あなたには翻訳術師が必要です ~異世界の言葉がわかるとかいう都合のいいことが起こらなくても、わたしがいれば大丈夫~

もさく ごろう

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ヤトコさんの初任給で買いたいもの

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「これ、昨日の報酬です」

 これが、朝から散々な目に遭ったヤトコさんの機嫌を直した一言だった。

 なんとかヤトコさんを起こした後、町に向かって朝ごはんを食べつつ、保安官――イグルンさんのもとへと向かった。

 そこでアジンさんの被害届と交換で、二つの封筒を受け取った。その一つがヤトコさんのボディーガード代だったのだ。

 外に出てすぐにそれを伝えると、ヤトコさんは『わぁ、手渡しってなんだかありがたいね』と、わざわざ一度拝んでから封筒を受け取り、中を確認した。

『あれ? これって……』

 ヤトコさんは封筒から出てきた二枚の紙幣を、目を丸くしながら表裏を確認した。

『一万五千円? 日本円じゃん』

「この国では、そちらの世界の通貨も使えるんです。異世界人には異世界の通貨で報酬を払うのが通例になっています。ですから、わたしの方は、この国の通貨です」

 わたしはもう一つの封筒を開いて、中を見せた。そこには銀貨が十二枚入っている。

『なんか小銭ばっかだね。っていうか、わたしが一万五千円ってもらい過ぎじゃない? 交換する?』

「一応ですけど、ボディーガードという命を張る仕事をしたわけなので、少ないくらいだと思いますよ。ちなみに、この銀貨が一枚で、一万円紙幣と同じ価値があります」

 ヤトコさんは目を見開いて、指を差して封筒の銀貨を数え始めた。

『じゅう……に? えぇ! 超お金持ちじゃん! いや、もしかして逆? この一万円って百円くらいしか価値なかったりする?』

 ヤトコさんは眉をひそめ、手元の紙幣を睨みつけた。

『うーん』

 しばらくそうしていたけれど、そんなことでは正体はわからないと気づいたのか、目だけ動かして、上目遣い気味にわたしを見た。

『ねぇ。一万五千円あったら、何ができる?


