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金継ぎの青 下:ブルー編
鐘楼のへや
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ギレオに世話を焼かれ介助された青井は、今や野生を忘れて彼に接近を許している。あまりふらふらと近寄られるので、そのうち知らずに爪先を踏み砕いてしまいそうだ。怪我でもさせたら事である。ギレオは警護している要人を厨房の椅子にそっと座らせた。成人しているとはいえ、人間はどこもかしこも作りが脆そうでいけない。
「ん……なんか、俺の分け方、下手だったかも」
「まだ頭が起ききってないんでしょ。はいはい座ってて!!主菜!副菜!焼きたてのパン!!」
テーブルにドカドカと料理の皿が並べられていく。未だぼんやりと半覚醒状態の青井はギレオの憂慮など考えもつかないらしい。椅子に座らされ、目の前には湯気を立てる料理の大皿。向かいに座ったギレオが大きな口の端を持ち上げて笑う。
「じゃあお相伴に預かりまして」
「……いただきます!」
青年はふわふわする頭で手を合わせる。一口目から肉料理をがっつく姿にギレオの口元がたまらず緩んでしまう。もぎゅ、もぎゅと如何にも幸せそうにキメラのハンバーグを頬張る様子は年よりもだいぶ幼く見えた。起き抜けに肉料理は胃が驚くのではと一瞬心配したギレオだったが、わかりやすく美味しい顔に止めるのをやめて溜め息ひとつ、茶を淹れ始める。
「あー、ま、いっか。美味い?」
「んまい……ふごく、んまい」
「アオイは何でもうまいって言うからなあ」
半世紀も生きていない人間の青年はアクのない表情を緩ませて二日ぶりの食事を楽しんでいる。
……バルド邸は変わりなく平和だ。現在出張中である家主の不在を除いては、ここだけ切り取られたような保養地として存在している。ヒトと戦をしてもしていなくても、魔界は弱肉強食の残酷な荒野に変わりない。本来青井などが屋敷の外へ一歩でも踏み出せばどうなってしまうかわからない魔境魔窟、そんな中で幾重にも結界が敷かれたバルド邸は、彼のために誂えられた厳重な檻である。
(ブルーの正体がこんな「ふにゃふにゃ」じゃあ、こいつ一生ここで暮らすのかもな)
ハンバーグのオーロラソースを指で拭ってやりながら、ギレオはこの男の先行きに思いを馳せる。ギレオの上司であり魔王軍の幹部を務めるバルドは、接収した金銀宝石など全て部下に分け与え、自分はただひとりこの「ふにゃふにゃ」を要求した。
引き渡されて即日手籠めにされた可哀想なヒーローは、間もなく幹部の子を身ごもることとなった。妊娠中期を無事乗り越え、現在青井の腹はえげつなく膨れている。気狂いになってしまっても可笑しくなさそうな状況だが、ギレオの心配を他所に青年は穏やかに日々を過ごしているようだ。
「あ、はは、ソースついてた……?」
「…………」
隙だらけの青年の頬を、ギレオはもう一度おろしたての手拭いで拭ってやった。下がった眉尻が人懐こくハの字を描く。
「……アオイよぅ、ボスが帰ってくんのはもうちょい先になりそうだ」
今朝の伝令には、人間界での交易事業展開に少し手間取っているらしいこと、それに伴い2日3日帰還が遅れることが記されていた。青年の視線が左右に揺れてやり場無くテーブルに落ちる。
「わかった。ありがと、ギレオさん」
「聞き分けいいでやんの。癇癪起こしたっていいんだぜ」
「な、なんで?よくしてもらってるのに」
「ハハ!寂しいだろ?アオイも何であんな不良物件に懐いちまうかね」
茶化すように手を広げれば端正な顔が朱に染まる。わかりやすい奴だ。ギレオから見てもわかりやすく、青年はバルドに惚れていた。
(にしても、「よくしてもらってる」だって?)
