さようなら竜生 外伝

永島ひろあき

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魔血女王

憎悪の二穴

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 バンパイアは夜の国の住人、夜闇の覇者などと他種族から畏怖されるように、天地を覆い尽くす闇と、そこに射しこむ月と星の光が世界を占める夜に本領を発揮する種族である。
 夜を司る男性神を創造主の片割れとする為、夜の世界では無類の力と不死性を発揮するが、同時にその出自から太陽が世界の全てを暴き立てる時刻には心身共に著しく弱体化する。
 いや、弱体化などと言う生温いものではない。ごく稀に誕生する、昼歩む者、すなわちデイウォーカーを除けば、バンパイア達は太陽の下を歩む事はおろか肌を晒す事さえ出来ないのだ。

 もし生ける死者にして死せる生者たる彼らの肌が太陽の光に触れようものならば、血の気の引いた肌にはたちまちの内に水ぶくれが出来上がり、皮膚は弾けて肉は焦げ、剥き出しになった骨は粉々に砕け散ってしまう。
 そうして最後には髪も血も肉も骨も何もかもが崩壊し、原型を留めぬ灰燼となって風に散って大地に還る事となる。

 例外的に長い年月を経た強力な個体や、歴史を重ねた古い血統の一員ならば陽の光を浴びぬことを条件に、昼でも影に潜むか人工の闇を纏う事で大幅な身体能力や異能の効果低下と引き換えにかろうじて行動を可能とする。
 それでも夜が去り朝の訪れが近づけば、バンパイアの肉体は不死の源たる物理法則を超越した再生能力を喪失し、思考は朧に解けて超人的な身体能力も見る影も無く衰えてしまう事に変わりは無い。

 故にバンパイアであるタンブル・ウィードも、その尋常ならざる力を発揮できるのはあくまでも夜に限られた事。
 もし太陽が地平の彼方にその輝きを滲ませ始めれば、この頼もしき唯一無二の護衛もたちまちの上に身動きもとれぬ無力な存在へと化してしまう、とガランド達は危惧していた。

 タンブル・ウィードの素性が明らかになった事で彼女の同道を拒否したガランドやアルニ、ミルラ達ではあったが、目的地であるゲルドーラへ向かうまでの道中、太陽の昇る時刻にタンブル・ウィードがどう行動するのか、という点について好奇心が疼くのは否めなかった。
 海魔を撃退後、川からいくらか離れた位置で避難民達が野営のテントを張る中、愛馬を連れて距離を置くタンブル・ウィードには無数の視線が寄せられている。

 今はまだ夜の帳が下りているがこの帳が上った時に、はたしてこの美しすぎるバンパイアどのように行動するのか? この一点に人々の興味は惹かれていた。
 避難民の中で唯一積極的にタンブル・ウィードに話しかけるのは依頼主となったニックだけであったが、知識神の神官であるラアクもまたこの時、タンブル・ウィードに接近していた。
 知識神の神官である事を考えれば、ラアクがその知識欲や好奇心に従って希少な生きたバンパイアと会話しようというのもさほど意外ではなかったかもしれない。

 避難民を見渡せる距離を置いて愛馬から降りていたタンブル・ウィードに、巨漢のラアクが若干の恐怖とそれを上回る大いなる知識欲に突き動かされて歩み寄ってきた。
 ラアクの目は半眼に細められている上に、その視線はタンブル・ウィードの足元に向けられている。
 如何に神官として精神の修行を重ねているとはいえ、目の前のバンパイアの美貌は幾多の苦行で培った克己心を容易く越えて来る。

「私に何か用ですか、ラアク神官」

「用、というほどのものではありません、タンブル・ウィード」

 スレイプニルは主に許しがたき暴言を吐いた一派とラアクをみなし、敵意の籠った瞳をラアクへと向けて今すぐにでも前脚で蹴り飛ばすか噛みつきかねない様子だ。
 スレイプニル一頭にしても高位の幻獣であるから、ラアクやガランド達が手を組んで戦いを挑んでも返り討ちに遭う可能性の方が大きい。

「私は信仰と教義に従ってあなたにいくつかの問いを重ねさせて頂きたく、こうしてお声掛けをしたのです」

「なるほど、あなたは知識神の神官。ならば未知を既知へと変えるべく問いを重ねようとするのも当然の事ですね。私で答えられる事ならば答えますが、良いのですか? 
 あなたのお仲間からずいぶんと冷たい視線があなたに寄せられていますよ。不浄なる不死者に声をかけるのはお止しになっては?」

 だいぶ皮肉の利いているタンブル・ウィードの言葉に、ラアクは小さく頭を下げて謝意を示して見せた。
 もっとも当のタンブル・ウィードはからかうように口元に小さく笑みを浮かべているから、ガランド達からの対応にも別段気分を害しているわけではないのだろう。
 ラアクの行動の理由は、タンブル・ウィードが指摘した通りにバンパイアの脅威と恐怖を良く知る地域の出身者ではあるが、それ以上に知識神の神官に相応しく知識への欲求の方が強いからだ。

「理不尽な事ではありますが、どうかご理解ください。
 かつてあなたと同じ種族の方々がこの近隣の国々に撒き散らした恐怖の伝説は、今もなお鮮烈に私共の記録に刻まれ、恐怖と憎悪は連綿と伝えられているのです。
 人間は恐怖と憎悪を忘れず次の世代へも伝えてしまう生き物ゆえ、直接危害を加えられたわけではない私達の世代でも、あなた方を前にすれば恐怖に心を鷲掴みにされてしまうのです。
 そしてそれを糊塗する為に敵意と憎悪を募らせてしまうのです」

「かつての我らの祖の行いは無かった事にできるものでも、忘却の彼方に置き去りにする事も出来ぬものでありましょう。
 あなた方がそのような態度を取る事については、私なりに理解しているつもりです。
 もはや種族間の問題です。残念ながら個人間の話し合いを一度や二度重ねた程度では、根本的には解決のしよう無き事でしょう。
 ではラアク神官、私への問いを承ります。私の知っている事しか答えられませんが」

「はい、では……」

 おずおずとラアクは問いを口にし始めたが、それも徐々に問いを重ねてそれにタンブル・ウィードが答えるにつれ、ラアクの口調や顔は熱意を帯びて力の籠ったものとなって行く。
 タンブル・ウィードはラアクが期待した以上の教養を持ち、また熱心な生徒に答える教師の如く信仰心の篤い神官に知識を開帳していった。

 孤影を纏う美しき吸血鬼は、これまでラアクが出会った誰よりも世界の真理と魔導の道の深きに達している賢者であり、異なる世界を知る存在であり、知的好奇心を疼かせる相手であった。
 タンブル・ウィードは嫌な顔一つせずに知識神の下僕の問いに答え続けたが、天上の月を風に流れてきた雲が遮り、夜の闇が一瞬深みを増した時、視線を四方へと巡らせる。

 それまで問いを重ねる事に熱中していたラアクも、タンブル・ウィードの行動の変化に気付いて視線の後を追ったが、常人の瞳では煮炊きの火がまばらに映るだけで何かしらの異常を見つける事は出来なかった。
 敵襲か? とラアクは全身の神経を尖らせて、腰に吊るした鉄の棍棒へそろりと右手を伸ばす。これまでそれなりの数の獣や魔物の頭蓋を砕いた相棒である。

 ガランドやアルニ、ミルラ達もタンブル・ウィードの行動に気付いて各々が武器を構えているが、彼らはタンブル・ウィードに対しての備えであり、その点に於いてラアクとは異なった。
 タンブル・ウィードは自分がただ四方に視線を巡らせただけでこうも反応するラアク達に、ふっと気の抜けた表情で呼び掛ける。

「身構える必要はありません。といってもあなた方にとっては警戒に値するのかもしれませんが、私が放っておいた馬達が戻ってきただけです。アンデッドの襲撃ではありませんよ」

「馬ですか。となるとそちらのスレイプニルと同じ?」

「ええ。四頭と一緒に旅をしていたのですが、この辺りに差し掛かった時に不穏な気配が満ち満ちているのを感じたので、周囲を少し探って貰っていたのです。
 私達の方で事態の変化が起きましたし、情報のすり合わせと戦える者の数を増やした方が良いと考え、彼らに戻って来て貰いました」

