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ステーションは夜間サイクルに入っており、通路の照明は通常の30%まで落とされている。ちょうどいい。誰かと出くわす可能性も低い。
人間居住区に留まるべきだった。安全講習では常にそう強調されている――非番時でも集団で行動しろと。でもあの狭い部屋で考え事と二人きりになるのは耐えられなかった。
下層デッキのトレーニング施設に向かっている。
運動でもすれば頭が冴えるかもしれない。いや、少しはまともに眠れるようになるかもと、そう考えていた。
ステーションのコア・リアクターが足元で唸っており、その低周波は、背後でキチン質が金属に擦れる音をほとんど覆い隠した。
……ほとんど、だが完全にではない。
疲労のせいか反応が遅れた。
通路の保守点検用の窪みから腕が飛び出し、物陰に引きずり込まれた。背中が隔壁に叩きつけられ、足がデッキから宙に浮く。
『……夜の散歩をお楽しみだったかな? 大尉殿』
襲撃者が囀り、俺の頭蓋に埋め込まれた翻訳インプラントが、嫌というほど聞いたあの耳障りな声を変換する。
ゼクスカだ。他の誰でもない。
薄暗い中でキチン質の装甲を鈍く光らせながら、巨体が俺の上に覆いかぶさっている。攻撃的に反り返った角が俺の顔に影を落とし、フェロモンの生臭い匂いが鼻をつく。
「……ゲホッ、っ、正気か……? 外交問題に、なるぞ……」
『外交? それが心配ごとか。むしろ貴様の方から誘ってきたと思われるだろう。貴様の種にはそういう評判があるからな」
俺は奴の顔に唾を吐いた。
『……』
「くたばれ、クソ野郎……今謝れば、正式な苦情申し立てにはしないでおいてやるぞ」
胸への圧迫に耐えながら、声を震わせないように努めて唸った。
奴の主眼が細まり、脅しを滴らせるような音で顎を鳴らす。
『これが人間の、上級将校への敬意の示し方か?』
「上級だと? 階級章つけただけの俗物が」
『……文明種の将校にしては、随分と下品な口の利き方だ。貴様に相応しい敬意を教え込むのが……楽しみだ』
「ぐっ……う、」
喉を掴まれる。
『生意気な小動物が、自分の分際を忘れた時どうなるか……。貴様の部下たちのために記録でもしておくか。誇り高き隊長殿が、私の下で悲鳴を上げる様を見せてやるとしよう――』
怒りとアドレナリンが体内を駆け巡った。
俺は頭を前に叩きつけ、主眼のすぐ下を捉えた。大したダメージではなかったが、拘束が緩んだ一瞬を突き、腹部の柔らかい装甲を狙って膝蹴りを――
だが奴は容易く下腕で蹴りを受け止め、その勢いを利用して俺を回転させ、顔から隔壁に叩きつけた。衝撃で肺から空気が抜ける。
奴の巨体が背中に押しつけられ、キチン質の装甲板がジャンプスーツをこする。
「……っ、は……クソッ、クソッ……!」
『ここで事に及んでもいいんだぞ』
耳元で囀り、副腕の一本が吐き気を催すような愛撫とともに俺の脇腹を這う。
『……居室でゆっくりと愛でてやろうかと思ったが。貴様のような下等種には、それがお似合いかもしれんな』
鉤爪が腰をまさぐり、ジャンプスーツの締め具を探っている。何かが臀部に押しつけられ……奴の鞘から産卵管が伸び始めているのが分かる。パニックの波が込み上げてくるのを必死で抑え込む。
クソ、やめろ、やめろ……やめろ!!