笑い顔の下でギレオは舌を打つ。
基本的に戦争捕虜である青井清一に自由は無い。停戦の生贄として差し出されるまま意思にそぐわない妊娠を強いられ、このだだっ広い清潔な檻で大事に大事に幽閉されているのだ。馬鹿なことを、と思わないギレオではなかった。
脳みそがやられちまってるか、よっぽど酷い環境にいたのか。あるいはその両方か。
中身は子どものような男の体を覆う手術痕が思い出された。
「……ほら、ゆっくり噛んで飲み込め。溢してるぞ」
「え?うおっ」
「あーもう手ぇどけろ。ったくしゃあねえな」
金髪のオーガがぼたぼたとテーブルクロスに垂れたソースを拭くために立ち上がりかけた時だ。
———リリン、と玄関先から呼び鈴が鳴り響いた。
「……あ゛?」
目を剝いて額に青筋を浮かべるギレオに動揺を隠せない青井は、そういえばこの呼び鈴を初めて聞く事実に思い当たった。確かいつもは、間の抜けた電子音だった筈だ。
「ギレオさん。呼び鈴、変えた?」
「……いいや、……ボスがあれに戻すわけ……」
隣の鬼が纏う雰囲気をひりつかせる。強面は気の毒なほど蒼白だ。
リリリン。リン、リリン、リリリンッリリリリリン!!
リンゴーン、リンゴン、リンゴーン!!グワン、グワラン……!!
始め小さな鈴の音は、その内連なるように複数の不協和音へと重ね合わされていき、終いには大きな鐘のそれに肥大していった。耳が潰れそうだ。部屋全体が軋みを上げる。
「クソッ!何だってオッサンが居ねえときに!!」
鐘楼の響きに合わせて視界からものが失せていく。
棚が失せ、食器が失せ、調理台が失せ、壁が、床が……ギレオが。
気づけば青井は白く塗りつぶされた空間に一人ぼっちで立っていた。
「ギレオさん?」
返事はない。誰もいないようだ。刺さる白磁が目に痛かった。見渡す限り乳白色の奥行きがわからぬ場所で、青井はどうすることもできず途方に暮れる。
足下に何かがぶつかったので、しゃがみ込んでこれを見た。釣り鐘型の真白い鈴が転がっている。……足をぶつけたときに倒れたのだろうか。
よくよく見ればそこら中に大小様々な白塗りの鈴が整列している。倒れているのは青井のぶつかった小さなもの一つだけだ。拾い上げて眺めようとしたところ、中から青白く光る何かが逃げ出した。
「……蛍?」
「嫌ぁねえ」
女の声がして振り返った。青井の胸に白魚のような手が突き刺さる。女の黒い爪はそのままパーカーを裂き、皮を破り、肉を貫いた。痛みはない。清一は、ただ茫然と魔女の攻撃を受け入れるしかなかった。
「あらやだ、貴方のこころ。屑肉みたい」
年が若いが綺麗な女性だと思った。黒を基調にした豪奢なロングドレスを着て微笑んでいる。童話に聞いた魔女そのものだ。
弧を描いた可憐な唇が視界に焼き付いて、青井の視界が白んでいく。
「……ぅ、え?」
破られた胸から力が抜けていく。
「鐘、勝手に倒してくれちゃって……逃がしちゃったの。悪い子ね。貴方の魂を代わりに入れたらば、どんなにやらしい音がするかしら」
「は、はぁ、……っ?だ、れ……」
「ふふ、長く愉しませて貰うんだもの。いい?淫売君。教えてあげる、私はねえ……っ!!」
———青井の胸の奥から、何をか引きずり出そうとした女の指先が違和感に静止する。美しい女の顔が突然不愉快そうに歪んだ。……彼女は青井の胸から何かを引き摺り出そうとして、首から下げられた何かに阻まれた。
「……え?はァ?何よ、何なの一体!?ぃ、———痛い、痛いッ痛い!!止めてぇえッ!!」
何が起こっているのか青井にはさっぱりだ。胸を貫通していた筈のたおやかな女の腕はあっさり引き抜かれた。見れば指先から黄金色の焔がうねりをあげてその肢体に絡みついている。
