あなたには翻訳術師が必要です ~異世界の言葉がわかるとかいう都合のいいことが起こらなくても、わたしがいれば大丈夫~

もさく ごろう

文字の大きさ
13 / 22

タナカさんのヤル気を取り戻せ

しおりを挟む
 タナカさんのお店に、接客スペースなんてものはない。奥の作業場まで案内されて、小さな丸椅子にわたしとヤトコさんは座った。ここまで光源はスクリューさん一匹だけだ。

 タナカさんは机の横に置かれた、背もたれの大きな椅子に座った。足部分に車輪がついていて、簡単に動かせる椅子だ。

『えっと……ペアハンコ?』

「いえ、違いますけど、そんなのあるんですか?」

 タナカさんはフルフルと首を横に振った。

『作ったことない……けど、そういうの欲しいのかなって』

 タナカさんがちらりとヤトコさんの方を見る。

 ヤトコさんは大げさに目と口を開き、口元を手で隠した。

『まさかフクーラ……!』

「いらないです。今日はヤトコさんの認証印を作ってもらいに来たんです」

 きっぱりそう言うと、タナカさんはわたしたちから目をそらし、何もない床に目線を落とした。

『そっか……』

 タナカさんの声が一気にしぼんだ。そして机の奥の方に手を伸ばす。それに合わせてスクリューさんは移動し、手元を照らした。

『えっと、この辺に練習で彫ったやつが……』

 何個かハンコをピックアップし、印面に目を通す。

『これが……枝切さんっぽいかな』

 タナカさんは一つを選び、机に置いた。

『これ……100円でいいよ』

「あの、いま練習で彫ったやつっていいましたよね? ちゃんとヤトコさんのハンコを彫ってください」

『ちょっと……やる気が出ない』

 タナカさんは机に突っ伏してしまった。

 仕方なしにタナカさんが置いたハンコを手に取ってみる。それは少し丸っこい形をしていて、頭の部分がとんがっていた。

 そして何より、とても軽い。焼いたメレンゲを持っているかのようだ。

「もしかして、印材はチョウコクドングリですか?」

『うん……練習用だから』

 タナカさんはこっちを一切見ずに答えた。顔を上げる様子はない。

 ヤトコさんが前かがみになって、わたしの手元を覗き込んだ

『いいじゃん。どんぐりの形をしたハンコって、なんかかわいいし』

「よくないです。チョウコクドングリは大型で果肉が木質化する彫りやすい材料ですが、変形しやすいので認証印には向いていません。何より生命力が強くて――」

 タナカさんが動いたかと思ったら、別のハンコが飛んできた。そのハンコもチョウコクドングリでできている。

 先に渡されていた物と違うのは、頭の尖った部分から赤茶色の根が出ていることだ。

 わたしはそれをヤトコさんに見せた。

「こんな感じで、彫った物でも時間が経つと発芽します。わたしが子供のときに、お小遣いで小さな人形を買ったがあったんですけど」

 わたしはハンコから伸びる根を隠すように、人差し指を載せた。

「ちょうどこれに頭が載ってるくらいの大きさで、子供のわたしにはドングリを彫った物とはわからないくらい、よくできていたんです。でもしばらくすると、ちょうど頭の部分が割れて……」

