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群青出奔:ブルー編

雪解けを待つ

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 ———春の日だった。

 貧しい村に子供がやってくる。今年は寒波で村の半数が死んだので、この地域にも補充が行われるようだった。小さな教会の前を、見窄らしい幌を張った馬車が過ぎる。集落の中心部たる小さな役場へ向かうのだろう。雪乃は荷馬車の中で揺られる子供を想像した。男の子だろうか、それとも女の子だろうか。歳は幾つくらい?怪我はどれくらいだろう。彼か彼女か、子供の街は厄に焼き潰されたという。体格が良ければ幸運だ。村長の家が貰ってくれる。多少難があったとして、若い人足を欲しがる家ばかり。教会に貴重な人手を譲る余裕はどこにもない。
 ———だから、彼女は本当に、何の準備もしていなかった。

 「……雪乃ちゃん。大変だろうけど、今日からここでみてもらう———」

 子供の名前はわからない。口を聞かず、申し送りの書類にも孤児であることしか記載がなかったので、最初は何もかもよくわからない男の子だった。あちこちに火傷の跡があり、左足が不自由。深いショック状態で、預かって数日は食事も口にしなかった。あまり反応しないので耳も聞こえていないと思われていたほどだ。
 抜け殻の子供を、やはり村長達は持て余したらしい。一日中じっと置き物のように動かない様子を見るに確かに労働力にはなりそうにない。そんな理由で教会の住人が一人増えることになった。

 彼が声を取り戻したのは一年後の春。奇しくも彼のやってきた日に、清一は初めて雪乃に名を名乗った。教会の子として青井の姓を受け、彼は正式に彼女の家族とされた。
 役場に登記した帰り道、拙い足取りに合わせて丘を歩く。
 「…………飴でも買いましょうか」
 少年は小さく首を横に振る。
 「……何か歌でも」
 「………………」
 土は凍れて杖の音を鳴らす。返事はなかったが、小さく聖歌を口ずさんでもあの子は文句を言わなかった。細い指がそっと握り返してくる。初めての冬越えで欠ける指がなくて、本当によかった。

 懺悔の声が聞こえる。布団を被せた背中が震えていた。昼間の告解を聞いていたのかもしれない。
 彼女は黙って聞き届けた。ひどく自罰的な、赤い星が彼の故郷を焼いたその朝の話を。
 ……ヒーローが助けてくれたんですと泣いたそのときに、彼の運命は決まっていたのかもしれない。

 子供はすくすくと育ち、回復すると同時に言語機能を取り戻していった。
 ほとんどの夏を畑で越した。秋には共に冬備えをして、白に埋もれるよう皆で身を寄せ合った。やがての春は当然のように訪れる。雪乃はそれを忘れぬよう、新しい家族を迎えるたび庭に薔薇を植え続けた。
 いつか帰ってくるあの子の顔を、初めて呼んでくれた子供の声を、いつだって思い出せるように。

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