を保とうと努める。
「我々はあなた方より非力かもしれないが、強みがないわけじゃない。それに我々は互いから学び合うものです。それが演習の目的なのですから」
『確かに』
巨体がさらに近づき、装甲板同士が軋むような音を立てる。
『私は人間のその強みに興味がある。ぜひ詳しく話し合いたい。一対一で』
くそ……勘弁してくれ。
奴が何を考えているか、想像するのは難しくない。あの複眼の裏で繰り広げられている妄想が手に取るように分かる。
「申し出には感謝します、少佐。しかしご存知の通り、規則では異種族将校間の会合は禁止されています。ご理解いただけると思いますが」
『規則、だと? そう堅苦しく受け取るな。私的な文化交流だ。私の居室にお招きしたい。人間が珍重するような、上質な酒を取り揃えている。どうだ?』
ふざけやがって。いつもなら軽く受け流せるのだが、何週間も続く彼の嫌がらせに俺の忍耐は擦り切れていた。ステーションの全人類の安全に責任を負っているという絶え間ないプレッシャーにも消耗している。あるいは単に……ここ数ヶ月、自分の手以外の相手がいなかったことによる、欲求不満のせいかもしれない。
理由は何であれ、もう付き合っていられる気分じゃなかった。
「少佐、すまないがこれ以上は――」
腕を痣ができるほどの強さで掴まれる。
振り向くと奴は大顎をピクピク痙攣させていた。興奮している。
『もういい、建前はやめろ。人間というのは本当に腹立たしい。その淫猥な体を見せびらかして誘惑しておきながら、我々が興味を示すと気分を害したふりだ』
この時点で、無理に腕を振り払ってでも立ち去るべきだとわかっていた。
「……離せ。これは明らかな違反行為だぞ」
『それが人間の交配儀式か? だとしたら悪くない、拒めば拒むほど、力づくで犯したくなる』
何かが切れた。止める間もなく、言葉が口をついて出た。
「情けない、『小さく貧弱な』俺たちに出し抜かれたのが悔しくて、腹いせにファックしないと傷ついたプライドを癒せないのか?」
『……なんだと?』
「いいか、お前みたいな勘違い野郎に盛られるのはこれが最初でも最後でもない。だがはっきり言っておく。俺がお前と寝ることは、絶対に、ない」
啖呵を切ってから、しまったと思った。
ゼクスカが俺の前にそびえ立ち、4つの眼が怒りと欲情でギラギラと煮えたぎっていた。
『気が強いな』
奴は吐き捨てるように言った。
『ますます気に入った。折るのが楽しみだ』
……まずい。
状況が悪化する準備をして身構えたその時、甲虫族の若い士官グループがブレイクルームに入ってきた。
ゼクスカの態度が一変し、軍人としての仮面が戻る。最後のひと睨みを利かせてから、一言も発さずに立ち去った。
ゆっくりと息を吐き出す。くそったれ。これは後で痛い目を見ることになるだろう。俺に個人的な恨みと劣情を抱えている、2メートル以上ある甲虫種族をわざわざ焚きつけてしまった。
上に報告しても無意味だとわかっていた。連邦において俺たちの言葉は波風を立てるほどの重みを持たない。特に、より地位の確立された種族との「文化的誤解によるトラブル」に関しては。
それに外交問題を引き起こせば、外交団に首を絞められることは間違いない。甲虫族は同盟種族として重要すぎる。これは自分で何とかするしかない。どうにかして、任務やチームの安全を損なうことなく……。
足早に自室に向かいながら、心の中で自分を罵る。
今頃ゼクスカの頭の中で、生意気な人間将校が百通りもの方法で徹底的に犯されているであろうという事実を考えないようにしながら。
到着からわずか数日で、巨大な訓練施設での戦闘シミュレーションが始まった。
今回の想定シナリオは、敵対勢力に占拠された民間輸送船の奪還作戦だ。俺たちのチームが強襲部隊、相手が防衛側という設定。当然、両陣営とも武器とシステムに訓練用制限をかけている。
シミュレーションは僅差での敗北で終わったが、十分に意地を見せつけられる接戦だった。
俺のチームは狭い空間を利用して甲虫族との体格差を相殺しながら戦い、相手の司令部を制圧するあと一歩のところまで食らいついた。
格納庫で、シューッと減圧する音が連続する。マークVIIの前面が分割されて後方に折りたたまれ、余熱と循環空気を排出した。汗びっしょりの肌に冷たいステーション内の空気が当たる。
ニューラルメッシュ全身スーツの上半身を脱いで腰のあたりにぶら下げ、チームの他のメンバーと共にブレイクルームの隅に集まった。スーツ内部で循環するリサイクル空気以外のものが吸えることに、みな感謝していた。
「うわ、メッシュが完全にグチャグチャっす」
マルティネス一等兵がメッシュスーツを肌から剥がしながら唸った。部隊最年少のオペレーターだが、今日は見事な動きを見せてくれた。
「よくやった、みんな」