 タンブル・ウィードの言葉が闇に消えるわずか前に、闇の帳の向こうから燃え盛る炎のような白い鬣を揺らして、漆黒の巨体を六本の脚で支える巨馬が三方から姿を表し、月光の輝きを纏いながらタンブル・ウィードの元へと近づいてくる。
 ようやく休めると気を抜いていた避難民達やタンブル・ウィードへ警戒の念を向けていたガランド達は、突如として姿を見せた魔馬に気付きあたふたと動揺している。

 新たに姿を見せたスレイプニル達は避難民やミルラ達の事などまるで眼中になく、敬愛し忠誠を誓うただ一人の主の元へと集い、主に付き従っていた同胞や主に声を掛け、頬を擦り寄せて離れていた時間を埋める。
 タンブル・ウィードは一頭一頭の首筋を撫で、ねぎらいと感謝の言葉をかけて戻ってきたスレイプニル達と情報交換を始めた。

 バンパイアは総じて動植物と意思の交感を可能とするが、かなり高位のバンパイアと推察されるタンブル・ウィードならば、元より人間並みかそれ以上の知性を持つスレイプニルと意思を交わす事など造作もないだろう。
 スレイプニル達から情報を聞き終えたタンブル・ウィードは、しばし口を閉ざして思案に耽るそぶりを見せたが、直にラアクの視線に気づいて口を開いた。

「アンデッド達は最低でも十体以上の集団で近隣に散っているようです。
 この子達が出来得る限り排除はしてくれましたし、先程倒した者達の事を考えれば、近隣に脅威と言えるだけのアンデッドの集団はいないと見て良いでしょう。
 ただしそれはあくまで尋常な方法で移動するアンデッドに限っての話。警戒を怠って良い理由にはなりません。
 私が伝えるよりもあなたの方から伝える方が角も立たないでしょうから、ラアク神官から彼らにお伝えなさい」

「さようですか。分かりました。ガランドや避難民の方々には私の方からお伝えしましょう。それで、タンブル・ウィード」

「まだなにか?」

「いえ、夜明けを迎えたならあなたはいかがなさるのですか? 
 私の知る限り、太陽の下を歩めぬバンパイアは、信頼できる者にしか教えない秘密の寝所で棺に入るものと決まっております。
 しかしながらあなたが御自身の棺を携帯している様にはとても見えません。それともあなたはごく稀に誕生すると言う昼歩む者なのですか?」

 バンパイア最大の弱点を克服した特別な個体なのかと問うラアクに、タンブル・ウィードは小さく首を横に振った。

「いえ私はあなた方については行きますが、太陽の下を歩む事は控えます。太陽が天にある間はこちらの中で過ごす予定ですよ」

 おもむろにタンブル・ウィードは最初から行動を共にしていたスレイプニルの足元に近づくと、月の光が落とす魔馬の影に白い右手を突っ込んだではないか。
 影はまるで黒に染まった底なし沼のようにタンブル・ウィードの繊手を飲み込み、わずかな間を置いてタンブル・ウィードが右手を引き抜いた時、小さな小屋ほどもある箱型の物体の一端を握っていた。

 ラアクはかすかに目を見開いたが、すぐに影を亜空間と変えて多くの物体を収納する魔法の一種と看破した。
 人間をはじめ多くの種族の魔法使いが開発した魔法であり、細かな術式や利用制限などは諸々あるのだが、その利便性ゆえに今も昔も研究されている魔法の一つである。

 それにしてもタンブル・ウィードが取りだした物体の巨大さはいかがなものか。
 通常であれば精々人間一人が持ち運びできる重量と体積が限度なのだが、タンブル・ウィードが取りだしたのはよくよく観察して見ればなんと馬車の車体であった。
 今、タンブル・ウィードの元に集った四頭のスレイプニルが牽いていた馬車なのだろうが、馬鹿らしくなるほど巨大な黒曜石から彫琢したように無骨で黒光りする車体は、途方もない重量感と威圧感を発している。

 いかにバンパイアとして人間を遥かに越えた膂力を持つとはいえ、見た目は過去に数多の絵師達が描いた美女画の中にも存在し得ない美女であるタンブル・ウィードが、馬車の車体を持ちあげている姿はどうにも非現実的な光景に見える。
 これといって装飾が施されているわけでもない質実剛健といった造りの車体を地面に下ろし、タンブル・ウィードはテキパキとスレイプニル達と馬車を繋ぐ作業に移っていた。

「家紋などはないのですね」

 人間やバンパイアを問わず、貴族や大商人ともなれば当然の如く家紋が刻まれていてしかるべきなのだが、タンブル・ウィードが影から取り出した馬車にはそれらが見当たらない。
 ラアクからすれば何の気なしに口にした事であったが、タンブル・ウィードは一旦作業する手を止めて少しの間を置いた。
 思わぬ所でタンブル・ウィードの心を揺さぶってしまった事に、ラアクの方がむしろ驚いた。

「恥ずかしながら没落した家系ですので、恥を晒すまいと家紋や装飾を取り払っているのです」

「それは……申し訳ない事をお聞きしてしまいました」

「いえ、既に私の中では心の整理が終わっている事ですから」

 気まずい事を聞いたラアクは、夜明けが差し迫っている事も含めてこれ以上質問を重ねる事を止めにした。
 自分達も交代で仮眠をとりつつ、アンデッド達の襲撃に備えなければならない。
 生まれ育った土地を離れ、どうなるとも分からぬ逃避行に晒されて避難民達も疲弊し、心が荒んでいる。

 城塞都市ゲルドーラまで後わずかという所まで来ている事と、ゲルドーラにさえ到着すれば何とかなると言う希望に縋ってここまで来たのだ。
 タンブル・ウィードという存在は、良くも悪くもそんな避難民達の心を揺さぶるのに十分すぎる存在だった。

 願わくはこのままこの妖美なるバンパイアが味方で居て続けてくれれば、とバンパイアを傍に置く事の危険性を理解しつつも、ラアクはそう願わずには居られない。
 目礼してその場を去ろうとした時、避難民達の方から小柄な影が駆け寄ってきた。影の正体は言わずもがなニックである。
 彼以外に好き好んでタンブル・ウィードに近づこうとする者はいないだろう。

「タンブル・ウィード!」

 避難民達とその護衛達の中で唯一、積極的な交流を持つ少年の呼び声に、タンブル・ウィードは小さな笑みを柔らかに浮かべる。ただしその間も手を止めてはいない。
 高貴な生まれの極みとしか見えない美貌と風格の主だが、馬車と馬を繋ぐ作業は実に手慣れたもので、没落した一族だという言葉も合わせて考えれば相当に苦労してきたのだろう、とラアクに思わせた。

「ニック、まだ眠らなくて良いのですか? 今日はゾンビー達に追い回された事もあって疲れているでしょうに」

「もうちょっとしたら寝るよ。タンブル・ウィードがどうするのか気になって来てみたんだよ。
 そしたらなんかどっかから馬達が集まって来ているし、気付いたらタンブル・ウィードが馬車を引っ張り出してるわで、おれだけじゃなくって皆びっくりさ」

「皆さんを驚かせる為にしたわけではないのですけれどね」

 そう言うタンブル・ウィードの顔はどこか悪戯の成功した童女のように悪戯っぽい。

「タンブル・ウィードはこれからこの馬車ん中で寝るのかい? バンパイアならお日様を浴びるわけにはいかないもんな」

 子供だからこその遠慮の無い発言にラアクはぎょっと目を見開いたが、タンブル・ウィードは気にした風も無くニックとの会話に応じた。

「ええ。太陽の光を浴びると肌が焼け爛れ、完治するのにはとても長い時間が掛ります。中には一生治らない者もいます。
 私達は月と闇に愛されましたが、太陽に存在を祝福しては貰えませんでした。せめて忌避されてはいないと思いたいものです」

 哀切な響きをわずかに含んだタンブル・ウィードの言葉は、バンパイアの生態を調べている研究者達にとって金の山にも等しいものであったが、生憎と耳にしたのは田舎の少年と知識神の神官のみであった。
 ラアクとてバンパイアの知識のみを求めているわけではないのだから、この時のタンブル・ウィードの発言をバンパイアならそう言うものだろう、とさほど重要なものとは考えていなかったのである。

