さようなら竜生 外伝

永島ひろあき

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夜の子供達

月と空

前書き:本編から二十年前後の未来でとある子供達に視点を据えたお話です。



 緑の色を失い、黄ばんだ木の葉が絨毯のように地面を埋め尽くしている。
 一足ごとに乾いた木の葉の砕ける音がする。風に乗って鼻をくすぐる甘い匂いは林檎を始め、熟した果実の発するものだ。
 肌をあぶって汗を浮かばせる夏の熱は既にない。これからは肌に突き刺さり、骨まで沁み入る冷気に満ちる冬が来るのだ。
 いずれ来る冬の到来に備える季節。夏でも冬でもない季節。秋。
 夏の熱気を生き抜いた樹木が徐々に枯れ始める物悲しさ。
 厳しい冬を乗り越える為に生命を蓄える試練の数ヵ月。

 秋こそが王となった季節に、山間に人の手によって開かれた道を行く一団があった。
 大型の荷馬車が一台とその前後を固める複数の武装した人影。
 辺境の開拓村へ援助物資を運ぶ集団である。領主から正式に命令を受けた兵士達が、御者と護衛を兼ねている。
 人の手の入りきらぬ辺境の地は、未だ魔物や悪霊の跋扈する危険地帯であり、領都を出発する兵士達は誰かの助けとなる任務への誇りと脅威に対する緊張感に満ちていた。

 それが、今。
 荷馬車を牽引する六頭の馬にはひっきりなしに御者の鞭が加えられ、馬達もここで死力を尽くさなければ自分達の命はないと理解して、必死の走りを見せている。
 それ程、人の往来のない道は最低限の整備がされているばかりで、馬車の全力疾走にはまるで適していない。馬達は立ちどころに足を痛めて、二度と走れなくなるかもしれないが、御者も馬自身も拘泥していない。
 なにしろ、今すぐ死ぬか、それとも未来で死ぬかの瀬戸際なのだから!
 幌付きの荷台から体を乗り出し、大弓を手にした髭面の兵士が御者へと怒鳴りつけた。
 疾走中の物音もあるが、声を張り上げなければ気力が萎えてしまいそうなのだ。

「チーモ、ジュウオの村まで後どれだけかかる!?」

 御者を務める栗毛の新人兵士は、髭面のシルコと同じように怒鳴り返す。どちらも間近に迫る死を実感して必死だった。

「後、い、一時間! その前に馬が潰れかねない!」

「くそ、一時間だと、くそっ!!」

「シルコ、来たぞ!!」

 シルコと同じく援助物資を満載した荷台に居たフード付きの緑色のローブを羽織った魔法使いのゾーニが荷台の左から体を乗り出して、手の中の魔本を緊張から力一杯握り締める。
 ようやく二十歳を越えたばかりの魔法使いの顔色は恐怖によって青白く変わり、喉はからからと乾き果てていた。
 シルコとゾーニの見つめる荷馬車の後方から、けたたましい羽音と共に幾つもの小さな影が飛んでくる。秋の陽射しの中を、紫色の肌に額から小さな角を、背中からは蜻蛉のような羽を生やした小さな妖精。
 しかし真っ黒い眼球に赤い瞳を持ち、開いた口からはダラダラと涎を垂らすその姿に、妖精という種族の持つ愛らしさは微塵もない。

 妖精たちの腹は地獄の餓鬼の如く膨れ上がり、枯れ木のように細い手足は節くれだって、体格に見合った長さの槍を手にしている。
 他の生物を殺傷し、その血肉を栄養源にして繁殖する死肉花しにくばなの妖精共だ。
 彼らの槍や口元、体が真っ赤な血を滴らせているのは、これまでの道中でシルコ達の同胞を殺害して付着した血だ。

「クソッタレ妖精共が、くたばれ!」

 シルコは愛用している滑車を内蔵した弓に鋼鉄の矢を番い、狙いを付けた端から次々に射る。激しく揺れる荷馬車の荷台からとは信じ難い正確な射撃により、一匹二匹と腹や咽喉を貫かれた邪妖精が墜落してゆく。

「この荷物を届けるまでは死んでたまるかっ、風王の手記より“花落とす風の指”!」

 ゾーニもここが正念場と腹を括り、魔本『風王の手記』に記された魔法を起動させて、荷台から見えざる風の刃を一つ二つと放って、荷馬車に追いすがる邪妖精達の輪切りを量産する。
 死した邪妖精の骸は他の邪妖精が苗床にするか野の獣の腹に収まるだろう。
 シルコとゾーニの手錬は目を見張るものがあったが、彼ら二人に対して追いすがる邪妖精達の数は数十を数えており、矢の残りと魔力の残量は到底足りていない。

 なにより邪妖精の飛行速度は馬車を上回っている。羽を細かく震わせた邪妖精達が速度を増し、荷馬車の左右、上を囲う。
 シルコとゾーニは後続の邪妖精達を迎撃するのに手いっぱいで、右と上に回った邪妖精への対処が間に合わない。厄介な事にそれなりの知性を持つ邪妖精達は、シルコ達よりも馬と御者のチーモを殺して、荷馬車の足を止めようと目論んでいた。

 シルコもゾーニも、御者台のチーモも全員が罵倒の言葉を発する。せめてもの抵抗として、チーモが左手で手綱を纏めて持ち、空いた右手で短槍を取ろうとした。
 目を見張る彼らの視界に道を挟む森の内、右方から黒い流星のような物体が邪妖精達に襲い掛かり、胸や頭から棒状の物体を生やした彼らが落下し、ある者は車輪に巻き込まれて無残な姿に変わる。
 救い主は森の中から姿を見せた。栗毛の馬に乗った男だった。女ものらしい黒薔薇のコサージュが目を引く鍔の長い帽子に、長い旅路で裾の擦り切れた灰色のコートを纏い、左手で手綱を握り、右手は腰の長剣に伸びている。