奴の呼吸が荒くなり、大顎が首筋に触れそうになった時――
『一体何をしているのだ、少佐?』
通路に声が響き渡った。
ゼクスカは即座に俺を解放し、声がした方へ向き直った。
そこには別の甲虫族が立っていた。
漆黒の外殻には緻密な氏族紋章が刻まれ、より若く見えるにもかかわらず、胸部プレートの階級章は明らかにゼクスカより上級を示していた。
ゼクスカは口ごもり、大顎を明らかな動揺で震わせる。
『申し訳ありません、大佐。これは――』
『その将校から離れろ。直ちに』
ゼクスカは押し黙り、一歩後退した。全身から怒りが滲み出ているように見える。
『我が種族全体とお前の氏族に泥を塗るような愚行だ。直ちにこの区画から退去しろ。明朝私の執務室に出頭するように』
大佐の声は氷のようだった。
ゼクスカはほとんど逃げ出すように立ち去り、重い足音が通路に響いていった。
大佐は俺に向き直り、姿勢を改めて正式な謝罪の構えを取った。
『コナー大尉。部下の行為について謝罪しなければならない、我々全員の恥だ。ゼクスカ小佐は然るべく処罰される。お怪我は?』
「いいえ。ご介入に感謝します、閣下」
『外域防衛部隊司令部のヴェクスロル大佐だ。公式にはお会いしていないが、貴官の部隊の成果は興味深く拝見していた』
気づいた。境界線巡視の指揮官だ。存在は知っていたが、顔を合わせるのは初めてだった。
その眼には背筋を伸ばさずにはいられない知性が宿っており、乱れた自分の格好を少し意識させられた。ジャンプスーツを整えながら、平静を取り戻そうとする。
「お噂は伺っていました、ヴェクスロル大佐。ですが歓迎ブリーフィングにはいらっしゃらなかった」
『過去一ヶ月はオールト雲で活発化している宙賊活動の対応に当たっていた。戻ってきて早々……このような不愉快な事態に遭遇するとは』
ゼクスカが消えた方向に嫌悪感を込めて身振りを加える。
『夜間サイクルにこの区画で何をしているのか、聞いても構わないか、大尉?』
「眠れなくて……運動でも、と思いまして」
俺はぼんやりと呟き、それから改まって付け加えた。
大佐は一瞬俺を観察した。何かを考えているような様子を見せる。
『私は将校区画に向かうところだ。護衛させてもらおう』
礼を言って、辞退すべきところだ。
しかし彼の態度の中に、異種族からはめったに感じることのない本物の敬意があって、躊躇してしまった。
「……光栄です、大佐」
薄暗い廊下を、俺たちは無言で歩いた。
歩きながら、彼が俺と影を挟んだ距離に自分を置き、体格差があるにもかかわらず歩調を合わせてくれていることに気づかずにはいられなかった。普通、異種族はより小さな種族が自分たちに合わせることを期待する。
ついに彼が口を開いた。
『ゼクスカの部隊との訓練演習の報告書を読ませてもらった。EMPバーストで敵のセンサーアレイを無力化しながら、自軍のシステムは維持するとは。良い戦術だ。……おそらく、彼のプライドには効きすぎたようだが』
これは意外だった。これまでの異種族将校のほとんどは、人間の戦術など研究に値しないと考えている。
「任務をこなしただけです、大佐。しかし、面子を立ててやるべきだったかもしれません」
『いいや』
その一言には意外な力強さがあった。
『戦士のプライドを守るために自身の実力を抑えるな。それは双方への侮辱となる』
彼は立ち止まり、複眼を完全に俺に向けた。
薄明かりの中、その角に刻まれた刻み目と複雑な紋様が見える――数え切れない戦いを物語る従軍記録と勲章の印だ。
『改めて。私はヴェクスロル。女王直属親衛隊第一血族で、現在はこの基地で外域防衛部隊の指揮を執っている』
儀礼的な自己紹介としては、必要以上に詳細なものだった。
『ジョン・コナー大尉、あなたの評判は聞き及んでいる』