「タンブル・ウィード、なんか手伝えることあるかい? つってももう終わりそうだけど」

 ニックの言う通り、タンブル・ウィードは既に作業を終えていて、四頭のスレイプニル達はそれぞれが馬車を引く定位置について、具合を確かめるように身を揺すっている。

「ちょうど今終わりました。このまま陽が昇るまでは外に居ますが、その後は馬車の中の棺に入っています。
 ただ起きてはいますから話しかけてくれれば会話もできますし、私の方からあなた達に話しかける事もありましょう。
 それに私の代わりはこの子達が十分にこなしてくれるでしょうしね。頼みましたよ」

 そう言ってタンブル・ウィードはスレイプニル達に話しかけ、スレイプニル達は主からの期待に対し、任せておけと言わんばかりにぶるる、と白い息と共に鳴いて答えるのだった。
 タンブル・ウィードが馬車の中に引っ込むまでまだ幾許か時間の余裕があると知ったニックは、にやりと意地の悪い笑みを浮かべて一度は追及を諦めた質問を再び口にした。

「ねえ、タンブル・ウィード」

 タンブル・ウィードはニックを振り返り、小さく首を傾げてなんですかと問いかけした。
 あどけない仕草は妖艶の極みと言ってよいタンブル・ウィードに意外とよく似合い、束の間ラアクや遠巻きに見ていたガランド達の意識を奪った。

「前に聞いたタンブル・ウィードの好きな人の事を教えてよ」

「まあ、あの時の話をまた蒸し返すのですか?」

 ニックのにやにやとした顔つきと好奇心をたっぷり詰め込んだ言葉に、タンブル・ウィードは幼い弟の我儘を聞かされた姉を思わせる表情を浮かべる。
 男のみならず女の心であろうと望むだけ恋慕の海に耽溺させられるだろうに、このバンパイア自身は美貌と年齢不相応に恋愛や色事に対し初心だった。

「だって詳しい所は教えてくれてないだろ? 
 こう言う事をずけずけ聞くのはよくないってタンブル・ウィードはいうけどさ、気になる事をそのまま放置にしておくのも気分が良くないからね。
 教えられる所までで良いから教えてよ。タンブル・ウィードを惚れさせるなんて、同じ男として凄い興味があるんだ。おれの将来の為にもぜひ教えてほしいね」

 いくらタンブル・ウィードが気心を許している様子とはいえ、あまりにも恐れを知らぬニックの問いである。
 タンブル・ウィードは自分の恋心を第三者に明らかにする事に抵抗があるのか、この女性にしては珍しく返答するのに随分とまごついた。

「そうは言いますが、私はあまりこう言った話はした事が無いのですよ。ですからどう話せばよいかも分からないのです」

「じゃあ、おれが質問するからそれに答えてよ。答えたくない事なら答えなくっていいからさ。それならいいだろ?」

「ええ、まあ、そういう事でしたら」

 別にタンブル・ウィードがニックの質問に律儀に答える必要は無いのだが、生まれてからほとんど経験の無かった分野の事だから、タンブル・ウィードはすっかりニックに主導権を握られてしまっている。
 タンブル・ウィードとて偽名を名乗るはるか以前には、その出自ゆえ縁談話や婚姻に関しても多くの話があったが、それはタンブル・ウィードの意思の介在がほとんど許されぬものであったから、彼女自身が恋慕の情を抱いたのは今の相手が初めてなのだ。
 つまり、初恋なのである。

「相手ってタンブル・ウィードと同じバンパイアなのかい? それとも別の種族? 人間とか獣人とかエルフとか、意外な所で人魚とか」

「相手は…………人間ですね」

 一応、という単語をタンブル・ウィードは飲み込んだ。肉体的には確かに人間で良い筈なのだが、霊魂に関してはどうも異なるからだ。
 タンブル・ウィードはそういえば自分が彼の事をほとんど知らない事に今更ながらに気付き、それがとても寂しい事に思えて他ならなかった。

 彼の事なら何でも知りたい、何でも知って貰いたい、全てを知りたいと強烈な欲求が見る見るうちに胸の内に膨れ上がったが、タンブル・ウィードはそれをそっと胸の内に仕舞いこんだ。
 その彼は海の向こうの国に居るのだ。いずれ彼と再会する約束を交わしてはいるが、その約束を果たすのはもう少し先になるだろう。

「へえ!? バンパイアってのは他の種族の事をあんまりよく思っていないから、滅多に結婚したりしないって聞かされたけどなあ。
 じゃあもしその人とタンブル・ウィードが結婚したら、半分人間で半分バンパイアか。こういうのをなんて言うんだっけ? ハーフ・バンパイアじゃなくって、ええっと」

 かつて行われたバンパイアの蛮行への恐怖故に、この地域の人間達はバンパイアの生態について詳しいが、ニックは昔話を聞かされるよりも外で体を動かす方が性に合う子供であった。

「ハーフ・バンパイアでも間違いではありませんが、半分バンパイアで半分他種族の者はダンピールと呼ぶのですよ」

 タンブル・ウィードに変わって答えたのは、意識不明の状態から復活したラアクである。
 大抵、異なる種族の婚姻によって誕生した子供は半人半獣であるとか、片方の親の種族名の前にハーフとつけて呼称するのが一般的だが、バンパイアの場合は他種族の血を引く子の事をダンピールと呼ぶ。

「ラアク神官の言う通りです。以前は男子ならばダンピール、女子ならばダンピーラと性別によって呼び分けていましたが、今では性別によらずダンピールと呼んでいます。
 私の故郷にもかなりの数のダンピール達が住んでいました。バンパイアと違って太陽が昇っていても行動できますから、様々な所で大変重宝していましたよ」

「ほう、それは貴重な話を聞けましたな。多くのバンパイア達は他の種族の血が混じるダンピールの事を快く思っていないと聞いておりました」

 ダンピールはバンパイアの身体能力や魔力、不死性をおおよそ半分ほど受け継いだ強力な種である。
 バンパイアの親からはその優れた身体能力と不死性を、そしてもう片方の親からも種族的特性を受け継ぐ。

 例えばタンブル・ウィードが想い人と結ばれたと仮定して、バンパイアと人間の組み合わせによるダンピールの場合、人間の親から受け継ぐのはずば抜けて高い陽光への耐性である。
 ダンピールは片親がバンパイアと同じように陽光下での活動を不得手としない限り、陽光下での活動が可能となる。
 だが片親が人間となると太陽の光に対する耐性が、他の種族を親に持った場合と比べて圧倒的に高くなるのだ。

「おれもだなあ。血が半分ずつだからバンパイアからも、もう片方の側からも歓迎されなくって仲間外れにされてたって昔話で聞いたぜ。
 それどころか産んでも貰えない事が多かったって言うしよ」

 ニックの言う事は紛れもない歴史的事実でもある。
 バンパイアは吸血行為以外にもその他の種族と同様に性行為でも子を成す事が出来るが、他種族が母親の場合は多くが吸血行為の犠牲者であり、バンパイアと化す事は免れたもののその胎内にバンパイアの種を残されて親となるケースが多くを占める。

 その為に、母親やその肉親、同じ村や町の住人達からダンピールの子は存在を歓迎される事は滅多になく、産まれる事さえ許されないか産まれても周囲から迫害を受け、耐えきれなくなった親に殺されるか、生まれ育った場所から出奔して孤独に生きる事が多い。
 そういった背景が存在しているから、タンブル・ウィードの故郷にダンピールがたくさん居り、重宝されていたと言う話は二人にとって意外なものであった。

「やっぱり人間とバンパイアの側とじゃ、子供の扱いも変わるのかな?」

 ニックの素朴な疑問にタンブル・ウィードはそうですね、と短く返したきりだ。
 実の所、ニックやラアクが言ったようにバンパイアは特に純血を尊ぶ種族であり、他の種族の血が入ったダンピールの事を快く思わない者は多い。
 吸血行為によって他の種族からバンパイアへと変貌した者を成り上がり者と見下すのと同じように、ダンピールの事を同じ血が流れていながら下に見るのだ。

