あなたには翻訳術師が必要です ~異世界の言葉がわかるとかいう都合のいいことが起こらなくても、わたしがいれば大丈夫~

もさく ごろう

文字の大きさ
20 / 22

ヘロノスさんのお部屋にはランタンが多い

しおりを挟む
 玄関にはマットが敷かれていて、家の中は割と小綺麗だった。猫さんが居着くほど、長く空き家だったとは思えない。

「わたしはヘロノス。よろしくね」

 赤髪の女の子――ヘロノスさんに案内されて、わたしはリビングに入った。

 ランタンがいくつも焚かれた明るい部屋だ。

 石の壁や天井を、木の柱や梁が支えている。この町では一般的な造りだ。木のテーブルにはクロスが敷かれていて、丁寧な生活がうかがえる。

 階段が見えたので、二階にも部屋がありそうだ。少なくとも、一人で住むような家ではない。

「申し訳ないけれどコート掛けが一つしかなくて、もし気にならなかったらここに掛けて」

 ヘロノスさんが、リビングの入口横のコート掛けを手の平で示した。葉の落ちた立木のようなコート掛けだ。かかっている黒いローブは、翻訳術師のものとはまた違う。

 わたしのローブの袖には、アジンさんが入ったままだ。脱いだら大騒ぎだろう。

「すぐお暇するので、着たままで大丈夫ですよ」

「そう? いつでも脱いで大丈夫だから。座って? ちょうどお湯を沸かしていたところなの」

 ヘロノスさんはテーブルを示してから、同じ部屋にある石窯へと向かった。部屋が温かいのは、火を炊いていたからのようだ。

 隠れ住んでいる――というふうには見えない。

 身を潜めるなら明かりは最低限にするべきだし、火を炊けば煙で存在を知られてしまう。

『お、おい。家に入り込んじまって、これからどうすんだよ』

 袖の中から小さな声が聞こえた。アジンさんだ。

 少し袖を持ち上げて、わたしも声を潜める。

「少し話してみて、どんな人なのか探ってみたいと思います」

 袖に内緒話をするのなんて、生まれて初めてだ。

「アジンさん。こんなところまで連れてきてしまって申し訳ないです」

『別にいいけどよ。俺にはなんも――』

 アジンさんの声が途切れた。テーブルにティーカップが置かれたのだ。甘い花の香りが鼻をくすぐる。

 ヘロノスさんの青い目が、不思議そうにこちらを見ていた。

「あら? いま、誰かと話してた?」

「いえ。素敵なお部屋だったので、ちょっと声が漏れてしまっただけです」

 自分でも、無茶苦茶な言い訳だと思った。テーブルクロスが目に入ったので、咄嗟に手を置く。草木から雫が垂れるような刺繍がされている。

「テーブルにクロスを敷いてあるだけでも、なんというか、マメな感じがします。模様も素敵ですし、なにより、引っ越してきたばかりとは思えないほど、片付いていてすごいです」

「ふふ。ありがとう。でも大したことではないのよ?」

 ヘロノスさんはこそばゆそうにしながら、対面の椅子に座った。

「テーブルクロスを敷いているのは、傷んだテーブルを長く使っているから。ただの貧乏性なのよ。趣味で刺繍をしているから、安い布にそれらしい模様を入れただけ。片付いているのは、ただ荷物が少ないだけよ」

 ヘロノスさんは自嘲気味に笑った。ただの謙遜だとは思うけれど、つい「荷物が少ないのは、すぐ逃げれるようにするためだろうか」と勘ぐってしまう。

 ただ、刺繍が趣味なのは本当なのだろう。ヘロノスさんが着ている服にも、同じような刺繍がされている。

「わたしの話ばかりになってしまったわね。フクラさんは、どこに向かっていたの?」

「わたしは猫さんを追いかけていたら、迷い込んでしまったんです」

 嘘は言っていない。と心の中で言い訳をしていると、違和感を覚えた。

「あれ? わたし、名乗りましたっけ?」

 聞くべきではなかったかと、言ってから思った。

 ヘロノスさんは口に運んでいたティーカップを止め、テーブルに静かに置く。

「実はあなたのことは知っていたの。有名ですものね。とても才能のある翻訳術師だと」

「そうなんですか? 光栄です」

 自分でいうのもなんだけど、町唯一の翻訳術師なので、この町に住む人には比較的知られてはいる。それでも有名かといわれれば、そんなことはない。

 生き物や異世界人と関わらない人からすれば、ただの一般人だ。町の外で語り草になることなど、あるはずもない。

 この町に来たばかりなのに、わたしを知っているとすれば――

「ヘロノスさんは、何か動物を飼っていたりするんですか?」

 ペットに関する情報として、近所の人に聞いたというのがありそうな話だ。けれど、ヘロノスさんは首を横に振った。

「いいえ。何か飼っていたら、このお部屋も賑やかになるかしら?」

 わたしは苦笑いを返した。

 ペットは飼っていない。エルスさんが何も言ってなかったし、部屋の様子的にそうだろうなとは思っていた。

 動物を飼っているなら、ランタンをたくさん焚くのは危険すぎるからだ。

 そもそも、なぜたくさんのランタンを焚いているのだろうか。一人で過ごしているのなら、ランタンは一つあれば事足りる。

 必要以上に灯すのは、燃料の無駄遣いだ。さきほど貧乏性と言っていたのと矛盾する。

 いや、今はそんなことよりも、わたしのことをどこで知ったのか、それを探ったほうが良いだろうか。

「翻訳術師に興味がある人は動物を飼っていることが多いので、聞いてみただけです。何も飼っていなくても、ここは素敵なお部屋だと思いますよ。ところで、わたしのお話をしてくださった方は、わたしのお客さんですかね?」

