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仮面の下
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仕事帰りのサラリーマンに紛れて信号を待ちながら、ビルのモニターに映るニュースを見上げた。最近世間をにぎわせている連続殺人を報せる映像が流れる。彼らが見つかるのはいつもラブホテルの一室。手で首を絞めて殺されている。もう何度も見たフレーズだ。
俺の隣で肩を寄せ合う若い女の三人組が、怖ーい、と甲高い声を上げた。
俺はその無邪気さに口元を緩める。
彼女たちは死というものが、そして殺人というものがどれほど近くにあるものかを知らないのだ。
信号が変わって、人の群が一斉に移動を始める。その拍子に先程の女が俺の肩にぶつかり、彼女は小さく舌を鳴らした。
しばらく歩いて人の流れから外れると、俺は細い路地に入った。
明るすぎるくらいの街路の明かりも、この闇を埋めるには足りない。
見慣れた看板に目をやると、怪しげなブルーの明かりで照らされた階段を下り、地下のドアを開けた。
「いらっしゃい」
顔なじみの店主が不愛想な声で迎える。彼はこちらを見ることすらしなかったが、代わりに客の男たちが俺にまとわりつくような視線を向ける。
俺はその視線に気づかないふりをして、店の中をぐるりと見回した。カウンターの端に一人で座る男に目をとめる。
整った青白い顔に物憂げな表情を浮かべたその若い男からは、どこか近寄りがたい印象を受けた。
その雰囲気に怖気づいてか、あるいは皆もう玉砕済みなのか、彼の隣に座ろうとする者はいない。
俺はその空席に座ると、何も言わずとも出てきた酒に口をつけた。
「一人?」
無視されるかと思ったが、意外にも彼は俺に視線を寄越すと小さく頷いた。
「見ない顔だね」
「ここに来るのは初めてだから」
「こういうところに、ではないんだ」
隣の男は意味ありげな微笑を浮かべて俺に顔を向けた。
「ふふ、まあね。お兄さんはもうすっかり常連みたいだね」
「うん。もう何年になるかな。わからないくらい前から来てるよ」
思っていたよりもスムーズに事が運びそうだ。グラスを傾けながら、俺は彼の全身に視線を這わせる。ほっそりとした小柄な体。身に着けてるものはどれも安価な量産品で、この店には些か不釣り合いだ。良い金づるを物色しに来たのかもしれない。
俺にとっては何もかも好都合だ。
「この後の予定はある?」
どうせ結末が決まっているのなら、事は早い方が良い。俺はテーブルに置かれた白い手に自分の手を重ねた。
彼はそれに目をやると、再び口元に笑みを浮かべてゆるゆると首を振った。二人の視線が交差する。なんだか過剰にロマンチックな光景に、笑い出しそうになるのを何とか押しとどめた。
安っぽいホテルの部屋に入ると、俺は乱暴に彼の唇を奪った。彼の方も特に抵抗することなく、深い口づけを受け入れる。息を吸い取るような長いキス。
数十秒の後に離れる頃には、彼の息は上がっていて、白い頬には朱がさしている。俺はその白い首に視線を注ぐ。
スーツの上を脱いで傍らのソファに投げると、俺はその細い体をベッドに押し倒した。
「シャワーは?」
「そんなもの要らないよ」
そう言って彼のパーカを剥ぎ取るようにして脱がせる。細い首に唇を触れると小さな呻き声があがった。
「そういえばお兄さん、名前は?」
その声に俺は顔を上げた。あまり嬉しくない問いだ。
「別に何だって良いだろ」
「教えてよ」
「山田。ありふれた名前だよ。君は?」
あまり頑なに拒否するのも不自然かと思い、仕方なく俺は適当な名を名乗る。
「僕は雪人。ユキって呼んでよ」
あんまりにも外見に相応しすぎてなんとなく源氏名めいている。実際そうなのかもしれない。
興を削がれて盛り下がった気分を高めるように、俺は露わになった彼の胸の突起を指先で軽く撫でた。
「ふふ、くすぐったい」
余裕のある笑みを見せる彼を追い込むように、片方の指に力を籠め、もう片方の突起を口で吸う。
「あっ、んん」
そこでようやくユキはくぐもった嬌声をあげた。俺はそのまま、空いた手でユキの体をゆっくりと撫でて、ボトムと下着に手を掛ける。ユキの方も少し腰を浮かせて、協力的な姿勢を見せた。
