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「アルス、お疲れ様。もう上がっていいよ」
最後のお客を見送って、使った食器の後始末が終わり、今日の業務が終わった。すっかり日は跨いでいて、瞼が少し重い。
「…師匠、こんなので給料もらって良いの?ぜってー俺居なくても良いじゃん」
5つの椅子が並んだカウンター席、1日に来るお客の数は20にも満たない。完全に道楽で従業員は1人で十分。バカな俺にだって分かる。
「何言ってるの。アルスが居てくれて助かってるよ。ほら、僕ボーッとしてるところあるでしょ?よく食器割っちゃうからさ。それに、アルスの作るおつまみは美味しいし」
当たり前だろ。師匠に教えてもらったレシピなんだから。師匠は褒めるのが上手い。会計すらもまともに出来ない俺でさえ、良いところを絞り出してくるんだから。
1人の空間が欲しいだろうとわざわざ借りてくれた部屋に、3食の食事付き。おまけに自由に使える小遣いまで。こんなままごとみたいな仕事で受け取っていい待遇ではない。
「戦いで沢山頑張ったんだから」
俺が暗い顔をするといつもこう言って頭を撫でてくれる。あの頃は良かったな。沢山人は死んだけど、俺は確かに必要とされていた。師匠にも厳しく叱責されて、稽古をつけてもらって。十で神童だった俺は今や、ただの人どころか穀潰し、邪魔者である。
平和になった。飢えて死ぬ人も居なくなった。皆が笑っている。それなのにあの頃に戻りたい、そう思ってしまう俺はとんでもない罰当たりなのだろう。
久しぶりに夢を見た。敵を刺した、生暖かい感触。自分の手にじっとりとついた敵の血液。あ、自分、吐いてる。仲間、死んでる。
『アルス!!こっち!!!』
師匠が叫んでいる。俺もパニックのまま、敵の腕を切って、急所を刺して。
「っ!!!!!」
思い切り体を起こしていた。まだ日は明けていない。全身は汗でびっしょりで、背中の筋につぅっと垂れる感覚がする。
「……………は?」
下が、濡れている。股間の部分だけが執拗に。何で。こんなの、初めて人を殺した時以来だ。あの時だって、吐いて熱を出して、だからノーカンだって言われた。熱もないし、体調も悪くない。おまけにここは敵がくる心配のない部屋で。
言い訳しようのない現状に頭がクラクラした。とりあえず、汲んでおいた水を使って汚れた下を擦り合わせる。誰も見ていないのに顔が熱い。恥ずかしくて、惨めで仕方がない。役立たずの上に、体までおかしくなったのだろうか。あんな凄惨な、人がどんどん死んでいたあの時期に戻りたい、そう思ったからバチが当たったのだろうか。シーツを剥がす。もちろん下まで滲みている。どうやって洗えば良いかなんて分からない。上から水をかけて後悔した。木の骨組みまでびしょびしょで、慌ててマットを床に下ろす。乾いたタオルを全て使った。でも、水分は取りきれない。外に干したら皆にバレる。かと言ってこのままここに置いていたらカビが生えてしまう。心臓が久しぶりにドキドキしている。
久しくの失敗と、さっきの夢と。ぐちゃぐちゃの頭はどうしようもなく気持ち悪くて、体が動かなくなって。結局日が明けるまで、地面に座り込んでいた。
「おや。今日は早いね」
することもなくて、でも早く誰かに会いたくて。
Closedの札がかけられた店の扉を開けると、丁度寝巻き姿の師匠が2階から降りてくるところだった。
「ん…?アルス…昨日は眠れなかった?」
「…ぇ、」
「目が赤い。それに、クマができてる」
「…べつに…」
「今日の勉強はお休みにする?」
「っ、いい、やる、」
師匠は丸くなった。というか、甘くなった。昔は吐くまで走らされたし、思いっきり殴られることも茶飯事だった。なのに今は、毒気が全く抜けて、人格までもが変わった気がする。きっともう、俺には期待してないんだろう、それが分かるとまた、胸がチクリと痛んだ。
昼間の過ごし方は大体決まっている。少し遅い朝ごはんの後、2人で買い出しに出かける。そんで、大して時間のかからない仕込みを終わらせて、文字と計算の練習をする。朝の仕事を終わらせたガキもやってきて、小さな学校のようになるのだ。
「あっアルスお前。まだそんなとこやってんのかよ」
俺よりも後から始めたはずなのに。10も小さいヨモは、俺のやっているところなんてとっくに抜かしてどんどん進んでいる。
「大人のくせにこんなのも読めねーの?」
こうやってバカにされて、また師匠に慰められて。他の年下の奴らもどんどん賢くなって、1人で買い物に出かけられるやつも、会計ができるやつもちらほら居て。