 二十代後半か三十をいくらも越えていないと思しい精悍な顔立ちの男は、馬を荷馬車の傍らに寄せると自分に矛先を変えて飛んでくる邪妖精達を見事な太刀筋で一体、また一体と斬り捨てて行く。
 思わずチーモが見惚れる程の剣技だ。青年の加勢により守りの手が増えた輸送隊は、かろうじて邪妖精の追撃をしのぐ事に成功する。
 馬達を休める為に邪妖精の死体から離れたところで荷馬車を停めると、長剣のみで十数体もの邪妖精を斬り捨てた青年が御者台に馬を横づけて、チーモに話しかけて来た。

「辺境への輸送隊か?」

「あ、ああ、見ての通り邪妖精に追われて、生き残りはおれ達だけだ」

「そいつは災難だったな。おれはニック、旅人だ」

「旅人にしちゃやけに腕が立つな」

「ここいらを旅するには腕が立たなくちゃ生きていけないさ。それに、昔、憧れた人がとんでもない達人だったんでね。必死にその後を追ったら、これ位は出来るようになっただけさ」

 予備の矢を数え終えたシルコと魔本の消耗具合を確かめ終えたゾーニも荷台を降り、窮地を救ってくれた青年に近づく。

「おう、助かったぜ。おれはシルコ、こっちのローブ姿がゾーニ。たった三人になっちまった輸送隊さ」

 シルコは剛毛のような髭をなぞりながら、友好的な視線をニックへと向け、ゾーニはニックへの関心よりも自分達の窮状への危機感が勝るらしく、しきりに今回の異常を口にしている。

「はああ、ここらへんの邪妖精の元になる花はとっくの昔に焼き払った筈なんだがな。生き残りだってもっと森の奥深くに居る筈だ。なんだか嫌な感じだぜ」

「おい、ゾーニ、事態を把握するのも大事だが、今は助っ人との友好を深める方が大事だろう。悪いな、兄さん。どうにも魔法使いってのは自分の考えに没頭しちまうらしいや」

 ぼりぼりと髭を掻きながら謝罪するシルコに、ニックは屈託の無い笑みを向ける。つい先程まで命のやり取りの最中にあったとは思えない、柔和な笑みだった。

「おれもそういう知り合いがあるから、気にはしないさ。職業病みたいなものだからね」

「それでおれらは仕事でこの先に在るジュウオまで行くんだが、旅人だっつってもあそこになんか目的でもあるのか? いっちゃ悪いがどこにでもある開拓村だ。珍しいもんはなんもねえぞ。ああ、それとも生まれ故郷か? だったら悪い事を言っちまったな」

 遠慮の無いシルコの物言いだが、不思議と悪い気はしない。見た目通り豪快で実直な彼の雰囲気のなせる技だろうか。

「いや、おれの生まれはもっと遠くの方さ。目的の物があるわけじゃないが、おれの場合は自分の足で行ける所を全部見て回りたいってだけさ。あこがれの人に近づけているかどうかの腕試しも出来るし、思わぬ所で思わぬものを見たり、知る事もある」

「ふうん、よりにもよってこの辺境でかよ。あれだけの腕前じゃなかったら、命知らずな真似はやめろって言わなきゃならんところだ」

 この地に於いて“辺境”とは特別な意味を持つ。純人間種を始めとした人類の生息地と“朱塗りの大地スカーレットランド”と恐れられ、嫌悪されるバンパイア達の生息地との境目に位置する地域を指すからだ。
 バンパイアあるいは吸血鬼。血を吸う行為によって異種族を肉体のみならず魂さえも眷属へと変える、恐るべき特徴を備えた種族。
 死を知らず、死なず、ただ滅びのみを知るとして不死者の王とも、あるいは太陽光を浴びれば灰と変わる定め故に夜の王とも呼ばれる彼らは、この大陸に住むバンパイアでない者達にとって、恐怖と意味を同じくする。
 そんなバンパイアの生息地の近くで、単身で旅をするのは余程の命知らずか凄腕の使い手のどちらかだろう。

「それにしても剣だけじゃなく、投擲も大した腕前だ。おれからは良く見えんかったが、棒みたいなもんだけでも邪妖精共を随分と始末しただろう?」

「いや、あれはおれじゃない」

「なにぃ?」

 ニックの思わぬ告白にシルコばかりかゾーニとチーモも目を見張って、凄腕の旅人の顔面に視線を集中させる。ニックはその視線に気づいてはいただろうが、そんな事よりも森の中から馬を走らせる際に、一瞬だけ見たソレを思い出していた。
 そのニックの顔に、シルコ達は怪訝な表情に変わる。ニックはどういうわけか陶然と蕩けた顔になっていたからである。シルコ達からすれば、正直、気色悪い変化だった。

「美しい人がやったのさ」

 なんじゃそりゃ、とシルコ達が一斉に口にしたのも無理はない。彼らはニック曰く美しい人を目撃しなかったのだから。そして邪妖精の死体に刺さっている筈の棒状の何かが消え去っているのも、彼らは知らなかった。



 幸いにして邪妖精達の追撃はそれ以上なかった。あまりに被害が大きかったのと、シルコ達の仲間の死体で満足したからだろうと、誰もが思ったが口にはしなかった。
 シルコ達の目的地であるジュウオは、何処にでもある小さな開拓村である。二百名程の村人が暮らしている。
 切り開かれた森の中に猛獣避けの鉄と木材を組み合わせた柵が巡らされ、手入れの行き届いた槍と弓で武装した四名の村人達が守る門へ、シルコ達は荷馬車を向けた。
 門番ばかりでなく村全体の醸す雰囲気に、御者台のチーモと馬を並走させているニックが顔色を険しく変える。警戒すべき状態だ、と意識を共有すべく口を開いたのはニック。