「過分なお言葉です、大佐。私は単なるエグゾスーツオペレーターですから」
『単なる? いや、大尉。あなたは決して「単なる」存在ではない』
頭の中の翻訳チップが、彼の発話に含まれる敬意を示す音を処理するのに苦心している。
ヴェクスロル大佐は歩みを緩め、僅かに体を傾けた。
『話してもらえないか、大尉――この配属をどう感じている?』
俺は躊躇した。
「……勉強になります」
翻訳機が皮肉な笑いと解釈する音。
『外交的な答えだ。もっと率直に聞こう――ゼクスカのような輩が任務の支障になっているのか?』
「対処できない程度ではありません」
決まり文句だったが、彼の態度に何かを感じ、付け加えた。
「ただ、確かに……消耗します」
人類居住区への分岐点に着いた。ここで別れるものと思っていたが、大佐はこのフロアの展望ラウンジの方角を指し示した。
『少し付き合ってもらえないか? この時間帯は小惑星帯の眺めが格別だ。あの眺めは物事を俯瞰する助けになる』
大佐に従って暗いラウンジに入る。
巨大な窓の全面にカリーナ星雲が広がり、時折艦船の航行痕が光を放っていた。
『なぜ私が今夜介入したと思う、大尉?』
「明白な軍規違反以外の理由が?」
『以前にも同じパターンを見てきたからだ』
複眼が俺に向けられる。
『我が軍の兵士たちが、軽んじている異種族が戦術的優位性で自分たちを上回った時に苛立ち、不適切な方法で自分の矜持を取り戻そうとする』
俺は黙って、続きを待った。
『それは常に悪い結果で終わる。必ずだ。暴力被害、我々の醜聞、そしてもっと酷いことに、種族間の不和が起こる。ここでそんなことが起こるのは避けたい』
星々の光を背に、巨大な彼の姿が静かに佇んでいた。
『……大尉。どうか。ゼクスカの非難すべき行動で、我が種族全体を判断されないことを願う』
思わず質問が口をついて出た。
「では、大佐は人間をどう見ておられるのですか?」
『尊敬に値する同盟者としてだ。そして、我々の思い込みにもかかわらず、常に驚きを与え続けてくれる種族として。それは……爽快なことだ』
その言葉には心からの誠実さが感じられた。それまで甲虫族の将校から、こんな率直な肯定を受けたことはなかった。
『だが覚えておけ、これからは私がステーションの運営により直接的な関心を持つ。ゼクスカのような輩には、本来の任務を思い出させることになる』
「……ご配慮感謝します、大佐。ですが――」
『これは単なる配慮ではない、大尉。戦略的な問題だ。あの星雲の向こう、連邦の外で何かが動いている。我々同盟種族がこれまで以上に緊密に協力する必要が出てくる変化がな。この手の文化的な軋轢は許されない』
それは俺の注意を引いた。
「どんな変化です?」
『公式には話せない。まだな』
彼は俺の方を向き直った。
『ゼクスカを適切に処罰するまでの間、警備班を配置して奴の移動を監視させる』
「そこまでする必要は、大佐」
『礼儀として考えてくれ。あなたの安全は私が保証しよう』
大顎が、俺が微笑みだと学んだ動きを見せる。
「それは……感謝します」
心からの言葉だった。
『まだ感謝には及ばない』
心なしか、キチキチと囀るその音に楽しそうな調子が混じっているような気がする。
『その代わりに、今日のシミュレーションであの垂直機動をどう成功させたのか、詳しく聞かせてくれないか。あれは実に興味深い……』
その後1時間ほど、戦術とエグゾスーツの性能について議論を交わし、徐々に緊張が解けていくのを感じた。ついに出会った、人間を単なる繁殖袋や下等種としてではなく、対等な存在として見てくれる甲虫族将校に対して。
人間居住区画に到着する頃には、ゼクスカの襲撃のことをほとんど忘れかけていた。
俺がパスコードを入れエアロックを開ける。大佐が正式な敬礼を示し、立ち去ろうとした。一瞬の躊躇。