俺は上体を起こし、自分も残りの服を脱ぐ。ユキは仰向けのまま、俺の体に視線を投げかける。欲の込められたその視線を、心の中では下らないと嘲りながらも、顔には笑みを貼り付けておく。
薄暗い照明に晒されたペニスを軽く扱いてやると、ユキは体を震わせて、一際高い喘ぎ声をあげた。
精を吐き出すには弱い刺激を数度与えて、俺はそこから手を放す。
ユキの潤んだ視線を受け止めたところで、俺は彼の後孔に指を差し入れた。
「んっ、あっ」
彼の口から漏れる吐息を聞きながら、俺は指を増やし、穴の中で指を動かす。その中の一点に触れると、ユキの体が小さく跳ねた。
「やっ、そこ、んんっっ」
俺はそこを撫でるように指を動かしながら、もう片方の手で彼の身体をゆっくりと愛撫する。
「んっ、お兄さん、そんなに優しくしなくて良いよ」
ユキは焦れたように、何かを訴えかけるような視線を投げかける。俺はそれを黙殺して、彼の喉元に口づけを落とした。
「こういうのが好きなんだ」
丁寧な愛撫は、せめてもの罪滅ぼしでもあり、この後のお楽しみのシーズニングでもある。彼がみっともなく快楽に溺れる姿を晒せば晒すほど、それが壊される瞬間の愉悦を高めてくれる。
「もう、挿れて、お願い」
しばらくして耐えかねたユキがはしたない言葉を発すると、俺はようやく彼の体から指を引き抜いた。
荒い呼吸に合わせて上下する喉仏に目をやって、俺は喉を鳴らした。
収縮を繰り返すユキの後孔に、俺は自身のペニスをねじ込んだ。十分に解したつもりだったが、彼の中は俺をきつく締めつけてくる。ゆっくりと腰を引き、たたきつけるように再び彼の中にペニスを埋めると、ユキの体は一際大きく跳ねた。そのまま、リズミカルに抽挿を繰り返す。
「あっ、あっ、あっ」
俺の視線は、白く光る首元に注がれている。
ユキが頂点に達するその瞬間を見計らって、俺は両手をその首にかけた。快楽の絶頂で血流と空気がせき止められた瞬間の、見開かれた目と苦し気に開く口を想像して、俺は今夜一番の悦楽を覚える。血が一点に集中していくのがありありとわかった。
ニュースの映像が脳裏によみがえる。連続殺人犯。その名は俺にこそ相応しい。俺は性器を摩擦するだけで快感を得るような、くだらない肉欲に溺れる凡人とは違うのだ。
ただ身勝手に、この手の下にある無防備な生命を蹂躙する。その一時こそが最も崇高な快楽なのだ。
ぐっと両の手に力をこめる。手のひらに滑らかな肌と、その下にある骨と、手を押し返す筋肉の感触が伝わる。
期待を込めて、視線を首から上に移動させてゆく。
しかし、俺の予想に反して端正な顔には快楽の色と微笑が浮かんだままだ。
まだか。
今度はその首に体重をかけるようにして、さらに強く白い首を締め上げる。親指の腹に喉仏が食い込む。
まだ彼の端正な顔が歪むことはない。俺は渾身の力を込めて白い首を圧迫した。
ぱきり、という乾いた、冗談みたいな音と同時に、手の下で何かが折れる感触がする。
まずい、と思ったところでユキの顔に笑みが浮かんで、次の瞬間、それはただの白い楕円に変わった。
咄嗟に引いた俺の腕を、ユキの手が捕まえる。その手に視線を移すと、そこには先刻まで白い楕円に乗っていた目と鼻と口が浮かんでいる。
異様な光景に息を呑み、白い手を振り払おうとするがびくともしない。この世の物とは思えぬほどの力だ。
「そっち本体じゃないから無理だよ。残念だったね」
手の甲に浮かぶ小さな口が開く。中から覗く赤い舌が火のように見えた。
ひゅっ、という情けない息が俺の口から漏れる。
その顔はけたたましい笑い声を立てると、ユキの全身の色々なところに移動して、最後には元の位置に収まった。その瞬間、ユキの手からは急に力が抜けて、俺は急いで彼の首から手を離した。
「そら、まだ息がある。殺してみなよ。殺してみたいんだろう?」
そう言って起き上がったユキの首は生きた人間ではありえない角度に曲がっている。手に、先ほどその支柱を折った感触が蘇った。
俺は自分がしでかしたことの重大さに怖気づいた。
本当に息の根を止めるようなことをするつもりはなかった。俺が満足するだけの苦悶の表情を見せてくれれば、それで良かったのだ。