「輸送隊が来れば貧しい村でも裕福な村でも歓迎の雰囲気を出すものだが、これはちょいと厄介な雰囲気を醸し出しているな」

 最悪の場合を想定して、何時でも剣を抜けるように備えるニックにチーモも傍らの凧盾カイトシールドを構えられるように指を伸ばす。
 槍ではなく凧の形をした鉄製の盾を選んだのは、門番達から弓を射かけられる場合を恐れての選択肢である。
 二人の会話が聞こえて、荷台のシルコとゾーニも戦い始められるように準備を始めている。
 ようやく邪妖精の追撃から逃れ、なんとか馬を休ませて目的の村に着いたらこれだが、それでも輸送隊の三人はまだまだ諦めきってはいない。少しくたびれた様子を出しているのは、ま、大目に見るべきだろう。

 御者台に掲げられた輸送隊の所属を示す旗に気付いた門番が、曇っていた顔色をわずかに明るくして、震える声で問いかけてくる。
 十三、四の少年だ。最も生命力に溢れ、瞳にはキラキラと輝く光が宿っているべきなのに、今はくすんだ鏡のようだ。

「あ、あんた達は輸送隊か?」

 答えたのはチーモだ。背筋を正し、公僕として相応しい態度を心掛け、大声で応じる。

「ああ、そうだ。おれと他に二人と、こっちは途中で雇い入れた傭兵の四名だ。貴方達はジュウオの村の住人で間違いないな? 割り札の確認をしたい。村長かそれに準ずる人間を呼んでくれ」

「分かった、ちょ、ちょっと待っていてくれ」

 思わず転びそうになりながら村へと戻る少年の姿に、チーモがわずかに肩の力を抜く。
村人に扮した野盗の疑いなどを考えていたが、あの反応を見る限りその線は薄そうだ。 
 ニックも同意らしく残った門番から視線を外して村を囲う柵や周囲の森へと視線を巡らせている。
 ほどなくして、少年が背筋の伸びた老婆を連れて戻ってきた。骨の代わりに鉄の棒が入っていそうなこの老婆が、ジュウオの村長らしい。

 だがニック達の表情を強張らせたのは、村長の装いにあった。ひっつめにした白髪の上には小さな黒い帽子が載せられ、纏う衣服は全て黒一色で統一されている。この地方の喪服だ。
 単に村の中で不幸があっただけならば、不謹慎な言い方になるがニック達にとってはまだ良かった。問題なのは村長の腰に木製の杭が数本と小槌が括られていた事。
 バンパイアの脅威が根強く語られるこの辺境で、これらの品が用いられる用途は限られている。

 なぜなら腹を割られようと、首を断たれようと、人間なら致命傷に到る傷を受けても見る間に塞がり復活する不死身のバンパイアを灰にするには、彼らを陽の光に晒すか心臓に杭を打ち込むしかないと知られている。
 故に村長の腰に杭が下げられているのは、一つ、バンパイアの心臓に杭を打ち込み滅ぼす為、二つ、バンパイアの被害者を元の種族のまま死なせる為に、心臓に杭を打つ為。
 これから杭を打つのか、それとももう打った後なのか。そして何より、打つべき相手は?
 老婆は荷馬車の前で足を止め、過酷な辺境の暮らしに耐えてきた鉄面皮のまま口を開いた。

「ようこそジュウオの村へ。割り札はこちらに。……ようこそとは言いましたが、貴方達にとっては災難でしかないでしょう。もうお分かりでは? この村は」

 そこまで言って、割り札を差し出したまま村長は口を閉ざした。鉄面皮はそのままだったが、風が強く吹けばそのまま砕けてしまいそうなほど疲れきった姿にしか見えなかった。
 村長の言葉を継いだのはニックだった。

「バンパイア、か」

 その声音はなぜか納得しているかのようだったが、その不可思議さに村長もチーモも気付く事はなかった。
 門番達のみならず村全体の醸しだす不気味な雰囲気の正体は分かった。正直に言えばチーモも荷台で話を聞いていたシルコとゾーニも、今すぐこの場から逃げ出したいのが本音だった。
 肉体を変え、魂を変え、眷属へと変える忌まわしきバンパイアに対する根源的な恐怖は、この地域に住まう人々の骨身に世代を越えて染みついている。

 バンパイアの始祖六家同士の争い以降、朱塗りの大地から見て東に位置する地域へバンパイアが出没する事例は著しく減っており、今では皆無となっていたのだが、一体何が起きたというのだろう。
 ましてや奇禍に見舞われたこのジュウオの村に自分達が援助物資を運んできた時期に! と叫びたいのを心の中にだけ留める配慮が、シルコとチーモにはあった。

 届け先の村がバンパイアの脅威に晒されようが、本来の村人達が住んでいる以上は物資を届けるのが輸送隊の矜持であり、生命に変えても果たさなければならない職務だ。
 村の中央広場に荷馬車を乗り付けて、邪妖精の襲撃で大きく目減りした物資を村長など村の顔役立ち会いの下で引き渡すのだが、村長はニックとゾーニを連れてこの場を離れている。
 精気の欠けた顔色の村人達からの視線を感じながら、シルコとチーモは武器を決して手放さずにいる。

「なあ、シルコ、バンパイアってあのバンパイアだよな」

「他にいねえだろうよ」

 不安に揺れるチーモに対して、シルコの返答はぶっきらぼうなものだった。不安なのはお互いさまなのだ。

「おめえもそうだろうが、おれだってゾーニの奴だって本物のバンパイアなんざ見た事ねえ。親父や爺様やもっと上の年寄り連中から、こんなひどい事があった。
 あいつらはとんでもねえ化け物だって、さんざん脅かされたぐれえだろ。そんでも体の震えは止まんねえけどよ、クソ」

「だよなぁ。詳しい話はゾーニとニックが聞いて来てくれるっつう話だが、どうなっちまってんだか。安心できるのは陽が出ている間だけか」

「あほう、こんな状況だ。自棄になった村の連中が物資目当てに襲ってくるかもしれんのだ。気を抜く奴があるか。バンパイアに襲われていなくても、そうする奴らはいる。この稼業をやってりゃ、お前だってもう何度か経験してんだろ」

