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三か月後の彼らたち 2
「れ、れ、れ」
「しっ、まだ黙ってて。‥‥ほら早く!」
ドアの外で二人は小走りでサイーシャの部屋から離れていった。
少し離れたイレインにあてられた部屋に入って、ドアを閉める。アルフィレオの顔はもう真っ赤の段階を過ぎて青くなってきている。
あれは、二人にとってのファーストキスだったのだ。
「アルフィー、ノックのタイミングばっちりだったわよ!‥‥怒ってるの?」
「お、お、怒ってなんか、ないよ、でも」
「本当は自分からしたかった?」
イレインは上目遣いでアルフィレオを見上げた。アルフィレオは図星をつかれてうっと言葉が詰まる。イレインはくすっと笑ってアルフィレオの頬をさらりと撫でた。
「我慢して、アルフィー。‥これから私たち、すっごくキスしていちゃいちゃするんだから」
「えええ?!」
アルフィレオの悲鳴じみた声を聞きながら、イレインはくすくす笑っていた。
「とにかく、サイーシャ様は男性に免疫がないんだと思うわ。だから年下の私たちが積極的にいちゃいちゃしているところを見せて、サイーシャ様を刺激するの。年下の私たちでもしていることをご自分はできていないんだ、と思っていただくわ」
「な、な、あ、そ、そう‥なんだ‥」
まだ立ったままのアルフィレオに、イレインは近づいてその腕をぎゅっと抱きしめた。イレインの豊かな胸の柔らかい感触がアルフィレオに伝わって、もうどうしていいかわからない。アルフィレオはこの別荘行きが決まってから毎夜眠れずに心身が弱りまくっていた。
「アルフィー、ごめんね。こんな私で‥でも、アルフィーが好きなのは変わらない。アルフィーだからこの作戦を思いついたの。‥許してくれる?」
そう言いながら夜の闇のような瞳でアルフィレオをじっと見つめてくるイレインに、
「う、うん、僕は、大丈夫‥」
としか言えないアルフィレオではあったが。
廊下ですれ違ったアレスティードを、思わず睨みつけてしまったのは彼だけが悪いわけではないだろう。
部屋から出ていったイレインをぼんやりと見送り、ぽすんと腰掛ける。
「キス、してたわね‥」
「してましたね」
ナタリアは素知らぬ顔でショートブレッドをサーブした。サイーシャは機械的にそれをつまんで口に運んだ。口の中の水分が一気に持っていかれる。慌ててお茶を口に含むサイーシャに、ナタリアは言った。
「サイーシャ様、そろそろ若旦那様のお気持ちにはっきり答えて差し上げた方がいいのではと思いますよ。‥お若いあの方が、よく我慢していらっしゃると思います」
「‥‥そう、よね‥」
先ほどくすくす笑っていたナタリアを懲らしめることも忘れて、サイーシャはそう答えた。
夕食はローランが手配して地元の特産物をメインとした内容になっており、一同を喜ばせた。今回はカイザが月に一度の休暇でついてきていないので、いつもよりは食卓は穏やかである。その分アルフィレオとイレインがいてにぎやかになるかと思いきや、二人ともそんなに積極的に話す方でもないので、終始食卓は静かだった。