「熱い、熱い熱い!!イヤアアアッ!!」
憤怒の形相で火を叩き消そうとした女だったが、矢鱈に勢い付いた炎は火柱となって瞬く間にその痩躯を舐め上げる。
絶叫と共に白い鐘楼の間はかき消えてしまい、青井はいつの間にか元いた厨房で椅子に深く座っていた。
目を丸くしたギレオも当然そこに居る。いつも通りの厨房だ。調理台では鍋が並び、テーブルの上には湯気を立てた料理が未だそこにある。
ただひとつ、———焼け焦げた黒い女の死体が転がっている以外は……元通りの昼下がりであった。
「ん……なんか、俺の分け方、下手だったかも」
「まだ頭が起ききってないんでしょ。はいはい座ってて!!主菜!副菜!焼きたてのパン!!」
テーブルにドカドカと料理の皿が並べられていく。未だぼんやりと半覚醒状態の青井はギレオの憂慮など考えもつかないらしい。椅子に座らされ、目の前には湯気を立てる料理の大皿。向かいに座ったギレオが大きな口の端を持ち上げて笑う。
「じゃあお相伴に預かりまして」
「……いただきます!」
青年はふわふわする頭で手を合わせる。一口目から肉料理をがっつく姿にギレオの口元がたまらず緩んでしまう。もぎゅ、もぎゅと如何にも幸せそうにキメラのハンバーグを頬張る様子は年よりもだいぶ幼く見えた。起き抜けに肉料理は胃が驚くのではと一瞬心配したギレオだったが、わかりやすく美味しい顔に止めるのをやめて溜め息ひとつ、茶を淹れ始める。
「あー、ま、いっか。美味い?」
「んまい……ふごく、んまい」
「アオイは何でもうまいって言うからなあ」
半世紀も生きていない人間の青年はアクのない表情を緩ませて二日ぶりの食事を楽しんでいる。
……バルド邸は変わりなく平和だ。現在出張中である家主の不在を除いては、ここだけ切り取られたような保養地として存在している。ヒトと戦をしてもしていなくても、魔界は弱肉強食の残酷な荒野に変わりない。本来青井などが屋敷の外へ一歩でも踏み出せばどうなってしまうかわからない魔境魔窟、そんな中で幾重にも結界が敷かれたバルド邸は、彼のために誂えられた厳重な檻である。
(ブルーの正体がこんな「ふにゃふにゃ」じゃあ、こいつ一生ここで暮らすのかもな)
ハンバーグのオーロラソースを指で拭ってやりながら、ギレオはこの男の先行きに思いを馳せる。ギレオの上司であり魔王軍の幹部を務めるバルドは、接収した金銀宝石など全て部下に分け与え、自分はただひとりこの「ふにゃふにゃ」を要求した。
引き渡されて即日手籠めにされた可哀想なヒーローは、間もなく幹部の子を身ごもることとなった。妊娠中期を無事乗り越え、現在青井の腹はえげつなく膨れている。気狂いになってしまっても可笑しくなさそうな状況だが、ギレオの心配を他所に青年は穏やかに日々を過ごしているようだ。
「あ、はは、ソースついてた……?」
「…………」
隙だらけの青年の頬を、ギレオはもう一度おろしたての手拭いで拭ってやった。下がった眉尻が人懐こくハの字を描く。
「……アオイよぅ、ボスが帰ってくんのはもうちょい先になりそうだ」
今朝の伝令には、人間界での交易事業展開に少し手間取っているらしいこと、それに伴い2日3日帰還が遅れることが記されていた。青年の視線が左右に揺れてやり場無くテーブルに落ちる。
「わかった。ありがと、ギレオさん」
「聞き分けいいでやんの。癇癪起こしたっていいんだぜ」
「な、なんで?よくしてもらってるのに」
「ハハ!寂しいだろ?アオイも何であんな不良物件に懐いちまうかね」
茶化すように手を広げれば端正な顔が朱に染まる。わかりやすい奴だ。ギレオから見てもわかりやすく、青年はバルドに惚れていた。
(にしても、「よくしてもらってる」だって?)
