あなたには翻訳術師が必要です ~異世界の言葉がわかるとかいう都合のいいことが起こらなくても、わたしがいれば大丈夫~

もさく ごろう

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ヘロノスさんのお部屋にはランタンが多い

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 玄関にはマットが敷かれていて、家の中は割と小綺麗だった。猫さんが居着くほど、長く空き家だったとは思えない。

「わたしはヘロノス。よろしくね」

 赤髪の女の子――ヘロノスさんに案内されて、わたしはリビングに入った。

 ランタンがいくつも焚かれた明るい部屋だ。

 石の壁や天井を、木の柱や梁が支えている。この町では一般的な造りだ。木のテーブルにはクロスが敷かれていて、丁寧な生活がうかがえる。

 階段が見えたので、二階にも部屋がありそうだ。少なくとも、一人で住むような家ではない。

「申し訳ないけれどコート掛けが一つしかなくて、もし気にならなかったらここに掛けて」

 ヘロノスさんが、リビングの入口横のコート掛けを手の平で示した。葉の落ちた立木のようなコート掛けだ。かかっている黒いローブは、翻訳術師のものとはまた違う。

 わたしのローブの袖には、アジンさんが入ったままだ。脱いだら大騒ぎだろう。

「すぐお暇するので、着たままで大丈夫ですよ」

「そう? いつでも脱いで大丈夫だから。座って? ちょうどお湯を沸かしていたところなの」

 ヘロノスさんはテーブルを示してから、同じ部屋にある石窯へと向かった。部屋が温かいのは、火を炊いていたからのようだ。

 隠れ住んでいる――というふうには見えない。

 身を潜めるなら明かりは最低限にするべきだし、火を炊けば煙で存在を知られてしまう。

『お、おい。家に入り込んじまって、これからどうすんだよ』

 袖の中から小さな声が聞こえた。アジンさんだ。

 少し袖を持ち上げて、わたしも声を潜める。

「少し話してみて、どんな人なのか探ってみたいと思います」

 袖に内緒話をするのなんて、生まれて初めてだ。

「アジンさん。こんなところまで連れてきてしまって申し訳ないです」

『別にいいけどよ。俺にはなんも――』

 アジンさんの声が途切れた。テーブルにティーカップが置かれたのだ。甘い花の香りが鼻をくすぐる。

 ヘロノスさんの青い目が、不思議そうにこちらを見ていた。

「あら? いま、誰かと話してた?」

「いえ。素敵なお部屋だったので、ちょっと声が漏れてしまっただけです」

 自分でも、無茶苦茶な言い訳だと思った。テーブルクロスが目に入ったので、咄嗟に手を置く。草木から雫が垂れるような刺繍がされている。

「テーブルにクロスを敷いてあるだけでも、なんというか、マメな感じがします。模様も素敵ですし、なにより、引っ越してきたばかりとは思えないほど、片付いていてすごいです」

「ふふ。ありがとう。でも大したことではないのよ?」

 ヘロノスさんはこそばゆそうにしながら、対面の椅子に座った。

「テーブルクロスを敷いているのは、傷んだテーブルを長く使っているから。ただの貧乏性なのよ。趣味で刺繍をしているから、安い布にそれらしい模様を入れただけ。片付いているのは、ただ荷物が少ないだけよ」