デザートにいちじくのタルトとジェラートが供される。アルフィレオはジェラートが好きなので、目を輝かせて喜んでいた。嬉しそうにジェラートを頬張るアルフィレオを、イレインは静かに微笑みながら眺めている。早速平らげてしまったアルフィレオに、イレインが自分のジェラートをスプーンにのせて差し出した。
「まだ欲しいんじゃない?アルフィー。はい、あーん」
食卓が一瞬しん、と静まり返った。
幾ら家族だけの食卓とはいえ、明らかなマナー違反である。しかも貴族ではありえないマナー違反だ。だがイレインは何にも頓着した様子なくスプーンを差し出している。差し出されたアルフィレオも口を半開きにしたまま、固まってしまっている。
アレスティードは、将来の義妹の突然の行動に驚いた。‥アルフィレオの事を大事に思っているのは知っていたが、こんな行動に出るような娘だったろうか?どちらかと言えばあまり感情の揺れを見せない娘だったように思っていたのに。
サイーシャも「あーん」をじかに見たのは初めてだったので、単純にびっくりしてカトラリーを持った手がそのまま止まってしまっていた。
口にグイ、とスプーンをつけられたアルフィレオが、ハッとした様子でそれを口の中に入れて咀嚼する。イレインは下から覗き込むようにして
「おいしい?」
と訊いてきた。アルフィレオはも味も何もわからなかったがここは何か言わねばならないのだろうと思って言葉を絞り出した。
「オ、オイシイデス‥」
「よかった!」
そう言ってイレインはぱあっと笑った。
サイーシャはその笑顔を見て心がずきりと痛んだ。
自分は、あのような屈託のない笑顔を、アレスティードに見せられているだろうか?アレスティード自身は、いつも朗らかで明るい笑顔をサイーシャに見せてくれているが、このところ恥ずかしがるばかりで、まともにアレスティードの顔さえ見れていないような気がする。
イレインは再びスプーンにジェラートをすくってアルフィレオの口元に差し出している。アルフィレオは機械的にそれを口に入れているだけなのだが、サイーシャには思いあう恋人たちの甘いやり取りのように見えていた。
三匙目をアルフィレオの口に滑り込ませたところでイレインが「あ!」と声を上げた。
「‥‥お食事中なのに、こんなマナー違反をしてしまって‥‥申し訳ありません」
そう言って、スプーンを置き、しゅんと萎れた表情になる。サイーシャは思わず声をかけた。
「いいえ、構いませんわ、正餐という訳でもない家族だけのお食事ですし‥、ほ、微笑ましい、ですわよね、アレス様」
「あ、え、うん、そうだな‥」
さすがにアレスティードはサイーシャよりはイレインとの付き合いが長い。こんなことをする娘ではないのは重々承知だ。何が目的でこんな振る舞いをしているのか、少し鋭い目でイレインを見つめていると、イレインがアレスティードの方を見て唇の端を上げた。
(!?)
イレインは意味ありげに唇の端だけでアレスティードに笑んで見せると、言葉を続けた。
「‥なかなか学院にいる時はアルフィレオ様とお会いできる機会が少なくて‥こちらでゆっくり過ごさせていただけて、本当に嬉しくて。浮かれてしまったんです‥申し訳ございません」
「そう、よね、学年も違いますしね‥」
そう言って慰めの言葉をかけているサイーシャを見ながら、アレスティードはぴんと来た。
(‥‥こいつら俺たちの事をどうにかしようとしてるんじゃないのか?)
