11 / 14
3 忘却と真実
ケッカイ
しおりを挟む「……ホンッッットに思い出したの?」
札栄大学のチームハウリングのサークルボックス。
その椅子に俺は座っていた。
目の前にはメンバー4人。
…あの電話から23分ほど経ったあと、俺の家のインターホンが鳴らされた。
ドアを開けると、肩で激しく息をする茜の姿があった。
俺が、何とか思い出すことが出来たことを伝えた時の茜のため息は、今までに聞いたことがないほど長いものだった。
それからここに連れてこられたのだが、その間ひたすら文句を言われ続けた。
「…あぁ、多分。とりあえず昨日と同じくらいには思い出せるよ」
「…そう」
「でも、ユイ先輩。今日は本当に休んだ方が良いんじゃないですか?」
鈴が、心配そうな顔で言うと、滉が「確かにそうっすね…」といつもより少し低いトーンで同意した。
そんな会話の最中、俺はこのサークルボックスを見回していた。
昨日まで、何も違和感なく見えていたこの部屋が、パズルのピースが抜けているような不完全さを持っている気がしてならない。
何も変わらない。何も変わらないハズなのに…
5つ。
俺は見回す目を止めた。
それは、逆さに置かれたティーカップが5つ。
緑、黄、青、薄桃、赤。
みんなの分のティーカップ。どれが誰のものがをハッキリさせるために色分けされたティーカップ。
それが5つ。
「……ュイ…ユイ!」
「…え?」
茜が俺の名前を読んでいる。
「………確かに今日のアンタはホントにおかしいわ。今日はもういいから……」
その言葉の途中。俺が茜の姿をハッキリ捉えた瞬間。
茜の声が意識からハズレていった。
そこには些細な。でも、確かな矛盾があった。
……茜の手には…オレンジ色のティーカップが…握られてる。
「……6つ…」
…あぁ…まただ…またこの感覚…
「え?なによ?」
知っている。知っている。この感覚を、俺は知っている。
…やっぱり……やっぱり……やっぱり…やっぱり!!
……俺は……
「…なぁ…茜……」
「ん?」
声が、震える。俺は、明確な形を持たない違和感を無理やり言葉にする。
「……俺は…誰を忘れてしまったんだ…?」
空間が、静まり返った。
何の音もない。人の呼吸音さえも聞こえてこない。
いや、むしろ誰も呼吸をしていないのだろうか?
「………………ぇ……?」
静寂を破ったのは、茜の声だった。
だが、その後に言葉は続かず再び空間は静まり返る。
「…………なんの話っすか?ユイさん?」
滉がいつもと変わらないトーンでそう言う。
それが俺にはどうにも白々しいものに感じて仕方がない。
「……俺は、誰かを忘れてるんだ」
「…え?誰のことっすかね?」
「滉、チームハウリングは何人だ…?」
「5人っすよ?」
滉はサラリと答える。当たり前だろう?そう言っているみたいだ。
でも…違う…
「……違う…6人だ…」
「…え?……いや、でもユイさん、オレ達は5人っすよ?」
「そんなはずない!!」
「……ユイ…」
茜が呟く。その目には困惑が浮かんでいる。
「それは嘘だ!」
「ちょっ…ユイさん」
「ユイ先輩、落ち着いて下さい」
滉と鈴が宥めるように声をだす。
だがこの違和感は、口に出せば出すほど明確な形を帯びていく。
「ユイ先輩、今日はちょっと混乱してるんですよ」
「あぁ、そうっすよ。なんか変っすよ?ユイさん。ねぇ?ねーさん?」
「…ええ、そうね。そうかも知れないわね」
違う!違う!
なんで聞いてくれないんだ!確かにいるはずなんだ!
「ティーカップが!!6つ!」
「!」
その言葉に茜がピクッと反応する。
「俺達が5人なら!なんであれが6つあるんだ?」
「…あーそれっすか?予備っすよ。割っちゃったら大変っすから…確か…月彦さんが買ってきたんすよね…?」
「……………」
月彦は黙ったまま何も言わない。
何なんだ?この状況は?何で誰も答えてくれない!?
そうだ…あれなら!
