私の主人はワガママな神様

どろろ

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15.幸せのため(8)

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「ただいまー」

 家に入るなり誰もいない部屋に向かってただいまを言う。これは幼い頃からの晴太郎の癖だ。玄関ドアを開けると反射的に言ってしまうらしい。
 先に中に入る晴太郎を追うように、七海も家に入る。少し前を歩いてリビングへ向かう晴太郎の背中が目に入る。
 いつの間にか大きく広くなった彼の背中は、間違いなく大人の男性のもの。出会った頃は七海の腰あたりまでしかなかった身長は、もう七海の鼻の先まで伸びた。もしかしたら、身長も越されてしまうかもしれない。
 きっとこれから垢抜けてさらに立派な大人に成長して行くのだ。しかし、それを見届けることは叶わない。——だって、あと3ヶ月しかないのだから。
 
 晴太郎はまだ若い。これから色々なものを見て、知識を得て、どんどん成長していく。七海が居なくなっても、きっとすぐに吹っ切れて、また別の新しい人を愛しいと思うようになるのだ。10代の恋は、そういうものだ。
 けれども、七海は違う。20代の始めから終わりにかけてゆっくり育てた愛情は、簡単に忘れられるものではない。根強く七海の中に残って、七海のことを苦しめる。きっと晴太郎のことを嫌いにならないと忘れられない。——嫌いになるなんて、有り得ないことなのに。
 
 未来のことを考えると、ぎゅっと胸が苦しくなった。今見えている七海の未来には、晴太郎が居ない。愛しくて大切な主人が居ない。
 今はまだ手を伸ばせば届く彼の存在。失う前に、触れたい。彼の温もりを、この手に留めておきたい。気が付いたら目の前を歩く背中をぎゅっと抱きしめていた。

「なっ、七海? 急に、どうした……?」

 ぴくり、と晴太郎の肩が跳ねたのが伝わる。

「すみません。もう少しだけ、このままで……」

 こうしていると、心が落ち着く。ぎゅっと胸が締め付けられるような苦しさから解放される。
 七海より幾分小さな身体を後ろから抱きしめ、彼の肩に顔を埋める。ふわりと香ったのはお揃いの香水の匂い。
 いきなり抱き締められても、晴太郎は嫌がらなかった。驚きに身体を強張らせながら、前に回った七海の手におずおずと自身の手を重ねた。

「何か、仕事で嫌なことあったのか? 辛いの?」
「……そんな感じです。これ……嫌、ですか?」
「ううん、びっくりしたけど……俺、こういうの、嬉しいかも……」

 きゅっと重ねられた手に力がこもった。七海から晴太郎の顔は見えないが、髪の毛の隙間から見えた耳が真っ赤に染まっていることに気付いた。さらに力強く抱きしめて耳を澄ますと、トクトクと早いリズムを刻む彼の鼓動が聴こえる。
 こんな事で、顔を赤くしてドキドキして、嬉しいだなんて。そんな初々しい反応を返されて、愛おしいと思わずには居られない。

 ——好きです、愛しています。
 口から溢れそうになった言葉をぐっと飲み込んだ。
 想いが通じ合っていても一緒にいることが叶わないのなら、いっそ言ってしまえばよかったのかもしれない。
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