あなたには翻訳術師が必要です ~異世界の言葉がわかるとかいう都合のいいことが起こらなくても、わたしがいれば大丈夫~

もさく ごろう

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ヤトコさんとちょっと寄り道

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 タナカさんのお店を出てから、わたしとヤトコさんは大通りを登った。町の奥にあるルクルーンと呼ばれる泉に向かっているのだ。

「泉に落ちた物が別の物になって帰ってくるという伝説が、色々な場所に伝わっています」

『あーわたしの世界でもそういう話はあったよ。鉄の斧が金の斧になったり、いじめっ子が善人になったりするの』

「どこの世界にも、こう言った話はあるみたいですね。でも不思議なことではありません。泉の女神さまは異なる世界の人や物の行き来を管理しているんです」

 人を避けながら進むわたしの後ろで、ヤトコさんが『へぇー』と相槌を打った。

『わたしも泉の女神さまに会ったのかな? こっちに来たときのこと覚えてないんだけど』

「おそらく会ってないと思います。泉の女神さまが直接人を出入りさせることは基本的にありません」

『え?』

 見えていないけれど、ヤトコさんが首を傾げたのがなんとなくわかった。軽い足音がわたしの横に並ぶ。

『泉の女神さまが人の出入りを管理してるんだよね?』

「そうです。ちょっとたとえ話をしますね。この国では税金を国庫大臣が管理しています。しかし国庫大臣やその部下が直接税金を徴収するわけではありません。国民が自分で申告して、自ら納税するんです」

『あー。わたしの世界でもそうだったかも。
まだ納税したことないから詳しいことはわからないけど。え? もしかして』

 ヤトコさんは人差し指を立てて、指揮でもするかのように動かした。

『えっと、つまり、今向かってるルクルーンって泉は、泉の女神さまのいる役所……みたいな感じ?』

「役割としてはそんな感じです。この世界にきた異世界人は、極力早くその事実を泉の女神さまに申告しなければなりません」

『申告したらどうなるの? もしかして……元の世界に、その、帰され、ちゃう?』

 最後の方の声は弱弱しく、言葉を選んでいるようだった。

「もとの世界に帰るのは嫌ですか?」

 ヤトコさんは胸の前で両手をブンブンと振った。

『あ、いや、せっかくフクーラとも仲良くなれたし、寂しいかなーって』

 ヤトコさんは嘘が苦手なようだ。

「安心してください。そんな簡単に帰れるのなら、わざわざハンコを作ったりしませんよ」

『あ、そっか。そうだよねぇ』

 声の調子が戻った。こっちの方がヤトコさんらしい。

『じゃあ本当に申告するだけなんだね』

「それもそうなんですけど、一番の目的は祝福を頂くことですね」

『祝福? 泉の女神さまの信者になれってこと?』

 わたしは首を横に振った。

「泉の女神さまの祝福は信仰の有無に関わらず、異世界人のみに与えらます。能力の解放のようなものですね」

『能力の解放?』

「はい。内容は人によって様々ですけど、固有の魔法が使えるようになるくらいの認識でいいと思います」

 異世界人の間では『チート』と呼ばれることもあるらしい。

 ヤトコさんは両の手の平を合わせて小さく音をたてた。

『すごいじゃん! じゃあハンコ屋のタナカちゃんも何かできるんだ?』

「そのはずです。何ができるのかはわたしも知りませんが」

『そうなんだ。わたしはどんなのにしようかなぁ。フクーラみたいに、色んな人と話せるのもいいね』

 わたしを見るヤトコさんの目が、いつもより少しだけ輝いているように見えた。

「一応言っておきますけど、わたしの翻訳術は女神さまの祝福ではないですからね。あと、自分で選ぶこともできません」

『えぇ、そうなの? なんかケチだね。でも福袋みたいなものだと思えば、それも面白いかも』

 人が減って、歩きやすくなってきた。広場に入り、人がまばらになったのだ。相変わらずお店や噴水の周りには人が集まっている。

「あの噴水も、ルクルーンから引いた水を使ってるんですよ」

『そうなの? じゃああそこで女神さまに会えたりしない?』

「残念ながら、会えません。泉の女神さまは自然に湧いた泉にしか姿を見せないんです。わたしたちは女神さまに会える泉をオリンの泉と呼んでいます」

『オリン?』

「泉の女神さまの名前です」

 広場をまっすぐ抜け、更に上る道に入った。大通りの半分ほどの広さしかないせいで、大通りよりも人でごちゃついている。時折足を止めなければ、人を避けきれない。

『清水寺の前みたい』

 わたしの後ろにぴったりとくっついたヤトコさんが、あっちこっちに目をやっていた。まるで飛んでいる鳥を追っているみたいだ。

「ヤトコさんの世界にも、似たような場所があったんですか?」

『有名なお寺の前とか、温泉街とかはこんな感じだったよ。お土産屋さんがたくさんあって、なんなら目的地のお寺とかより楽しいんだよね』

「なるほど。どの世界も同じような感じなんですね。ここヴェルサーノの町も旅客馬車が来る場所なんですよ。何か見ていきますか?」

『うーん。そうだねぇ』

 ヤトコさんが後ろから寄りかかってきて、わたしの肩に手を置いた。背中に触れるカタナの袋が足に引っかかりそうで、歩くのが怖い。

 ヤトコさんはそんなことには気づいていないようで、あちらこちらに目を巡らせていた。姿を見なくても、背中に伝わってくる体重移動でわかる。

 でも結局、ヤトコさんはわたしの背中をまっすぐ押した。

『やっぱやめとく。そういえばわたし、無一文だもん。泉の女神さまに良い能力貰って、稼いでからまた来よう』

「わかりました。じゃあちょっと急ぎますか」

 人ごみに隙間を見つけたので、そこを早足で抜けようとすると――

「てめぇ! 逃げようとしてんじゃねぇ!」

 男の怒号が聞こえ、思わず身構えた。

「だから知らねぇって言ってんだろ! 言いがかりつけんな!」

 別の男の声が響く。ボサボサ頭の男の手を、メガネをかけた男が振り払った。

『なに? ケンカ?』

「そのようですね」

 どうりで人ごみに隙間が空いたわけだ。

 ボサボサ頭の男の方が体格がいいけれど、メガネの男の方が鍛えているように見える。お互いそんなこと気にしていないようで、キスするんじゃないかというくらい近くで睨みあっていた。

 少し離れたところで猫さんがシャーシャーと鳴いている。

『立ち止まってどうしたの? もしかして、止めるつもり?』

「そうですね。ケガをしたらかわいそうですし」

 わたしが向きを変えると、ヤトコさんが『えぇ~』と不満そうな声を上げた。それでもわたしの肩に置かれた手は離れない。

 ケンカをしている男たちは気づかないようで、わたしたちに目を向けようとはしない。

 遠巻きの誰かが「やめとけ」と叫んだ。わたしに言ったのか、それともケンカしている男たちに言ったのか。

 わたしは男たちの横を抜け――

「どうしたんですか? ケンカは良くないですよ」

 わたしはしゃがんで、ケンカをしているお二方に目の高さを近づけた。

 大きな三毛猫さんと、緑の目を持つ小さな黒猫さんだ。

『え? そっち? てっきり男の人たちのケンカを止めるのかと』

「そんなの、別にケガをしたってかわいそうじゃないです。放っておけばいいんですよ」

「それは否定しないけどさ……」

 わたしの肩に置かれたヤトコさんの手に、少しだけ力が入った。
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