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3 忘却と真実
シンジツ
しおりを挟むーーー9月1日。ちょうど4週間前だ。
ーーー穂香を合わせた俺達6人は、その日もここに集まって稽古をしていた。
ーーーただ、一番重要なお前の脚本が完成していなかった。
……ハァ…
時計は5時を回ろうとしている。空は赤く染まろうとしていた。
目の前では、滉のアクセントの矯正なんていう、いつだって出来るようなことを稽古としてやっている。
正直、有意義な時間だとは思えないが、誰もその事を口に出さない。
きっと俺を急かさないようにしてくれているのだろう。
そもそも、この状況も俺のせいだ。
いつまでも脚本が完成しないから、やることがないのだ。
俺はリーダーなんだから、しっかりしなきゃ。
そんな思いが俺のキーボードを打つ手を更に鈍くしていた。
ーーーここのパソコンで脚本を書いていたが、お前が煮詰まった様子だったから、切り上げて先に帰らせることにした。
「もうアンタ、今日は止めにして帰りなさいよ。ため息が多くて鬱陶しいわ」そう言い出したのは茜だった。そこに「そうだね。まだ秋公演まで時間あるし、気分転換してもいいんじゃない?」そう穂香が同意する。
ーーーお前と、穂香も一緒に。
「そういや穂香。お前なんか用事あるとかなんとか言ってなかったか?」月彦が左の頬を若干上げながら言った。「え?…あ!うん!」その時の穂香の表情は見えなかった。
「2人ともお帰りっすか?お疲れさまっす」「お疲れさまです」後輩2人が、にこやかにそう挨拶してくる。
どうやら、俺は帰ることで決定らしい。
月彦はパソコンをなにやら操作して俺にUSBメモリを手渡してくる。「まぁ、もし思い付くことがあれば書いとけ」とのこと。
そうして俺達は追い出されるようにサークルボックスを放り出された。
気を使われたんだろうな…それくらいは分かる。
だってあと1時間もしないうちに解散になるはずだ。
鈴は今日バイトだと言っていたが、月彦なんかは完全に帰る方向が同じはずなのだ。
そう考えると、穂香と一緒にいることが何となくむず痒かった。
俺が用事とは何なのかと穂香に聞くと、カナリアで衣装の布を買いたいと答えた。
用事があったのは本当だったらしい。
ーーーそれからだ。お前達は駅に行った。
ーーー駅のホームだ。お前は知っているはずだ。
ーーーそれからのことは、お前が一番よく知っているはずだ。
大学から徒歩5分ほどのところにある、ショッピングモールに出店しているカナリアで30分ほど買い物をして、俺達は帰路についた。
家に帰るには、2駅分電車に乗るのが早い。
時刻は6時を過ぎたあたり、ちょうど混み始める時間帯のホームで前の方にいれたのは幸運だろう。前には3人組の小学生がいるだけだ。
買い物している間もそうだったが、電車を待っている今も、俺は脚本のことを考えてしまう。
こんな展開なら?いや、辻褄が合わないだろう。こうすれば?いや、それじゃ面白くない。
「結人……結人!」
そんな俺の思考を止めたのは、穂香の言葉だった。
「結人ってば!もう…悩んでたってしょうがないでしょ?」
穂香は心配そうに俺を覗き込んでくる。
そうは言っても、考えてしまうのだ。早く完成させなきゃ、みんなに迷惑がかかってしまう。
「……でも」
「さっきも言ったでしょ?秋公演までまだ時間あるって。それとも物語って無理やり考えて面白くなるものなの?」
「…それはそうなんだけどさ…」
「んー…そうだ、結人。今日私の家に来ない?」
穂香は「いいこと思い付いた!」と言った風に提案した。
俺は心臓が密かに高鳴っているのを感じる。
「私がご飯つくるよ」
「…え?いいの?」
「結人がいいなら」
「いいってか…なんと言うか…むしろ嬉しい…と言うか…」
ここでスパッと言い切れない自分が情けなくて仕方ない。
こんなだからいつも茜にヘタレヘタレ言われるんだ。
だが穂香はそれを気にした風もなく。
「じゃあ決まり!」
そう言って、「うーん、それなら和食かな?それとも洋?あ、でも家にお肉と玉ねぎはあるから…」とぶつぶつと呟いている。
その姿がとても愛しいものだと、そう感じる。
今日だって用事があると言って着いてきてくれたが、そもそも急ぎの用ではなかったし、サークルが終わってからでも良かったのだ。
それを…
俺はホームの屋根から垣間見える空を見上げて思う。
明日こそは必ず完成させよう。
だから今日は……
「あ…危ないッ!!!」
その声が、穂香のものであると言うことに気づくまで、少し時間を要した。
見上げた目線を下ろすと、穂香はもう、手の届かない所まで行ってしまっていた。
見えたのは、じゃれ合っていたのか、突き飛ばす子供のと、突き飛ばされる子供。
突き飛ばされた子の顔は、焦りに歪んでいた。その子の足は、ホームの地面から離れてしまっている。
遠くから、いや、絶望的に近くからパーーッという音が聞こえる。
マズイ!!
そう本能で思い、狭まった俺の視界の外から、その子を掴まえる手が伸びた。
………穂…香…!?
手を掴み、宙に浮いた体をこちらに引き戻す。
…でも…でも…
穂香の体は、走った勢いを殺しきれずに…
…もう、片足が向こう側へ行ってしまっていた…
徐々に、徐々にその体はバランスを崩して、遂に頼りの片足まで、浮かんでいく。
その一瞬一瞬が、スローモーションのように俺に現実を教えてくる。
咄嗟に手を伸ばすが、その景色にはまるで届かない。
………そしてゆっくりとホームの地平線に沈んでいく。
体が沈みきる少し前、穂香がこちらを振り向いて…
…目が合った。
…………気がした。
パーーーーーーーーーッ
ゴッという鈍い響きと共に、その姿は一気に視界の左側へ流れて行った。
「………………………ぇ……?」
……何が…あった……?
思考がスパークしてまるで考えが追い付かない。
視界か霞んで、手も足も、体のいたるところが震えている。呼吸が、できない。
「………ぁ……ぁ………」
…まさか…いや…そんなはずはない…
……違う…夢だ…勘違いだ……あり得ない…あり得て良いはずがない…
辺りから聞こえるのは、泣き声と、怒号と、悲鳴。ひどく煩いはずなのに、そのどれもがまるで遠くから聞こえてくるように、耳に入ってこない。
……穂香…穂香…?
今何があったんだ?どこに行ったんだ?
…今のはお前じゃない。そうだろ?
………なぁ……?…
遠い音の更に遠く。誰かの呼ぶ声が聞こえる。
「…ュィ…?…何があったんだ?人身事故か?」
俺の肩に手を置いたのは月彦だった。
「……?…おい…?どうした?お前?」
「……月……彦…」
「…ユイ?どうしたんだよ?…穂香はどうした?」
「アッッ…………!!」
胸が苦しい。痛くて、痛くて。視界が白く染まっていく。
「…!?……おいユイ!穂香はどこだ…?」
…何を言ってるんだよ…?…いるだろ…?…もう首を動かせないけど…でも…いるだろ…?…俺の隣に…
その言葉も、声にならなかった。
「……まさかッ…!……おい!!!ユイ!!何があった!?穂香は!?」
………………
「ユイ!!しっかりしろ!!新木結人!!」
………………
「結人ッッッ!!!!」
…………白い中に、最後に見たのは、誰だかしらない暗い茶髪の青年が、誰だかしらない名前を呼ぶ姿だった。
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