そう思いついて、キッとアルフィレオを見やると、少し涙をにじませた顔が雄弁に何かを物語っている。
(‥‥やっぱり‥‥)
「でも、サイーシャ様がうらやましいですわ!もうご結婚なさっておいでですし、あのようにアレスティード様に愛されていらっしゃって‥。私たちが今回はお邪魔してしまって申し訳ないです」
そう言ってイレインはにっこりとアレスティードに微笑んで見せた。アレスティードは、
(これは、‥初夜を終えてないのがバレてるとみていいな‥)
と考えた。そしてその応援?のために、自分たちが必要以上にいちゃついてみせているのだろう。
恐らくは、サイーシャの意識を変えるために。
アレスティードは心の中で深いため息をついた。弟たちにそんな心配をかけてしまっているとは思ってもいなかった。アレスティードとしても今の膠着状態を望んでいるわけではないが、そこまでサイーシャを急かしたいわけではない。
彼女の気持ちがきちんと自分に向くまでは、何としても待つつもりであったのだ。
(これは、アルフィと話をするべきだな‥)
そう思いながら、どこかわざとらしいイレインとアルフィレオの様子を眺めていた。
食事の後、アルフィレオはアレスティードの居室に呼ばれ、恐る恐るドアを叩いた。「アルだな、入れ」という兄の短い応えを聞いてそっと部屋に身体を滑り込ませる。
「アルフィ、あのな」
「ごめんなさい、兄上!」
アルフィレオがびしりと九十度に身体を折り曲げた。アレスティードは突然のことにびっくりして言葉を失った。
「僕とイレインで、サシャ姉上に、あの、もっと兄上を意識してもらおうって、その、思って‥」
焦りながら懸命に謝る弟を座るように促し、自分もソファに腰かけた。
「いや、こちらこそすまない。どうもお前たちに心配をかけてしまったようだ」
「そんな、兄上が謝らなくても」
「多分、イレイン嬢が後継について心配した結果じゃないのか?」
そう指摘されてアルフィレオは黙り込む。これは図星だなと思いつつ、アレスティードは続けた。
「確かに俺とサシャの間にはまだ何もない。‥でも俺は心からサシャを愛している。だからいつまでだって待てるんだ」
「‥兄上‥」
涙をじわりと滲ませて、こちらを見ている弟にアレスティードは優しく笑いかけた。
「万が一子どもに恵まれなかったとしても、他の親戚筋から養子を取る手だってある。カラエン家と繋がりを持ちたい親戚なんて腐るほどいるからな。お前たちは心配しなくてもいいんだ」
「‥兄上は、本当にサシャ姉上の事を愛していらっしゃるんですね」
アレスティードはそう言われて微笑んだ。確かに、そうだ。
「ああ。自分でもこんなに誰かを愛おしいと思うなんて不思議だ。‥お前だから言うが、出会いは最悪だったんだぞ。でも、サシャの魅力にすっかりやられてしまったんだよなあ」
アルフィレオもにっこり笑って言う。
「確かにサシャ姉上は素敵な人ですもんね。イレインには敵いませんけど」
「お前、本当にイレイン嬢が好きだなあ」
ふふ、とアルフィレオは笑った。
「時々びっくりさせてもくれて、僕の知らない世界を見せてくれるイレインが大好きなんです」
「そりゃよかったよ」
「‥この件のおかげで、僕もイレインと‥いちゃいちゃできて嬉しかったんです‥」
アレスティードは思わず弟に近寄ってその頭をガシガシと乱暴に撫でまわした。
「お前たちは本当に俺たちをダシにして‥」
「わ、ごめんなさい!」
二人は顔を見合わせて笑った。
俺たちは、貴族にしては結婚相手に恵まれているな。そう言って二人はくすくす笑い合った。
夫婦の寝室側にあるドアの前で、サイーシャは立ち尽くしていた。何となくこちらの扉からアレスティードの居室のドアを叩こうとした時、アルフィレオが入って来たのだ。聞くともなく兄弟の話を聞いて、サイーシャは自分の態度が若い二人にまで心配をかけていたことを知った。
そして、アレスティードが「いつまででも待つ」つもりであったことも。
サイーシャの頬を涙が伝う。
自分は、何に引け目を感じ何を恐れていたのだろう。
こんな尋常ではない結婚の過程を経たとは思えないほど、幸せな状況にあるというのに。