チームの顔を見回し、心からの賛辞を込めて言う。
「特にCデッキでの動きは見事だったぞ、マルティネス。縦方向での陣形分断は向こうも予想してなかっただろう。あのバックスラスト機動はどのマニュアルにも載ってないはずだが」
「隊長の動きを見て覚えました。それより隊長もすげえ汗ですよ」
ウォン軍曹が笑いながら俺にタオルを投げてよこし、俺は有り難く受け取った。
和やかな雰囲気もつかの間だった。
「……まただ。始まったぞ」
そこでムベケ伍長が後方を顎でしゃくりながら呟く。
何を指しているのか見るまでもない。ブレイクルームの窓際に甲虫族の一団が集まり、会話に没頭しているフリをしながら、何対もの複眼があからさまにこちらに向けられている。
「……クソ、また虫どもだ」
「あいつらにとってストリップショーみたいなもんだ。俺たちが『殻』を脱いで、柔らかい中身を晒してるわけだからな」
伍長が鼻を鳴らす。その通りだ。俺たちが外骨格を脱ぎ、本来覆い隠すべき脆弱な生身の体を人前で露出するのは、硬い甲殻を持つ甲虫族の基準ではポルノも同然だ。
「なーにが異種間交流だよ、あの虫どもはただ単に俺らをズリネタにして――」
「言葉に気をつけろ、ムベケ。我々の同盟種族だということを忘れるな」
と俺は警告するが、本気で叱る気はない。
我々はみな、異種族から向けられるこの手の関心に慣れてしまっている。
「失礼ながら、隊長」
副官のオニール中尉が低い声で口を挟む。
「ご自身も気をつけられた方が。左の大きい個体、例のあいつです。ここに入ってきてから、ずっと隊長から目を離してません」
さりげなく目をやり、視界の端でその巨大な甲虫族の戦士を捉える。4つの主眼とこめかみに並ぶ副眼すべてで俺を見つめていた。
甲虫族の中でも際立って威圧的な、優に2.5メートルはある巨躯は見逃しようがない。頭部からまるで軍艦の艦首のように突出している太く長い角はさらに半メートル近くあり、攻撃的な弧を描いて上方に反り返っている。弧の内側には鋭い鋸歯状の突起が並び、外面には撃墜数を表す刻み目が刻まれている。角は戦士カーストのオスの誇りだ。あれほどのサイズともなれば、さぞかし自慢だろう。
ゼクスカ少佐。このステーションに着任して最初に行った能力評価のデモンストレーションで対面した相手だ。
我々を下に見て慢心していた奴のエリート部隊を、ゼロ重力戦闘で完膚なきまでに叩きのめし、奴は人類の戦術について痛烈な教訓を得ることになった。局所的なEMPバーストで彼らのセンサーアレイを混乱させながら、的確に各個撃破していったのだ。
甲虫族の連中は敗北を個人的に受け止める傾向がある。それも劣等種と見なす相手に打ち負かされたとあれば、侮辱に等しい屈辱だろう。
ゼクスカはあれ以来、何かと俺たちの周りをうろつき突っかかってくるようになった。公の場ではプロトコルを守りながら、俺に近づく口実を片っ端から見つけ出してくる。
プライドを傷つけられた男は危険だ。武人として体面を何より重んじる甲虫族の場合は特に。
勝利を譲るべきだったかもしれないが、それは俺の選択肢になり得ないこともわかっていた。確かに人類は個体レベルでは他種族より劣るだろう。しかし連携の取れたチームとして動けば、どんな相手とも互角にやり合える。甲虫族や他の種族がまだ学びきれていない教訓だ。それが彼らのプライドを傷つけたとしても、我々の責任ではない。
「虫は皆同じに見えますよ」
「こら、敬意を持て。あれはゼクスカ少佐だ。ゼロ重力演習で出し抜いた相手の部隊長だぞ。覚えてないのか?」
「俺たちに顎をへし折られて以来、ご機嫌斜めのアイツですよね? リベンジを狙っているのかもしれませんね。あるいは別の方法で隊長と組み合いたいのかも」
部下たちは笑うが、目には心配の色が見える。
甲虫族に性的対象として見られることには慣れているが、ゼクスカの視線には違った種類の危険が潜んでいる。傷つけられた自尊心に絡み付いた性的な征服欲――極めて危険な組み合わせだ。
「我々が牽制しましょうか、隊長」
オニールが席から半ば立ち上がって静かに申し出たが、俺は手を上げて制した。
目をつけられているのが俺だけなら、この件にチームを巻き込む必要はない。
「俺の心配は無用だ。自分の問題は自分で対処できる」
「でも隊長、俺たちは……」
俺は更なる議論を打ち切るように言った。
「よし、おしゃべりは終わりだ。シャワーを浴びて休め。明日0700時から次のシミュレーションのブリーフィングだ」
みんなは互いに顔を見合わせたが、しぶしぶと立ち上がった。最後まで心配そうな顔を見せるオニールに、俺は軽く頷いて見せる。
チームが出て行く中、俺は居残った。タブレットで戦闘データを確認するフリをしながら。
案の定、仲間が去ってすぐに、巨大な影が俺のディスプレイを覆った。