小さな子供の脳は発達が早いから。アルスは自分のペースでやれば良いんだよ、師匠の口癖が今日は一段と苦しかった。
最後のお客を見送って、使った食器の後始末が終わり、今日の業務が終わった。すっかり日は跨いでいて、瞼が少し重い。
「…師匠、こんなので給料もらって良いの?ぜってー俺居なくても良いじゃん」
5つの椅子が並んだカウンター席、1日に来るお客の数は20にも満たない。完全に道楽で従業員は1人で十分。バカな俺にだって分かる。
「何言ってるの。アルスが居てくれて助かってるよ。ほら、僕ボーッとしてるところあるでしょ?よく食器割っちゃうからさ。それに、アルスの作るおつまみは美味しいし」
当たり前だろ。師匠に教えてもらったレシピなんだから。師匠は褒めるのが上手い。会計すらもまともに出来ない俺でさえ、良いところを絞り出してくるんだから。
1人の空間が欲しいだろうとわざわざ借りてくれた部屋に、3食の食事付き。おまけに自由に使える小遣いまで。こんなままごとみたいな仕事で受け取っていい待遇ではない。
「戦いで沢山頑張ったんだから」
俺が暗い顔をするといつもこう言って頭を撫でてくれる。あの頃は良かったな。沢山人は死んだけど、俺は確かに必要とされていた。師匠にも厳しく叱責されて、稽古をつけてもらって。十で神童だった俺は今や、ただの人どころか穀潰し、邪魔者である。
平和になった。飢えて死ぬ人も居なくなった。皆が笑っている。それなのにあの頃に戻りたい、そう思ってしまう俺はとんでもない罰当たりなのだろう。
久しぶりに夢を見た。敵を刺した、生暖かい感触。自分の手にじっとりとついた敵の血液。あ、自分、吐いてる。仲間、死んでる。
『アルス!!こっち!!!』
師匠が叫んでいる。俺もパニックのまま、敵の腕を切って、急所を刺して。
「っ!!!!!」
思い切り体を起こしていた。まだ日は明けていない。全身は汗でびっしょりで、背中の筋につぅっと垂れる感覚がする。
「……………は?」
下が、濡れている。股間の部分だけが執拗に。何で。こんなの、初めて人を殺した時以来だ。あの時だって、吐いて熱を出して、だからノーカンだって言われた。熱もないし、体調も悪くない。おまけにここは敵がくる心配のない部屋で。
言い訳しようのない現状に頭がクラクラした。とりあえず、汲んでおいた水を使って汚れた下を擦り合わせる。誰も見ていないのに顔が熱い。恥ずかしくて、惨めで仕方がない。役立たずの上に、体までおかしくなったのだろうか。あんな凄惨な、人がどんどん死んでいたあの時期に戻りたい、そう思ったからバチが当たったのだろうか。シーツを剥がす。もちろん下まで滲みている。どうやって洗えば良いかなんて分からない。上から水をかけて後悔した。木の骨組みまでびしょびしょで、慌ててマットを床に下ろす。乾いたタオルを全て使った。でも、水分は取りきれない。外に干したら皆にバレる。かと言ってこのままここに置いていたらカビが生えてしまう。心臓が久しぶりにドキドキしている。
久しくの失敗と、さっきの夢と。ぐちゃぐちゃの頭はどうしようもなく気持ち悪くて、体が動かなくなって。結局日が明けるまで、地面に座り込んでいた。
「おや。今日は早いね」
することもなくて、でも早く誰かに会いたくて。
Closedの札がかけられた店の扉を開けると、丁度寝巻き姿の師匠が2階から降りてくるところだった。
「ん…?アルス…昨日は眠れなかった?」
「…ぇ、」
「目が赤い。それに、クマができてる」
「…べつに…」
「今日の勉強はお休みにする?」
「っ、いい、やる、」
師匠は丸くなった。というか、甘くなった。昔は吐くまで走らされたし、思いっきり殴られることも茶飯事だった。なのに今は、毒気が全く抜けて、人格までもが変わった気がする。きっともう、俺には期待してないんだろう、それが分かるとまた、胸がチクリと痛んだ。
昼間の過ごし方は大体決まっている。少し遅い朝ごはんの後、2人で買い出しに出かける。そんで、大して時間のかからない仕込みを終わらせて、文字と計算の練習をする。朝の仕事を終わらせたガキもやってきて、小さな学校のようになるのだ。
「あっアルスお前。まだそんなとこやってんのかよ」
俺よりも後から始めたはずなのに。10も小さいヨモは、俺のやっているところなんてとっくに抜かしてどんどん進んでいる。
「大人のくせにこんなのも読めねーの?」
こうやってバカにされて、また師匠に慰められて。他の年下の奴らもどんどん賢くなって、1人で買い物に出かけられるやつも、会計ができるやつもちらほら居て。
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