ある日の話。

伊原 織

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きんいろ

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 どこか懐かしい匂いが鼻をかすめた。

 まっすぐ家へ向かおうとしていた足は、気がついたらその懐かしさの出所を探っていた。



 ***



 そういえば、幼い時にもこんな風に辺りを歩き回ったことがあった。

 (たしか、友達と喧嘩して、走ってたらそのまま迷ったっけ。)

 あの時もちょうど今ぐらいの季節で、それでいて、どこからか甘い匂いがしたんだ。
 お菓子の匂いとも違うそれに、自分が迷子であることを忘れ、興味津々に駆け出した。



 ひとつ、ふたつ。
 自分の嗅覚と謎の自信を頼りに、角を曲がる。

 一段と薫りが強くなり、もうすぐそこだと思った。


 最後の角を曲がったら、そこには──────




 ***




 金色の小さな花がたくさんついた木。
 確か名前は、キンモクセイ。

 見た目の可愛らしさと裏腹に、強い匂いを持つ花。


 初めて嗅いだその時は驚いた。
 薫りを形容する言葉がすぐには見つからない。

 そんな匂いの記憶に結びつけられた、もうひとつの記憶がある。



 ***




 最後の角を曲がったら、そこには、金木犀の側、同じくらいの背丈の子供がいた。
 その子は綺麗な服を着て、それはズボンだったけれど髪が少し長い子だった。

 僕の足音に気がついたのか、その子がゆっくり振り向いた。

 その途端、僕は、あんなに心惹かれて追いかけた匂いよりも、目が捉えた景色に意識を奪われた。


 夕暮れ時、太陽が金色に輝く中。

 その子の目はビー玉みたいにきらきらしていた。
 自分と同じ目だとは、到底信じられなかった。



 ***




 (あの時は、あの子となにか喋ったっけ)

 あの子の姿が強烈だったことまでしか、はっきりとした記憶がない。
 でも、もう一度会いたいと思ってもそれっきり、一度も見かけたことがなかった。


 そんな、かすかな思い出を頭に浮かべて歩いていたら、ちょうど今の俺の近くにも花は差し迫っていた。

 (多分あの角を曲がったら、きっとある)

 距離的にはそんなに歩いていないはずだが、とても待ちわびていたような気がする。




 この最後の角を曲がったら、きっと────








 (あれ)

 先客がいた。
 確かに、これだけ匂いが届くんだ。
 俺以外にも人がいたっておかしくない。

 とはいえ、まるで宝箱を見つけたように、満足感に満ちた気分だ。

 (満足したし、帰ろう)

 そう思って踵を返したとき、危うく自転車とぶつかりそうになった。

「あ、すみません」


 ……人がいるのに恥ずかしい。
 俺は、金木犀の側の人がどんな顔をしているか気になって振り返った。



 (え……?)



 よみがえる記憶。
 重なる情景。


 あの時と同じ。




 その人は、色素の薄い綺麗な目を少し丸くしていた。

 考える間もなく、気がついたら口から言葉が飛び出した。

「あの、」
「……?」
「えっと、どこかで会ったことはありませんか……?」
「……さあ、初対面かと思いますが」
「で、ですよね。すみません、変なこと聞いて」
「……あぁ、でも。小さい時に一度だけこの街に来たことがあって……もしかして、そのときも金木犀は近くにありましたか?」
「あ、はい!そうです!」
「なら、会ったことがありますね」

 口調からして年上……?いや、姿もなんとなく人間離れしていて、年はよくわからない。



「すみません、あの実は俺、貴方のこと女の子だと思ってました」
「あはは!たしかに、あの時僕は髪を伸ばしていましたから」


「そうです、これも何かの縁ですから、良かったらもう少しお話ししませんか?」
「え、あ、ぜひ、!」



 少し遠かった距離を詰め、まだ名前も知らないその人と一緒に歩き始める。
 金木犀の薫りを後にして。



(おわり)
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