「そうらしいわ。随分とお世話になったと聞いたわ。この場所もその人に教えてもらったの」

「そうなんですね。もしかしてその人って、エダキリ ヤトコって名乗りませんでしたか?」

 ヘロノスさんは答えずに、ティーカップを持ち上げ、静かに口をつけた。

 少し踏み込みすぎただろうか。沈黙はその答えな気がしてならない。

 しかしヘロノスさんに動揺した様子はない。軽くお茶をすすって、たっぷり味わってから飲み込み、こう答えた。

「エダキリ ヤトコを名乗るように提案したのはわたしなの」

「え……?」

 全く予想していなかった答えだった。

「あなたから……ですか? ゴランドさんからの指示を伝えたとか、そういうわけではなく?」

「ええ。そのゴランドというのがどなたか存じ上げないけれど、わたしが決めたの。だって、不公平だと思わない? 天賦の才を持っているにも関わらず、女神さまから祝福を貰おうというのだもの。能力が無く、苦しんでいる人に譲るべきだと思わない?」

 ヘロノスさんは乾杯でもせがむように、ティーカップをほんの少し持ち上げた。

 わたしはカップに触れる気にはなれなかった。

「あなたが何を言っているのか。理解できません」

「そうね。あなたみたいな才能に恵まれた人には、わからないのでしょうね」

 ヘロノスさんがティーカップを一気に煽った。空になったカップがテーブルに叩きつけられる。

 それがきっかけだったかのように、部屋にいくつもあるランタンの炎が大きくなった。わたしの持ってきたランタンも、例外ではない。

「わからないのなら、邪魔をしないでくださらない? お話にならないから」

 ランタンが炎に負けて弾けた。炎は消えるどころか、どんどん大きくなっている。石窯からも炎が柱のように吹き出ていた。木製の柱や梁に燃え移るのも時間の問題だろう。

 けれどヘロノスさんは座ったままで、逃げる素振りすら見せなかった。

「死んで証拠を消すつもりですか? そうはいきませんよ」

 無理矢理にでも外に連れ出す。そう決めて手を伸ばした。

 けれど手は届かない。わたしの手を遮るように、炎が壁のように走ったのだ。

「気安く触れないでくださる?」

 まるで自分で振り払ったかのようなセリフだ。

 しかし炎なら風に流される。

 風の精霊さんにお願いすれば――

『わわ! なんだこれ!』

『これは火だね! 人間が使う恐ろしい道具さ!』

 天井の方から声が聞こえた。ヘロノスさんも天井を見上げる。

「あら。天井裏に猫さんが紛れ込んでいたみたい。あなたが追ってきた猫かしらね」

「エルスさん! マブルさん!」

 風の精霊さんへのお願いは変更。エルスさんとマブルさんの逃げ道を確保してもらう。

 ローブの右袖がもぞもぞと動いた。

『くそ……! とんでもなく暑いぞ! なんだってんだ!』

 アジンさんだ。無茶をすればこの小さな命も巻き込むことになる。

 わたしはもう、逃げるしかなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双

四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。 「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。 教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。 友達もなく、未来への希望もない。 そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。 突如として芽生えた“成長システム”。 努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。 筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。 昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。 「なんであいつが……?」 「昨日まで笑いものだったはずだろ!」 周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。 陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。 だが、これはただのサクセスストーリーではない。 嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。 陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。 「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」 かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。 最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。 物語は、まだ始まったばかりだ。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

ダンジョンでオーブを拾って『』を手に入れた。代償は体で払います

とみっしぇる
ファンタジー
スキルなし、魔力なし、1000人に1人の劣等人。 食っていくのがギリギリの冒険者ユリナは同じ境遇の友達3人と、先輩冒険者ジュリアから率のいい仕事に誘われる。それが罠と気づいたときには、絶対絶命のピンチに陥っていた。 もうあとがない。そのとき起死回生のスキルオーブを手に入れたはずなのにオーブは無反応。『』の中には何が入るのだ。 ギリギリの状況でユリアは瀕死の仲間のために叫ぶ。 ユリナはスキルを手に入れ、ささやかな幸せを手に入れられるのだろうか。

高校生の俺、異世界転移していきなり追放されるが、じつは最強魔法使い。可愛い看板娘がいる宿屋に拾われたのでもう戻りません

下昴しん
ファンタジー
高校生のタクトは部活帰りに突然異世界へ転移してしまう。 横柄な態度の王から、魔法使いはいらんわ、城から出ていけと言われ、いきなり無職になったタクト。 偶然会った宿屋の店長トロに仕事をもらい、看板娘のマロンと一緒に宿と食堂を手伝うことに。 すると突然、客の兵士が暴れだし宿はメチャクチャになる。 兵士に殴り飛ばされるトロとマロン。 この世界の魔法は、生活で利用する程度の威力しかなく、とても弱い。 しかし──タクトの魔法は人並み外れて、無法者も脳筋男もひれ伏すほど強かった。

処理中です...