クガイの剣 とある剣豪の異境活劇

永島ひろあき

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冥界の剣

第二十話 禍羅漢とルリエン

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 クムがタランダの天幕のどこかで叫びをあげていた頃、一連の事態の中心地となるフウナンの隠し財宝の蔵、その最奥の一室は数百人が入り乱れて戦いを初めても余裕のある広さだった。
 クゼがクガイ達に伝えた通り、神秘性と荘厳とが融和した水晶の一室に黄金の土台に無数の宝石による装飾の施された祭壇が鎮座している。そして祭壇の中心に一振りの剣が、すなわち冥業剣が墓標の如く突き立てられていた。

 周囲の水晶全ての輝きを集めてもなお届かぬ神秘的な光を封じ込めた、柄から切っ先に至るまで紫水晶のような物質で作られた剣だ。この世にあるのが何かの間違いとしか思えない、この世ならざる雰囲気を放っている。
 死せる魂の世界の鉱物で、死せる鍛冶師が鍛え上げたという剣は、不完全な姿で主の到来を、魔王を封じながら待ち続けている。

 室内には、本来この世のものではない無数の怪物達の姿があった。
 クムに襲い掛かった灰無や百刃百足とは異なり、白い硬質の皮膚を持った人間のような姿だが、胸部と顔面に大きな罅が走り、内部には太陽を思わせる赤い球体が明滅している。
 禍羅漢の妖気が生み出したひと際強力な魔族だ。名を灼烈しゃくれつという。基本的に自我はなく、この場合は蔵の外へと広がり、冥業剣の鍵を探索する指令に従って行動する。むろん、鍵の探索を妨害する対象には排除行動を取る。

 そして冥業剣の突き刺さる祭壇の中で、封じられた獣頭の魔王禍羅漢は封印の緩んだ千載一遇の好機を逃すつもりは欠片もなかった。
 禍羅漢を封じているのは冥業剣だが、禍羅漢を閉じ込めている場所は祭壇の内部となる。クゼ達無尽会は冥業剣を重視しているが、この祭壇もまた魔王を封じるだけの力を持った強力な祭器であるのに間違いはない。
 そして禍羅漢は今もなおこの祭壇の内部で、封印から逃れようともがいている。

 祭壇の内部はひどく粘度の高い泥のような空間だった。白一色の閉ざされた世界は、光だけで満たされているようにも、またあるいは奇妙な言い方になるが白い闇で閉ざされているようでもある。
 その白い世界の中にクゼの語った禍羅漢はいた。クゼの語った白銀色の肉体は実際には白銀の全身甲冑の如き代物だった。
 間接の隙間は溶岩のように赤く輝き、頭は犬とも猫ともつかぬ雄々しい獣で、首から上は生身を晒している。大きな二等辺三角形の耳が二つ、炯々と輝く金色の瞳もまた二つ。首回りは雄獅子のように豊かな鬣が伸びている。

 白銀の胸部には灼烈と同じように大きな穴が開いて、その奥に太陽のように赤く輝く光の球体がある。
 だが、今はそこに冥業剣の刃が深々と突き刺さっている。冥業剣の刃の半ばから切っ先にかけての部位が祭壇内部の空間にあり、禍羅漢をこの場に封じ込めているのだ。
 禍羅漢のクムの頭を丸ごと包み込めるくらい大きな両手は、自分の胸を貫く冥業剣の刃を握り締めており、噛み締めた真珠のように白い牙の奥から嵐を思わせる唸り声が轟々と放たれた。

「がああああ!!」

 もしこの祭壇の中ではなく外で放たれたならば、この獣頭にして鎧の体を持つ魔王の咆哮はただそれだけで市街を地盤ごとまとめて吹き飛ばし、魔性の力がこもった咆哮は耳にした者の魂を砕いて、天災の如き被害を齎しただろう。
 世界を砕くと豪語しても誰も異論を唱える咆哮は、しかし、白い世界を揺らしはしても砕くことは叶わず、また渾身の力を込めた両手は冥業剣の刃を微塵も動かすことは叶わなかった。

 そうして咆哮を続けることしばし、既に数えるのを止めて久しいこの行為が、今回も望む成果を上げられなかったと認め、禍羅漢は咆哮を止めて冥業剣から手を離す。
 獣の顔でもそう分かるくらいにはっきりと溜息を吐いた。なんともはや、人間味のある仕草だ。

「いまだ我が力及ばすか。つくづくあの人間達にしてやられたと認める他ない。だが……」

 禍羅漢は光の届かない穴の底から聞こえてくるように低く、物理的な重さを錯覚させる声だが、落胆の響きはなかった。
 禍羅漢は自力ではいまだに冥業剣の封印から抜け出せなくとも、祭壇の外で起きた異変を察知していた。
 恐れを知らぬ業突く張りな人間達が冥業剣を求めて探し回り、自分――禍羅漢が封印されていると知ってか知らずか、冥業剣を祭壇から抜こうと試みている。

