あなたには翻訳術師が必要です ~異世界の言葉がわかるとかいう都合のいいことが起こらなくても、わたしがいれば大丈夫~

もさく ごろう

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ハンコ屋さんと仲良くなりたいヤトコさん

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『え? 絶対に必要な物って、ハンコ?』

 ヤトコさんが首を傾げた。この国のことを知らなければ、そんな反応になるのもうなずける。

 わたしは首から下げているチェス駒の形のハンコを示した。

「この国ではハンコが身分を示すものになります」

『身分証ってこと? 確かにそれは必要かぁ』

 ヤトコさんは腕を組んで『うーん』とうなった。理解はしたけど、ちょっと気に入らないみたいだ。

「何か納得できないことでもありますか?」

『いや、納得はしたんだけどさぁ。フクーラは『かわいいものが買える』って言ってたじゃん? 身分証になるってことは、実印みたいなものってことでしょ? かわいくなくない?』

「ああ、そういうことですか」

 わたしは自分のハンコに触れた。形はシンプルだし、名前と翻訳術師の紋章が入っただけの印面は、確かにかわいいとは言えない。

 それでも、ヤトコさんのハンコはかわいいだろうという確信があった。

「作って貰えばわかりますよ。少しは好みも配慮してもらえます」

『えぇー? こだわるなら、ハンコじゃなくて他のがいいなぁ』

「お店の中でそんなこと言わない方がいいですよ。マスターに聞こえてしまいます」

『あっ……』

 ヤトコさんは口元を手で隠した。目線はカウンターに向けれている。

 カウンターにはスクリューさんが戻ってきていて、明るくなっていた。そしてそのカウンターに隠れるように、頭の上部分だけ出してこちらを見ている誰かがいる。

 わたしはそれが誰かわかっているので、真っ黒な髪の女の子だとわかった。

 ヤトコさんはどうだろうか。

『いや、ハンコのことを悪く言ったわけではなくて……』

 ヤトコさんはぎこちなく笑みを浮かべながら、ちょっとだけ後ずさった。どう見えているのかわからないけれど、何かしらの威圧感を覚えているみたいだ。

 でも言葉が返ってこないことに何か思ったのか、ぴたりと止まってわたしに目を向けた。

『待って。そういえばわたしの言葉って、フクーラにしかわからないんじゃん。フクーラ脅かさないでよ』

 ヤトコさんの肩から一気に力が抜ける。

 安心しているところ申し訳ないけれど、わたしは首を横に振った。

「いえ。ヤトコさんの言葉は通じてますよ」

 カウンターに向かって歩くと、こちらを見ていた頭が引っ込んだ。

 ヤトコさんが早足でわたしの後ろについて来る。

『またまたぁ。フクーラはこの町唯一の翻訳術師なんでしょ? からかおうったってそうはいかないよ』

「翻訳術師以外にも、異世界の言葉がわかる人がいます。ちょっと考えればわかりますよ。ね? タナカさん?」

 わたしが声をかけると、さっき隠れた女の子――タナカさんがゆっくりと、顔の半分だけ出してこちらの様子をうかがった。

 ヤトコさんがそれを覗き込む。

『タナカ……?』

 ヤトコさんはタナカさんの名前に思うところがあったみたいだ。

『え!? もしかして!』

「そうです。タナカさんはヤトコさんと同じ異世界人です」

 ちゃんと紹介しようとカウンターを手で指し示すと、そこにタナカさんの姿はなかった。

「タナカさん?」

 カウンターに身を乗り出して奥側を覗き込むと、スクリューさんがそれに合わせてカウンターを越えた。

 スクリューさんにタナカさんの着ているぶかぶかの服が照らされる。本当に照らされているのか、わからないくらい黒いそれは、異世界の衣服でジャージというらしい。

 真っ黒なジャージと長く黒い髪。それと暗闇によって、タナカさんの白い肌が際立っている。

 タナカさんは縮こまるように、三角座りをしていた。スクリューさんはそのままタナカさんの足を登って、肩のあたりで落ち着く。

『ねぇねぇマスター。呼んでるよ?』

 スクリューさんに頬を小突かれると、タナカさんはゆっくりとこちらを見上げ――

『ふ、ふひ……どうも』

 だらしなく笑った。

 だが一瞬にしてその顔がこわばる。

 ヤトコさんがわたしの横から顔を出したのだ。タナカさんにはヤトコさんがお化けにでも見えているのだろうか。

 ヤトコさんはそんなことはお構いなしに、カウンターを乗り越えた。

『ひぃ……!』

 タナカさんはカウンターに背中をこすりつけるようにして、後ずさった。ヤトコさんは手だけを前に出して、呼び留める。

『待って! ごめんね。驚かせるつもりはなかったんだ。ねぇ。本当にわたしの言葉がわかるの?』

『え、ええ……まぁ』

 タナカさんの目はヤトコさんではなく、わたしに向けられていた。すがるように見られては、放っておくわけにもいかない。

「ヤトコさん? タナカさんはおとなしい人なので、もう少し――」

『やったぁ! 名前は? タナカ何て言うの?』

 ヤトコさんはわたしの言葉を振り切る勢いで四つん這いで進んだ。そしてタナカさんの手を、両手で包むようにつかむ。

『ひぃ……!』

 タナカさんはつかまれた手を、肘をピンと伸ばして遠ざけた。まるで虫にでも止まられたかのようだ。

「ヤトコさん!」

 わたしは身を乗り出して、ヤトコさんの後ろ襟をつかんだ。猫さんを捕まえた気分だ。

『え? フクーラ? どうしたの?』