あんなに、望まれて愛されているのに。
アルフィレオが居室を出ていった事を確認して、サイーシャはドアをノックした。「え、はい?」というアレスティードの声を聞いてゆっくりとドアを開けた。
「アレス様‥」
部屋に入るなり、頬を涙で濡らしているサイーシャの姿を認めてアレスティードはぎょっとした。すぐさまサイーシャの傍に行って抱きしめ、その涙をぬぐう。
「どうしたんだ?何か嫌なことでも‥あ、まさかどこか具合いでも悪いのか?」
そう言って額に手を当てようとするアレスティードの手に、サイーシャは自分のそれを重ねた。今までそんなことをされたことがなかったアレスティードは驚いてサイーシャの顔をじっと見つめた。サイーシャは涙を浮かべながらも精一杯頑張って微笑んだ。
「いいえ、私幸せなんです。そう知って、涙が出たの。幸せでも人は涙が出るんだって初めて知りました」
そしてアレスティードの顔をじっと見つめ、背伸びをしてアレスティードの唇に触れた。
アレスティードは驚きで目を見開いた。
今、確かに柔らかいものが自分の唇に触れた、が、夢、だろうか。
「アレス様ったら‥違いますよ」
心の声は外に洩れてしまっていたらしい。静かに微笑んでいるサイーシャの顔をそっと両手で挟み込んだ。
「サシャ」
サイーシャは目を閉じた。アレスティードはその唇に触れた。思わず口づけは深くなる。唇を割ってそっと舌を差し入れてみると、サシャはおずおずとそれに応えてくれた。優しく舌を絡ませる。なんて甘いんだろう。
長い口づけに、サイーシャは息が上がりそうだった。身体が痺れるようだ。甘くて熱くて、どうしたらいいのかわからない。
ようやく唇を離してくれたアレスティードがサイーシャの額に自分の額をこつんとつけた。顔が真っ赤だ。‥アレス様だって恥ずかしいのだ、とその時初めてサイーシャは悟った。それでも、ずっと私に気持ちを伝え続けてくれていたのだわ。
「アレス様」
くっつけた額からも熱が伝わってきそうだ。息が上がる前に大事なことを言ってしまわねば。
「愛しています」
アレスティードは再び深く、サイーシャに口づけた。
朝食の席でイレインはエッグベネディクトをきれいにナイフで切り分けながらアルフィレオに囁いた。
「ね、見てごらんなさい」
「え?何を?」
ふふふっと妖艶にイレインは笑った。
「あのお二人よ。‥‥あれが、”ご夫婦”の空気感よ」
「しっ、まだ黙ってて。‥‥ほら早く!」
ドアの外で二人は小走りでサイーシャの部屋から離れていった。
少し離れたイレインにあてられた部屋に入って、ドアを閉める。アルフィレオの顔はもう真っ赤の段階を過ぎて青くなってきている。
あれは、二人にとってのファーストキスだったのだ。
「アルフィー、ノックのタイミングばっちりだったわよ!‥‥怒ってるの?」
「お、お、怒ってなんか、ないよ、でも」
「本当は自分からしたかった?」
イレインは上目遣いでアルフィレオを見上げた。アルフィレオは図星をつかれてうっと言葉が詰まる。イレインはくすっと笑ってアルフィレオの頬をさらりと撫でた。
「我慢して、アルフィー。‥これから私たち、すっごくキスしていちゃいちゃするんだから」
「えええ?!」
アルフィレオの悲鳴じみた声を聞きながら、イレインはくすくす笑っていた。
「とにかく、サイーシャ様は男性に免疫がないんだと思うわ。だから年下の私たちが積極的にいちゃいちゃしているところを見せて、サイーシャ様を刺激するの。年下の私たちでもしていることをご自分はできていないんだ、と思っていただくわ」
「な、な、あ、そ、そう‥なんだ‥」
まだ立ったままのアルフィレオに、イレインは近づいてその腕をぎゅっと抱きしめた。イレインの豊かな胸の柔らかい感触がアルフィレオに伝わって、もうどうしていいかわからない。アルフィレオはこの別荘行きが決まってから毎夜眠れずに心身が弱りまくっていた。
「アルフィー、ごめんね。こんな私で‥でも、アルフィーが好きなのは変わらない。アルフィーだからこの作戦を思いついたの。‥許してくれる?」
そう言いながら夜の闇のような瞳でアルフィレオをじっと見つめてくるイレインに、