 外の者達も冥業剣を抜く事は叶わずにいるが、わずかに冥業剣は緩み、それによって禍羅漢は祭壇の外へと己の妖気を送り出し、手駒である灼烈を生み出すことに成功している。
 灼烈を通じて外を探ったところ、どうやら自分が冥業剣で祭壇に封印された後、宝物庫のような場所に封印されて、その宝物庫を暴いた人間達が大挙して押し寄せているようだった。

 そして冥業剣が敢えて一部の部品を外されて不完全な形にされ、抜く事もさらに刃を押し込む事も出来ない状態にされているのも、禍羅漢は把握している。
 お陰で冥業剣の力で滅びはしなくとも、同時に封印を破る事も出来ない状態に陥っているが、それは冥業剣を完成させる鍵となる部位を見つけ出し、冥業剣の完全なる姿を取り戻して祭壇から抜けばよい。

「あのフウナンとやらは既に死んでいるかもしれんが、さて外がどうなっているか楽しみではある。骨のある武人か神仙が居れば鬱憤を晴らすのにちょうどよいが……」

 禍羅漢は束の間、過去に対峙したフウナン達との戦いに思いを馳せる。
 太古に他の魔王や魔神と共に地上へと侵攻し、その過程で消滅寸前まで追い込まれた禍羅漢は身を隠して傷を癒す為に眠り続けた。
 そうして傷が癒えた頃に目を覚まして、再び地上の者達との戦いに繰り出そうとした矢先に、フウナンとその仲間達と戦って封印されてしまったのだ。

 フウナンは煮えたぎる溶岩のような生命力と風のように捉えどころのない雰囲気の青年だった。
 そんな彼に冥界の神を崇める巫女と安物の装飾品を飾り立てた道化の青年、青龍偃月刀による二刀流を自在に操る少壮の武人達が付き従い、人知れぬ深山幽谷で三日三晩に渡る激戦を繰り広げたのである。
 四人とも神代でも通じる素晴らしい使い手達だったが、彼らが勝利し得たのは復活した禍羅漢を封印する為に、冥府の神々がフウナンに貸し与えた冥業剣と、神託を受けて彼に協力した巫女の用意した祭壇の力が大きい。
 冥界の鉱物から冥界の鍛冶が鍛えた冥業剣は、それ自体が剣の形をした冥界として機能する。
 刃に触れた者を傷の大小を問わずに“死者”へと変える恐るべき力を持つが、禍羅漢が封印で済んでいるのは、使ったのが生者であるフウナンであったのと使われたのが魔王級の霊格を有する禍羅漢だったからこそである。

 祭壇が禍羅漢を封じる為の閉ざされた空間として機能し、冥業剣は禍羅漢を祭壇内部に閉じ込める為の楔であり、同時に祭壇を開き閉じる為の鍵でもあった。
 彼らとの戦いに際して禍羅漢は封印から目覚めた直後とはいえ、全力を尽くして戦い破れたから、怒りや悔しさこそあれ怨みや憎しみはない。叶うならばあの四人にもう一度戦いを挑み、今度こそ勝ちたいと小さく願うばかりだ。
 禍羅漢は冥業剣の封印を破る作業から、祭壇の外へ自身の妖気を送り出す作業に意識を切り替え、瞼を閉ざして瞑想を行い始める。
 深く意識を心の内側へと潜らせる寸前、ポツリと零した言葉が彼のもっとも正確な心情であったかもしれない。

「それにしても暇でしょうがないな」

 彼の呟きが誰にも聞こえなかったのは、語るまでもないだろう。
 そして新たな灼烈が一体、また一体と発生する部屋の外には、無尽会の面々は既に後方に退いている為に姿はなく、黄金色の通路は閑散としている。左右の壁の高い位置に設置された発光する石に照らされて、暗闇の居場所はどこにもない。
 ここに人間の姿はなく、しかし人間ではない者の姿はあった。

 異国から伝わってきた白いドレスシャツに赤いパンツドレスを纏い、首のリボンタイを締めるブローチには親指程の大きさのエメラルドが嵌め込まれている。
 蝋のように白く艶を持った肌に不自然に細い帯のように束になっている長い赤髪、そして白目ならぬ黒目と黄色い瞳を持つ人間に似て人間ではない女は、紛れもない魔の眷属――魔族だ。

「魔王陛下は今日もお元気ですこと。冥業剣に胸を貫かれて数十年余り。それでもまだ滅びないのは、流石はこと強靭さに関しては四十八魔王の中でも随一と謳われたお方」

 照明に照らし出される肉体の線は、男女の垣根を越えてただただ生物として美しく、均整の取れた理想像の一つだ。場所と状況を考えるならば、禍羅漢の封印を解くべく暗躍している魔族か。

「封印からお出になられたら私の手助けなど不要と鼻で笑われるか、それともよくやったとお褒めいただけるのか。それを確かめる為にも、もう少し悪知恵を働かせて、足を棒にしてこの不浄なる都市を遊び回ると致しましょう」