 ヤトコさんが頭だけで振り返り、カウンター上のわたしを見た。わたしは軽くヤトコさんの襟を引っ張る。

「手を離してあげてください。タナカさんは一気に距離を詰められるのが苦手なんです」

『あ、そうなの? ごめん。嬉しくなっちゃって』

 ヤトコさんは離した手を肩のあたりでバンザイした。『もう触らないよ』とアピールしているのだろうか。

 タナカさんは手を胸元に抱き寄せると、大事そうにさすった。

『大丈夫? 痛かった?』

 ヤトコさんがそう聞くと、タナカさんは首を横に振った。

『べ、別に……ちょっとびっくりしただけ』

 タナカさんはヤトコさんとは目を合わせず、ちょっとだけ縮こまって体一つ分だけ後ろに下がった。

 ヤトコさんがそれに合わせて前に出ようとしたのが、わたしの手に伝わってくる。

「こら。ちゃんと程よい距離を保ってください」

 ヤトコさんが首をもたげて、もう一度わたしを見上げた。

『いやだってかわいくて……っていうか、動物がわたしに寄ってくるときも、それくらい本気で止めてよ』

 ちょっと意味わからないことを言っているので、わたしは思わず首を傾げてしまった。

「それは、動物がかわいそうじゃないですか」

『わたしだって獣に群がられたらかわいそうじゃん……いや、今はいいや』

 ヤトコさんが正座して膝に手を置いたので、わたしは手を離した。

『わたしは枝切ヤトコ。この世界に来たばっかで、訳あってフクーラに世話になってるの。怖がらせちゃったみたいで、ごめんね』

 ヤトコさんが座ったまま、小さく頭を下げる。背筋がピンと伸びていて、とても様になっている。

『あ、うん……』

 タナカさんがそう答えた後、長い沈黙が訪れた。誰も何も言わない。ヤトコさんが顔を上げてタナカさんの様子を伺い、その後わたしの方を見た。

 タナカさんは顔を横に向け、何もない床を眺めている。ときおりヤトコさんとわたしをチラチラ見ているけれど、何か言う様子はない。

 翻訳術師の仕事は、言葉が通じない人や生き物を言葉で繋ぐことだ。言葉が通じる二人の間に、わたしは必要ない。

 そのはずなのだけれど――

「わかりました。タナカさんは自分から話すのが苦手なので、わたしが紹介しますね」

 ヤトコさんをここに連れてきたのはわたしだ。放っておくわけにもいかない。

「名前はタナカ フーカさん。このお店のマスターで、ハンコを彫る刻印師です。国から身分証明に使える認証印を彫ることを許された、国に百人もいないすごい人なんですよ」

『おぉ! わたしとそんなに歳変わらないよね? それなのにお店持ってるなんてすごい! よろしくね。フーカ』

 ヤトコさんは身を乗り出しかけたけれど、ぐっと我慢してゆっくりと手を差し出した。握手を求めたのだと一目でわかったけれど、タナカさんはそれを握らない。ちらっと目を向けてから、目をそらした。

『名前呼びとか……失礼な人』

『え? わたしの学校じゃ普通だったけどなぁ』

『ハンコも嫌いみたいだし……』

『それは……! ごめんってば。ハンコのことよく知らなくて、こだわるっていうイメージが湧かなかったの。フーカが……あっ』

 ヤトコさんは両手で自分の口を押さえた。

『えっと、タナカ……ちゃんが、ハンコ彫ってるって聞いて、すっごい興味湧いてきたんだ。だって、自分と同じくらいの女の子がお店持ってて国に認められてるんだよ?』

 恐る恐る話し始めたヤトコさんだったけれど、どんどん早口になっていっている。

『話もたくさん聞きたいし、どんなハンコなのか見てみたい。っていうか、自分のハンコにしたいって思ったんだ』

 ヤトコさんは顔の前で手のひらをぴったりとくっつけた。異世界人がお祈りするときによくする仕草だ。

『お願い! わたしのハンコを作って!』

 タナカさんはそれを横目で見てから、また目をそらした。

『いいよ……それが仕事だし』

『やったぁ!』

 両手を大きく開いたヤトコさんの襟を、わたしはつかんだ。ずっしりとした重みが腕に伝わってくる。

 ヤトコさんの体は大きく前に動いていた。ただ喜んでバンザイしたわけじゃない。ヤトコさんはタナカさんに抱き着こうとしたのだ。

 うまく止められた。そう思ったのだけれど――

『ちょまっ! ごめんフクーラ……!』

 制止したヤトコさんの体は前に大きく傾いていて、今にも倒れそうだった。わたしの腕にかかる重みが、どんどん増してくる。

 カウンターから身を乗り出していたわたしの足が、重さに負けて床から離れた。踏ん張ることも、引き上げることもできない。

「ヤ、ヤトコさんっ! カタナを杖にして、体を支えてください……!」

 そんなわたしのお願いも虚しく、ヤトコさんは首を横に振って、カタナの袋を胸に抱きしめた。

『ごめん……! できな――』

 暗かったのに、視界が一回転したのがわかった。猫さんだったら、それでもカッコよく着地できたのだろう。

 わたしはヤトコさんに引っ張られるままに落ちた。

 お腹側を強く打ったけれど、そんなに痛くない。頭も柔らかいクッションが受け止めてくれた。

『フクーラ? 大丈夫?』

 ヤトコさんの声が髪の毛に響く。

 わたしの頭を受け止めてくれたのは、ヤトコさんのささやかな胸だった。

「ハロウルに飛び込んだ時の方が、気持ちいですね」

『え? なに言ってるの?』

 ちょっと顔を上げると、少し離れたところに避難したタナカさんが見えた。

 普段はなかなか目を合わせてくれないのに、今だけはじっとわたしたちのことを見つめていた。
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