「う、うん、僕は、大丈夫‥」
としか言えないアルフィレオではあったが。
廊下ですれ違ったアレスティードを、思わず睨みつけてしまったのは彼だけが悪いわけではないだろう。
部屋から出ていったイレインをぼんやりと見送り、ぽすんと腰掛ける。
「キス、してたわね‥」
「してましたね」
ナタリアは素知らぬ顔でショートブレッドをサーブした。サイーシャは機械的にそれをつまんで口に運んだ。口の中の水分が一気に持っていかれる。慌ててお茶を口に含むサイーシャに、ナタリアは言った。
「サイーシャ様、そろそろ若旦那様のお気持ちにはっきり答えて差し上げた方がいいのではと思いますよ。‥お若いあの方が、よく我慢していらっしゃると思います」
「‥‥そう、よね‥」
先ほどくすくす笑っていたナタリアを懲らしめることも忘れて、サイーシャはそう答えた。
夕食はローランが手配して地元の特産物をメインとした内容になっており、一同を喜ばせた。今回はカイザが月に一度の休暇でついてきていないので、いつもよりは食卓は穏やかである。その分アルフィレオとイレインがいてにぎやかになるかと思いきや、二人ともそんなに積極的に話す方でもないので、終始食卓は静かだった。
デザートにいちじくのタルトとジェラートが供される。アルフィレオはジェラートが好きなので、目を輝かせて喜んでいた。嬉しそうにジェラートを頬張るアルフィレオを、イレインは静かに微笑みながら眺めている。早速平らげてしまったアルフィレオに、イレインが自分のジェラートをスプーンにのせて差し出した。
「まだ欲しいんじゃない?アルフィー。はい、あーん」
食卓が一瞬しん、と静まり返った。
幾ら家族だけの食卓とはいえ、明らかなマナー違反である。しかも貴族ではありえないマナー違反だ。だがイレインは何にも頓着した様子なくスプーンを差し出している。差し出されたアルフィレオも口を半開きにしたまま、固まってしまっている。
アレスティードは、将来の義妹の突然の行動に驚いた。‥アルフィレオの事を大事に思っているのは知っていたが、こんな行動に出るような娘だったろうか?どちらかと言えばあまり感情の揺れを見せない娘だったように思っていたのに。
サイーシャも「あーん」をじかに見たのは初めてだったので、単純にびっくりしてカトラリーを持った手がそのまま止まってしまっていた。
口にグイ、とスプーンをつけられたアルフィレオが、ハッとした様子でそれを口の中に入れて咀嚼する。イレインは下から覗き込むようにして
「おいしい?」
と訊いてきた。アルフィレオはも味も何もわからなかったがここは何か言わねばならないのだろうと思って言葉を絞り出した。
「オ、オイシイデス‥」
「よかった!」
そう言ってイレインはぱあっと笑った。
サイーシャはその笑顔を見て心がずきりと痛んだ。
自分は、あのような屈託のない笑顔を、アレスティードに見せられているだろうか?アレスティード自身は、いつも朗らかで明るい笑顔をサイーシャに見せてくれているが、このところ恥ずかしがるばかりで、まともにアレスティードの顔さえ見れていないような気がする。
イレインは再びスプーンにジェラートをすくってアルフィレオの口元に差し出している。アルフィレオは機械的にそれを口に入れているだけなのだが、サイーシャには思いあう恋人たちの甘いやり取りのように見えていた。
三匙目をアルフィレオの口に滑り込ませたところでイレインが「あ!」と声を上げた。
「‥‥お食事中なのに、こんなマナー違反をしてしまって‥‥申し訳ありません」
そう言って、スプーンを置き、しゅんと萎れた表情になる。サイーシャは思わず声をかけた。
「いいえ、構いませんわ、正餐という訳でもない家族だけのお食事ですし‥、ほ、微笑ましい、ですわよね、アレス様」
「あ、え、うん、そうだな‥」
さすがにアレスティードはサイーシャよりはイレインとの付き合いが長い。こんなことをする娘ではないのは重々承知だ。何が目的でこんな振る舞いをしているのか、少し鋭い目でイレインを見つめていると、イレインがアレスティードの方を見て唇の端を上げた。
(!?)