 ヘロノスさんは自嘲気味に笑った。ただの謙遜だとは思うけれど、つい「荷物が少ないのは、すぐ逃げれるようにするためだろうか」と勘ぐってしまう。

 ただ、刺繍が趣味なのは本当なのだろう。ヘロノスさんが着ている服にも、同じような刺繍がされている。

「わたしの話ばかりになってしまったわね。フクラさんは、どこに向かっていたの?」

「わたしは猫さんを追いかけていたら、迷い込んでしまったんです」

 嘘は言っていない。と心の中で言い訳をしていると、違和感を覚えた。

「あれ? わたし、名乗りましたっけ?」

 聞くべきではなかったかと、言ってから思った。

 ヘロノスさんは口に運んでいたティーカップを止め、テーブルに静かに置く。

「実はあなたのことは知っていたの。有名ですものね。とても才能のある翻訳術師だと」

「そうなんですか? 光栄です」

 自分でいうのもなんだけど、町唯一の翻訳術師なので、この町に住む人には比較的知られてはいる。それでも有名かといわれれば、そんなことはない。

 生き物や異世界人と関わらない人からすれば、ただの一般人だ。町の外で語り草になることなど、あるはずもない。

 この町に来たばかりなのに、わたしを知っているとすれば――

「ヘロノスさんは、何か動物を飼っていたりするんですか?」

 ペットに関する情報として、近所の人に聞いたというのがありそうな話だ。けれど、ヘロノスさんは首を横に振った。

「いいえ。何か飼っていたら、このお部屋も賑やかになるかしら?」

 わたしは苦笑いを返した。

 ペットは飼っていない。エルスさんが何も言ってなかったし、部屋の様子的にそうだろうなとは思っていた。

 動物を飼っているなら、ランタンをたくさん焚くのは危険すぎるからだ。

 そもそも、なぜたくさんのランタンを焚いているのだろうか。一人で過ごしているのなら、ランタンは一つあれば事足りる。

 必要以上に灯すのは、燃料の無駄遣いだ。さきほど貧乏性と言っていたのと矛盾する。

 いや、今はそんなことよりも、わたしのことをどこで知ったのか、それを探ったほうが良いだろうか。

「翻訳術師に興味がある人は動物を飼っていることが多いので、聞いてみただけです。何も飼っていなくても、ここは素敵なお部屋だと思いますよ。ところで、わたしのお話をしてくださった方は、わたしのお客さんですかね?」

「そうらしいわ。随分とお世話になったと聞いたわ。この場所もその人に教えてもらったの」

「そうなんですね。もしかしてその人って、エダキリ ヤトコって名乗りませんでしたか?」

 ヘロノスさんは答えずに、ティーカップを持ち上げ、静かに口をつけた。

 少し踏み込みすぎただろうか。沈黙はその答えな気がしてならない。

 しかしヘロノスさんに動揺した様子はない。軽くお茶をすすって、たっぷり味わってから飲み込み、こう答えた。

「エダキリ ヤトコを名乗るように提案したのはわたしなの」

「え……?」

 全く予想していなかった答えだった。

「あなたから……ですか? ゴランドさんからの指示を伝えたとか、そういうわけではなく?」

「ええ。そのゴランドというのがどなたか存じ上げないけれど、わたしが決めたの。だって、不公平だと思わない? 天賦の才を持っているにも関わらず、女神さまから祝福を貰おうというのだもの。能力が無く、苦しんでいる人に譲るべきだと思わない?」

 ヘロノスさんは乾杯でもせがむように、ティーカップをほんの少し持ち上げた。

 わたしはカップに触れる気にはなれなかった。

「あなたが何を言っているのか。理解できません」

「そうね。あなたみたいな才能に恵まれた人には、わからないのでしょうね」

 ヘロノスさんがティーカップを一気に煽った。空になったカップがテーブルに叩きつけられる。

 それがきっかけだったかのように、部屋にいくつもあるランタンの炎が大きくなった。わたしの持ってきたランタンも、例外ではない。

「わからないのなら、邪魔をしないでくださらない? お話にならないから」

 ランタンが炎に負けて弾けた。炎は消えるどころか、どんどん大きくなっている。石窯からも炎が柱のように吹き出ていた。木製の柱や梁に燃え移るのも時間の問題だろう。

 けれどヘロノスさんは座ったままで、逃げる素振りすら見せなかった。

「死んで証拠を消すつもりですか? そうはいきませんよ」

 無理矢理にでも外に連れ出す。そう決めて手を伸ばした。

 けれど手は届かない。わたしの手を遮るように、炎が壁のように走ったのだ。

「気安く触れないでくださる?」

 まるで自分で振り払ったかのようなセリフだ。

 しかし炎なら風に流される。

 風の精霊さんにお願いすれば――

『わわ! なんだこれ!』

『これは火だね! 人間が使う恐ろしい道具さ!』

 天井の方から声が聞こえた。ヘロノスさんも天井を見上げる。

「あら。天井裏に猫さんが紛れ込んでいたみたい。あなたが追ってきた猫かしらね」

「エルスさん! マブルさん!」

 風の精霊さんへのお願いは変更。エルスさんとマブルさんの逃げ道を確保してもらう。

 ローブの右袖がもぞもぞと動いた。

『くそ……! とんでもなく暑いぞ! なんだってんだ!』

 アジンさんだ。無茶をすればこの小さな命も巻き込むことになる。

 わたしはもう、逃げるしかなかった。
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