 タンブル・ウィードが暮らしていたバンパイアの国は、数あるバンパイアの国の中でも人間に対して友好的でダンピールへの迫害も小さかった例外的な場所だ。
 その事はタンブル・ウィードも分かっており、決してバンパイアの国の全てがバンパイアの血を引くダンピール達に優しい国では無い。

 特に始祖六家の血を引く六大王国のひとつグロースグリアの当代国王は、残虐無惨で知られており、他の五家を根絶やしにしてバンパイア諸国家を統一した悪鬼羅刹と名高い。
 タンブル・ウィードはそれらの事をよく知ってはいたが、その事をわざわざ口にする必要は感じなかったから、黙ったままであった。

「じゃあさ、その男の人はどんな人なんだい。いつ、どこで出会ったのさ」

「そうですね、出会ったのは……」

 それからニックが家族に呼び戻されるまでの間、タンブル・ウィードはたどたどしくニックからの問いに答え続けた。


 幸いにしてこの夜にアンデッド達からの襲撃は無く、避難民達は持ちだした食糧で腹を満たし、互いに体を寄せ合って体温を分け合いながら凍える一夜を明かす事となった。
 翌朝、避難民達の最後尾から離れて御者の居ない四頭立ての馬車が後に続き、時折避難民やガランド達が気味悪さと僅かな頼もしさを混ぜた視線を向けながら、野を進んで行った。
 ニックは馬車の中で起きている、と告げたタンブル・ウィードに話しかけようと何度か試みたが、バンパイアへの恐怖に凝り固まった家族に許されなかった。

 祖母だけは意味ありげに荷台の上で笑うきりであったが、ニックを止めもしなければタンブル・ウィードと話に行くのを後押しするわけでも無く、ニックの唇をへの字に曲げるのに一役買うきり。
 時折タンブル・ウィードを気味悪がって追い払ったらどうか? と相談しに来る村長や村の顔役らを適当にあしらいながら、ガランドとアルニは何度目になるのかゲルドーラまでの道筋とタンブル・ウィードについて話し合っていた。

「ラアク神官の話では、昼間だとタンブル・ウィードは無理でもその馬達が助けてくれるそうだが、さて敵は来ると思うか?」

 ガランドは普段なら気持ちの良い位に晴れた青空を、敵を見る眼で見上げた。
 天の恵みと言いたくなる様な豊かな陽の光が、しかし、この時に限っては彼らの最強の味方の動きを封じているのだ。
 立場と心情からタンブル・ウィードを表だって味方と扱う事は出来ないが、やはりガランドはタンブル・ウィードを味方であると前提して行動している。

 アルニはそれなりの付き合いの長さと分かりやすいガランドの性格から、この同僚の心境を把握していたが追及する事はしなかった。
 彼もつまる所はガランドと似たり寄ったりの心境なのだ。バンパイアを近づけたくは無い。だがあの戦闘能力は道中に於いてこの上なく頼りになる。

 しかもほぼ不死身というおまけつきである。これで絶対に血を吸わないと自分達が確信できる保証さえあれば、額を地面に擦りつけてでも同道を願う所だ。
 そういう意味ではニックがタンブル・ウィードを雇った事は僥倖であるが、避難民達のバンパイアに対する恐怖を煽って、心労を増やしているという意味では厄介の極みとも言えて、頭を悩ませてくれる問題であった。

「来るだろう。人間の命かそれとも血肉が欲しいのかは知らないが、相手が満足するまで襲撃が止む筈がないよ。そして我々に敵が満足したかどうかを知る術は無い。
 なんとかゲルドーラに辿り着き、そこで皆を預けて守りを固める事が今の私達に出来る精一杯の事だね。
 ゲルドーラがアンデッドの襲撃に備えてくれていると良いけれど、万が一がないとは言い切れないからね」

「一番厄介なのは、ゲルドーラの先、王国全土でこの事態が生じている事だな。こうなるとゲルドーラも孤立していずれは、という事態になりかねない」

 もしそうなったら一騎当千の勇者では無く、単なる一騎士でしかないガランドやアルニに出来る事はほとんどなくなってしまう。
 襲い来る不死者の群れを一人でも多く本来の眠りに帰し、少しでも長く命懸けで抵抗して後は不死者の群れの仲間入りが待ち構えている未来だ。

 暗雲ばかりが分厚く立ち込める未来予想図を振り払おうと、ガランドは大きく頭を振るった。
 自分達が希望と救いを求めて向かう先に待っているのが、決して明るいものではないという考えに囚われて、顔に影を射す二人の背中を苛立った様子のミルラがひっぱたいた。
 といっても鎧を着用している二人相手だから、自分の手を痛めないように手加減していて派手なのは音だけで二人に痛みは無い。

「なあに暗い話ばっかしてんのよ。ゲルドーラには千からの兵隊が駐留してるし、傭兵や冒険者の類もわんさかと居るわ。それに各教団の神殿だってたくさんあるじゃない。
 昔っから対バンパイアに備えてここら辺の都市は不死者への対策を怠っていないんだから、もっと前向きに考えさないよ! あんたらがそんな顔していたら皆が不安がるでしょうが」

「おう、そうだな。ミルラの言う通りだ。こう言う時、女の方が逞しいものなのかね。情けない顔ばかりはしていられんな」

 ミルラの乱暴な激励は落ち込みつつあった二人の心を奮い立たせ、自分達が騎士として守るべき避難民に不要な心配を与えぬようにと、努めて明るい表情を浮かべ直す。
 夜明けと共に歩き始めてからずっと歩き通しで、ゲルドーラまでは残す所丸一日の距離だ。

 ゲルドーラが哨戒の部隊を出していればその部隊に接触を試みる選択肢もあるが、運の要素が大分強い。希望的観測は抱かずに行動するべきか。
 腰に吊るした革の水筒に口を着け、生温い水で咽喉を潤したガランドはふっと自分達に巨大な影が掛っている事に気付いた。

 雲か? と目を細めて頭上を見上げれば、そこにはいくつもの黒い影が悠々と青い空を飛んでいるではないか。
 すると周囲にビチャビチャと音を立てて上空から液体が降り注ぎ、堪らない異臭とどす黒い染みが地面に広がっている。

「なんだ、黒い雨? 違う、血か!」

 アンデッド達の襲撃があるとは予想していた。だがまさかそれが陸からではなく、よもや空からの襲撃とは!
 ガランドとほぼ同時にアルニやミルラ達も気付き、空を仰ぎ見て武器を構える。
 避難民達は慌てつつも事前の取り決め通り、老人や子供を中心に、馬や荷台を外に置いて密集して円を描く。

 頭上に羽ばたく影は牛馬もやすやすと持ちあげられるような巨大さだ。おそらく鳥のゾンビーだろう。それらが一、二、三……十羽はいる。
 空を飛ぶ敵に有効な攻撃手段など、精々ラアク神官の神聖魔法位のものだ。ミルラのダートやナイフなど、いくら投げた所であれだけ巨大なゾンビーには効果があるまい。

 一応、ガランドやアルニ達は見習い時代に飛行能力を有する魔獣との戦い方も習ってはいる。
 相手の魔獣の特性を調べてなんとか地上に引きずりおろし、投網や鉤付きのロープ、鎖で動きを封じてそこを槍など間合いの長い武器で少しずつ傷つけて倒す、というものだ。
 あれだけの巨体と数、そしてゾンビーであるが故に痛みを感じない敵とあっては、とても通用しそうにない。

「参ったね、どうも。降りて来た所を何とか斬りつけてみるかい?」

 アルニが半身に構えた体を盾で覆いつつ、頭上の死せる鳥どもを睨みつける。
 口元には笑みが浮かんでいるが、こめかみには冷たい汗が浮かび上がって自分達の窮地を否が応にも理解している事が伺える。
 答えるガランドも似たような心境らしく、こちらは険しい顔で頭上の敵を睨みつけている。

「斬りつけて飛び乗る位の事は言ってのけろよ。一撃で翼位は斬り落としたいもんだが」

「まあ、難しいよねえ。大剣を使ってもあの大きさは斬れそうにないし。ラアク神官はいかがです? 
 確かアンデッドを天に還す奇跡が存在していると耳にした事がありますが」