こちらが達した後にうまく宥めてやって、帰り際に金を渡せば、何もかも丸く収まるだろう。そう思っていたのに。
「普通の人間とは違うんだろう? 肉欲なんてくだらなくて、自分の身勝手で他人の命を奪うのが、その瞬間こそが至高なんだろう? なあ、やってみろよ。もうあと一息だ。もう少しでこの体は死ぬ」
なぜそれを知っているのか。お前のことなど何もかもお見通しだとでもいうような目に射すくめられて、俺は顔を覆った。
立ち上がって逃げ出したい。そう思うが、俺のペニスはユキに刺さったままで、それはもうすっかり萎えてしまっているはずなのに、どうしても抜くことができなかった。
「できないのか? やっぱり大したことないな。お前もさっきの女どもと同じだ。いや、もっとひどいかもしれない」
折れ曲がった首の先でだらりと揺れる頭を近づけられ、耐え難い吐き気と恐怖感に襲われる。
「違う。違う。俺は、俺は」
とにかくもうこの状況から何とか抜け出したい。俺の中にあるのはただそれだけだというのに、口から漏れだすのはなけなしの虚栄心だ。
「違わないだろう? お前は怖いんだ。人を殺すのが。いつだってお前は言い訳ばっかりじゃないか。お前はそうやって、他人とは違う、自分は特別な人間なんだと思いながら、本当のところは狂うことすら叶わない。お前だってお前が馬鹿にしてる十把一絡げの凡人の中の一人なんだ」
「やめろ、やめろ、俺はそうじゃない。本当はお前のことなんか今すぐ絞め殺してやれる」
その言葉とは裏腹に、俺の手はユキの首ではなく、俺自身の顔に当てられている。
眼前で、呆れたようなため息が聞こえた。
「もういいよお前、用済みだから」
そう言われた瞬間、ずるりと体から何かが抜かれる感覚があって、俺はうまく呼吸ができないことに気づいた。頭が重い。なぜか視界は九十度回転していて、首にはこれまで感じたことのない激痛が走っている。しかし、それを訴える術はない。
最後に残された力で視線をあげると、そこには俺の顔に、先ほどまで俺が抱いていたはずの男の造作が乗った裸の男が立っている。
「可哀そうになあ。もうちょっと意気地があればそんな風に苦しまずに済んだのに」
嘲笑の浮かぶその顔に反論しようとするが、もうそれすらも叶わなかった。
俺の隣で肩を寄せ合う若い女の三人組が、怖ーい、と甲高い声を上げた。
俺はその無邪気さに口元を緩める。
彼女たちは死というものが、そして殺人というものがどれほど近くにあるものかを知らないのだ。
信号が変わって、人の群が一斉に移動を始める。その拍子に先程の女が俺の肩にぶつかり、彼女は小さく舌を鳴らした。
しばらく歩いて人の流れから外れると、俺は細い路地に入った。
明るすぎるくらいの街路の明かりも、この闇を埋めるには足りない。
見慣れた看板に目をやると、怪しげなブルーの明かりで照らされた階段を下り、地下のドアを開けた。
「いらっしゃい」
顔なじみの店主が不愛想な声で迎える。彼はこちらを見ることすらしなかったが、代わりに客の男たちが俺にまとわりつくような視線を向ける。
俺はその視線に気づかないふりをして、店の中をぐるりと見回した。カウンターの端に一人で座る男に目をとめる。
整った青白い顔に物憂げな表情を浮かべたその若い男からは、どこか近寄りがたい印象を受けた。
その雰囲気に怖気づいてか、あるいは皆もう玉砕済みなのか、彼の隣に座ろうとする者はいない。
俺はその空席に座ると、何も言わずとも出てきた酒に口をつけた。
「一人?」
無視されるかと思ったが、意外にも彼は俺に視線を寄越すと小さく頷いた。
「見ない顔だね」
「ここに来るのは初めてだから」
「こういうところに、ではないんだ」
隣の男は意味ありげな微笑を浮かべて俺に顔を向けた。
「ふふ、まあね。お兄さんはもうすっかり常連みたいだね」
「うん。もう何年になるかな。わからないくらい前から来てるよ」
思っていたよりもスムーズに事が運びそうだ。グラスを傾けながら、俺は彼の全身に視線を這わせる。ほっそりとした小柄な体。身に着けてるものはどれも安価な量産品で、この店には些か不釣り合いだ。良い金づるを物色しに来たのかもしれない。
俺にとっては何もかも好都合だ。
「この後の予定はある?」