「だよなぁ。でもさ、こんな辺境で一から土地を拓いて生きていけるようにするんだ。そりゃ目先の欲に目が眩んだりもするよ。それにそんだけ必死に生きているってのは、悪く思えねえや。まあ、まだ死ぬほどひどい目に遭っていないから言えるだけだけどよ」

「けっ、分かった風な口を聞きやがって。生意気なやっちゃ。こんな稼業を続けている奴らは、大なり小なりそうだろうがよ。それに少し落ち着いて考えてみりゃ、すたこらさっさと背を向けて逃げるのも、そう良い手とは思えん」

「昼間の邪妖精共か?」

 おう、とシルコは髭面を顰めて嫌そうに頷く。本来姿を見せない筈の邪妖精達が姿を見せて、輸送隊の面々を血祭りにあげる異常事態が生じたのだ。なら、長らく姿を見せていなかったバンパイアの出現という異常事態と関連付けるのは、自然な事だろう。

「まったく、気が重いったらないぜ。せめて、ゾーニが明るい話題の一つでも、持って帰って来てくれりゃあいいんだが」

 口にしているシルコ自身、そんな都合の良い話があるわけはないと、欠片も信じてはいなかった。
 シルコとチーモが緊張感と不安で神経に負担を掛けている頃、ゾーニとニックは村長のクロマに案内されて、バンパイアの被害者の元を訪れようとしていた。
 ゾーニが多少なり魔法の心得があり、被害者を襲ったバンパイアの情報を断片でも得られないかと自ら提案したのと、より正確な村の現状を把握する為である。
 ニックが同道しているのは、万が一被害者が暴れた際に取り押さえる人手が多い方がいいからだ。

「ニックって、あのニックか。黒薔薇ニックっていったら、貴族からも声のかかる凄腕じゃないか!」

 被害者の隔離されている施設へ向かう道すがら、驚きの声を出したのは同行しているゾーニだ。
 これまでコートの下に隠れて見えていなかったのだが、傭兵ギルドの認定する一級傭兵の証明である認識票を認めた感想が、先のゾーニの発言へと繋がる。
 実力と実績、ギルドからの信頼と人格の全てが認められなければ認定されない一級傭兵の称号は、それだけの驚きをゾーニに与えた。

「傭兵はなりたくてなったもんじゃないけどな。黒薔薇ニックっていう通り名だって、最初はおれが女物の帽子を被っている事へのからかいから付けられたんだ。
 傭兵になったのはあちこち旅するのに、傭兵としての身分を保障されているのとそうでない場合との便利さと不便さを秤にかけて、傭兵になった方がいいと考えたからに過ぎないさ」

「だからっておいそれと一級になんてなれるもんじゃないさ。すごいな、邪妖精をあんなに簡単に切り捨てるもんだから、只者じゃないとは思っていたが、こりゃシルコとチーモも少しは安心するだろう」

 二人の会話がされている間も村長の足は止まっておらず、まるで言葉を忘れているかのように足を動かしている。それしかしたくないのかもしれないと、ニックもゾーニも暗に察して追求せずにいる。
 クロマが村外れに建てられた小屋の近くまで来て足を止めたので、二人ともあの小屋が被害者を隔離――保護している場所なのだと同じく足を止めた。
 だがすぐに悟る。クロマが足を止めたのはそれ以外の理由だった。

 ある青年が小屋の近くの木陰に佇んでいたのである。
 染み一つない純白のシャツに黒いベストとジャケット、同色のスラックス。首元は銀のリングに通した青いスカーフタイが飾り、黒いロングコートに袖を通している。
 黒い衣服が星一つない暗黒から切り抜いたように見える異常は、青年の美しさが齎たしたものだ。

 目と口と眉と瞳と、その配置の妙を美しいというのならこれ以上は望むべくも無い、極限の配置である。
 どれ一つ、砂粒一つ分でも位置が狂えばこの美は失われよう。
 流麗な眉を見よ、誰もが自らの額にあるそれを恥じ入るに違いない。 
 闇で骨格を、氷で血管を、影を血に、虚無で肉を、水晶で肌を作ればこうなりそうだと三人は思っていた。そして魂は、人間ならぬ天上の存在か大地の底に横たわる魔性のものに違いない。

「そ、ん、ちょう、あああ、あのかか彼は?」

 舌を何重にも絡ませたような口ぶりで問いかけるゾーニに、村長は恍惚の感情を凝縮した溜息を零し、瞳は伏せたまま答えた。

「貴方達の少し前に村を訪れた旅人の方です。村の中を歩いて回っておられます」

 輸送隊の面々に向けていた言葉よりも随分と熱い言葉にも、ゾーニとニックは不平不満を感じなかった。当たり前だ。あんなに美しい存在を相手にすれば態度が変わって当たり前だ。そうでなければ失礼だと本気で思っていた。

「な、なるほど」

 何がなるほどなのか、ゾーニにも分かってはいなかったが、彼は幸福だった。木陰の中に佇む青年を目撃してから今に到るまで、バンパイアへの恐怖を忘れられたからである。
 二人よりも早く正気を取り戻したニックは村長の案内を待たず、小屋ではなく木陰の方へと向けて歩き始めた。荒事の気配はないが、実際にどうなるかは分からない。

「やあ、おれはニック。さっきこの村にやってきた者だ。他所者と言う意味では君と同じだから、短い間だろうがよろしく」

 ニックは剣の間合いの外から青年に話しかけた。こちらに戦意がないと伝える為の配慮である。青年は無言のまま瞳をニックへと向ける。ニックは息をするのも忘れたが、月の冴え渡る夜を連想させる音が、彼に呼吸を思い出させた。

「傭兵か」

 目の前の青年の発した声だ。ニックはコートの左前をはだけて、心臓をカバーする位置に付けている一級傭兵の認識票を露わにした。それを確かめてから、青年は更に言葉を続ける。