「申し訳ありません。まだ信仰が足りておらず、私はまだその奇跡をこの地上に起こす事が出来ません」

 となると地道に力の及ぶ限り戦う他ないが、それでは正直言って勝算は無いに等しい。

「なあガランド、情けない話だけれど彼女の事が思い浮かんだよ……。夜だったらタンブル・ウィードがあっさり片付けるんだろうなあってね」

「言うなって。ここで意地を張らないと何の為の騎士か分からなくなるぞ」

「ぐだぐだ喋ってんじゃないよ、来るわよ!」

 どんな鳥の咽喉も出し得ない薄気味の悪い鳴き声が天に陰々滅滅と響き渡り、腐った血を零す死せる鳥達が翼を折り畳んでこちらへと向かって急降下し始める。
 巨大な鳥と言えばロック鳥などが有名だが、今頭上から襲い来る死せる鳥達の何とおぞましい姿である事か。
 風切る羽は大部分が抜け落ち、かろうじて骨に張り付いている肉は青黒く変色して、薄汚い腐汁を滲ませ、急降下の最中にもぼろぼろと剥がれ落ちている。

 白く濁った瞳やぽっかりと開いた黒い奈落を思わせる眼窩は、決して避難民達やガランドを映してはいなかったが、死せる肉体を動かす邪悪な魔力は生ある者を襲えと彼らを突き動かしている。
 鼻がもげるような腐臭と共に死鳥達の羽ばたきによる風圧がガランド達を襲い、鼻ばかりか眼もひりひりと痛みを訴えて来る。死鳥達の腐臭が催涙ガスとして機能していたのだ。

「ぐおお、なんて臭いだ!? ラアク神官!」

「くぅぅ、神よ、我らを侵す害悪より我らを清めたまえ、浄化リフレッシュ

 涙目になっていたラアク神官が信仰するライブラ神へ奇跡を祈り、迅速にその祈りは聞き届けられた。
 ラアク達を襲っていた凄まじい腐臭から五感が保護され、正常な状態へと治癒される。
 それまでの痛みや苦しみが嘘のように消え去り、ガランド達は見る間に視界の中で巨大化してきた死鳥達へと武器を構えた。

 大きく開かれた嘴、ぼろぼろに欠けた爪がこちらへと向けられ、空と言う圧倒的優位な地理条件を味方に付けた死鳥を相手に、ガランド達の武器はあまりにちっぽけであったがそれでも戦う意思を失わぬ彼らは称賛に値する。
 咄嗟に身をかがめた自分の上を途方も無く巨大な物体が通り過ぎ、発生した風に体を持って行かれそうになるのを、ガランドは懸命に堪えた。

「くそ、なんて風だ。ミルラ、飛ばされてないだろうな!」

「これ位、なんて事無いわよ。ガランド、鳥だけじゃないわ」

 なにい、と叫ぶ間こそあれ、ガランドは死鳥の背中から人影がいくつも飛び下りて、こちらへと襲い掛かって来るのに気付いた。
 敵はゾンビーと化した巨鳥ばかりでなく、その背に乗って輸送されていたゾンビー達も居たのだ。

「くそがっ」

 夜の森で戦ったのと同様に、選りすぐった死体の部品を繋ぎ合わせて作った死人であろう。一対一では常人であるガランド、アルニ、ミルラ達に勝ち目は無い。
 死人兵士を降下させる目的を果たした鳥達も旋回した後に上昇し、今度はこちらの命を狙った急降下を行う予備動作に入っている。

 死人とは到底信じられない滑らかな動作でこちらに斬りかかってきたゾンビー兵の剣の一撃を盾で受け止め、ガランドは力のタイミングを図って太刀筋をずらして後方に下がった。
 肉体の破損を考慮する必要が無くなり、魔法による強化も加えられたゾンビーの筋力は常人の比では無い。朽ちた死体が生者を力で圧倒するのだ。
 真っ向からのぶつかり合いで勝ち目がない以上、ガランド達は技量と連携とで戦う他ない。

 ミルラが両手を振るい。風を切って鈍色のナイフが迫りくるゾンビー兵の機先を制して投げられた。ナイフばかりでなく、これまで拾っておいた石ころなども交じっている。
 たかが石ころと侮ってはならない。眼に当たれば失明は免れないし、鼻柱を折られれば溢れ出る血で呼吸が阻害される。
 また中には投石部隊を保有する軍隊も存在しており、投石も立派な武器と言えるだろう。

 もっとも頭蓋を割られて脳漿が零れ出してもまるで怯まないゾンビー相手に、何処まで有効であるかは疑問が残る所ではある。
 ミルラも投石そのものは攻撃の本命とは見ておらず、頭部を狙って転倒させて戦列を乱す事と、足を狙って機動力を削ぐ事を目的として石を投げている。

「我が神ライブラの神威を見よ、神聖衝セイントフォース

 神聖魔法で最も基礎的な破邪の奇跡がラアクの祈りに応じて生じ、ラアクの掲げた鉄の棍棒の先から青い清浄な光が放たれて、眼前に迫りくるゾンビー達の醜悪な姿を照らし出す。
 青い光そのものが善なる神の神力の具現であり、光に触れたゾンビー達は力の弱い者はその場でもの言わぬ骸に戻り、そうでない者も明らかに動きが鈍る。

 既にガランド達の武器はラアクによってライブラ神の加護が備わっており、魔法視力に長けていないガランド達でもはっきり分かるほどに青い光を帯びている。
 これならば通常の物理攻撃の効果が薄いアンデッド相手に、絶大な効果を期待できる。
 後はこれらの武器をアンデッドに叩きつける事が出来るかどうかが鍵だ。

「お早く、私では長く奇跡を起こし続ける事は出来ません」

 ラアクの謹厳実直な顔つきに苦悶の色が僅かに浮かんでおり、ゾンビー達の動きを鈍化させられるのもさして長い時間で無い事はガランド達にもよく理解できた。
 数の上では大いに不利だが、だからと言って引く事の出来る戦いではない。制空権も取られている以上、この場から離れる事さえ出来はしまい。

「やるぞ、アルニ」

「分かっている」

 短いやり取りを交わし、ガランドとアルニは盾と長剣を構え直し動きの鈍ったゾンビー兵達へと斬り込んだ。
 ミルラの他にも避難民の中から弓の扱いに手慣れた猟師や村人を選び、神聖魔法を付与した矢を射させている。
 男連中にも石や鉈を持たせてはいるが、こちらは戦力としては期待していない。彼らに対するせめてもの気休め程度の効果があれば恩の字と割り切っている。

 羨ましくなる位に高品質の装備に身を包んだゾンビー兵の一体が、ハンドアックスを振りあげてのろのろと襲い掛かって来るのを、ガランドは相手の左脇に駆け抜けて避けた。
 善なる神の威光によってゾンビー兵達の戦列は乱れており、このゾンビー兵は一体だけ突出していた。

 ガランドは駆け抜けざまに長剣をゾンビー兵の脇に突きこむ。
 甲冑に守られていない部分を狙うのは至難の業ではあったが、ゾンビー兵の動きが鈍っていた事や盾を持っていなかった事から、かろうじて長剣はゾンビー兵の身体を貫く事に成功する。
 肉の塊を突く嫌な感触とぶしゅぶしゅとゾンビー兵の体内で溜まっていたガスが噴きでる音に、ガランドは思わず眉を顰めた。

 幸いにして知識の神が施してくれた加護は十二分にその力を発揮して、長剣に貫かれたゾンビー兵はすぐさま糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちる。
 ガランドはそのまま長剣を取り落としそうになるのを、慌ててゾンビー兵から引き抜いて次の敵を見定める。

「こういう時に神々のありがたみを感じるようじゃあ、不心得者と罵られても仕方ないな」

 ちらっと周囲を見渡してみればライブラ神の奇跡は、ミルラのナイフでもその神威を発揮しており、剥き出しの顔面や咽喉にナイフやダートを突き立てられたゾンビー兵達が所々で崩れ落ちている。
 ラアク神官の援護ありきとはいえ、動き回る敵を相手に見事という他ない手錬である。ガランドはついつい感心するのを禁じ得ない。