そう思って、俺は持ってきた鞄を漁る。何となくファイルに入れて持ってきた、数枚の紙束。
そいつを引っ張り出して、滉に突きつける。
「これは!?」
「え?…………ッ!?」
滉は音もなく息を飲んだ。その隣で、鈴は口元に手を当てていた。
「それは6人の台本だ…俺達じゃ出来ない台本…なぁ?いるんだろ!?俺が忘れてしまった人が…!」
俺がそう言うと、茜は滉から台本をもらい受けて読む。
最初から最後まで、未完の短い脚本を。
茜は、一瞬だけ眉を寄せて目を閉じる。
そして目を開け、俺に語りかける。
目線を合わせて言い聞かせるように。
「…ねぇ?ユイ?やっぱりアンタ疲れてるんじゃない?この台本のことは見たこともないし、よく分からないけど。少なくともあのティーカップは予備として置いてあるものよ?」
その声は優しくて、気遣いに溢れていた。
でも、俺の欲しい言葉はそれじゃない。確かな真実だ。
「…ユイが何の事を言ってるかは分からないけど、ユイがちゃんと思い出せるように協力するわ。だから今日は…」
「嫌なんだ」
「…え?」
嫌なんだ。自分の意思とは関係ないところで、何かが消えていくのが…誰かが消えていくのが…
「俺は…自分勝手に、都合よく、誰かのことを忘れてる…そうだろ?」
「…そんなことは……」
「その通りだ」
鋭く、通る声が響いた。
「………え」
それは、誰の言葉だっただろう?
あるいは、全員の声だったのかもしれない。
月彦が、俺を見下ろしている。声は冷たくて、渇いていた。
「ユイ。お前は大切な人から逃げた。自分が傷付きたくなかったからだ」
「ちょっ…!?…月彦さん!!」
「…月彦くん…」
月彦は声をかけた2人に見向きもせずに俺を見据えている。
「記憶喪失なんて建前で逃げたんだよ。穂香から」
「月彦!それは言わないって!」
「……ホノ…カ?」
…ホノカ…穂香。
名前も、声も、笑顔も。俺はよく知っているはずだった。
なのに…靄がかかってまるでハッキリしない。
「思い出せ。穂香。飯嶋 穂香だ」
「マズイですって!月彦さん!」
穂香。穂香。穂香。
『結人ってば!…もう、悩んでたってしょうがないでしょ?』
点と点が結びつく。あと少し……あと少しだ…
頭が痛い………でも!あと少しなんだ!
「飯嶋 穂香。思い出せ!お前の……!!」
「いい加減にしなさいッッッ!!!!月彦ッッ!!」
茜が、俺と月彦の間に立ち塞がっていた。
茜から今までに聞いたこともないほどの、鋭い声だ。
記憶もないはずなのにそんなことを思った。
「いい加減に…?…それはこっちの台詞だ!いつまでこんなことを続けるつもりだ!?いい加減にしろッッ!!」
月彦の目には敵意が浮かんでいた。それは、茜に対してだろうか?それとも、俺にだろうか?
「こいつは逃げたんだよ!!穂香から!!ハウリングから!!」
「それは仕方ないことでしょ!?だって穂香はユイのッ!」
「気にくわないんだよッッッ!!!!!」
その声に、茜が押し黙る。それは、俺も同じだった。
小さく鈴が「月彦くん…」と呟くのが聞こえた。
「自分だけが悲しいみたいに!!辛いみたいに!!傷付いたみたいに!!
自分だけがッッ!!穂香のことを好きだったって言いたげにッッッ!!!!
自分勝手に何度も忘れて!忘れた奴が偉いのか!?忘れた奴が一番苦しいのか!?馬鹿にしてんのかッッッ!!!
気にくわないんだよ…穂香のことを無かったことにしてるコイツも!!お前らもッッ!!」
呼吸も荒く、顔を真っ赤にさせながら月彦はそう叫んだ。
「それは!ユイのために!!」
「なら向き合うべきだろ!?認めるべきだろ!!穂香のこと!」
「でも今は!!」
「いいんだッッ!!」
気がつけば、俺は立ち上がり茜の肩を掴んでいた。
呼吸を荒くして叫んでいた。
「……ユ…イ…?」
茜は今にも泣き出しそうな顔でこちらを振り返った。
肩は震えて、瞳には涙をためている。
「…いいんだ…もう…」
「………で…もっ…」
ためた涙は零れ落ちて、嗚咽をもらしている。
「いいんだ………月彦、教えてくれ。俺が、忘れてしまったこと」
月彦は、1度だけフッと息を吐いて、睨み付けるような鋭い視線を向けてくる。
「…もとからそのつもりだ」
ーーーー9月1日。ちょうど4週間前だ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
愚者による愚行と愚策の結果……《完結》
アーエル
ファンタジー
その愚者は無知だった。
それが転落の始まり……ではなかった。
本当の愚者は誰だったのか。
誰を相手にしていたのか。
後悔は……してもし足りない。
全13話
☆他社でも公開します
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる