明日は来ない

雪路よだか

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侵略

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 悪人共が跋扈している。
 ──いや、悪人共、というのは違うな。彼らは人ならざる者なのだから。我が物顔で、僕らの星に住み着き、貴重な食料を食い漁り、のうのうと暮らしている、化物。
 僕らは彼らのことを〈マル〉と呼んでいた。丸っこい頭に、三つのクリクリとした目がついた、三頭身くらいの、ぷっくりと膨らんだ、怪物。全体的に丸っこいから、〈マル〉だ。彼らの生態は、僕らの中の誰も知らない。
 二☓☓☓年──僕らの生活はAIによって成り立っていた。二百年程前に、当時の科学者達が知恵を結集させて作り上げた、一台の巨大コンピューター──完全なる国家運営システムである──に、コンピューターが稼働している米国のみならず、世界中の人々が暮らしを預けるようになった。それから二百年は特に何の問題もなく稼働しており、人々は働くことも勉強することもなく呑気に暮らしていたのだが、ある日急にシステムがショートしたのだ。人々の暮らしは全くままならなくなり、規律もマナーもなくなり、人々は互いに憎み合い、ある者は餓死し、ある者は殺され、世はまさにアノミーの時代となった。
 そんな中、生き残ったのは──僕を含め三人の少年達だった。
 一人目──これは僕のことである──はアイン。ドイツ語で一を表す〈アインス〉から取った名だ。
 二人目はツヴァイ。これはドイツ語で二を表す〈ツヴァイ〉をそのまま採用した名である。明るく能天気で、空気が読めなくて、けれどもどこか憎めない奴だ。
 三人目はドライ。これもツヴァイと同じように、ドイツ語で三を表す〈ドライ〉をそのまま使った名である。物静かで落ち着いていて、でも言いたいことははっきりと言う男だ。
 僕らには祖先から受け継いだ苗字と両親から名付けられた名前から成る名は存在しない。必要がないからだ。人々はコンピューターの管理下で、籠に入れられたハムスターのように惰性で暮らしていた。──僕ら三人を除いて。
 僕らは勉学を嗜んだ。自ら考え、行動することを好み、機械よる統制を危ぶんでいた。
 そんな僕らの考えは見事に的中したのである。生きる知恵も、協力する意思もない人々は、こぞって死んでいった。僕らは正しかったのだ。
 唯一生き残った僕らは、人々がもうだいぶ昔に捨て、なかったものとしてしまった田舎町へと歩いてきた。そこには見たことがないくらい美しい果実が実っていた。草木が生い茂り、空気は綺麗だった。別世界のようだった。
 そこで僕らは、マルと出会ったのだ。
「君は誰?」
 僕はそう尋ねたが、マルからの返事はなかった。当たり前だ、こんな怪物に人間の言葉が通じるはずがない。
 けれど、ただ一つ分かったことがあった。それは、この町には沢山のマルが居着いているということだ。マルはそれぞれ家庭を持ち、仕事をし、助け合いながら暮らしている。そこに僕らの入る隙間はなかった。
 しかし、僕らとて食わねば生きていけない。僕らは盗人のように、マルが育てている果実を食べ、マルが汲んできた水を飲んで、どうにか命を繋いでいた。マルは不思議と何も言わなかった。
 でも、寝床だけはどうにもならなかった。僕らは夏場は冷たい土の上で、冬場は温かい藁の上で眠ったが、それでも夏は暑く、冬は寒くて仕方がなかった。常に適温で暮らしてきた僕らに、温度の変化は辛すぎたのだ。
 だから僕は、二人にある提案をすることにした。
 