笑い顔の下でギレオは舌を打つ。
基本的に戦争捕虜である青井清一に自由は無い。停戦の生贄として差し出されるまま意思にそぐわない妊娠を強いられ、このだだっ広い清潔な檻で大事に大事に幽閉されているのだ。馬鹿なことを、と思わないギレオではなかった。
脳みそがやられちまってるか、よっぽど酷い環境にいたのか。あるいはその両方か。
中身は子どものような男の体を覆う手術痕が思い出された。
「……ほら、ゆっくり噛んで飲み込め。溢してるぞ」
「え?うおっ」
「あーもう手ぇどけろ。ったくしゃあねえな」
金髪のオーガがぼたぼたとテーブルクロスに垂れたソースを拭くために立ち上がりかけた時だ。
———リリン、と玄関先から呼び鈴が鳴り響いた。
「……あ゛?」
目を剝いて額に青筋を浮かべるギレオに動揺を隠せない青井は、そういえばこの呼び鈴を初めて聞く事実に思い当たった。確かいつもは、間の抜けた電子音だった筈だ。
「ギレオさん。呼び鈴、変えた?」
「……いいや、……ボスがあれに戻すわけ……」
隣の鬼が纏う雰囲気をひりつかせる。強面は気の毒なほど蒼白だ。
リリリン。リン、リリン、リリリンッリリリリリン!!
リンゴーン、リンゴン、リンゴーン!!グワン、グワラン……!!
始め小さな鈴の音は、その内連なるように複数の不協和音へと重ね合わされていき、終いには大きな鐘のそれに肥大していった。耳が潰れそうだ。部屋全体が軋みを上げる。
「クソッ!何だってオッサンが居ねえときに!!」
鐘楼の響きに合わせて視界からものが失せていく。
棚が失せ、食器が失せ、調理台が失せ、壁が、床が……ギレオが。
気づけば青井は白く塗りつぶされた空間に一人ぼっちで立っていた。
「ギレオさん?」
返事はない。誰もいないようだ。刺さる白磁が目に痛かった。見渡す限り乳白色の奥行きがわからぬ場所で、青井はどうすることもできず途方に暮れる。
足下に何かがぶつかったので、しゃがみ込んでこれを見た。釣り鐘型の真白い鈴が転がっている。……足をぶつけたときに倒れたのだろうか。
よくよく見ればそこら中に大小様々な白塗りの鈴が整列している。倒れているのは青井のぶつかった小さなもの一つだけだ。拾い上げて眺めようとしたところ、中から青白く光る何かが逃げ出した。
「……蛍?」
「嫌ぁねえ」
女の声がして振り返った。青井の胸に白魚のような手が突き刺さる。女の黒い爪はそのままパーカーを裂き、皮を破り、肉を貫いた。痛みはない。清一は、ただ茫然と魔女の攻撃を受け入れるしかなかった。
「あらやだ、貴方のこころ。屑肉みたい」
年が若いが綺麗な女性だと思った。黒を基調にした豪奢なロングドレスを着て微笑んでいる。童話に聞いた魔女そのものだ。
弧を描いた可憐な唇が視界に焼き付いて、青井の視界が白んでいく。
「……ぅ、え?」
破られた胸から力が抜けていく。
「鐘、勝手に倒してくれちゃって……逃がしちゃったの。悪い子ね。貴方の魂を代わりに入れたらば、どんなにやらしい音がするかしら」
「は、はぁ、……っ?だ、れ……」
「ふふ、長く愉しませて貰うんだもの。いい?淫売君。教えてあげる、私はねえ……っ!!」
———青井の胸の奥から、何をか引きずり出そうとした女の指先が違和感に静止する。美しい女の顔が突然不愉快そうに歪んだ。……彼女は青井の胸から何かを引き摺り出そうとして、首から下げられた何かに阻まれた。
「……え?はァ?何よ、何なの一体!?ぃ、———痛い、痛いッ痛い!!止めてぇえッ!!」
何が起こっているのか青井にはさっぱりだ。胸を貫通していた筈のたおやかな女の腕はあっさり引き抜かれた。見れば指先から黄金色の焔がうねりをあげてその肢体に絡みついている。
「熱い、熱い熱い!!イヤアアアッ!!」
憤怒の形相で火を叩き消そうとした女だったが、矢鱈に勢い付いた炎は火柱となって瞬く間にその痩躯を舐め上げる。
絶叫と共に白い鐘楼の間はかき消えてしまい、青井はいつの間にか元いた厨房で椅子に深く座っていた。
目を丸くしたギレオも当然そこに居る。いつも通りの厨房だ。調理台では鍋が並び、テーブルの上には湯気を立てた料理が未だそこにある。
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