 わたしはハンコから指を離した。指で押さえられていた根が、ピンと立ち上がる。

「子供のわたしは泣きました」

『絵面ホラーすぎるって……!』

 ヤトコさんは身震いして、自分の肩をさすった。

『わかった。そのハンコはやめておく。けど、それならタナカちゃんのヤル気を出させないとだね』

 タナカさんは机に突っ伏したままだ。確かにヤトコさんを説得したところで、タナカさんが彫ってくれないのなら意味がない。

「しかし、どうして認証印を彫りたくないんですかね? それでは仕事にならないと思うのですけど」

『ちっちっち。甘いねフクーラは。タナカちゃんは認証印を彫るのが嫌でヤル気を無くしたんじゃないと思うよ』

「そうなんですか?」

 タナカさんに問いかけると、顔を上げずに頷いた。顔を机にこすりつけたようにも見える。

「それでしたら、どうしてヤル気がでないんですか?」

 それに応えたのはヤトコさんだった。

『ペアハンコをいらないって言われたからじゃない? タナカちゃんって職人なんでしょ? 作りたいものしか作りたくない瞬間って、やっぱあるんじゃないかな』

「本当ですか? ヤトコさんがペアハンコを作りたいだけなんじゃ――」

 タナカさんがわずかに動き、片目だけでこちらを見た。わたしではなく、ヤトコさんに目を向けている。

 そしておもむろに左手を上げたかと思うと、ヤトコさんもそれに合わせて手を伸ばし、グータッチした。

 タナカさんが誰かと通じ合っているのを、初めて見たかもしれない。

「うーん。わかりました。今度ペアハンコを注文しに来ます。でも今はヤトコさんの認証印が必要なので、そっちを作ってくれませんか?」

 わたしが仕方なく折れると、タナカさんはゆっくりと顔を上げた。

『一緒に彫ってもいいけど……?』

「予算とかも決めてないので、ペアハンコは今度でいいです」

『そっか、うん……確かに、こだわったほうがいい……』

 タナカさんは不器用に笑った。

『ふひ……図面、たくさん用意しておく』

 そんなに頑張らなくてもいいのだけれど、そんなこと言ったらまたヤル気をなくしてしまうかもしれない。

「楽しみにしてますね」

 この言葉に嘘はない。今度ハロウルと一緒にペアハンコを作りにこよう。

「では今日は認証印をお願いします」

『うん……予算は?』

「一万五千円です。一応、動物から採れる素材は避けてください」

『じゃあ良い木材……えと、クロヒノキか雪胡桃あたり』

『ま、待って!』

 ヤトコさんが立ち上がった。

『ハンコにお金全部使っちゃうの? また無一文になっちゃうじゃん!』

「いいハンコを持っていた方が、周りからの印象がいいので得なんですよ。安物のハンコだと『契約書が汚れる』とか言われて、ハンコを押させてもらえないこともあるので」

『そうなの? うーん。でも全部はなぁ……』

 ヤトコさんが悩んでいる間に、タナカさんは引き出しを開いて、親指ほどの小さな木片を二つ取り出した。

『クロヒノキと雪胡桃……』

 タナカさんはそれらを机に置くと、スクリューさんを抱いて上から照らした。

『これがハンコになるの?』

 ヤトコさんがそれを手に取り、顔を近づけた。わたしも一緒になって覗き込む。

 それは彫る前の印材だった。黒い方は光沢がない代わりに、細かい木目が光に当たって煌めいていた。

 逆に白い方は光沢が強めで、まるで磨かれた石のようだ。うっすら見える波打つ木目がなければ、木だとはわからない。

『良い木材っていうだけあって、確かに綺麗だけど、プラスチックでもぱっと見はそんなに変わらないんじゃない?』

 プラスチック――ヤトコさんの世界で使われている素材だ。あちらの世界では安価だと聞くけれど――

「こちらの世界ではプラスチックが作れないので、とても高価なんです。なんといったって、異世界人が持ち込んだ物しかありませんから。プラスチック製のハンコですと、お金が百倍あっても足りないかもしれません」