夜月よづきだ」

 ソレが青年の名前だとニックが認識するのには、一拍の間が必要だった。まるで木陰が手離したくないと捕えているかのようだと、思わず錯覚してしまいそうになる青年が、思った以上に律儀だったからだ。
 名乗りを返しただけで律儀と思ってしまうあたり、夜月の持つ浮世離れした雰囲気が強い所為だろう。
 クロマとゾーニが今にも気を失ってしまいそうになりながら追いついたのは、二人が自己紹介を終えた頃である。

「夜月さん。どうしてこちらに?」

 クロマが決して顔を見ぬように視線を逸らして問うと、夜月はすぐに応じる。雰囲気程に他者を拒絶して生きているわけではないらしい。おそらく寝食も人並みにするのだろう。たぶん。

「他に見る所は見た。だがあそこを訪ねるのには貴女の許可を得てからの方が良かろう」

 思ったよりも常識的な行動だ、と三人ともなぜか感動していた。自分達の目と脳と正気を疑わなければならない美の具現を相手にしている所為で、相手が常識に沿った行動をするとひどく驚いてしまう心理状態に陥っていたのである。

「こちらはゾーニさん。中央から来られた輸送隊の方です。他にも広場にチーモさんとシルコさんという方が来られています。村の中を見て回られたようですけれど、何も愉快なものはなかったでしょう。ここはありふれた開拓村ですから」

「バンパイアの残した目印やまじないの類はなかった」

 苦笑しながら告げたクロマに返された夜月の答えは、三人の心と体を硬直させるのに十分だった。

「バンパイアは太陽の下を歩む事を許されぬ存在だが、下僕は必ずしもそうとは限らん。昼間でも油断はしない方がよかろう」

「胆に、命じますわ」

 強張った笑顔で返すクロマは、更に言葉を重ねた。

「こちらのお二人から、バンパイアに襲われた者の様子を見せて欲しいと申し出がありまして、今、御案内している途中なのです」

「そうか。おれも貴女に頼もうとしていたところだ」

「それは……貴方はバンパイアにお詳しいので? もしやハンター?」

 これだけの美貌だ。頼みごとがあると言われれば誰でも頷き返すだろうが、村長としての責任感がクロマに安易に肯定させなかった。
 ゾーニとニックも興味深げに夜月の返答を待っている。この状況で少しでもバンパイアに詳しい者が居るのは、大いにありがたい。戦った経験があれば尚よし。滅ぼした事があるのなら諸手を挙げて大歓迎の場面である。
 夜月の返答は変わらず冷たく、硬かった。顔同様に、人並みの感情とは無縁の存在であるかのように思われた。

「ハンターではない。旅をしているだけだが、人並み以上にバンパイアに詳しい自負はある。おれはダンピールだ」

 夜月が自らの種族をダンピールと告げた時、クロマの口からは、ああ! とこの世の嘆きを凝縮したような悲鳴が発せられ、ゾーニは咄嗟に腰のホルダーに収めた魔本に手が伸びた。唯一、ニックだけが友好的な微笑を変えずにいる。
 ダンピールとは、バンパイアの親と他種族の親を持つ者を指す。
 バンパイアの持つ不死性や身体能力、超常の異能をおおよそ半分ほど受け継ぐダンピールは、バンパイアとは異なり昼間でも活動可能であり、吸血衝動はあっても他者をバンパイアには変えられないという特徴を併せ持つ。

 バンパイアの繁殖行為が吸血行為に限らないからこそ誕生し得るダンピールだが、バンパイアからも他種族からも、どっちつかずの存在として忌避され嫌悪される昼ならず夜ならぬ存在でもある。
 この地方の者達にとってはバンパイアに次ぐ、またあるいはそれ以上に忌まわしいとされる存在だと告白した夜月に対して、クロマもゾーニも疑いの念を抱いていない。
 納得したのだ。ここまで人間離れした美貌と体の内側が凍るような存在感を持つのも、バンパイアの血を引いていると言われれば納得が行く。
 木陰に佇んでいたのも、陽光を浴びて苦悶するバンパイアの血を少しでも休ませる為ではないのか。

「親がバンパイアか。なら詳しくても納得が行く――とは限らん。おれの知っている限りだとダンピールは、気を悪くしないで欲しいが、バンパイアの親からは認知されにくいものだからな。子供が親に詳しくなる程、接する機会はないものらしいが?」

 絶句し続けているクロマとゾーニを他所に、ニックは偽りのない申し訳なさを顔に浮かべて夜月に問う。夜月は気分を害した様子はない。ニックの発言は事実であると彼も認める一般論なのだ。

「何事にも例外はある」

「そうか、仲の良い家族らしいな」

「……ああ」

 ニックが何故だが身内の事のように喜ぶ声を出すのを聞いて、ようやくクロマとゾーニは現実世界へと意識を帰還させた。

「ダン、ピール。ああ、まさか、そんな」

 嘆きと恐怖を隠さないクロマに対して、ゾーニは腰の魔本に触れながら夜月に問う。頬を伝う汗は冷え切っていた。

「我ながら馬鹿な質問だと思うが、この村を襲ったバンパイアとは関係が?」

「バンパイアはダンピールを忌み嫌う。同族の血を引きながら他の種族の血を持つ半端者、バンパイアを貶める汚らわしい混じり者と蔑んでいる。
 ダンピールを始末する時は、まず下僕か殺し屋にやらせる。バンパイアが直接手を下すのは最後だ。汚らしいダンピールの血で自分の手を汚したくはないからな。それ程だ」

 夜月はつらつらと淀みなく喋るが、その内容にはかえってクロマとゾーニの方が顔色を青くする。ここまで苛烈な内容を顔色一つ変えない夜月に、得体のしれないものを見る視線を向けている。

「夜月の言っているのが一般論だとは、おれも承知している。バンパイアとダンピールは余程の事がなければ水と油だ。それにこうまでわざとらしい駒の動かし方をしないだろうさ。それで、村長、彼を被害者の方に会わせて問題はありそうですか?」