イレインは意味ありげに唇の端だけでアレスティードに笑んで見せると、言葉を続けた。
「‥なかなか学院にいる時はアルフィレオ様とお会いできる機会が少なくて‥こちらでゆっくり過ごさせていただけて、本当に嬉しくて。浮かれてしまったんです‥申し訳ございません」
「そう、よね、学年も違いますしね‥」
そう言って慰めの言葉をかけているサイーシャを見ながら、アレスティードはぴんと来た。
(‥‥こいつら俺たちの事をどうにかしようとしてるんじゃないのか?)
そう思いついて、キッとアルフィレオを見やると、少し涙をにじませた顔が雄弁に何かを物語っている。
(‥‥やっぱり‥‥)
「でも、サイーシャ様がうらやましいですわ!もうご結婚なさっておいでですし、あのようにアレスティード様に愛されていらっしゃって‥。私たちが今回はお邪魔してしまって申し訳ないです」
そう言ってイレインはにっこりとアレスティードに微笑んで見せた。アレスティードは、
(これは、‥初夜を終えてないのがバレてるとみていいな‥)
と考えた。そしてその応援?のために、自分たちが必要以上にいちゃついてみせているのだろう。
恐らくは、サイーシャの意識を変えるために。
アレスティードは心の中で深いため息をついた。弟たちにそんな心配をかけてしまっているとは思ってもいなかった。アレスティードとしても今の膠着状態を望んでいるわけではないが、そこまでサイーシャを急かしたいわけではない。
彼女の気持ちがきちんと自分に向くまでは、何としても待つつもりであったのだ。
(これは、アルフィと話をするべきだな‥)
そう思いながら、どこかわざとらしいイレインとアルフィレオの様子を眺めていた。
食事の後、アルフィレオはアレスティードの居室に呼ばれ、恐る恐るドアを叩いた。「アルだな、入れ」という兄の短い応えを聞いてそっと部屋に身体を滑り込ませる。
「アルフィ、あのな」
「ごめんなさい、兄上!」
アルフィレオがびしりと九十度に身体を折り曲げた。アレスティードは突然のことにびっくりして言葉を失った。
「僕とイレインで、サシャ姉上に、あの、もっと兄上を意識してもらおうって、その、思って‥」
焦りながら懸命に謝る弟を座るように促し、自分もソファに腰かけた。
「いや、こちらこそすまない。どうもお前たちに心配をかけてしまったようだ」
「そんな、兄上が謝らなくても」
「多分、イレイン嬢が後継について心配した結果じゃないのか?」
そう指摘されてアルフィレオは黙り込む。これは図星だなと思いつつ、アレスティードは続けた。
「確かに俺とサシャの間にはまだ何もない。‥でも俺は心からサシャを愛している。だからいつまでだって待てるんだ」
「‥兄上‥」
涙をじわりと滲ませて、こちらを見ている弟にアレスティードは優しく笑いかけた。
「万が一子どもに恵まれなかったとしても、他の親戚筋から養子を取る手だってある。カラエン家と繋がりを持ちたい親戚なんて腐るほどいるからな。お前たちは心配しなくてもいいんだ」
「‥兄上は、本当にサシャ姉上の事を愛していらっしゃるんですね」
アレスティードはそう言われて微笑んだ。確かに、そうだ。
「ああ。自分でもこんなに誰かを愛おしいと思うなんて不思議だ。‥お前だから言うが、出会いは最悪だったんだぞ。でも、サシャの魅力にすっかりやられてしまったんだよなあ」
アルフィレオもにっこり笑って言う。
「確かにサシャ姉上は素敵な人ですもんね。イレインには敵いませんけど」
「お前、本当にイレイン嬢が好きだなあ」
ふふ、とアルフィレオは笑った。
「時々びっくりさせてもくれて、僕の知らない世界を見せてくれるイレインが大好きなんです」
「そりゃよかったよ」
「‥この件のおかげで、僕もイレインと‥いちゃいちゃできて嬉しかったんです‥」
