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1 記憶の断片
キャクホン
しおりを挟む俺がサークルボックスについたのは、あの電話があってから45分ほど経ってからだった。
相当頑張った。ベストを尽くしたと思う。
ボックスの場所を近くにいた女性グループに恥を忍んで聞いたほどだ。
一様に何とも言えない不思議な顔をされたが、それはもういい。
とにかく、俺は全速力でここまで来た結果、この時間なのである。
そもそも常識的に30分は無理じゃないか!?
そんなことを心のなかでぼやきながら、ゆっくりと扉を開けた。
「……失礼…します…?…」
俺は何を言ったらいいか一瞬迷ってから、そう言葉を選んだ。
まず感じたのは扉を開けた瞬間に広がったシンナーの…ペンキの匂い。
最近使ったような鋭い匂いではなかったが、この部屋自体に少し染み着いているようだ。
その刺激が、なんとなく心地よく感じた。
部屋には机や椅子の類いが数個ずつ。1つの長机には魔法瓶と数種類のティーバッグのお茶とその隣に逆さまに置かれたカップが3つ、妙に生活感を感じさせた。
奥には、岩や扉といった大道具のような物から、魔法のステッキや巨大な鍋。
果てはアニメキャラのフィギュアまで、一体何に使うんだかさっぱり分からないものが乱雑に並べられていた。
そこに3人の男女が自由に座っている。どうやら3人とも、ティーカップを持っているようだ。
一番手前側に座っているのは、小さな黒髪の女の子だ。
両手に薄桃色のティーカップを持って膝の上に冊子、恐らく台本を置いている。俺が扉を開けたことでこちらを振り向いて、丸っこい瞳が俺を覗いている。
名前は……喉まで出かかっているが判然としない。
2人目は入り口から真っ直ぐ奥に座る暗い茶髪の青年。
どこか鋭さのある目がクールさを醸し出している。
タイトなパンツにシャツというシンプルなスタイルだ。
片手で青いティーカップを口につけながら、どうやらパソコンをいじっていたらしい。
名前は…やはり思い出せそうにない。
「47分…まぁ頑張った方じゃない」
そう言って立ち上がったのは、金髪で少しつり目がちな女の子だ。
毛先は少しウェーブがかっていてどことなく品性が感じられる。
手に持ったスマートフォンを置き、ニヤッと笑いかける。
小野寺 茜その人だ。何故か、彼女だけはすぐに分かった。
「50分切るとは思ってなかったわ」
「…え?」
「だって無理でしょう?30分なんて。車持ってないんだし。急がせる為に言ったのよ」
……この女…
まぁでも、俺が今一番安定して会話が出来るのはこの小野寺さんだろう。なんとか情報がほしい。
いきなり「記憶が無くなった」なんて言ったら体の良い言い訳だと笑い飛ばされるに決まってる。
「……あの…小野寺…さん…?」
「…………ん…?」
小野寺さんは眉根を寄せる。
あぁ、違ったか…
「茜…ちゃん…?」
「…………………」
いや、ないだろう。自分で言って思った。ちゃんはないなちゃんは。
予想通り。小野寺さんは顔を固めている。
「……茜…!」
そう言うと、小野寺さんの顔の石化が溶けた。ようやく正解を引けたらしい。
「………なんなの?」
小野寺さんもとい、茜ちゃんもとい、茜は怪訝そうな顔をして言う。
俺はどうにか上手い言い方を探したが見つからない。
なにしろ自分で自分の状況が分かっていないのだ。上手く説明しろという方が無理だ。
なので極力オブラートに包んで素直に聞いてみることにする。
「……あの…色々記憶が曖昧で……覚えてないと言うか…これから何をすればいいのかも…正直…」
茜は少し驚いた顔になり…
「………はぁぁぁ!?何にいってんのよ?最近のアンタはおかしいおかしいとは思ってたけど遂にそこまで来たの!?」
「最近?」
「本番まであと3週間しかなくて台本すら出来上がってないのに!アンタ出る気あるの!?」
「え?やっぱり俺も出るの…?」
演技なんてやったこともない。いや、やったことはあるのか?
