ハウリング・ユー

KANAME(小僧)

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3 忘却と真実

ケッカイ

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「……ホンッッットに思い出したの?」


札栄大学のチームハウリングのサークルボックス。
その椅子に俺は座っていた。

目の前にはメンバー4人。




…あの電話から23分ほど経ったあと、俺の家のインターホンが鳴らされた。
ドアを開けると、肩で激しく息をする茜の姿があった。


俺が、何とか思い出すことが出来たことを伝えた時の茜のため息は、今までに聞いたことがないほど長いものだった。


それからここに連れてこられたのだが、その間ひたすら文句を言われ続けた。



「…あぁ、多分。とりあえず昨日と同じくらいには思い出せるよ」
「…そう」
「でも、ユイ先輩。今日は本当に休んだ方が良いんじゃないですか?」


鈴が、心配そうな顔で言うと、滉が「確かにそうっすね…」といつもより少し低いトーンで同意した。


そんな会話の最中、俺はこのサークルボックスを見回していた。



昨日まで、何も違和感なく見えていたこの部屋が、パズルのピースが抜けているような不完全さを持っている気がしてならない。


何も変わらない。何も変わらないハズなのに…




5つ。


俺は見回す目を止めた。
それは、逆さに置かれたティーカップが5つ。
緑、黄、青、薄桃、赤。


みんなの分のティーカップ。どれが誰のものがをハッキリさせるために色分けされたティーカップ。
それが5つ。


「……ュイ…ユイ!」
「…え?」


茜が俺の名前を読んでいる。


「………確かに今日のアンタはホントにおかしいわ。今日はもういいから……」



その言葉の途中。俺が茜の姿をハッキリ捉えた瞬間。
茜の声が意識からハズレていった。 



そこには些細な。でも、確かな矛盾があった。





……茜の手には…オレンジ色のティーカップが…握られてる。





「……6つ…」


…あぁ…まただ…またこの感覚…


「え?なによ?」



知っている。知っている。この感覚を、俺は知っている。


…やっぱり……やっぱり……やっぱり…やっぱり!!
……俺は……



「…なぁ…茜……」

「ん?」


声が、震える。俺は、明確な形を持たない違和感を無理やり言葉にする。





「……俺は…誰を忘れてしまったんだ…?」




空間が、静まり返った。


何の音もない。人の呼吸音さえも聞こえてこない。
いや、むしろ誰も呼吸をしていないのだろうか?


「………………ぇ……?」


静寂を破ったのは、茜の声だった。
だが、その後に言葉は続かず再び空間は静まり返る。



「…………なんの話っすか?ユイさん?」


滉がいつもと変わらないトーンでそう言う。
それが俺にはどうにも白々しいものに感じて仕方がない。


「……俺は、誰かを忘れてるんだ」
「…え?誰のことっすかね?」
「滉、チームハウリングは何人だ…?」
「5人っすよ?」


滉はサラリと答える。当たり前だろう?そう言っているみたいだ。

でも…違う…


「……違う…6人だ…」
「…え?……いや、でもユイさん、オレ達は5人っすよ?」
「そんなはずない!!」
「……ユイ…」


茜が呟く。その目には困惑が浮かんでいる。


「それは嘘だ!」
「ちょっ…ユイさん」
「ユイ先輩、落ち着いて下さい」


滉と鈴が宥めるように声をだす。


だがこの違和感は、口に出せば出すほど明確な形を帯びていく。


「ユイ先輩、今日はちょっと混乱してるんですよ」
「あぁ、そうっすよ。なんか変っすよ?ユイさん。ねぇ?ねーさん?」
「…ええ、そうね。そうかも知れないわね」


違う!違う!
なんで聞いてくれないんだ!確かにいるはずなんだ!


「ティーカップが!!6つ!」
「!」

その言葉に茜がピクッと反応する。


「俺達が5人なら!なんであれが6つあるんだ?」
「…あーそれっすか?予備っすよ。割っちゃったら大変っすから…確か…月彦さんが買ってきたんすよね…?」
「……………」


月彦は黙ったまま何も言わない。
何なんだ?この状況は?何で誰も答えてくれない!?