アレスティードは思わず弟に近寄ってその頭をガシガシと乱暴に撫でまわした。
「お前たちは本当に俺たちをダシにして‥」
「わ、ごめんなさい!」
二人は顔を見合わせて笑った。
俺たちは、貴族にしては結婚相手に恵まれているな。そう言って二人はくすくす笑い合った。
夫婦の寝室側にあるドアの前で、サイーシャは立ち尽くしていた。何となくこちらの扉からアレスティードの居室のドアを叩こうとした時、アルフィレオが入って来たのだ。聞くともなく兄弟の話を聞いて、サイーシャは自分の態度が若い二人にまで心配をかけていたことを知った。
そして、アレスティードが「いつまででも待つ」つもりであったことも。
サイーシャの頬を涙が伝う。
自分は、何に引け目を感じ何を恐れていたのだろう。
こんな尋常ではない結婚の過程を経たとは思えないほど、幸せな状況にあるというのに。
あんなに、望まれて愛されているのに。
アルフィレオが居室を出ていった事を確認して、サイーシャはドアをノックした。「え、はい?」というアレスティードの声を聞いてゆっくりとドアを開けた。
「アレス様‥」
部屋に入るなり、頬を涙で濡らしているサイーシャの姿を認めてアレスティードはぎょっとした。すぐさまサイーシャの傍に行って抱きしめ、その涙をぬぐう。
「どうしたんだ?何か嫌なことでも‥あ、まさかどこか具合いでも悪いのか?」
そう言って額に手を当てようとするアレスティードの手に、サイーシャは自分のそれを重ねた。今までそんなことをされたことがなかったアレスティードは驚いてサイーシャの顔をじっと見つめた。サイーシャは涙を浮かべながらも精一杯頑張って微笑んだ。
「いいえ、私幸せなんです。そう知って、涙が出たの。幸せでも人は涙が出るんだって初めて知りました」
そしてアレスティードの顔をじっと見つめ、背伸びをしてアレスティードの唇に触れた。
アレスティードは驚きで目を見開いた。
今、確かに柔らかいものが自分の唇に触れた、が、夢、だろうか。
「アレス様ったら‥違いますよ」
心の声は外に洩れてしまっていたらしい。静かに微笑んでいるサイーシャの顔をそっと両手で挟み込んだ。
「サシャ」
サイーシャは目を閉じた。アレスティードはその唇に触れた。思わず口づけは深くなる。唇を割ってそっと舌を差し入れてみると、サシャはおずおずとそれに応えてくれた。優しく舌を絡ませる。なんて甘いんだろう。
長い口づけに、サイーシャは息が上がりそうだった。身体が痺れるようだ。甘くて熱くて、どうしたらいいのかわからない。
ようやく唇を離してくれたアレスティードがサイーシャの額に自分の額をこつんとつけた。顔が真っ赤だ。‥アレス様だって恥ずかしいのだ、とその時初めてサイーシャは悟った。それでも、ずっと私に気持ちを伝え続けてくれていたのだわ。
「アレス様」
くっつけた額からも熱が伝わってきそうだ。息が上がる前に大事なことを言ってしまわねば。
「愛しています」
アレスティードは再び深く、サイーシャに口づけた。
朝食の席でイレインはエッグベネディクトをきれいにナイフで切り分けながらアルフィレオに囁いた。
「ね、見てごらんなさい」
「え?何を?」
ふふふっと妖艶にイレインは笑った。
「あのお二人よ。‥‥あれが、”ご夫婦”の空気感よ」
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周りでヤキモキしていた方々,お疲れ様でした♪
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わざわざ感想を書いていただきありがとうございます!
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よかったらまた読んでやってください!