「大した腕前だな。しかし、ミルラの奴、どうやってあそこまで腕を上げたんだ。経験と才能と言えば、それでおしまいだが……」

 思っていた以上のミルラの投擲技術にガランドが感心とささやかな疑問を抱いている間にも、アルニが長槍を振り回すゾンビー兵を相手に立ち回り、ガランドもすぐさま小剣や長剣を手にしたゾンビー兵達と大立ち回りを演じなければならなくなった。
 ラアクの奇跡が時間制限付きとはいえ、ゾンビー兵達だけが相手だったならガランド達は大健闘と言ってよい戦いぶりである。

 だが思ったよりも戦えている、と思う以上にガランド達が恐れていた事が起きた。上空に戻り旋回していたゾンビー鳥達が、いよいよこちらへ襲いかからんとし始めていたのだ。
 また耳から鼓膜から腐り落ちそうな濁った鳴き声が天から響き渡り、ガランド達は危険と分かってはいても思わず頭上を仰ぎ見る。

 避難民達も上空で動きを見せるおぞましいゾンビー鳥達に対し、恐怖に満ちた悲鳴を挙げていた。
 恐怖と不安の見えない霧が立ち込めてこの場を満たし、負の感情が戦場に溢れて行く。
 手の届かぬ天空から襲い来るゾンビー鳥に対し、忌々しさと無力な自分に対する怒りで満ちた眼差しを向けるガランドの視界を、不意に別の影がよぎった。

「馬? 翼の無い馬が空を駆けている!?」

 はたして見間違える事があるだろうか。それは紛れもなく馬であった。力強く虚空を踏みしめて爆発的に加速して行く六本の脚。腐臭漂う風を浄化するが如く靡く白い鬣。
 空を我が物顔で飛ぶゾンビー鳥達を蹄に掛け、あるいは体当たりでばらばらに打ち砕いてゆくのは、タンブル・ウィードが使役するスレイプニル達に他ならない。

 一度は馬車に繋がれたスレイプニル達が、空からの襲撃者達に対応する為に再び解き放たれて、最高位の幻獣の霊力によって空へと駆け上がって邪悪を蹂躙しているのだった。
 翼を持ち空飛ぶ天馬として広く知られたペガサスならともかく、翼を持たないスレイプニル達が空を自在に駆ける姿にガランド達は思わず目を引かれてしまう。

 重力の鎖などまるで意にもかけず、白く長い鬣を靡かせて空を疾駆するスレイプニル達のなんと勇壮な事か。
 漆黒の皮に強靭な筋肉を覆われた六本の脚の躍動感たるや、感嘆の息が零れるのを誰もが禁じ得まい。
 空を汚す忌まわしきゾンビー鳥達を決して空の王者とは認めぬとばかりに次々と駆逐して行くその姿は、大神の愛馬の子孫たる事への誇りに満ちて見える。

 思わぬ援軍はそればかりに終わらなかった。
 牽引するスレイプニルを解き放ち鎮座しているタンブル・ウィードの馬車の天板の四隅に、それまで存在していなかった筈のランプが吊るされているではないか。
 そのランプの中にぽっとオレンジ色の火が灯るや猛烈な勢いで燃え盛り始め、一抱えもある炎の塊となって、まるで意思ある生き物のように空を舞い次々とゾンビー鳥やゾンビー兵達に食らいついて行く。

 タンブル・ウィードの馬車が備える防衛機構の一つが、棺の中のタンブル・ウィードの操作で起動したのだろう。
 はたしてどれだけの熱量を持っているのか、炎が直撃したゾンビー兵やゾンビー鳥達は骨に至るまで瞬時に灰となり、纏っていた鋼鉄の武具さえも気化している。
 高位魔導師の放つ上位火炎魔法にも匹敵する火炎弾だ。
 もし人間達がこれと同じ事の出来るランプを作ろうとすれば、必要な人材と魔法素材をかき集めるのに目を剥く様な金額と時間とを必要とするだろう。

 タンブル・ウィードが太陽の下に出られなくとも、スレイプニル四頭と馬車の備える防衛機構だけで、ゾンビー達はほどなくして撃退されると誰しもが思った。
 だがほとんどのゾンビー兵やゾンビー鳥がスレイプニルや火炎弾によって駆逐される中、装備の異なる指揮官と思しいゾンビーだけは迫りくる火炎弾を真っ二つにし、疾風の速さでガランド達へと斬りかかってきた。

 全身を甲冑で覆ってはいるが、近隣の騎士団や軍で広く使われているプレート状のものではなく、動きやすさを考慮してか胴部は蛇腹状に細かく分けた装甲を繋いでいる。
 肩当ても板状の装甲を何枚も重ねたもので、兜の額には鹿を思わせる角飾りが着いていた。面頬によって顔立ちは分からぬが、身体つきを見るに男であろう。
 ガランドは見慣れぬ意匠に眉を潜めたが、アルニはそれらが書物で読んだはるか東方の島国で用いられる意匠だと看破した。

 東方風のゾンビーが右手に握っている武器も、ガランド達には見慣れぬ品であった。
 ガランドやアルニの持つ長剣と比べれば刃が細く薄い。先端に向かうにつれて優美な線を描きながら反っていた。
 重量により叩き斬る長剣と比べればどう見ても軽量で、打ち合えば簡単に折れてしまいそうなほど脆く見える。
 確か、カタナ、とアルニは初めて見る武器の名を脳裏に思い描いていた。

 刀を右八双に構え、駿馬よりも早く駆けて来るゾンビーに対するガランドの反応は、彼が並みの人間である事を考えれば素晴らしいと言えたかもしれない。
 真っ向から振り押される刀を長剣で受けるのは間に合わないと判断し、盾を掲げて受けたのだ。ガランドに思ったほど衝撃が伝わって来ない事を訝しむ余裕は許されなかった。

 刀を受け止めた筈の盾がそのままするりと刃の侵入を許し、ガランドの見ている前で鉄の盾がまるでピンと張られた薄髪のように斬られている。
 斬鉄の妙技を目の当たりにして、ガランドの身体を差し迫る死の足音が着き動かす。思考では無く本能で体が動いたのだ。

 固く握っていた盾を手離して仰け反ったガランドの顎先を、盾を両断し終えて返された刃の切っ先が掠める。
 振り切った刃がまるで飛燕のように素早く滑らかに弧を描き、ガランドの顎に小さな赤い線を描く。

 化け物が、と吐き捨てるガランドの眼前を白銀の刃が通り抜け、振りあげられた切っ先が再びくるりと返される。
 肉体の枷を外された死人の肉体が振るう東国の刃は、鎧ごとガランドの肉体を真っ二つにしてのけるだろう。

 ガランドの窮地を見て取ったミルラがそれを阻んだ。手元に残っていたナイフを惜しげも無くゾンビーの刀を握る手や顔面目がけて投げつけたのだ。
 飛んでいる蜂も落とせる速さと精度を備えた投げナイフを、ゾンビーは刀で蛇行する蛇のような軌跡を描いて一本残らず叩き落とす。

 刃の届かぬ距離から攻撃される事を疎んじてか、ゾンビーはガランドの腹に蹴りを叩き込むと目標をミルラへと変えて突進する。
 残りのナイフが二本しかない事から、ミルラは投げつけずにそのまま両手に持つとゾンビーを迎え撃つ構えを見せた。
 ゾンビーの一撃で何メートルも吹き飛ばされたガランドが、地面の上を何度も転がって土に汚れた顔でミルラに警告を発する。

「よせ、ミルラ。おれ達の武器じゃ刃を受ける事もできんぞ!」

 ラアクの起こした奇跡によって動きが鈍っている筈なのに、ゾンビーの動きはまさに神速の域にある。
 アルニが両者の間に割り込もうと駆けだしていたが、ゾンビーの方がはるかに速い。
 引き絞られた弦から放たれた矢の如く駆けるゾンビーの手が、ガランドの眼から消失した。

 ガランドの目にも止まらぬ、ゾンビーの神速の斬撃だ。
 何十人、あるいは百人以上の死体を用いて造られたゾンビーの一撃は、もはや常人の眼には映し得ぬ速さを獲得していた。
 ガランドもアルニもラアクもミルラの首が胴から転げ落ちる姿を幻視した。