どうせ結末が決まっているのなら、事は早い方が良い。俺はテーブルに置かれた白い手に自分の手を重ねた。
彼はそれに目をやると、再び口元に笑みを浮かべてゆるゆると首を振った。二人の視線が交差する。なんだか過剰にロマンチックな光景に、笑い出しそうになるのを何とか押しとどめた。
安っぽいホテルの部屋に入ると、俺は乱暴に彼の唇を奪った。彼の方も特に抵抗することなく、深い口づけを受け入れる。息を吸い取るような長いキス。
数十秒の後に離れる頃には、彼の息は上がっていて、白い頬には朱がさしている。俺はその白い首に視線を注ぐ。
スーツの上を脱いで傍らのソファに投げると、俺はその細い体をベッドに押し倒した。
「シャワーは?」
「そんなもの要らないよ」
そう言って彼のパーカを剥ぎ取るようにして脱がせる。細い首に唇を触れると小さな呻き声があがった。
「そういえばお兄さん、名前は?」
その声に俺は顔を上げた。あまり嬉しくない問いだ。
「別に何だって良いだろ」
「教えてよ」
「山田。ありふれた名前だよ。君は?」
あまり頑なに拒否するのも不自然かと思い、仕方なく俺は適当な名を名乗る。
「僕は雪人。ユキって呼んでよ」
あんまりにも外見に相応しすぎてなんとなく源氏名めいている。実際そうなのかもしれない。
興を削がれて盛り下がった気分を高めるように、俺は露わになった彼の胸の突起を指先で軽く撫でた。
「ふふ、くすぐったい」
余裕のある笑みを見せる彼を追い込むように、片方の指に力を籠め、もう片方の突起を口で吸う。
「あっ、んん」
そこでようやくユキはくぐもった嬌声をあげた。俺はそのまま、空いた手でユキの体をゆっくりと撫でて、ボトムと下着に手を掛ける。ユキの方も少し腰を浮かせて、協力的な姿勢を見せた。
俺は上体を起こし、自分も残りの服を脱ぐ。ユキは仰向けのまま、俺の体に視線を投げかける。欲の込められたその視線を、心の中では下らないと嘲りながらも、顔には笑みを貼り付けておく。
薄暗い照明に晒されたペニスを軽く扱いてやると、ユキは体を震わせて、一際高い喘ぎ声をあげた。
精を吐き出すには弱い刺激を数度与えて、俺はそこから手を放す。
ユキの潤んだ視線を受け止めたところで、俺は彼の後孔に指を差し入れた。
「んっ、あっ」
彼の口から漏れる吐息を聞きながら、俺は指を増やし、穴の中で指を動かす。その中の一点に触れると、ユキの体が小さく跳ねた。
「やっ、そこ、んんっっ」
俺はそこを撫でるように指を動かしながら、もう片方の手で彼の身体をゆっくりと愛撫する。
「んっ、お兄さん、そんなに優しくしなくて良いよ」
ユキは焦れたように、何かを訴えかけるような視線を投げかける。俺はそれを黙殺して、彼の喉元に口づけを落とした。
「こういうのが好きなんだ」
丁寧な愛撫は、せめてもの罪滅ぼしでもあり、この後のお楽しみのシーズニングでもある。彼がみっともなく快楽に溺れる姿を晒せば晒すほど、それが壊される瞬間の愉悦を高めてくれる。
「もう、挿れて、お願い」
しばらくして耐えかねたユキがはしたない言葉を発すると、俺はようやく彼の体から指を引き抜いた。
荒い呼吸に合わせて上下する喉仏に目をやって、俺は喉を鳴らした。
収縮を繰り返すユキの後孔に、俺は自身のペニスをねじ込んだ。十分に解したつもりだったが、彼の中は俺をきつく締めつけてくる。ゆっくりと腰を引き、たたきつけるように再び彼の中にペニスを埋めると、ユキの体は一際大きく跳ねた。そのまま、リズミカルに抽挿を繰り返す。
「あっ、あっ、あっ」
俺の視線は、白く光る首元に注がれている。
ユキが頂点に達するその瞬間を見計らって、俺は両手をその首にかけた。快楽の絶頂で血流と空気がせき止められた瞬間の、見開かれた目と苦し気に開く口を想像して、俺は今夜一番の悦楽を覚える。血が一点に集中していくのがありありとわかった。
ニュースの映像が脳裏によみがえる。連続殺人犯。その名は俺にこそ相応しい。俺は性器を摩擦するだけで快感を得るような、くだらない肉欲に溺れる凡人とは違うのだ。
ただ身勝手に、この手の下にある無防備な生命を蹂躙する。その一時こそが最も崇高な快楽なのだ。
ぐっと両の手に力をこめる。手のひらに滑らかな肌と、その下にある骨と、手を押し返す筋肉の感触が伝わる。