俺の言葉で茜は唖然としている。
「……重症だな」
奥に座っていた青年がそう声をかける。
「重症なんて軽いものじゃないわよ…」
茜が頭を抱えながら言う。
「ま、まぁ…茜さん」
そう言ったのは手前の黒髪の女の子だ。
「鈴ちゃぁん…どうして落ち着いていられるのよ…公演…出来ないかも知れないのよ?」
「…ユイ先輩はきっと…根詰め過ぎただけですよ。少し休めばきっと良くなりますから」
「うーーん」
……スズ…?…スズ……鈴!片倉 鈴(カタクラ スズ)!
茜が鈴と呼んだその子の名前は、鈴。そうだ片倉鈴だ!
そう思った途端、口が勝手に動いていた。
「だから鈴、ユイはやめろって言ってるだろ?」
俺は自然と口にしていた。自分でもなんでこんなことを言ったのか分からない。
でも、自分の一部を取り戻したようで、なぜか気分が良かった。
「「「!」」」
しかし、3人は少し驚いたような顔をした。
だがそれも一瞬で鈴と青年は顔を見合せ、茜はジトーッとした目付きになった。
「……ユイ…アンタもしかして…遅刻の言い逃れの為に覚えてないだなんだって言ったんじゃないでしょうね…?」
「え!?いや違うって!俺は本当に…」
「ならアンタ…」
その時、大きな声が空間を満たした。
「茜のねーさん!焼きそばパン買って来ましたー!」
そう言って部屋に入ってきたのは、赤みがかった茶髪を流す青年だ。
第一印象はなんとも軽薄そうな男である。
そいつは膝をついて焼きそばパンを献上するその姿がいかにもテンションの上がった今時の大学生といった風情だった。
俺も今時の大学生に当たるのだけど…
しかし、茜と焼きそばパンというのは、似合うのか似合わないのか。
見た目には品性のある茜が献上されるのが焼きそばパンというのはなんとも…
「あら、お疲れ様」
「いえいえ、茜のねーさんの為とあらば、この宇田川 滉。焼きそばパンの10個や20個ヨユーっす」
…あぁ…歌川 滉 (ウタガワ コウ)。
またも聞こえてきた名前が自分の中で違和感なく浸透するのを感じる。
それにしても結局焼きそばパンなのか…そこにこだわりはあるのか?
「あ、ユイさん!ハヨザーマス」
「…ぁあ、うん」
「さぁ、ようやく全員揃ったことだし早速始めましょうか!」
茜がそう声をかけると、全員がすっと立ち上がる。
これで全員なのか、随分小規模なんだな…
ところで何が始まるんだ?
そう思っていると茜から声がかかる。
「ユイ!」
「へ?」
「あんたはとにかく脚本を完成させなさい!大至急!今すぐに!」
「…ん?…脚本…?」
それって…台本ってことだよな…?…それを俺が…?
「そうよ。ユイの担当なんだから、アンタ以外にできないでしょ」
「え!?いや、俺脚本なんてやったこと…!」
そう言い終わる前に茜は頭を抱える。
「ないわけはないんだけどな…」
そう言うのはクールな青年だ。
「…月彦…任せて良い…?…付き合い長いでしょ?」
そうか、付き合い長いのか…
月彦と呼ばれた青年は小さくため息をついた。
…月彦…月彦の名字ってなんだろう…?…みんなみたいに思い出せそうなもんなんだけど…
「…分かったよ。でも衣装については俺は知らねぇぞ?」
「………えぇ…それはこっちで」
そう言って茜は、棚を漁りに行く。
「まぁさっき脚本したことがないわけがないって言ったのは…これがあるからだ」
月彦は、そう言ってさっきまで弄っていたパソコンをこちらにクルッと回す。
そこにはびっしりと文字の羅列。
「…これ…」
「これは昨日までお前が書いてた脚本のデータ。これを完成させる」
「これ…俺が書いたの…?」
「書いた」
……俺はどうやら創作意欲が活発な人間だったらしい。
信じられない。
「まぁ、今日お前がボーッとしてるのは分かってるから、俺も手伝う」
「……そっか…心強い……こりゃ1人じゃ無理だ…」
「それじゃあ早いとこ始めるか、これがないと稽古が進まない………ん?なに?」
「…え」
どうやら俺は無意識のうちに月彦のことを凝視していたらしい。
俺は素直な疑問をぶつけてみることにした。
「月彦の名字ってさ………なんだっけ?」
月彦は「拍子抜けだ」と言った雰囲気でハッと笑い。
「英安だ」
英安 月彦(エイアン ツキヒコ)その名前が、妙に口に馴染んだ。
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