『また助けが必要な時は言ってくれ、大尉。私は……あなたがここで成功することに、個人的な関心を持っている』
彼が立ち去るのを見送った。その存在感は、去っていってもなお廊下に満ちているかのようだった。
ようやく戻った自室は、いつもより空虚に感じられた。
まだ眠れそうにない。頭の中で夜の出来事を何度も反芻する――襲撃、救援、その後の奇妙な会話。
ヴェクスロル大佐は、甲虫族の将校に対するこれまで抱いていた印象とはあまりにも違っていた。どこか優雅さがあり、あの4つの眼の奥には思慮深い知性が宿っていた。
ゼクスカの乱暴な掴み方と比べて、あの手の感触はどんなものだろうと考えて、すぐにその考えを呪った。
眠りにつくまでには長い時間がかかった。
人間居住区に留まるべきだった。安全講習では常にそう強調されている――非番時でも集団で行動しろと。でもあの狭い部屋で考え事と二人きりになるのは耐えられなかった。
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ステーションのコア・リアクターが足元で唸っており、その低周波は、背後でキチン質が金属に擦れる音をほとんど覆い隠した。
……ほとんど、だが完全にではない。
疲労のせいか反応が遅れた。
通路の保守点検用の窪みから腕が飛び出し、物陰に引きずり込まれた。背中が隔壁に叩きつけられ、足がデッキから宙に浮く。
『……夜の散歩をお楽しみだったかな? 大尉殿』
襲撃者が囀り、俺の頭蓋に埋め込まれた翻訳インプラントが、嫌というほど聞いたあの耳障りな声を変換する。
ゼクスカだ。他の誰でもない。
薄暗い中でキチン質の装甲を鈍く光らせながら、巨体が俺の上に覆いかぶさっている。攻撃的に反り返った角が俺の顔に影を落とし、フェロモンの生臭い匂いが鼻をつく。
「……ゲホッ、っ、正気か……? 外交問題に、なるぞ……」
『外交? それが心配ごとか。むしろ貴様の方から誘ってきたと思われるだろう。貴様の種にはそういう評判があるからな」
俺は奴の顔に唾を吐いた。
『……』
「くたばれ、クソ野郎……今謝れば、正式な苦情申し立てにはしないでおいてやるぞ」
胸への圧迫に耐えながら、声を震わせないように努めて唸った。
奴の主眼が細まり、脅しを滴らせるような音で顎を鳴らす。
『これが人間の、上級将校への敬意の示し方か?』
「上級だと? 階級章つけただけの俗物が」
『……文明種の将校にしては、随分と下品な口の利き方だ。貴様に相応しい敬意を教え込むのが……楽しみだ』
「ぐっ……う、」
喉を掴まれる。
『生意気な小動物が、自分の分際を忘れた時どうなるか……。貴様の部下たちのために記録でもしておくか。誇り高き隊長殿が、私の下で悲鳴を上げる様を見せてやるとしよう――』
怒りとアドレナリンが体内を駆け巡った。
俺は頭を前に叩きつけ、主眼のすぐ下を捉えた。大したダメージではなかったが、拘束が緩んだ一瞬を突き、腹部の柔らかい装甲を狙って膝蹴りを――
だが奴は容易く下腕で蹴りを受け止め、その勢いを利用して俺を回転させ、顔から隔壁に叩きつけた。衝撃で肺から空気が抜ける。
奴の巨体が背中に押しつけられ、キチン質の装甲板がジャンプスーツをこする。
「……っ、は……クソッ、クソッ……!」
『ここで事に及んでもいいんだぞ』
耳元で囀り、副腕の一本が吐き気を催すような愛撫とともに俺の脇腹を這う。
『……居室でゆっくりと愛でてやろうかと思ったが。貴様のような下等種には、それがお似合いかもしれんな』
鉤爪が腰をまさぐり、ジャンプスーツの締め具を探っている。何かが臀部に押しつけられ……奴の鞘から産卵管が伸び始めているのが分かる。パニックの波が込み上げてくるのを必死で抑え込む。
クソ、やめろ、やめろ……やめろ!!