「そうですねぇ……安い服で頑張れば、全身の物が揃いますかね。もしくは、ちょっと良い宿に泊まるとか。贅沢言わなければ、夕ご飯と朝ごはんもつけれると思います」

『お! じゃあ日本とほとんど一緒じゃん。何に使おっかなー』

 ヤトコさんはお金をカタナの袋と一緒に胸に抱き寄せ、天を仰いだ。空の青さに感謝しているわけではないだろう。

 水を差すようで申し訳なかったけれど、わたしはヤトコさんの肩を叩いて視線を戻させた。

「申し訳ないですけど、そのお金の使い道はもう決まっています」

『えぇ!? わたしのお金じゃないの!』

「別に奪おうってわけじゃないですよ。生活に必要なものを買うだけです」

『なぁんだ。そんなの自分で選べるよ』

 わたしは大きく首を横に振った。これだけは譲るわけにはいかない。

「ダメです。この世界では絶対に必要な物が一つあるんです。ほら、行きますよ」

『はぁい』

 わたしが手を引くと、ヤトコさんは素直についてきた。


~~~~~~~~~~~~~~~


 保安官事務所から大通りにでて、そのまま反対側に渡って路地に入った。その路地の一番奥まで行って、下ったところに目的のお店はある。

『えぇ、ヤダなぁ。もっと明るいところで買い物しようよぉ。こんなところで売ってる物なんて、絶対かわいくないじゃん』

「大丈夫ですよ。とてもかわいいものが買えますから」

 ヤトコさんが心配になるのもわかる。路地は奥まったところに行くほど暗く細くなるし、戸の数は少なくなっていく。一人がやっと歩けるくらいまで細くなると、完全に戸はなくなってしまう。

 今歩いているのは、石の壁に挟まれただけの細い通路だ。ダンジョンの中だと言われたら信じてしまう人もいるだろう。

 わたしだって、そんな場所に案内されたら警戒する。

 でも、そんな場所にそのお店はあるのだ。

「ここです」

 わたしは右の壁に張り付いた、飾り気のない真っ黒な扉に手をかけた。突然現れたその扉は、誰かが黒い絵の具で描いたんじゃないかと思えるくらい、異様な存在感を放っている。

『え? なにここ? ヤクザのアジトじゃないよね?』

 ヤトコさんはカタナの入った麻袋を握り直した。

「そんなに警戒しないでください。ただのお店です。あーでも……」

 ひとつ気がかりなことがあったけれど、わたしは言うのをやめた。なんにせよ、このお店には入らないといけないのだ。

『なに? 途中で言うのやめないでよ。怖いじゃん!』

「いや、まぁ、でもどうしようもないので」

 わたしは扉を開けた。中は真っ暗だ。明り取り用の窓が一つもない。

「こんにちは」

 わたしの声に反応するように、奥のカウンターの裏が明るくなった。ランタンが点けられたようにも見えるけれど、そうではない。

 その光源はカウンターへと上がった。

『なにあれ? 人魂?』

 ヤトコさんがわたしの背中に張り付くように、身を乗り出した。

 確かに人魂に似ている。でもそれは宙に浮くことはない。カウンターの上を氷のように滑り、流れる水のように床へと降りた。

 そのまま床を走って近くのテーブルの足を上る。テーブルの上で一度止まってから、ラストスパートと言わんばかりにわたしの方へと走ってきて、飛んだ。

 わたしは両手でお皿を作って、それを受け止めた。大きめなボールを取ったような、しっかりとした重みがある。

『やぁやぁフクラ。久しぶりだね』

 小さな子供みたいな声だ。

 わたしの手の平の上で、眩しく光り輝くトカゲさんが大きな顔を傾けている。アジンさんと同じくらい大きくて、鱗がつるつるしていて触り心地がいい。

 彼の名前はスクリューさん。ヒカリコエスキンクという種類の中型のトカゲさんだ。

「どうもスクリューさん。元気そうで何よりです」

 スクリューさんに挨拶すると、背中に重みを感じた。ヤトコさんだ。

『うわぁ。なにこれ!』

 ヤトコさんがわたしの肩越しに、スクリューさんを覗き込む。

『かわいい!』

 悲鳴ではなく、意外な感想が出たことに逆に驚いた。

「ヤトコさんは、トカゲさんは怖くないんですか?」

『うん。だって吠えないし、牙もないじゃん。それに、よく見るとかわいい顔してるんだよね。うじゃうじゃいたらさすがに気持ち悪いけど』

「ハロウルもかわいい顔をしてるので、よく見てみるといいですよ」

 わたしはスクリューさんの乗った手を持ち上げて、ヤトコさんの顔にゆっくり近づけた。ヤトコさんは逃げるような素振りは見せなかったので、本当に怖くないみたいだ。

 スクリューさんは自分の目を舐めて潤したあと、ヤトコさんの顔を覗き込んだ。

『おやおや。この人が今日のお客さんかな?』

 スクリューさんがかわいらしい声でそう言っているように、わたしには聞こえる。けれど、トカゲさんは意思表示に声ではなく、仕草や臭い、体の色を使う。

 だから翻訳術を使えないヤトコさんには、スクリューさんがわたしの方をちらちら見たようにしか見えなかったはずだ。

 ヤトコさんはスクリューさんをゆっくりと指さした。驚かさないようにしてくれたみたいだ。

『ねぇ、なんでこの子光ってるの?』

「この種類のトカゲさんは、体を光らせて寄ってきた虫を食べる性質があるんです。活動中はだいたい光っているので、光源生物として飼う人がたまにいるんですよ」

『へぇー』

 質問してきたくせに気のない返事をしたヤトコさんは、スクリューさんに向けた指をちょこちょこと動かしていた。スクリューさんがその指を追って、きょろきょろしているのが面白いみたいだ。

「そんなことしてると、噛まれますよ」

 わたしはスクリューさんをヤトコさんから離した。ヤトコさんが痛い目を見て、トカゲさんまで嫌いになったら大変だ。

「それじゃあスクリューさん。マスターを呼んできてもらえますか?」

『いいよいいよ。任せて』

 テーブルに戻すと、スクリューさんは来たときと同じルートで店の奥へと消えていった。あっという間にわたしたちの周りが暗くなる。

『そういえば、ここお店なんだね。絶対に必要なものって言ってたけど、何を買いに来たの?』

「はい。ここで買うのはハンコです」

 ヤトコさんはピンとこなかったのか、首を傾げた。
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