 クロマは夜月の顔ではなく胸のあたりに視線を寄せて、しばらく思案してから口を開いた。

「なるべく顔を見せないようにしていただくのと、貴方には本当にバンパイアに対する知識や対抗手段に心得がお有りなのですね? 貴方はバンパイアである親の同胞を相手にする事に、躊躇はないのですか?」

「バンパイアの知識に関して、おれの親は同胞と数多く戦った経験がある。それを教わっている。それと、親の同胞を相手に躊躇はないのかというが、同じ人間でも村を襲う賊崩れを相手に貴女は容赦するのか?」

「……分かりました。ですが、その前に一つだけ。ニックさん、貴方は傭兵でいらっしゃるのですよね?」

「ん、ああ。傭兵業はハリボテの看板みたいなものだが、受けた仕事に関しては責任を持って全うしているよ」

「ではこの場で貴方を雇います。依頼内容は被害者の護衛と夜月さんの監視です。報酬は相場以上をお支払いいたします」

 ジュウオの村に到着している以上、輸送隊の護衛は終了しているから、ニックは目下依頼のない状態だ。受けるかどうかはニックの胸先三寸になる。クロマから向けられる視線をまっすぐに受け止めて、ニックは真摯な顔と声で答えた。

「……うむ、それで少しでも貴女が安心できるなら受けよう。悪いな、夜月。君を被害者に会わせるのにも、ここでおれが依頼を受けるのが手っ取り早そうだ」

 夜月は答えない。話し始めてから今に到るまで、その表情はわずかも動いていない。彼にとってはどうでも良かったのかもしれない。
 再開されたクロマの案内で隔離小屋に辿りつくと、窓という窓には鉄格子が嵌められて、扉の取っ手には何重にも鎖が巻きつけられている。
 外からの侵入者を防ぐ為に、そして中に隔離した者が外に出るのを防ぐ為に、ここまで厳重に物理的に出入りできないようにしているのだ。
 クロマが首から下げていた鍵束を服の内側から取り出し、時間を掛けて鎖を外してから入った小屋には、被害者である女性が一人だけいた。

 入口のすぐ右に水瓶や竈、薪束の他、簡単な調理台が用意され、反対側には厠らしい扉がある。
 入口からそのまま繋がっている部屋には中央に丸机、右手側にベッドが置かれ、左手側には箪笥が置かれている。あくまで数日の滞在を前提とした小屋だ。

 鉄格子の隙間から差し込む光が室内を照らしている。既に血を吸われた影響が出ているのか、太陽の光を避けるようにベッドに腰かけている。
 肩にかかる長さで切り揃えられた赤毛の下には、まだあどけなさを残す少女の顔があった。しかし血が流れていないかのような青白さと、こびりつく暗黒の影は少女から明るい未来の全てが失われているような印象を与えている。

「おばあちゃん……お客様?」

 か細い声に、わずかだが肉親へ向ける親しみが残されているのは、救いであったかどうか。少なくともゾーニには一層哀れさを感じずにはいられなかった。

「ええ、カズノ。この娘はカズノ。私の孫娘です」

 小さく会釈するカズノにニック、ゾーニが自己紹介をし、夜月の番になると誰もがそうなるだろうと思っていた通りの結果になった。

「夜月という」

「あ、カズ、ノ、です」

 見る間にカズノの顔が赤く染まり、視線は夜月から外れて膝の上に置かれた自分の手の辺りを彷徨い始める。少なくとも真っ当な人間らしい反応に、クロマやゾーニは安堵した。
 この娘にはまだ人間らしい情緒が残されているのだから。
 ニックからの色男だな、という視線を無視して、夜月はカズノへ無慈悲ともとれる口ぶりで話しかける。

「君の血を吸ったバンパイアについて、憶えている限りの事を教えて貰いたい」

「おい、いきなりすぎるぞ。もっと言葉を選べ!」

 窘めたのはゾーニだ。左手がホルスターに固定されたままなのは、夜月がダンピールだと告げてから変わらない。万が一、目の前の青年がバンパイアの手先だった場合への備えは、一瞬も途切れていない。
 自然体に見えるニックも傭兵として雇われた以上は、何時でも夜月に斬りかかれるように神経を張り巡らせていた。流石にクロマからも批難の視線を向けられるが、夜月は動じず、それはカズノも同じだった。

「ハンターなのですか?」

「いや、旅人だ。だが、役に立つつもりでここにいる。君の血を吸ったバンパイアを退けるにしろ、滅ぼすにしろ」

「……なら、お話します。」

 カズノが爛々と赤く輝く二つの瞳と出会ったのは、村から少し離れたカズノだけの秘密の場所に実を結んだミゴロモリンゴを獲っていた夕方の事だ。
 真っ赤に熟したミゴロモリンゴを手提げ籠一杯に収穫し、パイや果実酒にと美味しい使い道に心を躍らせていた時、既に周囲に夕闇が迫りつつあるのにカズノは気付いた。
 見慣れた木々の合間に燃えるように赤い二つの光を認めたのも、同時だった。それに気付いた時、カズノは周囲がひどく冷え込み始めたのを知った。自分の体が震えているのにも。

「そして私の喉に小さな二つの痛みが走り、次に気が着いた時、私は家のベッドの上で眠っていました。泣き崩れる両親とおばあちゃんの姿と、他にも居た村の人達が杭を持っているのを見て、自分がどうなってしまったのかも知りました」

 カズノは誰に言われるでもなく、ブラウスの襟を下げて、右の首筋に穿たれた二つの小さな穴を露わにする。出血は止まり痛みもないが、紛れもなくバンパイアに血を吸われた痕だった。
 吸血痕を見る夜月の瞳にカズノの頬から耳、首筋に到るまでより濃い赤になっている。

