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猫様に邪魔されたカップ麺が、人生最高に美味かった
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「カップ麺、出来た」
今夜は雪が降ると天気予報が言っていた。男は思わず、タイマーの「ピーピー」という音よりわずかに早く、出来上がりをフライングで宣言した。いつものことだ。
隣りでこたつ布団に座っている黒猫のクロタは、テレビ画面に向けたまま、ピクリとも動かない。彼の関心は、今まさに始まったグルメドラマの華麗なフランス料理にあるらしい。渋い熟年俳優が高級食材をこれでもかと持ち上げ、大袈裟なテイスティング表現で締めるタイプのドラマだ。
コタツの上には、蓋を開けたばかりのカップうどん。立ち上る湯気がぼんやりと天井のあかりを滲ませている。男は鼻腔を広げ、深い呼吸をした。
「この立ち上る湯気こそが、夜食の黄金の扉を開ける、至福の時間だよなぁ」
黒猫クロタは欠伸でもするかのように口を開け、淡々とテレビを見ながら男にツッコミを入れた。
「いちいち、うるさいニャ」
男はそれを無視し、ソムリエのワインのテイスティングのようにスープを一口味わう。透明感のある黄金色のスープは関西風だ。
「うん、この味わい、出汁はかつおと煮干しの二種類。あ、昆布もだな!あいかわらずすごいなこの出汁!」
平たい麺に大きなお揚げ、かまぼこ、ねぎの薬味と彩りも美しい。箸を持ったまま男はうっとりと呟く。
「眼福なり!こういうのがいいんだよ、カップうどん!」
そして、この男の長い長いグルメ感想はつづくのだった。
「最近は変に凝ったカップ麺も多いがやっぱりこれ、定番の味がいい。この味に納得できるのが大人の証拠だ」
ふわぁぁとクロタは欠伸しつつ。
「それ、この前見たグルメ番組のパクリだニャ」と一言。
5分後。
「おっと、うっかりしていた。麺ちょっとのびちゃった」
残念そうな顔をして、男は食べすすめた。
「いや、これだ!この少しだけ麺がスープを吸ったこの瞬間が…もうひとつの至高だ、分かるだろ?クロタ!これも大人の味だよ」
一方、クロタはやれやれとぼやきながら、ファンヒーターの前へ移動し、その真ん前にどかりと座り込んだ。
隣りの和室の襖の向こうでカリカリと言う音がした、すぐに「カタン!」と器用に扉が猫の幅ほど開いた。そこから、茶色と白のブチ模様をしたブチ猫、ブチタがぬるりと滑り込んでくる。まるで忍者だ。彼の目は、一直線に男の前のカップうどんを捉えていた。
「ニャーオ!晩ご飯!!」
ちゃぶ台に乗ろうと前足を引っ掛けるブチタの図々しい抗議に、男は思わず声を上げた。
「こら!人間のご飯はダメだって言ってるだろ!」
ブチタは男の腕をすり抜けると、すばやくテーブルに飛び乗り、麺をすすろうとする男の箸先をちょいちょいと叩いた。狙いは、ふっくらと厚みのある、一番大きなお揚げだ。ブチタの必死な目つきは、「一口だけ!一口だけ!」と訴えている。
ファンヒーターの前にいるクロタは、この騒動には一切関心がないようで、体を丸めたまま、ただ迷惑そうな視線だけをこちらに投げかけている。
「にゃにゃにゃ!」
ブチタは上目遣いで男を見ている。この図々しさには、いつも敵わない。男は仕方なくブチタを抱き上げた。ずっしりとした重さと温かみが腕に伝わる。
「あ、悪いお前らのごはんまだだったっけ」
男はカップ麺をちゃぶ台の端に避難させると、リビングから出てキッチンへ向かった。ブチタは、抱かれながらも、まだカップ麺をじっと見つめている。クロタは男の気配がなくなると、ファンヒーターの熱風を独り占めするように、ゴロンと仰向けになった。
男はキッチンで、ドライフードを二皿分用意した。器にカリカリと乾いたフードが落ちる音が響く。水も取り替え、ついでに洗面所に置いてある猫のトイレも確認。洗面所に入ったとたん吐く息が白くなった。
「お、いいのが出てるな。ケンコー、ケンコー」
男は独り言を言いながら、猫のブツをスコップで丁寧に片付ける。猫様のしもべとしては欠かすことのできないお仕事だ。「至高の夜食」を味わう途中だが、やらないわけにはいかなかった。
すべての作業を終えて部屋に戻ると、待たせていたカップ麺のうどんは、当然ながらすっかり伸びきっていた。平たい麺はスープを吸い込み、ふくれ上がってぷよぷよと柔らかい。
男はそれを見て、小さくボヤいた。
「あーあ、また伸びちゃった」
せっかくの「黄金の扉」も、すっかり閉ざされてしまったようだ。しかし、男はため息を一つつくと、残りのうどんをずるずると啜った。
「でも、ぐったり柔らか麺も、うまいもんだな……」
伸びて、くたくたになった麺は、優しく舌の上でほどけていく。その味は、濃い出汁を吸った大ぶりの油揚げの味とともに、男の記憶の奥底を刺激した。
そうだ、この味だ。
子どもの頃、熱を出して学校を休んだ日。食欲がないと言う男のために、母が作ってくれた、市販のうどんをくたくたに煮た「特別なうどん」の味。麺の伸びが、あの日の優しい時間を連れてきた。
「こういうのも、たまにはいい。いや、これぞ極上だよ、クロタ」
男はコタツに足を入れようとしたが、ご飯を食べ終えたクロタとブチタが既に中で丸まっていて、足を延ばすことはできなかった。彼は窮屈に足を曲げながら、しもべの幸せをかみしめた。
