「兎の檻」は誰が壊したか

音央とお

文字の大きさ
75 / 103
第四章

75

しおりを挟む
宙が現れてから一週間が経った。
スマホに届いた一件のメッセージに「ああ、来たか」と暗い気持ちになった。
……そこに書かれていたのは、宙からの催促だった。

宙の知る連絡先は全て変えていたけど、どうとでもなるのだろう。絵里ちゃんから盗むなり何なりして、引き出せば簡単だろうし……。
これには逃げ場がなさすぎて乾いた笑いが出てきた。

「はあ……」と息を吐き出し、スマホを操作する。
そこに表示された名前に目を細め、泣きそうになった。
でも、これ以上は逃げられないから。

数コールの後に留守番電話に切り替わったことを確認し、声を吹き込んだ。

「もしもし……環さん。あのね、今夜話したいことがあるから帰ってこれる?」


「帰るよ」の一言だけ返ってきて、私たちは通話を終えた。それから3時間後に環は帰ってきた。
いつもより早い帰宅に、あの後も気にしてくれていたんだろうなと思った。

「ただいま」
「おかえり」

シャワーを浴びてくるという彼を待つ間、ブラックコーヒーとホットミルクを用意した。きっと話し込んでしまうから。

「お待たせ」

タオルで髪を乾かしながら戻ってきたその姿は、外での顔が削ぎ落とされていた。
いつものスウェットに着替えたのも、私が安心するようにだよね?
都合の良い解釈で、優しさを実感した。

狭いわけでもないのに、私達は寄り添ってソファーに座る。
ここにいる時はそうすることが呼吸のように自然になっていた。

「……コーヒー入れてくれたんだ、ありがとう」

胸が温かくなる微笑みを向けられたのに、私は歪な笑顔を作ることしかできなかった。
うまく笑えないや……。情けなさすぎて俯いてしまう。

「……環さん」目を見ながら話すことができない。
俯きなら言葉を発していく。

「宙のことなんだけど」

名前を出しただけで、空気がピリッとしたものに変わった。「うん」という返事の声が低い。

「向こうから連絡が来て、返事を求められている」

沈黙。
環は口を挟まない。
私は唾を飲み込み、震えそうになる声で続けた。

「具体的にあの人が絵里ちゃんに何をするのか分からないけど、放っておいたらろくなことにならないのは分かる」

頭の中で宙が厭らしく笑う。
絵里ちゃんの前で他人を演じていた。
長い時間をかけて、あんなことをしていたなんて信じられなかった。
それだけで本気で何かするって、分からせられてる。

「……だから」

私にできる選択は一つしか用意されていない。
俯いた視界の中にある大きな手を掴むことができない。

「宙のところに行くね」

決断を、こぼすように口にすれば、強い力で環の腕の中に引き寄せられた。

「……行くな」

目を見張る。
ずるい、やめて。……そんな声で言われたら決断が鈍る。

奥歯を噛み締め、首を小さく振った。

「行かせて、お願い」
「……」
「行かなきゃ、後悔すると思う。この先ずっと」

そっと目の前にある胸を押し返す。
恐る恐る視線を上げれば、環は初めて見る表情をしていた。
それは私の胸を締め付けた。

「……決めたんだね」
「うん」

こんなに近くにいるのに、縋り付くことができない。
今すぐに抱いて、存在を刻み付けてほしい衝動を抑える。

「分かった」

環ももう一度引き寄せようとはしなかった。
私の覚悟を壊さないのが、彼らしい。

「でも、」と形の良い唇が動いた。

「待ってるから、ここで。モカちゃんが帰ってくるのを」

ずくんっと身体の奥が疼いた。
彼は私を手放す気はないらしい。その執着に魂が震えるようだった。
今さら、そんなこと口にしないでよ。
目頭が熱くなるけど堪える。

「……ばいばい、環さん」

口角は上げられていたと思う。
彼の視線は一心に私に向けられていた。

手つかずのコーヒーとミルクを残したまま、ソファーから立ち上がる。
色も匂いも違う、並んだそれらはまるで私達みたいだった。
混ざり合う事もできたはずなのに。

リビングを出ていく私に環は何も言わない。
お互いにもう何も言えることはない。
ただ、コーヒーの苦い香りだけが残された。


(第四章 完)
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

そのまさか

ハートリオ
恋愛
「そのまさかですわ、旦那様!」 ーーベナ・マギネは、16才の誕生日の前日、ギネオア邸3階からロープで脱出しようとして失敗、その際、残念前世をうっすら思い出し、今世をちゃんと生きようと、先ずは旦那様を色仕掛けで骨抜きにしようとトッチラカル・・! 前世が残念な事もある・・・何のスキルも無い事だってある・・・そんなベナが全力でトッチラカリます! 設定ゆ~るゆるです。緩い気持ちで読んで頂けると助かります。 第15回恋愛小説大賞にエントリーしました。 読んで、良いなと思ってもらえたら、投票お願いします。 短編ではないので長編選びますが、中編だと思います。