 だがここでミルラが皆の予想を裏切って、首を落としに来た横一文字の斬撃をしゃがみ込んで避けると、甲冑の隙間を狙って太腿にナイフを振るう。
 ゾンビーは重さを持たぬ生き物かと思えるほど軽やかな動きでミルラのナイフを避け、両者の間で三筋の白銀の軌跡が何十と重ねられて、空間に軌跡の織目が描かれる。

 ゾンビーもミルラのこの動きに驚いたのか、兜の下の顔にほお、という表情を一瞬だけ浮かべた。
 当のミルラは眼前の敵の力量を肌で感じてか、褐色の肌から血の気を引いて必死の形相でゾンビーからの絶える事の無い斬撃をさばき続ける。
 ぞっとするほど鋭い刃に、手に握るナイフが少しずつ削ぎ落されるのと同時に自分の神経も削がれているようで、ミルラは見る間に精神的に衰弱して行く自分を理解していた。

 刃を交わす事二十合、本来ならその十倍でも動き続けられるだけの体力を全て注ぎ込んだ攻防は、ここに至って大きな変化を迎えた。
 ゾンビーの振るう刀と技量とについにミルラのナイフが耐えきれなくなり、キィン、と甲高い悲鳴を上げて真ん中から綺麗な切断面を晒して、切られた二本分の刃が宙を舞う。

 ミルラはナイフを喪失してもまだ戦意を失いはせず、右手の人差指と中指を伸ばしてゾンビーの目玉を潰そうとしたが、ゾンビーに襟首を掴まれて思いきり地面に叩きつけられてしまう。
 咄嗟に両手で後頭部をカバーしたのは見事という他ないが、ミルラが叩きつけられた地面を中心に蜘蛛の巣状の罅が四方に広がり、ミルラの口からありったけの酸素が搾りだされる。
 言葉にならない悲鳴を上げるミルラをゾンビーの黒い瞳は映し出していたが、すぐに別の方向へと移した。

 ゾンビーの視線を引きつけたのは火炎弾の放出を止めた馬車であった。ゾンビー達につられてガランドやアルニが馬車を見た時、あっという短い言葉が彼らの口から零れ出る。
 馬車の扉が開き、棺の中で眠っている筈の主人がそこに立っていたのだ。
 リネンや麻、絹ともつかぬ不可思議な布地の黒い衣服で身を包んだ闇と薔薇の男装の麗人がそこに立っただけで、まる世界が別の色に染まったかのように変わっている。
 それは血を吸う鬼たるタンブル・ウィードの全身から噴き出す、生者のみならず死者の心まで凍らせる闘争の気配が牽き起こした現象であった。

 しかし月の光の結晶のように美しいその顔は、広い鍔の先から垂らされた黒いヴェールによって覆い隠されて、窺い知る事は出来ない。
 バンパイアであるタンブル・ウィードが陽光下で行動している事にガランドやアルニらは改めて驚いたが、肌を一片たりとも晒していないタンブル・ウィードの姿から、彼女が太陽の光さえ浴びなければ昼でも行動できる高位のバンパイアなのだとすぐに理解した。

 だが太陽の光に肌を晒していないとはいえ生粋のバンパイアである以上、この時間帯での行動はタンブル・ウィードの肉体に途方もない負担を強いているに違いない。
 肉が炭化し骨が崩れるほどの激痛はほんのわずかにしか軽減されていない筈。そもそも太陽の光とはバンパイアにとって、絶対の恐怖でもある。

 棺を暴かれたバンパイアが陽光に晒された時、真っ先に挙げるのは太陽の光に対する恐怖の叫びなのだ。
 今、タンブル・ウィードは肉体ばかりでなく精神においても言語に絶する恐怖を味わっているに違いない。

 だがそれでもなおタンブル・ウィードの姿から伝わる凄絶な闘気よ。
ゾンビーはミルラから手を離して、黒衣の魔性へと刀を向ける。構えは右下段。切っ先は地面へと流れている。
 ガランドやミルラ達を相手にしていた時にはあった余裕が、ゾンビーから失われている事にガランド達は気付いた。
 彼らとタンブル・ウィードの格の違いを、ゾンビーは見抜いている。

「マッガランから報告は届いてオル。オ主がタンブル・ウィードだな? 拙者はレッキマル。マッガランの朋輩であるサムライよ」

 ゾンビーサムライが口を開いた事にガランド達の目が驚きに見開かれる。やや濁ってはいたが二十代ごろの青年と思しい声音であった。
 マッガランという前例はいたが、あちらは海魔であったし人間のゾンビーが言葉を喋るとは予想外であったらしい。

「レッキマル――烈鬼丸とでも書くものか。東国の侍ですか。これはまた珍しい者が不死者となったこと」

 ヴェールの奥から聞こえて来たタンブル・ウィードの声音に苦痛の響きは無い。心身を蝕む陽光の責め苦を、超人的な精神力で抑え込んでいるのだ。
 今のタンブル・ウィードにとって、こうして馬車の外に身を置くことそのものが太陽の光との戦いであった。

「死者の寄せ集メダガナ。本来、カヨウナ避難民なぞ眼中になかったが、お主と一手交えたクナリ参った次第」

 タンブル・ウィードが馬車のステップを踏み、ゆっくりとした動作で地面に足を着ける。
 隙だらけのようにもまるで隙がないようにも見えるが、レッキマルが斬り掛らなかった事が、タンブル・ウィードに対して考えなしに斬りかかる事の無謀さを表していると言えよう。

「ふむ。ならば望み通り一手交えてしんぜましょう。その前に問います。お前達の主は何者か?」

「勝手にコチらが押し掛ケた以上、それ位は答エルノガ礼儀か。我ラノ主のナはエンゴク。不浄の僧、リッチと言うヤツヨ」

「なるほど、思ったとおりでしたか。居場所についても聞きたい所ですが……」

「これ以上は教えラレんよ。お叱りを受ケルカラな」

 ふっと両者の間に満ちた緊張感が揺らいだ。揺らいだのは緊張感ばかりでは無かった。
 二人の姿もまた夏の陽炎の如く揺らぎ、両者の中間地点でその姿は確かな像を結ぶ。
 当事者以外の目に残像を残すほどの速さで両者が動いたのだ。全力で斬り込んだレッキマルの顔に明らかな驚きが浮かび上がり、消えることなくそのまま残る。

「拙者はスデニ刀を抜いてイタ。だがお主は剣に手を伸ばしてもオラナンだ。なのに我が太刀を受けルカ。怪物め」

 ヴェールに隠されたタンブル・ウィードがどんな表情を浮かべたのかは誰にも分からぬ事であったが、タンブル・ウィードは交差してXの字を描く長剣を更に押し込み、レッキマルの身体を勢いよく吹き飛ばす。
 陽光下にあってなおタンブル・ウィードの細腕は、死者の集合体であるレッキマルの力を上回った。

 レッキマルの身体がまだ空中にある内に、タンブル・ウィードは容赦の無い追撃を敢行していた。
 漆黒のマントが黒薔薇の花弁の如く広がり、タンブル・ウィードの身体が空中を舞う。
 空中で体勢を立て直したレッキマルが虚空を足場に、選りすぐりの死人から造り出された死せる肉体の能力を完全に引き出して迎撃の一太刀を振るう。
 東国の鍛冶師が鍛え上げた刃は風も音の壁さえも越え、刃と等しい厚さの鉄さえも断つ切れ味で迸った。

 対するタンブル・ウィードの黒薔薇の花弁の如き黒衣のいずこからか、ありふれた造りの長剣が放たれ、その刃は摩擦熱によって赤色を帯びて踊る。
 死人の振るう斬鉄の秘剣とタンブル・ウィードが振るう長剣とが空中で打ち合い、どこまでも澄んだ音を立てて盛大な火花が咲く。

 レッキマルの纏う死人の気とタンブル・ウィードの放つ魔性の気が、二振りの刃と技に乗ってぶつかり合い反発しあったのだ。
 互いの斬撃によって二人はそれぞれ後方へと弾かれて地面に降り立つ。
 タンブル・ウィードは怪我も疲労も無く揺るがぬ立ち姿を見せたが、レッキマルはわずかに膝が揺れて短時間の攻防に凄まじい集中力を消耗した様子が見て取れた。