外は静かに雪が降り始めていた。
※
表紙イラストです
今夜は雪が降ると天気予報が言っていた。男は思わず、タイマーの「ピーピー」という音よりわずかに早く、出来上がりをフライングで宣言した。いつものことだ。
隣りでこたつ布団に座っている黒猫のクロタは、テレビ画面に向けたまま、ピクリとも動かない。彼の関心は、今まさに始まったグルメドラマの華麗なフランス料理にあるらしい。渋い熟年俳優が高級食材をこれでもかと持ち上げ、大袈裟なテイスティング表現で締めるタイプのドラマだ。
コタツの上には、蓋を開けたばかりのカップうどん。立ち上る湯気がぼんやりと天井のあかりを滲ませている。男は鼻腔を広げ、深い呼吸をした。
「この立ち上る湯気こそが、夜食の黄金の扉を開ける、至福の時間だよなぁ」
黒猫クロタは欠伸でもするかのように口を開け、淡々とテレビを見ながら男にツッコミを入れた。
「いちいち、うるさいニャ」
男はそれを無視し、ソムリエのワインのテイスティングのようにスープを一口味わう。透明感のある黄金色のスープは関西風だ。
「うん、この味わい、出汁はかつおと煮干しの二種類。あ、昆布もだな!あいかわらずすごいなこの出汁!」
平たい麺に大きなお揚げ、かまぼこ、ねぎの薬味と彩りも美しい。箸を持ったまま男はうっとりと呟く。
「眼福なり!こういうのがいいんだよ、カップうどん!」
そして、この男の長い長いグルメ感想はつづくのだった。
「最近は変に凝ったカップ麺も多いがやっぱりこれ、定番の味がいい。この味に納得できるのが大人の証拠だ」
ふわぁぁとクロタは欠伸しつつ。
「それ、この前見たグルメ番組のパクリだニャ」と一言。
5分後。
「おっと、うっかりしていた。麺ちょっとのびちゃった」
残念そうな顔をして、男は食べすすめた。
「いや、これだ!この少しだけ麺がスープを吸ったこの瞬間が…もうひとつの至高だ、分かるだろ?クロタ!これも大人の味だよ」
一方、クロタはやれやれとぼやきながら、ファンヒーターの前へ移動し、その真ん前にどかりと座り込んだ。
隣りの和室の襖の向こうでカリカリと言う音がした、すぐに「カタン!」と器用に扉が猫の幅ほど開いた。そこから、茶色と白のブチ模様をしたブチ猫、ブチタがぬるりと滑り込んでくる。まるで忍者だ。彼の目は、一直線に男の前のカップうどんを捉えていた。
「ニャーオ!晩ご飯!!」
ちゃぶ台に乗ろうと前足を引っ掛けるブチタの図々しい抗議に、男は思わず声を上げた。
「こら!人間のご飯はダメだって言ってるだろ!」
ブチタは男の腕をすり抜けると、すばやくテーブルに飛び乗り、麺をすすろうとする男の箸先をちょいちょいと叩いた。狙いは、ふっくらと厚みのある、一番大きなお揚げだ。ブチタの必死な目つきは、「一口だけ!一口だけ!」と訴えている。
ファンヒーターの前にいるクロタは、この騒動には一切関心がないようで、体を丸めたまま、ただ迷惑そうな視線だけをこちらに投げかけている。
「にゃにゃにゃ!」
ブチタは上目遣いで男を見ている。この図々しさには、いつも敵わない。男は仕方なくブチタを抱き上げた。ずっしりとした重さと温かみが腕に伝わる。
「あ、悪いお前らのごはんまだだったっけ」
男はカップ麺をちゃぶ台の端に避難させると、リビングから出てキッチンへ向かった。ブチタは、抱かれながらも、まだカップ麺をじっと見つめている。クロタは男の気配がなくなると、ファンヒーターの熱風を独り占めするように、ゴロンと仰向けになった。
男はキッチンで、ドライフードを二皿分用意した。器にカリカリと乾いたフードが落ちる音が響く。水も取り替え、ついでに洗面所に置いてある猫のトイレも確認。洗面所に入ったとたん吐く息が白くなった。
「お、いいのが出てるな。ケンコー、ケンコー」
男は独り言を言いながら、猫のブツをスコップで丁寧に片付ける。猫様のしもべとしては欠かすことのできないお仕事だ。「至高の夜食」を味わう途中だが、やらないわけにはいかなかった。
すべての作業を終えて部屋に戻ると、待たせていたカップ麺のうどんは、当然ながらすっかり伸びきっていた。平たい麺はスープを吸い込み、ふくれ上がってぷよぷよと柔らかい。
男はそれを見て、小さくボヤいた。
「あーあ、また伸びちゃった」
せっかくの「黄金の扉」も、すっかり閉ざされてしまったようだ。しかし、男はため息を一つつくと、残りのうどんをずるずると啜った。
「でも、ぐったり柔らか麺も、うまいもんだな……」
伸びて、くたくたになった麺は、優しく舌の上でほどけていく。その味は、濃い出汁を吸った大ぶりの油揚げの味とともに、男の記憶の奥底を刺激した。
そうだ、この味だ。
子どもの頃、熱を出して学校を休んだ日。食欲がないと言う男のために、母が作ってくれた、市販のうどんをくたくたに煮た「特別なうどん」の味。麺の伸びが、あの日の優しい時間を連れてきた。
「こういうのも、たまにはいい。いや、これぞ極上だよ、クロタ」
男はコタツに足を入れようとしたが、ご飯を食べ終えたクロタとブチタが既に中で丸まっていて、足を延ばすことはできなかった。彼は窮屈に足を曲げながら、しもべの幸せをかみしめた。
外は静かに雪が降り始めていた。
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表紙イラストです
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