そうだ…あれなら!
そう思って、俺は持ってきた鞄を漁る。何となくファイルに入れて持ってきた、数枚の紙束。
そいつを引っ張り出して、滉に突きつける。 


「これは!?」
「え?…………ッ!?」


滉は音もなく息を飲んだ。その隣で、鈴は口元に手を当てていた。


「それは6人の台本だ…俺達じゃ出来ない台本…なぁ?いるんだろ!?俺が忘れてしまった人が…!」


俺がそう言うと、茜は滉から台本をもらい受けて読む。
最初から最後まで、未完の短い脚本を。

茜は、一瞬だけ眉を寄せて目を閉じる。
そして目を開け、俺に語りかける。
目線を合わせて言い聞かせるように。


「…ねぇ?ユイ?やっぱりアンタ疲れてるんじゃない?この台本のことは見たこともないし、よく分からないけど。少なくともあのティーカップは予備として置いてあるものよ?」


その声は優しくて、気遣いに溢れていた。
でも、俺の欲しい言葉はそれじゃない。確かな真実だ。


「…ユイが何の事を言ってるかは分からないけど、ユイがちゃんと思い出せるように協力するわ。だから今日は…」
「嫌なんだ」
「…え?」


嫌なんだ。自分の意思とは関係ないところで、何かが消えていくのが…誰かが消えていくのが…


「俺は…自分勝手に、都合よく、誰かのことを忘れてる…そうだろ?」
「…そんなことは……」






「その通りだ」 


鋭く、通る声が響いた。




「………え」

それは、誰の言葉だっただろう?

あるいは、全員の声だったのかもしれない。



月彦が、俺を見下ろしている。声は冷たくて、渇いていた。

「ユイ。お前は大切な人から逃げた。自分が傷付きたくなかったからだ」
「ちょっ…!?…月彦さん!!」
「…月彦くん…」

月彦は声をかけた2人に見向きもせずに俺を見据えている。


「記憶喪失なんて建前で逃げたんだよ。穂香から」
「月彦!それは言わないって!」
「……ホノ…カ?」


…ホノカ…穂香。
名前も、声も、笑顔も。俺はよく知っているはずだった。
なのに…靄がかかってまるでハッキリしない。


「思い出せ。穂香。飯嶋 穂香だ」
「マズイですって!月彦さん!」


穂香。穂香。穂香。



『結人ってば!…もう、悩んでたってしょうがないでしょ?』


点と点が結びつく。あと少し……あと少しだ…
頭が痛い………でも!あと少しなんだ!


「飯嶋 穂香。思い出せ!お前の……!!」



「いい加減にしなさいッッッ!!!!月彦ッッ!!」


茜が、俺と月彦の間に立ち塞がっていた。
茜から今までに聞いたこともないほどの、鋭い声だ。 
記憶もないはずなのにそんなことを思った。


「いい加減に…?…それはこっちの台詞だ!いつまでこんなことを続けるつもりだ!?いい加減にしろッッ!!」


月彦の目には敵意が浮かんでいた。それは、茜に対してだろうか?それとも、俺にだろうか?


「こいつは逃げたんだよ!!穂香から!!ハウリングから!!」
「それは仕方ないことでしょ!?だって穂香はユイのッ!」
「気にくわないんだよッッッ!!!!!」


その声に、茜が押し黙る。それは、俺も同じだった。
小さく鈴が「月彦くん…」と呟くのが聞こえた。


「自分だけが悲しいみたいに!!辛いみたいに!!傷付いたみたいに!!
自分だけがッッ!!穂香のことを好きだったって言いたげにッッッ!!!!

自分勝手に何度も忘れて!忘れた奴が偉いのか!?忘れた奴が一番苦しいのか!?馬鹿にしてんのかッッッ!!!

気にくわないんだよ…穂香のことを無かったことにしてるコイツも!!お前らもッッ!!」


呼吸も荒く、顔を真っ赤にさせながら月彦はそう叫んだ。


「それは!ユイのために!!」
「なら向き合うべきだろ!?認めるべきだろ!!穂香のこと!」
「でも今は!!」

「いいんだッッ!!」


気がつけば、俺は立ち上がり茜の肩を掴んでいた。
呼吸を荒くして叫んでいた。


「……ユ…イ…?」


茜は今にも泣き出しそうな顔でこちらを振り返った。
肩は震えて、瞳には涙をためている。


「…いいんだ…もう…」
「………で…もっ…」


ためた涙は零れ落ちて、嗚咽をもらしている。


「いいんだ………月彦、教えてくれ。俺が、忘れてしまったこと」


月彦は、1度だけフッと息を吐いて、睨み付けるような鋭い視線を向けてくる。


「…もとからそのつもりだ」








ーーーー9月1日。ちょうど4週間前だ。
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