 タナカさんに目線を送ると『うんうん』と頷いた。

 ヤトコさんは『ひゃ、百倍……?』と指折り数え始めた。つまんでいた印材が指から零れる。

 ヤトコさんはそれをパッと握り直し、わたしの顔を見た。

『プラスチックが!? 大金払ってプラスチック製のが出てきたら、がっかりしちゃうよ』

 タナカさんはそれに対しては、首を横に振った。

『軽くて割れにくくて癖のないすごい素材……こっちでハンコ彫り始めて思い知った』

『そうなの? 確かにプラスチックは便利だったけど……うーん。でも確かに、今の話聞いたら、これが一万五千円なら安い気がしてきた。じゃあこっちの黒いのにしようかな』

 ヤトコさんは黒い印材をタナカさんに手渡した。もう一つは机の上に置く。

『うん……それじゃあ』

 タナカさんは手元のスクリューさんをヤトコさんの腕にとまらせた。

 突然のことに、ヤトコさんの肩が跳ねる。

『わっ! なになに?』

『ほいほい。失礼するよ』

 スクリューさんがヤトコさんの腕を登っていく。そして肩のあたりで落ち着いた。

 トカゲが苦手な女の子なら、払い落としてもおかしくない。でもさっきスクリューさんを可愛いといっていたのは嘘ではなかったようで、ヤトコさんは肘を少し上げて足場を広げてあげていた。

『どうしたの? 彫るのに時間かかるからこの子と遊んでろって?』

 タナカさんはそれに答えずに、ヤトコさんの顔を覗きこんだ。そしてそのまま横に移動する。

『なになに?』

 ヤトコさんはそれに合わせて体を動かし、タナカさんを正面に捉え続けた。

 タナカさんがぴたりと止まる。

『動かないで……』

『あ、はい』

 圧を感じたのか、ヤトコさんの姿勢が少しだけ良くなる。

 タナカさんはヤトコさんを一周した後、正面から右から左からと、もう一度覗いてから椅子に戻った。

 ヤトコさんが深く息を吐く。

『うわぁ。なんか疲れた。触られてないのに、なんかくすぐったかったし』

 力の抜けたヤトコさんの腕を、スクリューさんが下っていく。

『あ、降りるの?』

 ヤトコさんが机の上に手を伸ばすと、スクリューさんは『はいはいどうもね』と机へと降りた。そしてそのままタナカさんの近くにいって手元を照らす。

 タナカさんは紙を取り出し、ペンを走らせ始めた。

『え? なんだったの? 今の』

 完全に置いていかれているヤトコさんを、タナカさんが気に掛ける様子はない。

 わたしが代わりに答えてあげた。

「すぐにわかりますよ。タナカさんは仕事が早いですから」

『うん? まぁ、そっか』

 ヤトコさんはわたしの答えに満足してなさそうだ。けれど待つことにようで、手探りで椅子を探して腰を下ろした。

 どれくらい待っただろうか。明かりはスクリューさんだけで、窓もない。暗いこの部屋では、時間の流れがわかりづらいのだ。

 退屈だったのか、ヤトコさんが椅子を寄せてきた。

『ねぇフクーラ。タナカちゃんって、いつもこんな暗い中で仕事してるの?』

 囁き声が耳にくすぐったい。わたしもお返しに、ヤトコさんの耳元に口を寄せた。

「タナカさんは接客が苦手で、お客さんが来ないように、暗い場所を選んだらしいです。基本は郵便でお仕事を受けているみたいですよ」

『そうなの? じゃあうちら厄介客じゃん』

 そんな話をしていると、タナカさんが体を起こしてペンを置いた。そして背中を軽く伸ばしてから、紙の向きを変える。

『ラフだけど……』

 タナカさんはヤトコさんの方へと紙を近づけた。スクリューさんがそれを追いかけて紙の横で落ち着く。

『なになに?』

 ヤトコさんは紙を覗き込む。すると見慣れた友人を見つけたかのように表情が軽くなった。

 紙に触れ、もっと顔を近づける。

『マンガだぁ。え? もしかして、これわたし?』

 タナカさんが控え目に頷いた。

 わたしも立ち上がって覗いてみたけれど、目が大きく可愛さが強調されたその絵は、後ろでまとめられた髪や黒く襟の大きな服、抱かれたカタナの袋など、ヤトコさんの特徴をよく捉えていた。

