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しおりを挟む「我が公国は、国内の安全平和を旨としておるのでな」
コタ・シャに向かって、ラニエリはわかりやすい嫌味を投げた。国内平和とはとんと縁のない聖タイカ合国への当てこすりである。
しかし、コタ・シャはラニエリの言葉など気にもしていない様子で微笑み返した。
「お平らなお国柄で羨ましい。‥我が国は成り立ちから複雑で歴史も長い国なもので」
建国来の歴史が倍ほども違う聖タイカの者の言い分に、きっとなってラニエリはコタ・シャを睨みつけた。コタ・シャは涼しい顔をしている。
その顔をしばし睨んでから目を逸らし、ラニエリはため息をついた。
「‥こちらがカベワタリに執着していないのは、その通りだ。それよりも喫緊の問題があったのでな。‥聖タイカは、カベワタリを使って何をしようとしている?」
冷静になってそう問い返してきたラニエリに、コタ・シャは初めて冷たい声を出した。
「それは、貴国の関与するところではない。わが国にはカベワタリの協力が必要というだけだ」
「ふむ」
ラニエリはコタ・シャの射るような視線を正面から受け止めて見つめ返した。
二人の視線が狭い小部屋の中で火花を散らしているかのようだった。しばしの沈黙の後、すっとコタ・シャが視線を逸らした。
「とにかく、お互いに必要なことをするまでのことです。カベワタリの件、くれぐれもお願い致します」
「そちらこそ、次代魔力統主候補の確保を頼む」
もう一度、ばちッと視線をぶつけ合った二人は互いに不敵な笑みを浮かべ、長椅子に座り直した。
「‥‥では、今後の細かい日程と連絡法を詰めようか」
「ええ」
小部屋では、二人の政治家の低い声だけが小さく行きかっていた。
「リキ様!お久しゅうございます」
「ナガエ様、ご無沙汰しております」
リキがツトマ子果清殿に着いた翌日、朝食の後でナガエが待ちきれずにリキの部屋までやって来た。ナガエは相変わらず、精力的に働いているようだった。子果清殿でライセンによるムリキシャ殺害という事件が起こり、ナガエはムリキシャの清殿管理会に進退伺いを出していた。自分の責任は軽くないというナガエの考えからのことだったが、管理会は「異常事態であり、ナガエ個人に責任はない」との判断でツトマ子果清殿長の任を継続することになったのだ。
ナガエからしてみれば、二年ほど前に珍しいハリ玉とともにやって来たリキとアヤラセが、まるで自分の子どものように思えてしまうのだった。この二人が、色々と大変な時期を乗り越えて今ともにあること、それがナガエには奇跡のように思えて嬉しいのだ。
手紙では、伴侶誓言式を挙げることになったと聞いており、清殿の者たちとどんな祝いを送ろうかと楽しみにしていたのだが、目の前のリキの顔を見ればとてもそのような心浮き立つ時期の者とも思えない様子で驚いた。
「‥清殿の者たちとは、もうお会いになられましたか?」
「はい、昨日アカーテが色々案内してくれて‥皆忙しそうなのに、申し訳なかったです」
「とんでもない。リキ様のことは、清殿の者もみな心配しておりましたから、喜んでいたことでしょう」
ナガエの言葉に、昨日の様子を思い返す。自分で考えていたよりもずっと、この清殿にいるものたちはリキのことを気にかけてくれていたようだった。改めてそのことに気づかされ、ありがたいことだと思った。
「‥はい。一年足らずほどしかいなかった私のことを、みな本当に気遣ってくれて‥嬉しい言葉を、たくさんもらいました」
「それはよかったです」
ナガエは微笑んでリキを見た。どこか、少しやつれているように見える。そう報告してきたアカーテの言葉は正しかったのだ、とリキの顔を見れば気づかされた。
「‥‥リキ様、少しお話してもよろしいですか?」
「はい、ナガエ様がお忙しくなければ。じゃあお茶を淹れましょうか」
リキは部屋についている簡易厨房に行き湯を沸かし始めた。茶葉は昨日アカーテが置いていってくれたものがある。茶器が入っていた棚を探せば、以前に見たことのあるそれをすぐに見つけることができた。
お茶の支度をしているリキを、ナガエは黙って見つめていた。
自分の役割がわからず茫然としていた、まだ幼さが残っていた頃のリキを思えば、随分と成長したものだ、と感じる。
