明日は来ない

雪路よだか

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我は物書きである

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 飯田杞憂は物書きである。
 杞憂というのはペンネームだが、最早杞憂は、自分の本名さえ忘れてしまった。
 彼は生まれた時から物書きだったのだ。
 幼き日は日記帳に自分の人生を赤裸々に描き、成長すれば原稿用紙に何枚も童話や自伝を書きなぐった。
 しかし彼は、誰からも理解されない物書きだった。書いた小説は一本として受賞したり書籍化したりした例はなく、身近な理解者すら一人もいない。
 杞憂は童話も書くが、最も得意なのは自伝であった。売れない作家の苦悩を描いた小説で、文章的な完成度は低いわけではなかったが、あまりにも現実的で重々しいその自伝は、需要がなかった。
 そういう理由で作家としての利益はゼロなのに、就職どころかバイトさえしていない杞憂の収入は、正真正銘ゼロであった。現在は消費者金融からも金が借りられなくなり、闇金で借金をしている始末である。ちなみに、親にはとっくの昔に見限られていた。
「あいつだよ、あいつが飯田」
 いつも人通りの少ない、田舎の路地を歩いていると、突然、知らない男から指を指されてそう言われた。
 小説家を物珍しい目で見る、尊敬の目つきではない。軽蔑と嘲笑の目つきだ。
「自称小説家さんだぜ。そんな事やってないで、早く就職しろって話だよな」
 知らない男は聞こえよがしにそう知人に語っている。知人も杞憂を見て、苦笑していた。
「好きなことやって生きていけるとか、思うなって話だぜ。才能がないんなら尚更」
 男はすれ違いざまに杞憂にそう言った。杞憂は言い返しもせず、悔しがる様子も見せず、ただ立ち尽くしていた。

 『すれ違いざまに、男は言った。好きなことをやって生きていけると思うな、と。しかし私は思うのだ。私は今こうして生きられている。自分の好きなことをやって苦しみながらも生きている人間を詰るのは、自分の人生にコンプレックスがあるからに違いない。人と比べなければ優越感に浸れないのだ。可哀想な事だ。実に可哀想だ。……』
 実に言い訳じみた文章であった。文豪が書けば名言である言葉も、一般人が書いたら言い訳にしかならないのだ。
 しかし杞憂は、悔しいからそんな文章を書いたわけではない。繰り返し述べるが、杞憂は物書きなのだ。物書きが自分の日常を文字に起こすのは珍しいことではない。どんな恥ずかしいことも、杞憂にとってはただの小説の材料に過ぎなかった。
「傑作だ」
 杞憂は誰に言うでもなく呟いた。そして、その文章を様々な編集社に送りつけた。無論、いつまで待ってもどこからも返事はなかった。

 しかし杞憂はある日、ようやく日の目を見ることになる。
 『小説家手記』──そんなタイトルの本が一躍大ベストセラーとなったのだ。小説家の一生、つまり杞憂の一生を描いたその小説は、売れない作家の苦悩をリアルに上手く描いていると評判になった。
 だが、杞憂がそれを知ることはなかった。
 『小説家手記』は、杞憂の遺書だったのだから。
 飯田杞憂は最期まで物書きだった。
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