 女魔族は踵を返して歩を進めていった。そうして女魔族の足音が遠ざかり、通路に反響する音も聞こえなくなったころ、反対側の通路の角からひょっこりと男が顔を覗かせる。
 孔雀の羽を刺した帽子や色を付けた硝子細工で飾り立てた衣装、そして世にも稀なる美貌の男は、紙芝居屋のヨウゼツその人であった。
 入り口から蔵の最深部付近まで無尽会の手先が占拠し、最深部の間近にはあの女魔族が居たというのに、一体どうやってここまで侵入したのか。クガイが感じたように、只者ではなく、その上、極めて怪しく胡散臭い。

「ほうほう、無尽会が冥業剣の封印を緩めたとは思っていなかったが、下手人はあの女とその背後の連中か。神代のいざこざなど今を生きる者達には迷惑以外の何物でもないが、私はどう動こうか。
 あの女を捉えて今回の絵図を描いた者達を突き止めるか、いやいや、それとも禍羅漢への対処に注力すべきか。思案のしどころであるなあ」

 事態は危急と言ってよい局面を迎えているのだが、ヨウゼツはまるでそうとは感じておらず、新たな紙芝居のネタとしか思っていないような呑気さで、そう呟くのだった。まるで他人事だ。
 誰も見てはいないというのに、さてさてと呟きながら顎先にほっそりとした指を添えて悩むヨウゼツだったが、不意に何かに蹴躓いたように前かがみになる。

「おっと、危ない危ない」

 ひゅうん、と奇妙な風の音よりも早く、刹那の差でヨウゼツの首があった空間を見えない何かが薙いだ。続いて前かがみのヨウゼツの首を囲うようにしてソレが輪を作り、きゅうっと萎まる直前に、ヨウゼツは首を引っ込めて事なきを得る。

「いやはや、気配も息遣いも、それこそ心臓の鼓動も止めていたのだが、よく気付いたものだ。お見事だ。ご婦人」

 うっすらと目を細めるヨウゼツの視線の先には、つい先程この場を離れたはずの女魔族の姿があった。彼女の細い帯のように束ねられた髪が、風もないのにユラユラと揺れている。それ自体がまるで別の生き物のようだ。

「種を明かす必要は感じられないわ。悪いけれど私の存在を知られたからには、ここで果ててもらいましょう。優男さん」

「たとえ物騒な言葉でも美女の口から出るなら、なんであれそう悪くはない。だが私も自分の命は惜しい。貴女の存在については口を噤むから、見逃してはくれないかね? 私はこう見えて口は堅く……はないが、約束は守るよ」

「死人に口なしという言葉をご存知?」

「堅実な手を選ぶものだ。人生、たまには遊びを入れないとつまらんぞ。ところでお嬢さん、私はヨウゼツというのだが、名前くらいは聞いても構わんかね。
 お嬢さんの背後関係まで聞こうとは思わんよ。偽名でも問題ないともさ。何時までもお嬢さんと呼ぶのでは味気ないという理由だからね」

「ハッタリというわけでもない。ますます奇妙な男。この楽都らしいというべきかしら? 私はルリエン。お前の言う通りの偽名だが、それを覚えて冥府に行け」

 はらり、と女魔族――ルリエンの帯状の髪の一束が毛先からほどけていった。と同時にヨウゼツが前へ後ろへ、右へ左へとせわしなく動き回り、袖から取り出した扇を振り回して自分の周囲を払う。
 扇が空中で見えない何かと激突し、赤い火花が散ってはヨウゼツの顔を照らし上げる。まるで舞うかのように優雅な動きを見せるヨウゼツに対し、ルリエンは大きく間合いを取ったまま微動だにしない。

「髪は女の命、涙は女の武器というが、お主の場合は髪が武器か。それともその肉体ではなく髪そのものがお主の本体であるのかな?」

 くるくると踊り舞う中で、ヨウゼツは扇を開くやルリエンへと向けて大きく一扇ぎ。たったそれだけの動作で巨木も巻き上げる暴風がルリエンへと向けて発生し、人並みの重量しかないルリエンをはるか遠方へと吹き飛ばさんとする。
 ルリエンの髪が煽られ、廊下からその体がふわりと浮かび上がるが、それ以上、彼女の体は風が止むまで微動だにしなかった。そしてまた、風が止んだのもヨウゼツの扇が見えない何か――ルリエンの赤髪の一本によって強制的に閉じさせられたからだ。

「ふうむ、鋼よりも固く絹よりも柔らかく髪よりも細い。魔力を通したこの髪ならば人間の体など、水を断つかの如くであろうな。おまけに伸縮自在。つくづく便利だな、ルリエン殿」

 そういうとヨウゼツは右手の扇をくるりと捻り、巻き付いていたルリエンの髪をあっさりと外してみせる。ルリエンはそのまま扇を拘束しようとしていたにも関わらず、造作もなく拘束を解くヨウゼツにますます警戒心を強め、鋭い眼差しを向ける。

「私の拘束を容易に解くとは、貴様はどこの手の者だ。魔王陛下を監視していた一族か? それとも事態を察した神々か仙道の手の者か?」

「この街の手の者さ」

 ヨウゼツのその答えに、ルリエンはますます眼差しを険しくし、数十万本に達する髪という武器を容赦なく振るった。
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