奴の呼吸が荒くなり、大顎が首筋に触れそうになった時――
『一体何をしているのだ、少佐?』
通路に声が響き渡った。
ゼクスカは即座に俺を解放し、声がした方へ向き直った。
そこには別の甲虫族が立っていた。
漆黒の外殻には緻密な氏族紋章が刻まれ、より若く見えるにもかかわらず、胸部プレートの階級章は明らかにゼクスカより上級を示していた。
ゼクスカは口ごもり、大顎を明らかな動揺で震わせる。
『申し訳ありません、大佐。これは――』
『その将校から離れろ。直ちに』
ゼクスカは押し黙り、一歩後退した。全身から怒りが滲み出ているように見える。
『我が種族全体とお前の氏族に泥を塗るような愚行だ。直ちにこの区画から退去しろ。明朝私の執務室に出頭するように』
大佐の声は氷のようだった。
ゼクスカはほとんど逃げ出すように立ち去り、重い足音が通路に響いていった。
大佐は俺に向き直り、姿勢を改めて正式な謝罪の構えを取った。
『コナー大尉。部下の行為について謝罪しなければならない、我々全員の恥だ。ゼクスカ小佐は然るべく処罰される。お怪我は?』
「いいえ。ご介入に感謝します、閣下」
『外域防衛部隊司令部のヴェクスロル大佐だ。公式にはお会いしていないが、貴官の部隊の成果は興味深く拝見していた』
気づいた。境界線巡視の指揮官だ。存在は知っていたが、顔を合わせるのは初めてだった。
その眼には背筋を伸ばさずにはいられない知性が宿っており、乱れた自分の格好を少し意識させられた。ジャンプスーツを整えながら、平静を取り戻そうとする。
「お噂は伺っていました、ヴェクスロル大佐。ですが歓迎ブリーフィングにはいらっしゃらなかった」
『過去一ヶ月はオールト雲で活発化している宙賊活動の対応に当たっていた。戻ってきて早々……このような不愉快な事態に遭遇するとは』
ゼクスカが消えた方向に嫌悪感を込めて身振りを加える。
『夜間サイクルにこの区画で何をしているのか、聞いても構わないか、大尉?』
「眠れなくて……運動でも、と思いまして」
俺はぼんやりと呟き、それから改まって付け加えた。
大佐は一瞬俺を観察した。何かを考えているような様子を見せる。
『私は将校区画に向かうところだ。護衛させてもらおう』
礼を言って、辞退すべきところだ。
しかし彼の態度の中に、異種族からはめったに感じることのない本物の敬意があって、躊躇してしまった。
「……光栄です、大佐」
薄暗い廊下を、俺たちは無言で歩いた。
歩きながら、彼が俺と影を挟んだ距離に自分を置き、体格差があるにもかかわらず歩調を合わせてくれていることに気づかずにはいられなかった。普通、異種族はより小さな種族が自分たちに合わせることを期待する。
ついに彼が口を開いた。
『ゼクスカの部隊との訓練演習の報告書を読ませてもらった。EMPバーストで敵のセンサーアレイを無力化しながら、自軍のシステムは維持するとは。良い戦術だ。……おそらく、彼のプライドには効きすぎたようだが』
これは意外だった。これまでの異種族将校のほとんどは、人間の戦術など研究に値しないと考えている。
「任務をこなしただけです、大佐。しかし、面子を立ててやるべきだったかもしれません」
『いいや』
その一言には意外な力強さがあった。
『戦士のプライドを守るために自身の実力を抑えるな。それは双方への侮辱となる』
彼は立ち止まり、複眼を完全に俺に向けた。
薄明かりの中、その角に刻まれた刻み目と複雑な紋様が見える――数え切れない戦いを物語る従軍記録と勲章の印だ。
『改めて。私はヴェクスロル。女王直属親衛隊第一血族で、現在はこの基地で外域防衛部隊の指揮を執っている』
儀礼的な自己紹介としては、必要以上に詳細なものだった。
『ジョン・コナー大尉、あなたの評判は聞き及んでいる』
「過分なお言葉です、大佐。私は単なるエグゾスーツオペレーターですから」
『単なる? いや、大尉。あなたは決して「単なる」存在ではない』
頭の中の翻訳チップが、彼の発話に含まれる敬意を示す音を処理するのに苦心している。
ヴェクスロル大佐は歩みを緩め、僅かに体を傾けた。
『話してもらえないか、大尉――この配属をどう感じている?』
俺は躊躇した。