 ***
 
「ツヴァイ、ドライ。よく聞いてくれ」
「どうしたの、アイン?」
「そうだよ、早く今日のご飯を採りに行こうよ」
「まあ待て、ツヴァイ。なあ、お前ら、もっと快適な暮らしをしたくないか?」
 僕がそう言うと、二人とも目を丸くした。驚いているのだろう。
「で、でも、どうやって」
「そうだよ、ここにはマルが住んでるんだし」
「住んでいるなら、追い出せばいいだろ」
 ツヴァイは大袈裟なリアクションを取ってみせる。
「おおおおお、追い出すぅ!?」
「ツヴァイ!声、大きいって!」
 ドライが宥める。
「まあ、どうせマルには僕達の言葉は分からないさ。そんなことより、僕の話の続きだ」
「う、うん、そうだよね。ねえねえ、追い出すってどういうことなの」
「そのまんまの意味さ。見た感じだと、あいつら弱そうだろ。マル同士で喧嘩一つしないしさ。だから、僕達でもきっとやれる」
 僕は二人の前に、鉄の塊を三つ、置いた。
「アイン、これって」
 ドライの言葉に、僕が被せる。
「ああ、拳銃さ!ここに来る前に拾ったんだ。ちゃんと弾も入ってるぜ。予備の弾も沢山ある。これで撃ちまくればいい。マルはざっと二十匹くらいしかいないんだ、楽勝だ。僕達の地球を侵略してきた化物を、撃ち殺してやるんだ!」
 僕が拳を振り上げると、ツヴァイとドライは顔を見合わせたあと、頷いた。
「うん、僕らもやるよ!地球を取り戻そう!」
「おう!じゃあ、早速明日、決行だ!今日で土の上で眠るのも最後だぜ!」
「うん!」
 幼き少年達は拳を突き合わせ、その日はもう三年ぶりほどに、満たされた気持ちのまま眠った。
 
「ドライ!分かっているよな、切込隊長はお前に任せた。もし、何かトラブルがあれば、ツヴァイ、お前が出ていくんだ。僕は総指揮を担当する」
 一番頭の良い僕は、指揮を担当する。妥当だ。これが戦略というものだ。
 念の為、マルの背後を取ることにした僕らは、マルが後ろを向いた瞬間を見計らい、突撃した。
「行けっ!ドライ!」
 ドライはマルに向けて弾を発射した。ドライの狙いは確実で、マルの胸の辺りを確かに貫いた──はずだ。しかし、マルは倒れるどころか、痛がる素振りすら見せなかった。
 空いた穴も一瞬にして塞がり、マルは不思議そうな顔でこちらを見ているばかりだ。
「ど、どうして……やったはずなのに」
 すると、僕らが撃ち殺そうとしたマルの近くにいた他のマル──家族だろうか──が顔色一つ変えないまま、近くの太い木の枝を手に取った。あれは、かなりの重量がある。
「まずいっ!ドライが殺されるっ!ツヴァイ、加勢しろ!」
「う、うん!分かったよ、アイン!」
 飛び出したツヴァイが、闇雲に拳銃を撃った。焦っているからか、狙いが滅茶苦茶だ。
「お、おい、ツヴァイ、そんなやたらめったらに撃ったら!」
「あっ……」
 ツヴァイが声を上げた時には、もう遅かった。
 ツヴァイが放った弾はドライの胸に見事に命中し、ドライは冷たい土の上に倒れ込んだ。
 ツヴァイが何発も撃った為、ドライの身体には幾つもの穴が空いた。出血量も凄まじい。これは助からない──誰の目にも明らかだった。
「あ……ああ……」
 仲間を射殺したショックからか、ツヴァイは顔を真っ青にして立ち尽くしていた。そこに、ゆらりと木の枝を持ったマルが近づく。
「ツヴァイ!逃げろっ!」
 マルがその丸っこい指で、ツヴァイの首根っこを掴んだ。三頭身といえど、頭がかなり大きい為、身長は僕らより少し高いくらいだ。マルはツヴァイの首根っこを掴んだまま、ツヴァイの体を持ち上げる。
「あ……アイン……たす、助け……」
 ツヴァイは目に涙を溜め、こちらに助けを求めてきた。
 気づくと、沢山のマルがツヴァイの後ろで蠢いていた。
 ツヴァイを助けたら──きっと、僕も殺される!
「すまない──ツヴァイ」
「──アイン──嘘、助けて、アイン、あ、あ」
 ツヴァイの悲鳴に耳を塞いで、僕は町を飛び出した。
 町から一歩出ると、そこは荒廃した世界だった。ここには寝床どころか、食べ物も水もない。空気も汚れている。ここでの生活なんて、三日も保たないだろう。
 僕は立ち止まって俯いて、荒い呼吸を整えた。
「──落ち着いたら戻ろう。どうせあいつらには知恵なんてない。僕が戻っても、僕が指揮していたなんて分からないさ。ツヴァイを見捨ててきたのは悪かったけど、あいつはドライを殺したんだし仕方ないよな。いや、それに、ツヴァイは僕らの中でも一番の役立たずだった。賢い僕が生き残るのは当然だ。未来の為にも」
 僕がそう言って、自分を納得させた、その時だった。
 僕が顔を上げると。
 そこに。
 ──ツヴァイが立っていた。
 血塗れで。涙を流しながら。
 僕を睨みつけていた。
「どうして見捨てたの」
「ドライを殺しちゃったから?」
「僕が馬鹿だから?使えないから?」
「ねえ、アイン」
「教えてよ」
「裏切り者のアイン」

