あなたの匂いをまだ覚えていた

音央とお

文字の大きさ
2 / 2

覚えていたもの

しおりを挟む

田舎から桃子の弟が遊びに来たという。
その日の天気予報は夕方から崩れる可能性があると言っていたけど、青空が広がっていて、傘を持たずに出てしまうのも無理はなかった。

「すみません、シャワーだけ使わせてください!」

そう言って、弟くんと駆け込んできた桃子ちゃんはびしょ濡れだった。ここから近い場所で遊んでいたようで、とりあえず帰ってきたそう。
いきなり土砂降りになったのは、家で過ごしていた私もびっくりした。

「ありがとうございます」とタオルで髪の毛を拭きながら近寄ってきた弟くん。
身体が温まったのか頬は上気している。よく見ると桃子ちゃんそっくりの鼻と口をしていた。

「ホットミルク飲む?」
「はい」

緊張している、初々しさが可愛い。
猫舌なのか慎重に口をつけた。
まだ大学生と聞いているので、若いなぁと目を細めてしまう。

テレビを見ながらホットミルクを飲んでいると、シャワーを済ませた桃子ちゃんがやって来た。
その手にはドライヤーがある。「ちゃんと乾かさないと」とお姉さんらしく注意している姿は新鮮だった。

夕飯を食べ損ねたという2人に簡単なパスタを食べさせ、時計が20時を回った頃に「そろそろホテルに帰ります」と弟くんは席を立った。

「その格好で帰るの?」と聞いてしまう。
シャツとパンツはコンビニで買ったそうだけど、桃子ちゃんのを借りたというスウェットパンツはすねが見えてしまっている。
夜を歩くにはTシャツでは寒いだろう。

「うちに乾燥機がなくてごめんね」
「大丈夫です。ホテルに帰るだけなんで」
「何か羽織れるもの無いかな……」

女2人の家に、男の子が着られるようなサイズのものはない。
オーバーサイズの服はあるけど、とても着せられるようなデザインではないし……。

クローゼットの中を探っていると、つるりとした感触が指に触れる。

「あ……」

これならば大丈夫だろうけど。
とても人に貸せる状態ではない。

「そういえば、以前見せてもらったスカジャンってないですか?」とタイミング良く、桃子ちゃんが思い出した。

「あるけど……」
「スカジャンなんてあるんですか? 見てみたい!」

弟くんが興味を示してきたので、見せることになる。
目の前に現れた龍に、目を輝かせた。

「かっけぇ。いいな、これ」

このくらいの男の子には惹かれるものがあるのだろうか。
同じセリフを聞いた覚えがある。

「龍っていうのがロマンがあるんすよ」と語られても、この場に同調できる人間はいなかった。

「塔子先輩、コレちょっとだけ借りてもいいですか? 明日には返しにこさせるので」
「でも、これ、匂いが」

「気にしないよね?」と桃子ちゃんが問えば、弟くんはうなずいた。そう言うなら、まあ……。

「うわ、ぴったりだ」

羽織った姿は、何の違和感もないサイズだった。
肩幅も手首のところもちょうどいい。
「意外と似合うじゃん」と桃子ちゃんが笑っている。

「そうだね、似合う……」

まるで知らない服みたいだった。
弟くんはぺこぺこと頭を下げる。

「すみません、すぐに返すので。でも、洗濯とかどうしよう」
「いいよ、そのまま返して」

「じゃあ、お借りしますね」と言って、弟くんは帰っていった。背中の龍と目が合って、この感覚は久しぶりだった。

「先輩、どうしたんですか?」

龍が視界から消えても、その場に佇んでいた私に桃子ちゃんが問う。

「なんでもないよ」
「そうですか?」

疑うように聞かれるけど、その言葉が自分でも嘘みたいって思った。

手には僅かにあの匂いが残っていた。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

婚約者の番

ありがとうございました。さようなら
恋愛
私の婚約者は、獅子の獣人だ。 大切にされる日々を過ごして、私はある日1番恐れていた事が起こってしまった。 「彼を譲ってくれない?」 とうとう彼の番が現れてしまった。

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

【完結】精霊に選ばれなかった私は…

まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。 しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。 選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。 選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。 貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…? ☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

処理中です...