「……勉強になります」
翻訳機が皮肉な笑いと解釈する音。
『外交的な答えだ。もっと率直に聞こう――ゼクスカのような輩が任務の支障になっているのか?』
「対処できない程度ではありません」
決まり文句だったが、彼の態度に何かを感じ、付け加えた。
「ただ、確かに……消耗します」
人類居住区への分岐点に着いた。ここで別れるものと思っていたが、大佐はこのフロアの展望ラウンジの方角を指し示した。
『少し付き合ってもらえないか? この時間帯は小惑星帯の眺めが格別だ。あの眺めは物事を俯瞰する助けになる』
大佐に従って暗いラウンジに入る。
巨大な窓の全面にカリーナ星雲が広がり、時折艦船の航行痕が光を放っていた。
『なぜ私が今夜介入したと思う、大尉?』
「明白な軍規違反以外の理由が?」
『以前にも同じパターンを見てきたからだ』
複眼が俺に向けられる。
『我が軍の兵士たちが、軽んじている異種族が戦術的優位性で自分たちを上回った時に苛立ち、不適切な方法で自分の矜持を取り戻そうとする』
俺は黙って、続きを待った。
『それは常に悪い結果で終わる。必ずだ。暴力被害、我々の醜聞、そしてもっと酷いことに、種族間の不和が起こる。ここでそんなことが起こるのは避けたい』
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『……大尉。どうか。ゼクスカの非難すべき行動で、我が種族全体を判断されないことを願う』
思わず質問が口をついて出た。
「では、大佐は人間をどう見ておられるのですか?」
『尊敬に値する同盟者としてだ。そして、我々の思い込みにもかかわらず、常に驚きを与え続けてくれる種族として。それは……爽快なことだ』
その言葉には心からの誠実さが感じられた。それまで甲虫族の将校から、こんな率直な肯定を受けたことはなかった。
『だが覚えておけ、これからは私がステーションの運営により直接的な関心を持つ。ゼクスカのような輩には、本来の任務を思い出させることになる』
「……ご配慮感謝します、大佐。ですが――」
『これは単なる配慮ではない、大尉。戦略的な問題だ。あの星雲の向こう、連邦の外で何かが動いている。我々同盟種族がこれまで以上に緊密に協力する必要が出てくる変化がな。この手の文化的な軋轢は許されない』
それは俺の注意を引いた。
「どんな変化です?」
『公式には話せない。まだな』
彼は俺の方を向き直った。
『ゼクスカを適切に処罰するまでの間、警備班を配置して奴の移動を監視させる』
「そこまでする必要は、大佐」
『礼儀として考えてくれ。あなたの安全は私が保証しよう』
大顎が、俺が微笑みだと学んだ動きを見せる。
「それは……感謝します」
心からの言葉だった。
『まだ感謝には及ばない』
心なしか、キチキチと囀るその音に楽しそうな調子が混じっているような気がする。
『その代わりに、今日のシミュレーションであの垂直機動をどう成功させたのか、詳しく聞かせてくれないか。あれは実に興味深い……』
その後1時間ほど、戦術とエグゾスーツの性能について議論を交わし、徐々に緊張が解けていくのを感じた。ついに出会った、人間を単なる繁殖袋や下等種としてではなく、対等な存在として見てくれる甲虫族将校に対して。
人間居住区画に到着する頃には、ゼクスカの襲撃のことをほとんど忘れかけていた。
俺がパスコードを入れエアロックを開ける。大佐が正式な敬礼を示し、立ち去ろうとした。一瞬の躊躇。
『また助けが必要な時は言ってくれ、大尉。私は……あなたがここで成功することに、個人的な関心を持っている』
彼が立ち去るのを見送った。その存在感は、去っていってもなお廊下に満ちているかのようだった。
ようやく戻った自室は、いつもより空虚に感じられた。
まだ眠れそうにない。頭の中で夜の出来事を何度も反芻する――襲撃、救援、その後の奇妙な会話。
ヴェクスロル大佐は、甲虫族の将校に対するこれまで抱いていた印象とはあまりにも違っていた。どこか優雅さがあり、あの4つの眼の奥には思慮深い知性が宿っていた。
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