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日記

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 母屋に上がって、左の表座敷の襖が開いていたので覗いてみたら、居間の襖も開け放しになっていた。暗いし、蒸し暑いので、居間の敷居を跨いで障子戸を見たが、光が差していなかった。

 この暑いのに、縁側の板戸を閉めていると分かったが、一応確認しておくかと、障子戸を開けてみると、やはり板戸が閉め切られていた。

 それから臭った。腐臭と糞便の臭いがした。

 鼻を摘んで縁側を見たが、暗くて気味が悪いので、顔を引っ込めて障子戸を閉じた。

 足元や座卓、卓袱台はまったく見ていなかった。

 何せ暗かったし、人の姿を見つける方に気が向いていたから、気にもしなかった。

 そこまで確認して、人の姿が見えなかったから、表座敷の反対側にある婆さんの部屋の襖を開けた。そしたら、仏間との境で婆さんが首を吊っていた。

 婆さんは目を剥いて舌を垂らしていた。鼻血も出ていたかもしれない。ぶらんと、ただぶら下がっているだけで、一切、動いてなかった。足元には、脚立が転がっていた。

 俺は仰天して、声も出さんと、ただ口だけ開けて固まった。

 そのとき、ちらり、と部屋の隅に目がいった。文机の上に半紙が載っていた。「つかれた」と筆で書いてあった。硯と筆もあった。

 備忘録に書いてある字が、みみずが田を踏んでいるような汚い走り書きなので、正直、自分でも読めないところがあるが、大体は書けたと思う。

 自分で書いておいてなんだが「つかれた」という文字を思い出すと、また泣けてきた。

 俺は、婆さんが気丈な人だと思っていた。勝手に懐が広い人だと思っていた。

 だが、もしそれが嘘だったら、俺は、悔やんでも悔やみ切れない。

 自分よりずっと若い妾が家にいるというのは、妻としてはどういう気持ちなのだろう。

 それを、俺はまともに考えたことがなかった。

 傍目には、婆さんとイツ子さんの仲は良かった。親子のようだった。

 しかし、もしそれが演技だったとすれば、婆さんはどんなにか、「疲れた」だろう。

 もう、書けない。しばらく悔し涙に暮れる。

 七月二十三日(金)曇り

 先日の夕方に、爺さんが来て、黙って部屋に上がりこんだ。

 それで胡坐をかくと、俺に向かいに座るように手で示した。

 俺が向かいに正座すると、しばらく目を伏せたまま黙っていたが、不意にぼそっと、

「良一郎、お前な、婆さんの、通夜にも葬儀にも出るな」

 と言った。

 俺は耳を疑ったが、親戚も近所の人も呼ばないと聞いて、何となく察した。

 俺の思ったとおり、イツ子さんにも、出て欲しくないそうで、通夜の間、離れ屋にイツ子さんをよこすから相手を頼むといわれた。

 話を聞いたときは、言い表せないほど寂しくなったが、話し終えた爺さんを見て、更に上の寂しさがあるのだと知った。

 爺さんは、話し終えるまでは冷静で、気が抜けたようだった。

 だが、急に歯を食い縛って、腹が立ってならないという顔をして、握り拳を作った。

 それから、わなわなと拳が震えだして、堰を切ったように、わあっと大声を出し、何度も畳を殴りだした。

 悔しくて堪らないといった様子で、やり場のない怒りをどこにもっていけば良いのか分からないという心情が露に見えた。

 俺はそんな爺さんの姿を見るのが初めてだったので、胸が張り裂けそうになるほどの憐れみに襲われた。

 爺さんは泣いていなかった。それがまた悲しくて、嗚咽が漏れそうになったが、伴侶を失った悲しみを堪えている爺さんを前にして、俺が先に泣いてはいけないと思った。ぐっと堪えて、爺さんを止めた。

 爺さんは肩で息をしていたが、落ち着きを取り戻すように、呼吸を整えると、

「すまん」

 と掠れた声で言って、離れ屋を出た。俺が見送りに外に出ると、

「良一郎、お前がおって良かった」

 と疲れ切った様子で言って、母屋の方へ向かい、とぼとぼと歩いていった。

 酷く小さくなった背中を見送りながら、俺は爺さんに言われた言葉を反芻していた。

 お前がおって良かった、だなんて、そんなことを言うほど爺さんが心細くなっているのだと思うと、気持ちが深く沈んでしまって、どうにもならなくなってしまった。

 それで、薬を何錠か飲んだ。それだけじゃ気持ちが収まらなくて、煙草を吸って酒を飲んでとしているうちに、前後不覚になって、気がついたら朝を迎えていた。

 頭痛を抱えた重い頭で、どうにか思い起こしながらこれを書いている。

 とにかく、顔も体も脂ぎって酷いので、風呂に行くことにする。

 ひっくり返った灰皿や何かの片付けは、帰ってからやる。
  
 

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