お姫様は死に、魔女様は目覚めた

悠十
恋愛
 とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。  しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。  そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして…… 「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」  姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。 「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」  魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

王女殿下のモラトリアム

あとさん♪
恋愛
「君は彼の気持ちを弄んで、どういうつもりなんだ?!この悪女が!」 突然、怒鳴られたの。 見知らぬ男子生徒から。 それが余りにも突然で反応できなかったの。 この方、まさかと思うけど、わたくしに言ってるの? わたくし、アンネローゼ・フォン・ローリンゲン。花も恥じらう16歳。この国の王女よ。 先日、学園内で突然無礼者に絡まれたの。 お義姉様が仰るに、学園には色んな人が来るから、何が起こるか分からないんですって! 婚約者も居ない、この先どうなるのか未定の王女などつまらないと思っていたけれど、それ以来、俄然楽しみが増したわ♪ お義姉様が仰るにはピンクブロンドのライバルが現れるそうなのだけど。 え? 違うの? ライバルって縦ロールなの? 世間というものは、なかなか複雑で一筋縄ではいかない物なのですね。 わたくしの婚約者も学園で捕まえる事が出来るかしら? この話は、自分は平凡な人間だと思っている王女が、自分のしたい事や好きな人を見つける迄のお話。 ※設定はゆるんゆるん ※ざまぁは無いけど、水戸○門的なモノはある。 ※明るいラブコメが書きたくて。 ※シャティエル王国シリーズ3作目! ※過去拙作『相互理解は難しい(略)』の12年後、 『王宮勤めにも色々ありまして』の10年後の話になります。 上記未読でも話は分かるとは思いますが、お読みいただくともっと面白いかも。 ※ちょいちょい修正が入ると思います。誤字撲滅! ※小説家になろうにも投稿しました。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

【完結】気味が悪い子、と呼ばれた私が嫁ぐ事になりまして

まりぃべる
恋愛
フレイチェ=ボーハールツは両親から気味悪い子、と言われ住まいも別々だ。 それは世間一般の方々とは違う、畏怖なる力を持っているから。だが両親はそんなフレイチェを避け、会えば酷い言葉を浴びせる。 そんなフレイチェが、結婚してお相手の方の侯爵家のゴタゴタを収めるお手伝いをし、幸せを掴むそんなお話です。 ☆まりぃべるの世界観です。現実世界とは似ていますが違う場合が多々あります。その辺りよろしくお願い致します。 ☆現実世界にも似たような名前、場所、などがありますが全く関係ありません。 ☆現実にはない言葉(単語)を何となく意味の分かる感じで作り出している場合もあります。 ☆楽しんでいただけると幸いです。 ☆すみません、ショートショートになっていたので、短編に直しました。 ☆すみません読者様よりご指摘頂きまして少し変更した箇所があります。 話がややこしかったかと思います。教えて下さった方本当にありがとうございました!

王太子妃の器ではないと言われましたが、帝国の未来そのものでした

鍛高譚
恋愛
「お前は王太子妃の器ではない」――そう言われて婚約破棄された公爵令嬢フローラ。 冷酷な王太子と家族に捨てられた彼女に用意されたのは、敵国ラグナ帝国の皇太子への政略結婚だった。 『虐げられる未来しかない』と誰もが思っていたが―― 「お前は俺の妃だ。誰にも馬鹿にはさせない」 迎えに来た皇太子クラウスは、初対面でまさかの溺愛宣言!? 今まで冷遇されてきたフローラは、クラウスの優しさに戸惑いながらも、 彼のもとで新たな人生を歩み始める。 一方、フローラを捨てた王国は思わぬ危機に陥り、 彼女を見下していた者たちは後悔に苛まれていく――。

処理中です...