『……大尉殿。リラックスしているお姿を拝見できて光栄だ』
俺の頭にインプラントされている翻訳機が、ギッギッギッという囀りに込められた幾重ものニュアンスを伝えようと苦心している。
「これは少佐」
俺はすぐに立ち上がって外向きの取り澄ました笑顔を作ったが、すでにこの成り行きにうんざりしていた。
まっすぐ背筋を伸ばしても、彼の胸部装甲にも届かない。
ゼクスカは主眼で俺を凝視しながら、メッシュスーツを脱ぎ、アンダーウェアだけになった俺の上半身を副眼で舐めるように見回した。プラズマ攻撃を受けた痕跡か、左の大顎の一部が溶けており、その表情を永遠に獰猛なものにしている。
『今日の貴官のチームの働きは……見事だった』
「光栄だ。そちらのチームも素晴らしい練度でした」
『……しかし、着任時のあの演習ほどの衝撃はない。私の部隊を徹底的に辱めた……あの時ほどには』
その声音に込められた苦々しさは明白だった。しかし大顎をカチカチと鳴らす様子は、彼らの文化で言うところの笑顔だ。
「……単なる演習です。恨みっこなしだ、そうでしょう?」
『それでも、我々は敗北した』
奴は更に近づき、その体高を利用して俺に覆い被さるように立つ。
『――我々より遥かに小さく貧弱な種に。興味深い』
ギチギチという不穏な囀り。
俺はできるだけ中立な口調を保とうと努める。
「我々はあなた方より非力かもしれないが、強みがないわけじゃない。それに我々は互いから学び合うものです。それが演習の目的なのですから」
『確かに』
巨体がさらに近づき、装甲板同士が軋むような音を立てる。
『私は人間のその強みに興味がある。ぜひ詳しく話し合いたい。一対一で』
くそ……勘弁してくれ。
奴が何を考えているか、想像するのは難しくない。あの複眼の裏で繰り広げられている妄想が手に取るように分かる。
「申し出には感謝します、少佐。しかしご存知の通り、規則では異種族将校間の会合は禁止されています。ご理解いただけると思いますが」
『規則、だと? そう堅苦しく受け取るな。私的な文化交流だ。私の居室にお招きしたい。人間が珍重するような、上質な酒を取り揃えている。どうだ?』
ふざけやがって。いつもなら軽く受け流せるのだが、何週間も続く彼の嫌がらせに俺の忍耐は擦り切れていた。ステーションの全人類の安全に責任を負っているという絶え間ないプレッシャーにも消耗している。あるいは単に……ここ数ヶ月、自分の手以外の相手がいなかったことによる、欲求不満のせいかもしれない。
理由は何であれ、もう付き合っていられる気分じゃなかった。
「少佐、すまないがこれ以上は――」
腕を痣ができるほどの強さで掴まれる。
振り向くと奴は大顎をピクピク痙攣させていた。興奮している。
『もういい、建前はやめろ。人間というのは本当に腹立たしい。その淫猥な体を見せびらかして誘惑しておきながら、我々が興味を示すと気分を害したふりだ』
この時点で、無理に腕を振り払ってでも立ち去るべきだとわかっていた。
「……離せ。これは明らかな違反行為だぞ」
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何かが切れた。止める間もなく、言葉が口をついて出た。
「情けない、『小さく貧弱な』俺たちに出し抜かれたのが悔しくて、腹いせにファックしないと傷ついたプライドを癒せないのか?」
『……なんだと?』
「いいか、お前みたいな勘違い野郎に盛られるのはこれが最初でも最後でもない。だがはっきり言っておく。俺がお前と寝ることは、絶対に、ない」
啖呵を切ってから、しまったと思った。
ゼクスカが俺の前にそびえ立ち、4つの眼が怒りと欲情でギラギラと煮えたぎっていた。
『気が強いな』
奴は吐き捨てるように言った。
『ますます気に入った。折るのが楽しみだ』
……まずい。
状況が悪化する準備をして身構えたその時、甲虫族の若い士官グループがブレイクルームに入ってきた。
ゼクスカの態度が一変し、軍人としての仮面が戻る。最後のひと睨みを利かせてから、一言も発さずに立ち去った。
ゆっくりと息を吐き出す。くそったれ。これは後で痛い目を見ることになるだろう。俺に個人的な恨みと劣情を抱えている、2メートル以上ある甲虫種族をわざわざ焚きつけてしまった。
上に報告しても無意味だとわかっていた。連邦において俺たちの言葉は波風を立てるほどの重みを持たない。特に、より地位の確立された種族との「文化的誤解によるトラブル」に関しては。
それに外交問題を引き起こせば、外交団に首を絞められることは間違いない。甲虫族は同盟種族として重要すぎる。これは自分で何とかするしかない。どうにかして、任務やチームの安全を損なうことなく……。
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