「バンパイアは名誉欲や自己顕示欲が強い。名前は名乗ったか?」

「……牙が首に触れる寸前、ガルドナ子爵家当主ザグフの牙を受ける栄誉を誇るがいい、と楽しそうに」

 ブラウスを戻し、膝の上で硬く拳を握ったカズノの体が思い出した恐怖によって震えるのを、夜月を除く全員が痛ましげに見ていた。

「爵位持ち、ノーブルか。バンパイアの吸血行為だが、一度でバンパイアになる場合とそうでない場合がある。君は後者だ。体質にもよるが、君の場合はもう一度牙を受けない限りは、成りかけのままで留まる」

「あの、こう聞くのはおかしいかもしれませんが、どうして一度でバンパイアにしてしまわないのでしょうか」

「君やご家族には腹立たしい限りだろうが、君の血の味を気に入ったからだ。バンパイアに変わる前と後とでは血の味が異なるそうだ。一度で済ませなかったのは、君の血の味をもう一度楽しむ為だろう。それに眷属にも加えるつもりだ」

 バンパイアは創造主を同じくする兎人を除き、他の人間種を見下すか血の詰まった食糧として見るが、それ故に血を吸ったからといって誰でもバンパイアの末席に加える栄誉――バンパイアからすれば――を与えるわけではない。
 緊急時を除けば吸血行為によって同族を増やす行為は滅多に行われず、悪戯にそれを行えば同族から大いに軽蔑され、馬鹿にされるとあって進んで同族を増やす者はまずいない。

「私、を、バンパイアに……」

 一度は赤くした顔色を再び青く変えるカズノに、思わずクロマが励ましの言葉を掛けようとした瞬間、小屋の中に新たな声が響いた。影も形もないにも関わらず、その声は確かに夜月達の耳を揺さぶった。

「娘よ、光栄に思うがいい。吹けば飛ぶような村の小娘が輝かしいバンパイアの一族に加われるのだ」

 ひび割れた鐘を思わせる声だが、発生源は見当たらない。

「だ、だれ!?」

 ひっと体をすくませるカズノをクロマが抱きしめ、長剣ではなく短剣を抜いたニックと魔本を開いたゾーニが背に庇う。夜月だけは視線を小屋の中に巡らせるだけだ。

「ははは、おれの居場所は分かるまい。ご当主の牙を授かった女の傍に、不躾にも男が押し掛けていると来てみたが、ご当主に害を成す算段を整えようとは。家臣たるおれがこの場で罰を加えてやろう」

 鋼の殺意を乗せた声は暴風の如き重圧を小屋の中にもたらしたが、次に聞こえて来た声は蜂蜜のようにとろりと甘く蕩けていた。

「しかし、これはなんと美しい男がいたものだ。お主を献上すればご当主はさぞやお喜びになるであろうよ」

 どうやら声の主もどうやってか夜月の顔を見て、ゾーニ達同様に感嘆の想いに捕われているらしい。バンパイアから見ても尋常ならざる夜月の美貌は価値があるようだ。対して夜月からの返答には氷の殺意が込められていた。

「ザグフとやらに届くのは、お前の首だ」

 赤色の一閃が小屋の中の空間を薙いだ。いつ、どこから抜き放ったのか、夜月の右手には柄尻から切っ先に到るまで、赤く染まった片刃の長剣が握られている。
 陽光を切り裂くが如き一閃は、木製の床に落ちた箪笥の影へ放たれていた。赤い切っ先に追い出されるようにして、影の中から真っ黒い塊が飛び出して天井へと張り付く。
 夜月以外の誰もが驚きの視線で天井の塊へ向ける。だが、最も驚いていたのは黒い塊自身だった。

「おれの居場所を、いや、それよりも影を斬るとは、貴様は」

 黒い塊の正体は艶めくマントだった。その塊の中から声の印象を裏切る若い少年の顔が覗く。
 褐色の肌に猫のような釣り目が特徴の、野性味の中に確かな気品を感じさせる十五、六の若者である。昼に行動しているのだから、バンパイアではあるまい。超常の力を与えられた異種族の下僕であろう。

「影に潜む技か。そう珍しくはない」

 夜月の言葉に嘲りや侮りはなかったが、事実を口にしているだけのような物言いはかえって影の少年の怒りを買った。

「ご当主から授かった技を、凡百と侮るかっ!」

 答えるのは声ではなく赤い長剣。夜月の右手にある刃は彼の足もとへと突き立てられていた。いつの間にか少年から夜月へと向かって影が伸びていて、刃のように鋭く変わっていたその影を赤い切っ先が床に縫い止めていたのである。
 少年が怒りを見せたのは本心からだろうが、同時に怒りの裏で攻撃を仕掛けていたのである。油断も隙もない。

「風王の手記より“葉を落とす憂いの吐息”!」

 夜月に縫い止められた影はそのままに、ゾーニの行使した魔法が影の少年を床に叩きつけるべく、上から下へと向かう気流を発生させる。

「おお!?」

 小屋の中の大気が荒れ狂う中、必死に耐える少年へと向けてニックが飛んだ。必殺の意思を乗せた短剣の切っ先は、容赦なく少年の喉元を狙っている。

「はあっ!」

「ええい!?」

 しゅるん、と音を立てるような勢いで少年の姿は天井の隙間に消えた。ニックの短剣が天井を貫いたのは、少年が消えた直後であった。屋根裏の影へと移動したのだろう。
 重力に従ってニックが音もなく床に着地した時、既に夜月の手に赤い長剣は無かった。彼の視線は屋根裏ではなく外へ向けられている。少年が視線の先へと逃亡したのだと、ニックとゾーニは即座に理解した。