「オオ、おお、信じらレん。痛みも疲労も知らぬこの体ガ、鉛に変わっタカノよウに重いぞ。
 疲れておる。恐れておる。苦しんでおる。信じられん。如何に同じ生ケル死者を相手にしても……」

 驚きとも慄きとも、そして喜びともつかぬ感情に声を震わせるレッキマルの咽喉が横一文字にぱっくりと裂け、そこからどす黒い血がどろりと粘っこく流れ出る。
 レッキマルさえ斬られた事にいままで気付かなかった、タンブル・ウィードの二の太刀が刻んだ傷であった。

 どろりと血の流れる首の傷を左手で抑え、レッキマルの口元に修羅の浮かべる歓喜の笑みが浮かび上がる。
 死してなお戦わねばならぬ不死者として蘇ったこの男は、この世にありながら修羅道を歩んでいるのか。

 左手で抑えるのと同時にレッキマルの出血はぴたりと止まり、レッキマルは刀の切っ先をタンブル・ウィードへ向けつつじりじりと後退する。
 無傷のタンブル・ウィードに対し、死者故に致命傷とならぬとはいえ浅くは無い傷を受けたレッキマル。両者の技量の差は明白であったが、レッキマルが負けを認めた様子はない。

「ハハははハ、いや、これは蘇った価値がアッタというもの。マッガランからの報告ダケでは、我が主殿は気にも留めておらナンだがこれは伝えねばなるまい」

 負けは認めなくとも逃げはするらしい。
 既にゾンビー鳥達は全滅していたが、様子を見守らせていたのか空から新たにゾンビー鳥が五羽ほど舞い降りてきて、一羽にレッキマルが飛び乗り残る四羽がレッキマルを守るべくタンブル・ウィードへと襲い掛かる。
 ギャアギャアとおぞましい腐臭と共に嘴を開いて迫りくるゾンビー鳥達を、タンブル・ウィードは一羽につき長剣の一振りで仕留めたが、レッキマルを乗せたゾンビー鳥が飛び立つのを防ぐのには間に合わなかった。

 スレイプニル達が飛翔したゾンビー鳥を叩き落としに群がり、四方から蹄に掛けられたゾンビー鳥はすぐさま汚らわしい鳥挽肉に変わる。だがその中にレッキマルの姿は無かった。
 タンブル・ウィードの視線は、レッキマルがゾンビー鳥に飛び乗ったはずの場所に固定されていた。

 飛び乗った直後に再びレッキマルはゾンビー鳥から降りて、飛び立つゾンビー鳥を隠れ蓑に懐から白い鳥の翼を取り出し、直後にその姿を消していたのだ。
 レッキマルが懐から取り出したのは、予め指定した場所に所有者を空間を越えて帰還させる魔法具『帰還の翼』。
 材料となる霊鳥の数が希少な上に棲息する地域が人間の脚が踏み入る事を拒む霊山であり、製造に際しては高難易度の空間系魔法の知識が必要となる為、極めて希少な品である。

「これまで戦った死者達よりは重宝がられていたようですね。とはいえ取り逃してしまうとは、我ながら詰めが甘い」

 長剣を腰の鞘に納めたタンブル・ウィードは、地面から身を起しているミルラの元へと歩み寄った。
 敵を退けた以上すぐさま棺へと戻って闇に身を浸すべきだが、タンブル・ウィードの興味を引くだけのモノがミルラにはあるらしい。

「痛ぁ、あの馬鹿力。まだくらくらする。って、なによ、あたしに何か用? 吸血鬼。まさか太陽の下でも動けるなんてね。
 でもそのヴェールの下はどうなっているのかしら? 苦痛に歪んで他人様に見せられなくなっているんじゃないの」

 喋っている内に意識がはっきりとしてきたようで、ミルラの口からよくもまあ、と呆れるほどにタンブル・ウィードへの悪罵がぽんぽんと出てくる。
 タンブル・ウィードはミルラの悪罵など柳に風と聞き流して、おもむろにミルラの襟首を掴み、ぐいっと押し開いた。
 先程レッキマルに掴まれて投げられた影響で、ミルラの服の襟首は破けている。

「ちょ、止めろ、止めなさい!」

 タンブル・ウィードの行為に恐怖とそれと等量の怒りをミルラは露わにするが、タンブル・ウィードはミルラの首に視線を注ぎ続け、ほどなくして鉛を飲んだ様に重たい吐息を零す。
 唇から零れ落ちた吐息が煌めく水晶と変わらぬのが不思議なほどに、このバンパイアは美しい。

「あなたの憎悪の理由はコレですか」

 タンブル・ウィードの見つめる先、ミルラの首には横に並んだ二つの穴があった。
 それを穿たれた者にとっては、恐怖と絶望を意味する奈落の穴にも等しい二つの穴が。
 それは見間違えようも無く、バンパイアの吸血行為によって穿たれた穴に他ならない。
 ならばミルラはバンパイアか? 否。ならば同じバンパイアとして初対面の時にタンブル・ウィードが気付かぬ筈もない。

 ミルラは身を捩って強引にタンブル・ウィードの手を外し、ポケットから応急手当用の清潔な布を取り出すと、スカーフのように首元に巻いて吸血痕を隠した。
 ミルラが今『何』であるか、という問いに対する答えはいくつかある。
 バンパイアに血を吸われた犠牲者である事は間違いない。だがこの犠牲者にはいくつかの種類が存在している。
 例えば犠牲者が完全なバンパイアと変わる前にバンパイアが滅びれば犠牲者は人間に戻るのだが、稀にそのまま戻らぬ事もある。

 あるいはバンパイアに血を吸われ、同じバンパイアと化してもなお人間であった頃の自我を維持し、親となったバンパイアの元を離れた者。
 またあるいは親となったバンパイアが意図的に犠牲者のバンパイア化を肉体だけの変容に留めて、精神はそのままに犠牲者を放置する事がある。
 これはバンパイアへと変えられた犠牲者がその歩む苦難の道を、まるで演劇を見るように観察し楽しむ為だ。
 そしてミルラの場合はどの犠牲者に分類されるものか……。

「既にあなたの血を吸ったバンパイアは滅びたようですね。しかしあなたの肉体は人間へと戻りはしなかった。
 肉体も完全にバンパイアと化しているわけでは無いようですね。シエラと似たような状態というわけですか」

 吸血痕を一目見ただけでそこまで見抜いたタンブル・ウィードに対し、彼女が自分を憐れんでいる事に気付いて、ミルラは頭に血が昇るのを理解した。
 タンブル・ウィードが心の底からミルラに憐憫の情を抱いている事が、どうしようもないほど癪に障ったのだ。

「そうよ、あんたのお仲間に血を吸われちゃったのよ。心臓に杭を刺して灰にしてやったけどね。
 でもあたしの身体は元には戻らなかった。その所為で仲間達から疎んじられて、あたしは逃げ出す羽目になったわ。
 下らない仕事やろくでなしのやるような事もして、ようやく仲間も出来てこれからって時に全部が台無しになった。吸血鬼の所為であたしの人生滅茶苦茶よ!
 皆から冷たい目で見られて耐えられなくって、故郷に帰ってきたら今度はゾンビ共が襲ってくるし、そしたらあたしをこんなにした吸血鬼が一緒? どういうわけ? 
 運命ってのはとことんあたしを嫌っているのかしら。あんただって本当はあたしらの血が吸いたくって吸いたくって仕方がないんでしょ。いい子ちゃんぶってないで本性見せなさいよ!」

 息を荒げて言葉を重ねるミルラの唇を、そっとタンブル・ウィードの左人差し指が抑えた。

「それ以上はお止しなさい。自分の言葉で自分を傷つける事もないでしょう。それにこれ以上はガランド達に聞こえてしまいます」

「ば、馬鹿にして!!」

 再び激昂するミルラに背を向けて、タンブル・ウィードはスレイプニル達が集まっている馬車へと歩を向けた。
 帽子の鍔から垂れるヴェールは変わらずタンブル・ウィードの顔を隠していたが、ニックや「ふむ」が口癖の農民の倅ならば悲しみに揺れていると断言しただろう。
 そしてアンデッド達からの襲撃はそれ以上なく、翌日の昼に城塞都市ゲルドーラへと辿り着くのだった。
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