探偵は思い出のなかに

春泥

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失われた少女

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 ドアを通過して技師のいる機械類がぎっしり詰まった小部屋に入ると、技師が言った。

「君は熱心だねえ。ここ数年で稀に見る優秀な生徒だと聞いているけど、休みの日まで訓練だなんて」
「すみません。お付き合いいただいて」
「なに、いいんだよ。どうせ当直だもの。俺の友達の父親がやっぱりこの病気でさ。君みたいな優秀なキャッチャーを育てることに貢献できて、嬉しいんだよ、俺は」

 男は人がよさそうな笑顔を見せる。
 タイチは分厚いガラス窓の前を横切って小部屋を出るときに、もう一度ベッドの上に横たわっている彼女を見た。

「この子も、もう十年こんななんだよな。可愛そうに。どうにか、連れ戻してあげられないのかな。君みたいに将来を嘱望されたキャッチャーでも無理なのかい?」

 中央に置かれたベッド以外は全て、彼女の生命を維持し、バイタルサインなどを測定するための機器だ。殺風景で、温もりが感じられない部屋。

「今はどうにか、見つけることはできます。多分、捕獲することも。でも、本人が望んでいないのに強引に連れ帰ってはだめだと教わっています」
「そうなのか。家出娘を親が無理やり連れ帰ってもまた家出するみたいなものかねえ」
 男は頭をかきながら言った。
「だけど、ここにちょくちょくお見舞いにやって来るお兄ちゃん。両親よりも妹思いみたいなのに、あんな肉親を悲しませても、そこに居たいと思うほど幸せな思い出があるのかねえ」

 それは自分も知りたいことだ、とタイチは思う。だから何度も、ハナとの接触を試みようとしているのかもしれない。

 自分の母のケースとは異なるというのに。

 タイチの母親は、重度の心の病だが、精神失踪症ではないと診断され、記憶探偵療法では救うことができないと言われている。彼女のように壊れてしまった精神の中にはそもそも「失踪人」なるものが存在するかどうかも怪しい、と現在の研究では言われている。

 それでも、もしあの少女を連れ帰ることができたら、一歩前進できたような気がするのだ。変わり果ててしまった母、息子のことさえ認識できないような母の脳のどこかには、昔のままの母が隠れているのではないか。そんな気がするのだ。

「伝言、伝えそびれてしまった」

 思わず独り言を呟いた。

 学校は休みだが、訓練のために施設を訪れたタイチは、チトセと鉢合わせしたのだった。

「苦しくなってしまったんです」
 チトセはそう言った。
「今日は目を覚ますか、明日ならば。そんな風に期待しているのが。だから――」
 もう待つのはやめますと静かに言った彼に、自分がきっと連れ戻しますからなどと無責任な約束をすることはタイチにはできなかった。自分がここで修行を積む五年間、残り三年少々で、彼女を捕まえて、こちらへ戻るよう、自分ならば説得できるかもしれないと、何の根拠もないのに、思っているなどとは。

『タイチなんか、大っ嫌い!』

 彼女の声がよみがえってきて、タイチの胸をちくりと刺した。どうしてこんな気持ちになるのだろう、とタイチは思う。ただ、世間知らずで甘やかされた子供が癇癪を起こしただけだというのに。
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