 何より良かったのはウインクするような笑顔だ。見た目は大人びているのに無邪気なヤトコさんの内面をよく表現している。

『すご! タナカちゃんってもしかして、もとの世界でも絵描いてたりしてたの?』

『同人活動してた……』

『すごいじゃん! いいなぁ。わたしなんてこんな乱暴なのばっかで……』

 ヤトコさんは懐に抱いたカタナの袋を少しだけ持ち上げた。でもすぐに絵に目を戻す。

『この絵もらっていいの?』

 タナカさんは首を横に振った。

『これ……図面』

『図面……? って、ハンコに彫る絵ってこと?』

 タナカさんは頷いたけれど、それ以上答えない。ヤトコさんがこちらを向いたので――

「異世界人はこちらの世界の文字がわかりません。ですから、ハンコは自分の顔を彫った物を使うんです。タナカさんのハンコはとても人気なんですよ」

 そう説明してあげた。

 タナカさんが絵の描かれた紙を裏返す。

『これ契約書……』

 ヤトコさんの表情をオーケーのサインと受け取ったのだろう。サインの欄を指差し――

『拇印でいいよ』

 机から朱肉を取り出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私と母のサバイバル

だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。 しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。 希望を諦めず森を進もう。 そう決意するシェリーに異変が起きた。 「私、別世界の前世があるみたい」 前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?

「地味ブス」と捨てられた私、文化祭の大型スクリーンで王子様の裏の顔を全校生に配信します

スカッと文庫
恋愛
「お前みたいな地味女、引き立て役にもならないんだよ」 眼鏡にボサボサ頭の特待生・澪(みお)は、全校生徒が見守る中、恋人だった学園の王子・ハルトから冷酷に捨てられた。 隣には、可憐な微笑みを浮かべる転校生・エマ。 エマの自作自演により「いじめの犯人」という濡れ衣まで着せられ、学園中から蔑まれる澪。 しかし、彼女を嘲笑う者たちはまだ知らない。 彼女が眼鏡の奥に、誰もが平伏す「真実の美貌」と、学園さえも支配できる「最強の背景」を隠していることを――。 「……ねぇ、文化祭、最高のステージにしてあげる」 裏切りへのカウントダウンが今、始まる。 スクリーンの裏側を暴き、傲慢な王子と偽りのヒロインを奈落へ突き落とす、痛快・学園下剋上ファンタジー!

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

転生後はゆっくりと

衣更月
ファンタジー
貧しい集落で生まれたリリは、生まれた瞬間から前世の記憶があった。 日本人特有の”配慮”に徹した赤ん坊を演じていたことで、両親から距離を置かれた挙句、村人からも「不気味な子」として敬遠されることに…。 そして、5才の誕生日に遠くの町に捨てられた。 でも、リリは悲観しない。 前世の知識チートは出来ないけど、大人メンタルで堅実に。 目指すは憧れのスローライフが出来るほど、ほどほどの守銭奴としてリリは異世界人として順応していく。 全25話(予定)

毒舌アイドルは毒の魔物に転生する。

馳 影輝
ファンタジー
毒舌を売りにして芸能界で活躍できる様になった。 元々はアイドルとしてデビューしたが、ヒラヒラの衣装や可愛い仕草も得意じゃ無かった。 バラエティーの仕事を貰って、毒舌でキャラを作ったらこれがハマり役で世間からのウケも良くとんとん拍子で有名人になれた。 だが、自宅に帰ると玄関に見知らぬ男性が立っていて私に近づくと静かにナイフで私を刺した。 アイドル時代のファンかも知れない。 突然の事で、怖くて動けない私は何度も刺されて意識を失った。 主人公の時田香澄は殺されてしまう。 気がつくとダンジョンの最下層にポイズンキラーとい魔物に転生する。 自分の現象を知りショックを受けるが、その部屋の主であるリトラの助言により地上を目指す。 ダンジョンの中で進化を繰り返して強くなり、人間の冒険者達が襲われている所に出くわす。 魔物でありながら、擬態を使って人間としても生きる姿や魔王種への進化を試みたり、数え切れないほどの激動の魔物人生が始まる。

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...