期待を込めて、視線を首から上に移動させてゆく。
しかし、俺の予想に反して端正な顔には快楽の色と微笑が浮かんだままだ。
まだか。
今度はその首に体重をかけるようにして、さらに強く白い首を締め上げる。親指の腹に喉仏が食い込む。
まだ彼の端正な顔が歪むことはない。俺は渾身の力を込めて白い首を圧迫した。
ぱきり、という乾いた、冗談みたいな音と同時に、手の下で何かが折れる感触がする。
まずい、と思ったところでユキの顔に笑みが浮かんで、次の瞬間、それはただの白い楕円に変わった。
咄嗟に引いた俺の腕を、ユキの手が捕まえる。その手に視線を移すと、そこには先刻まで白い楕円に乗っていた目と鼻と口が浮かんでいる。
異様な光景に息を呑み、白い手を振り払おうとするがびくともしない。この世の物とは思えぬほどの力だ。
「そっち本体じゃないから無理だよ。残念だったね」
手の甲に浮かぶ小さな口が開く。中から覗く赤い舌が火のように見えた。
ひゅっ、という情けない息が俺の口から漏れる。
その顔はけたたましい笑い声を立てると、ユキの全身の色々なところに移動して、最後には元の位置に収まった。その瞬間、ユキの手からは急に力が抜けて、俺は急いで彼の首から手を離した。
「そら、まだ息がある。殺してみなよ。殺してみたいんだろう?」
そう言って起き上がったユキの首は生きた人間ではありえない角度に曲がっている。手に、先ほどその支柱を折った感触が蘇った。
俺は自分がしでかしたことの重大さに怖気づいた。
本当に息の根を止めるようなことをするつもりはなかった。俺が満足するだけの苦悶の表情を見せてくれれば、それで良かったのだ。
こちらが達した後にうまく宥めてやって、帰り際に金を渡せば、何もかも丸く収まるだろう。そう思っていたのに。
「普通の人間とは違うんだろう? 肉欲なんてくだらなくて、自分の身勝手で他人の命を奪うのが、その瞬間こそが至高なんだろう? なあ、やってみろよ。もうあと一息だ。もう少しでこの体は死ぬ」
なぜそれを知っているのか。お前のことなど何もかもお見通しだとでもいうような目に射すくめられて、俺は顔を覆った。
立ち上がって逃げ出したい。そう思うが、俺のペニスはユキに刺さったままで、それはもうすっかり萎えてしまっているはずなのに、どうしても抜くことができなかった。
「できないのか? やっぱり大したことないな。お前もさっきの女どもと同じだ。いや、もっとひどいかもしれない」
折れ曲がった首の先でだらりと揺れる頭を近づけられ、耐え難い吐き気と恐怖感に襲われる。
「違う。違う。俺は、俺は」
とにかくもうこの状況から何とか抜け出したい。俺の中にあるのはただそれだけだというのに、口から漏れだすのはなけなしの虚栄心だ。
「違わないだろう? お前は怖いんだ。人を殺すのが。いつだってお前は言い訳ばっかりじゃないか。お前はそうやって、他人とは違う、自分は特別な人間なんだと思いながら、本当のところは狂うことすら叶わない。お前だってお前が馬鹿にしてる十把一絡げの凡人の中の一人なんだ」
「やめろ、やめろ、俺はそうじゃない。本当はお前のことなんか今すぐ絞め殺してやれる」
その言葉とは裏腹に、俺の手はユキの首ではなく、俺自身の顔に当てられている。
眼前で、呆れたようなため息が聞こえた。
「もういいよお前、用済みだから」
そう言われた瞬間、ずるりと体から何かが抜かれる感覚があって、俺はうまく呼吸ができないことに気づいた。頭が重い。なぜか視界は九十度回転していて、首にはこれまで感じたことのない激痛が走っている。しかし、それを訴える術はない。
最後に残された力で視線をあげると、そこには俺の顔に、先ほどまで俺が抱いていたはずの男の造作が乗った裸の男が立っている。
「可哀そうになあ。もうちょっと意気地があればそんな風に苦しまずに済んだのに」
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こちらこそ素敵なアイデアありがとうございました!書くの楽しかったです。
紹介ツイートもありがとうございました。
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