カベワタリの知識はあってもその当人を目にしたのは、無論ナガエも初めてだった。どんな偉人なのかと身構えていたら、現れたのはまだやや幼さの残る銀髪のリキだった。他のムリキシャとは違うハリ玉の様子や、植えた後の成長がまた違っていることなど、ナガエも驚かされることばかりだった。日々、新しい発見があって驚いたのが昨日のことのようだ。
リキ本人は全く世の中の仕組みも違うこの世界に来て、戸惑うことが多いようだった。リキの話を聞いていると帯壁の向こう(=日本)は考えられないことばかりだ。
子を産むのが限られたヒトであることや、性交しただけで子が実ること、子が欲しいと思っていなくとも実ることがあること、ゴリキ(シンリキ、レイリキ、マリキ、ヨーリキ、キリキ)が全くないこと、何よりも異生物の発生がないことなど、リキが語ってくれる帯壁の向こう側の世界は、ナガエにはにわかに信じられない事ばかりだった。
それらの話を聞けば聞くほど、リキがこの世界に馴染んで暮らすのは随分と大変なのだろう、ということは想像できた。しかし、リキ本人は何に対して文句を言うでもなく、周囲に言われるムリキシャとしての役目を果たそうとしていたし、他の清殿内で働く人々に対しても親切で優しかった。だから、銀髪翠眼という珍しい異相であっても清殿内の人々はリキのことを好ましく思っていたし、また心配もしていたのだ。
アヤラセとリキが愛を育む様子は、傷ついた雛鳥が互いの身体を互いの熱で温め合うような、そんなたどたどしくも穏やかなものだった。アヤラセが、ライセンに攫われ傷つけられそうになった過去の事件を知っている者たちは特に、この二人に幸せになってほしいと思いながら見ていたものだ。
しかし、ユウビという生き物が現れ、リキも攫われた先で凌辱を受け”ウツロ”になってしまった。
あの頃の清殿内の空気は最悪だった。ライセンに騙され殺されたトトニスの死、”ウツロ”になってしまったリキ、その治療のために犠牲を払ったアヤラセ、それなのにそのアヤラセのことを忘れてしまったリキ、そのリキから離れざるを得なかったアヤラセに対し、リキの傍から離れようとしないユウビ。
アヤラセ、リキが不憫だ、と考えるものもいれば、美しくたくましい、初子果から生まれたユウビがリキの傍にいればいいのではと考えるものもいて、なんとなく子果清殿内もぎくしゃくとした雰囲気になっていた。
二十カル(=約180㎝)を優に超す逞しい身体に銀髪黒目、金の太い尾、透けて見える薄翅を持った凛とした顔立ちのユウビは、清殿内に支持者も多かったのだ。
しかし、そのユウビも子果樹の繭に包まれ眠りについてから、もう一年以上になる。
今回、リキが触れることで何か変化が起きるのではないか、とナガエも思っていたのだが、特段変化はなかったという報告を聞いて意外に思ったところだった。
ナガエはユウビが苦手だった。なぜ、あの生き物を崇拝するかのように好む者が清殿内にいるのか理解できなかった。あの生き物には、何か心の奥底をひっかかれるようなざわざわしたものを感じてしまうのだ。ユウビが口から言葉を発せず、直接頭の中に話しかけてくるからだろうか、とも考えたが、あの違和感はそれだけでは説明できないものだった。
ともあれ、ユウビはリキを、ひいてはジャイラ島主国の人々を救い、今は眠りについている。
そこまでナガエが考えを巡らせたとき、お茶を淹れたリキがナガエの目の前の台に茶器を置いた。はっとしたナガエは反射的にリキの顔を見上げ、何とか微笑むことができた。
「ありがとうございます」
「いえ、茶葉はアカーテにもらったものなので‥清殿のものなんですけど」
確かにお茶はアカーテが好んでいる甘茶だった。甘さの中に少しすっきりとした清涼感があるものだ。湯気の立ちのぼる茶器を手に取って唇につける。薄い皮膚に迫る湯気の熱さに思わず茶器を離した。
それを見て、リキが眉を下げた。
「申し訳ありません、少し熱すぎましたね」
「いえ、冷ませば大丈夫ですから‥」
台に茶器を置いて、ナガエは居住まいを正した。
「リキ様、今回はなぜ、ツトマにお越しになったのですか?」
率直にナガエにそう問われ、リキは思わず俯いた。
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