「──うわぁぁあああああッ!!!!」
 
 ***
 
 私達は百五十年前、人間が人体実験に失敗した際に偶然生まれた、特異な生命である。
 それから、この名もなき田舎町に捨てられた私達は、独自の文化を形成し、子孫を残し、この町で裕福ではないながらも不自由のない暮らしを営んでいた。
 寿命がかなり長いのか、仲間はまだ誰一人死んでいない。それだけでなく生命力もかなり強いらしく、井戸に落ちても、崖から足を滑らせても、怪我一つしなかった。
 二百年という長い月日をかけて培われた信頼は厚く、私達は互いを信じ合って暮らしていた。そんな私達の細々とした暮らしの中に──ある日突然、異分子が入ってきたのだ。
 人間。忘れられるはずもない。私達の生みの親に他ならないのだから。
「君は誰?」
 人間の一人はそう言った。私達には彼らの言葉が理解できた。私達は、人体実験の失敗作──つまり元は人間だったのだから、人間の言葉は分かるし、書けはしないが、使えるのである。しかし声帯の作りがどうやら違うらしく、私達の声が彼らに届くことはなかった。
 彼らは私達が育ててきた果実を食べ、私達が汲んできた水を飲んで暮らしていたが、私達は誰一人として文句を言わなかった。彼らも何か困っているのだろうと思ったからだ。人間と元人間。助け合うのは当たり前だ。
 しかし──私達はある日、彼らが私達を追い出そうと画策していることを知ってしまった。
 正直に言うと、悲しかった。私達は、彼らと親しくなって、助け合って暮らしたかったのだから。
 私達はすぐさま、この町のリーダーに報告した。リーダーは少し考えた後、こう言った。
「──彼らは我々に武器を向けるだろう。そうしたら、我々も武器を持とう。しかし、決して振るってはならない。我々の力を誇示する為、彼らの首を掴んで持ち上げよう。しかし、決して殺してはならない。彼らには綻びがある。彼らがそれに気づければ──我々は共存できる。気づかねば、彼らは自らその身を滅ぼすだろう」
 私達はリーダーの言うとおりにした。すると、私達が何も手を下していないにも関わらず、一人目が死んだ。二人目の首を掴むと、三人目は慌てて逃げ出した。二人目はショックと強い恐怖で失神し、未だに目を醒ましていない。次の日町の外を見に行くと、三人目は何かに怯えたような表情のまま、冷たくなっていた。三人目のズボンとその下の地面には薄っすらと染みがあった。
「リーダー、私達は悲しいです。彼らは侵略者だったけれど、それでも私達は彼らと親しくありたかった」
「我も全く同意見である。しかしながら、彼らは──いや、三人目は、仲間を信じることが出来なかった。たった一人の、たった一つの綻びで、破滅というものは簡単に訪れる」
「そうですね。その通りです、リーダー。でも──」
 
「──マル、という名。悪くはありませんでした」
「ああ。マル。良い響きだ。──次はマルとして生まれてみるのはどうだろう。侵略者諸君」
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