掃除屋(暗殺者)のわたしが生き返ったら、部屋の掃除をしろと言われました

もさく ごろう

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第二十六話 見えないもの

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 手術室の天井から何本もアームが出ており、その先に電源のソケットや、酸素などのガスホースを接続するための小箱がぶら下がっている。

 その中でもベッドの近くに延びる三本のアームには円盤状の照明がついていた。それは一定の距離を取ってベッドを向いている。まるで水晶にあてがわれた占い師の手のようだ。

「掃除の基本は高いところから低いところへ。除塵をしてから清拭よ」

 翠羽からそう説明を受け、珠はアームの上をタンポポの綿毛のような、はたきで表面を撫でていく。

 だがアームから埃が落ちてくるのは見えなかった。はたきに埃がついている様子もない。

「これ、やる意味あるのかな……」

 思わず声に出てしまうほど、手ごたえがなかった。

 それが聞こえたのか、翠羽が天井を指さした。

「あそこに網になっている部分があるでしょう?」

 珠は天井を見上げた。

 天井部分は大きな照明がいくつもつけられているのだが、ベッドの真上だけそれがなく、目の細かい金属の網目になっている。

「あの先にHEPAフィルターという高性能のフィルターがあって、そこを通った綺麗な空気がベッドに降りてくる仕組みになってるの。天井とベッドの間のアームに見てわかるほどの埃があったらどうなるかしら?」

「せっかくの綺麗な空気が埃で汚れちゃう? あ、だから綺麗でも掃除するんだ」

 珠が天井から下ろした目線に、翠羽は微笑んで返した。

「理解が早くて助かるわ。そうなの。埃が溜まってから掃除しては遅いの。手術室のような場所は汚れを取る掃除だけでなく、汚れるのを防ぐための、汚れる前の掃除が必要なのよ」

 珠は頷きながら、綿毛を動かした。やはり成果は目に見えないが、それでも意味があるとわかれば少しはマシに思えてくる。

「でも、ある程度汚れてるところを掃除する方が、やりがいがあっていいかも」

「そういう人は多いわね。むしろそう思わない人は、手を抜いてしまって埃を溜めてしまいがちなの」

「あーわかるかも」

 『綺麗だからやらなくていいっしょ』と言っているハシルヒメの姿が容易に想像できる。珠の感覚では、そうなる人の方が多いように思えた。

「翠羽さんは、やっぱりお掃除が仕事の人と関わることが多いの?」

 珠が手を止めずに訊ねると、翠羽は顔を傾げた。

「そう……でもないわね。確かに自立前は掃除の会社で働いていたから、同業者と関わることが多かったわ。でも自立してからは下請けもしていないし、すっかり同業者と関わることはなくなったわね」

「それじゃあ翠羽さんがさっき言っていた『そういう人』って同業者の人たちじゃないの?」

 翠羽は視線を上げて考えるようにした。

「言われてみれば、そうね。ごめんなさい。あまり深く考えてはいなかったの。多いと言ってしまったけれど、確かに手術室のような特殊な掃除を一緒にやった人はそう多くはないわ」

「別に責めてないよ。ただ綺麗だと手を抜く人の方が多そうに思えたから、お掃除が仕事の人は違うのかなって思っただけ」

 珠の言葉に、翠羽は納得するようにうなずいたあと、首を横に振った。

「一概には言えないわね。お掃除の仕事は仕方なく就いている人も多いから、そういう人たちは他のお仕事をしている人と感覚は変わらないんじゃないかしら。プロ意識のある人も『体力だけが強みです!』っていうタイプの人もいたりするし」

「体力だけじゃなくて、繊細さも必要?」

「そうね。ただ一番大事なのは知識よ」

「知識? さっき教えてくれた『高いところからやる』みたいな?」

 翠羽は頷く代わりに瞬きした。

「それももちろん大事よ。ただ一番大事なのは洗剤の性質と素材との相性ね」

「洗剤の性質? 前に教えてもらった、木材に漂白剤を使わないみたいなやつ?」

「そうね。あと有名なものだと、塩素系漂白剤は酸性洗剤と一緒に使わない、とかがあるわね。こういった知識がないと、人の命に関わる事故が起こしてしまう可能性があるから、何よりも優先して覚える必要があるわ」

「確かに手術室で使う洗剤って普通の洗剤よりも強そうだし気をつけないと。ここではどんな洗剤を使うの?」

 翠羽は一度回収廊下へと目を向けてから、視線を珠へと戻した。

「洗剤の話は清拭をするときにしましょうか。先に除塵を終わらせて――」

「任せてもらおうか」

 声の方に振り向くと、清潔な廊下に繋がる扉の所に、ガウンと手袋をしっかりと身に着けた刺美が立っていた。

「わたしが除塵を行おう。その間に翠羽は珠くんに清拭について説明してあげてくれ。なに。感謝の言葉などいらないさ」

 刺美が大股で珠たちへと近寄ってくる。翠羽が目を見開いた。

「入ってこないでって言っているでしょう!」

 翠羽の大きな声を初めて聞いたかもしれない。それと同時に、重たい音が手術室内に響く。

 刺美が頭を抱えて屈みこんだ。

 天井から伸びているアームについている電源ソケットの箱に頭をぶつけたのだ。

 翠羽が駆け寄より、頭を覗き込んだ。手はどこにも触れないよう、手術前の医者のように持ち上げている。

「だから入ってこないでって言ったのに」

「く……これが闇の力の代償か」

 うずくまったままの刺美の声は少し震えていた。なかなか立ち上がらないので、さすがに心配になり、珠も駆け寄る。

「大丈夫?」

「な、なに、いつものことだ。これくらいの痛みに負けるわたしではない」

 立ち上がった刺美の顔は眼帯とマスクのせいで片目しか見えなかったが、それでも苦悶の表情を浮かべているのだとわかるくらいに目じりが揺れていた。

 翠羽がため息をつく。

「そうなのよ。刺美ったら、背が高いのに眼帯で片目を覆っているでしょう? 距離感がわからなくなるし視野が狭くなるから、天井に吊るされている物が多い手術室だといつも頭をぶつけるのよ」

「え? でもいつもここで手術してるんじゃ?」

「その通りだ。だが手術時には力を解放している。頭をぶつけることなどありえない」

 刺美は顔を隠すように手をかざし、指の隙間から目を覗かせた。

 翠羽はそんな刺美から目を外し、珠と目を合わせた。

「手術するときは、さすがにまともな格好をしているのよ。安全が第一だから。それは掃除も同じよ」

 翠羽は目だけで刺美を見た。

「だから、眼帯をしたまま作業しようと思っているのなら、断らせてもらうわ」

「く……。確かに全力を出さないのは翠羽の仕事を馬鹿にしていることになるな。いいだろう」

 刺美はフェイスガードの上から手を差し込んで、眼帯をずらした。

 眼帯の下から出てきた瞳はとてもきれいな墨色の瞳だった。
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