【完結】竜を喰らう:悪食の魔女 “ドラゴン・イーター” は忌み嫌われる

春泥

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第四章 正直者の帰還

第七話 森と魔女と炭焼き

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 森の中を進む女の足の速さにシロは必死で追いすがっている。背中に樽を背負い、服装は貴婦人の旅支度のような裾の長い外套、足首までのブーツは踵が低いが、山歩き用ではない。その下に着込んでいるのは一見ドレス風のドラゴンの鱗から作ったという戦闘服だろう。
 それでも背負子の肩ベルトを握りしめて猛然と進む様子には、一切の迷いがない。まるでこの森のことを熟知しているかのように。
 これから冬に向かうが年中葉を落とさない常緑樹の枝が幾重にも重なり昼なお暗き森がじわじわと覆い被さってくるような重苦しさをシロは感じている。炭焼きである彼にとっては森に入って木を伐り倒すことも仕事のうちだが、気を許せば皮膚の毛穴の一つ一つから体内に侵入して来るなにかがひしめいている――そういう感覚はいつまでたっても拭い去ることができない。
 その一方で、森の奥深くに分け入るにつれ、力が漲って来るのも感じていた。キンシャチでテキサ王女と対峙したことにより(その詳細をシロは覚えていなかったが)失われ枯れかけたものが再び満たされていく。そうでなければ、華奢な癖にやたら健脚なリヴァイアについていくことはできなかっただろう。
 置いて行かれたところで、迷子になるということはなかったが。

 女が突然足を止めたので、シロはその背中の樽にぶつかって止まった。跳ね飛ばされたのはシロの方で、無様にひっくひ返りながら「なんだよ」と抗議の声をあげたが、すぐに異常を感じて口をつぐんだ。
 木々が少し開けた場所であった。黒く焦げた薪跡を中心に、毛布や携帯用の鍋、背負子の残骸、様々なものが散乱していた。そして黒く変色して凝固した液体が、草の上やへし折られた枝の葉っぱなどにこびりついていた。
「これは……大学の調査隊のキャンプ地?」
「どうやら、襲われたようね」
「かなり高い所の枝が折れている。こんなことができるのは」
「トロールね。この辺に巣があるのかしら」
『巣』という言葉にシロは顔をしかめた。トロールがねぐらにしている洞窟はそう遠くないところにあった。森の中は暗いとはいえ、まだ昼間だ。日光を嫌うトロールは洞窟で眠っているはずだ。
「なぜだ。こんなところにキャンプを張るなんて。テキサに渡した地図にトロールの洞窟を示しておいたのに」
「近くにトロールの洞窟があるから、ここにキャンプを張ったんじゃないかしら」リヴァイアは事もなげに言う。
「まさか」
「トロールはあまりおいしくないんだけど、まあデカくて邪魔臭いから、今のうちに食っておいてもいいわね」
 リヴァイアがトロールの洞窟の方角に向かって歩き出したので、シロは悲鳴に似た声をあげた。
「やめろ。頼む。今はトロールよりドラゴンだ」
「そんなに時間はかけないわよ。一つの洞窟に居るのは、せいぜい四匹が五匹ってところでしょ。このハッチョをつければあの岩みたいな体でもそれなりにおいしくいただけるでしょ」とリヴァイアは背中の樽を叩いて言う。
「やめろ! これは、テキサがわざとトロールが襲うように仕向けたんだ。トロールのせいじゃない」
「なあに。おかしなことを言うわね。トロールを庇うの?」
「そういうわけでは。ただその、優先順位の問題で」
 しどろもどろになるシロを険しい顔で睨みつけていたリヴァイアが視界の端に何かを捕らえた。反射的に、外套のベルトに差している剣の柄に手をかけた。ひんやりしている森の空気が、さらに下がったように感じられた。
「何者」
 鋭く問いただす女の視線の先に目を向けたシロは「あっ」と声をあげた。
「父さん。こんなところで何を」
 木々が乱立する暗がりからのっそり出てきた男の頭には、斧が刺さっていた。
「父さん? これが?」
 それは人間の姿をしていたが、髪も皮膚も、そしてなぜか着ている物まで色が抜け落ちたかのように白茶けており、薄暗い森の中で仄白く浮かび上がって見える。白濁した瞳は虚ろで、目の前にある虚空にただ見入っているかのようである。
「父さん」とシロは女を無視して父に歩み寄った。
「どうしたの。昼間に姿を見せるなんて、珍しいね」
 特に回答や反応を求めていたわけではないのだが、父親はその虚ろな瞳を息子に向けた。頭のてっぺん辺りに斧の刃がめり込んでおり、柄が顔の前に垂れ下がっている。
「邪魔でしょ。とってあげましょうか」
 女の長い腕が横から伸びてきた。その華奢な指が斧の柄に触れる前に、細い手首をシロが掴んだ。女は片眉を吊り上げたが、シロが掴んでいる手がよく見ると小刻みに震えており、二人の間で静かな力比べが行われているのがわかる。
「……見た目はまともなのに、あなたって、一体どうなってるの。トロールの肩は持つわ、父親はこんな……」
「夫婦喧嘩がちょっと度を越しただけだ」
「斧を持ち出すなんて、尋常じゃないわねえ」
「家庭の事情に口を挟まないでくれ」
 二人の静かな小競り合いをよそに、シロの父親は左手をゆっくりと持ちあげた。まっすぐ肩の高さまであげられた腕の先で、人差し指が一本突き出されていた。
「うち」
 父の口から漏れたかすれた声は、確かにそう言ったように聞こえた。
「うち?」
「この方向に、炭焼き小屋がある。俺の家だ」
 父親は、ゆっくりと腕を下げると、指さしたのとは反対方向にゆっくりと歩き出し、森の中に消えた。
 シロは父の後ろ姿をしばし見送っていたが、意を決して、歩き出した。
「どこに行くの」
「家だよ。どのみち、ヌガキヤ村に出るまでの通り道だ」そう言う間も、シロは大股で歩き続ける。今度は女がシロの後を追う番だった。
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