「追うか?」

 と夜月に問いかけたのはニック。短剣は鞘に納めず右手に持ったままだ。影の少年を退けたとして、まだ他に潜伏している敵がいるかもしれないと備えている。

「ああ」

 踵を返そうとする夜月と躊躇い無く続こうとするニックを、ゾーニの慌てた声がかろうじて押し留めた。

「おおお、おい、待てって。他にもあいつらの仲間がいたらどうする? 貴族の家臣が一人だけなんて、んなわけはないだろう」

ゾーニは振り返らず、夜月はコートの下から左手で何かを取り出していた。

「奴の目には強い野心の光があった。手柄を一人占めしたいとな」

「うん?」

 夜月の言いたい事がすぐには分からず、首をかしげるゾーニに合点のいったニックが捕捉するように告げた。

「つまり他の仲間達を置いて、抜け駆けしてきたって事か」

「ああ。遅れた者達もあの影を追えば途中で出くわすだろう。そこでまとめて始末すればいい」

 何気ない風に始末すればいいと告げる夜月の声音の冷たさに、狙われている恐怖さえ忘れてカズノは体を震わせ、クロマもまたこれがバンパイアの血なのかと恐怖した。

「これを持って彼女を守れ」

 夜月がコートの中から取り出したのは、小さな木彫りの竜だった。
 手の平に乗る程度の大きさで、今にも火を噴かんばかりの迫力と確かな英知と意思を感じさせる瞳に、一枚一枚を精緻に彫り込まれた鱗と、何かの魔法で木彫りの像に変えられた竜なのではないかと、手渡されたゾーニは本気で疑った。

「魔法の品だ。下級のバンパイア程度ならば問題なく退けられる」

 ゾーニとカズノ達にはそれ以上構わず、ニックがついてくるのを確かめもせずに小屋を出る夜月の背に、カズノの声が届く。

「あの、どうか、お気を付けて」

 届いただけだった。夜月は足を止めず、振り返る事もしなかった。あまりの非情さに、これまで夜月に不思議と友好的だったニックも、どうかと思っている視線を向ける程だった。



 ジュウオの村から更に北西方向へと踏み入った先には、人間の存在を拒むかのような木々の連なりや獣の行き交う草原、足の踏み場もないような山々が広がっている。
 苔むした岩の転がる草原の中で、四本の腕に槍や剣を持った銀色の人型が十数体、足音一つ立てずに一つの影と立ち回りを演じていた。
 黒いコートを翻し、四方から襲い掛かる銀の人型を斬り伏せる男のその美貌、肩を並べる者が天地に存在するとは信じ難い程となれば、ニックと共に追撃にでた夜月に違いあるまい。
 ニックの姿は周囲に見られないが、途中で二手に分かれたのだろうか。

 銀色の人型は、夜月らの追跡を察した影の少年がこの草原にばら撒いた手札だ。ここに夜月達をおびき寄せて、数の暴力で一気に仕留めようと画策したのだが、それも一体、また一体と斬り伏せられる光景が破綻を証明している。
 岩の影に身を潜めた少年は、最後の銀色の人型を袈裟斬りにした夜月へ驚愕に見開いた目を向ける。あの小屋の中で影に身を潜めていた自分を見つけ、更には影さえも斬った尋常ならざる剣技には瞠目したが、まさか……

銀人ぎんじんは動く水銀だ。いくら斬ろうが突こうが、すぐに再生して動きだす。それをどんな斬り方をすれば再生不能に出来る?」

 夜月は自分の周囲で動かなくなった銀人をつまらなさそうに見回し、右手の長剣で肩を軽く叩きながら周囲をぐるりと見回す。

「おうこら、隠れてねえでさっさと出て来い。人様の顔を見るなり問答無用で襲い掛かってきやがって、親の躾がなっちゃいねえ。人様の命を狙ったんだ。相応の覚悟はできているんだろうな?」

 ニック達と言葉を交わしていた時とは打って変わった伝法な口調だが、彼から放たれる殺気の凄まじさは変わらない。物理的な圧力さえ伴う殺気に気を失いそうになりながら、影の少年は岩から姿を覗かせた。
 この男には勝てないという諦念がないわけではないが、まだこの場を切り抜けられるという自信が残っている為と、そして何よりこいつが敵のままでは主人が危ういと忠誠心に突き動かされたからだった。

「出て来たか。顔は若いが中身は爺さんだな。魔法と薬物で若造りか?」

 夜月の指摘は正鵠を射ていた。岩の上に飛び上がった影の少年は苛立たしげに歯を噛むが、すぐにあっという顔になった。どうやら、自分が何か思い違いをしていた事を悟ったらしいが、何を悟ったのやら。

「……見事な慧眼だ。お主にこやつらをけしかけた事は詫びよう。その上で話を聞いて欲しい。その剣技の冴えを見てある考えが閃いた。まずはそれを吟味して欲しい。お主にとって決して悪い話ではない」

「ふぅん。話してみな」

「おれは栄えあるノーブルバンパイアのガルドナ子爵に仕えるマサケという。この地にガルドナ家の威光を広めるべくご当主と共に足を伸ばしている」

「今時は朱塗りの大地の外にバンパイアが足を伸ばすのは、珍しいそうだな」

「そうだ。それゆえ、ご当主は新しい有能な家臣を求めておいでだ。銀人に再生を許さぬその剣技と体に流れるバンパイアの血があれば、ご当主もお主を高く評価なさる」

「あんたにダンピールだと自己紹介した覚えはねえな」

「とぼける必要はない。その美貌、対峙しているだけで骨まで凍える妖気。これでバンパイアの血を引いていないわけがない」

「まあ、分かりやすいか。だが、バンパイアのダンピール嫌いはおれも知っている。おたくのご主人はどうだい」

「おれが必ずや説得しよう。古より栄光を維持し続けるバンパイアの貴族に仕えれば、恩恵は計り知れん。小さな村の人間達に腕を預けるよりも、我が主の下でその剣技を振るう方がお主にとってはるかに利益がある」

「近くの村と比べちゃ向こうに悪かろう。しかし、まあ、確かに悪い話ではねえな。ダンピール相手に何をさせて、報酬は何を用意するのか。おたくのご主人と会うのが楽しみだぜ」

 にいっと鋭くとがった犬歯を剥き出しにした夜月の笑みは、マサケに自分の行動が正しかったのかと疑問を抱かせるのに十分な魔性に満ちていた。
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