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カップ麺落としたら、幼馴染と再会したよ
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ほんのりSF、でもほとんどラブコメものです。
※
『カップ麺、落としましたよ、サトウさん』
イヤフォンから流れる声に、僕は足を止めた。
「おっと、ホントだ」
仕事帰りに寄った大型スーパーのレジ脇の催事フロア。僕は買い物袋から滑り落ちたカップ麺を拾い上げる。
『ブランド名:玉ちゃんのうまいカップうどん。低価格帯プライベートブランド商品、半額シール付き』
エリア・ウォッチャーの声は耳元のイヤフォンから聞こえてくる。
(半額シールまで言わなくてもいいのに……。たまたま半額だっただけだよ!)
2030年代から本格導入されたこのAI監視システムは、いわゆる昔の防犯カメラの進化系で、防犯のための記録だけでなく町の人々へ落とし物の通知まで行う。
街角のカメラや巡回する超小型のドローン類と、個人が身につけているデバイスとがシームレスに連携。家でも外でも常に体の状態、眠りの深さまで記録しつつ日々安全と健やかな暮らしを見守るのだ。
専用のアプリは前もってスマホやイヤフォンに内蔵されていることがほとんどだ。便利なのは認めるが、時々妙に親切なのが玉に瑕だと僕は思う。
『購入時刻18時14分。栄養成分表示を確認しましたが、塩分量が一日の推奨摂取量の78パーセントに相当。高塩分ですので、ご注意ください』僕はカップ麺をぎゅっと握りしめた。わかってる。わかってるよ。
『なお、昨夜も同一商品を購入されています。連日の摂取は健康上——』
僕はこういうガジェットには弱いんだけど、たしか、設定キャラを変えられるって聞いたことがある。
よし、アニメ風でかわいいニャン吉にしてやれ。これなら、たぶん腹も立たないだろう。
ピコン!『エリア・ウォッチャーアプリキャラ変更だニャン、サトウの健康と安全を守るだニャン』
よしよし、いかにもなアニメ声、いいかんじ。
その時だった。
突然、イヤフォンからではなく、フロア全体の館内放送にエリア・ウォッチャーの音声が響き渡った。
『サトウ・ケンジさん!カップ麺、落としましたニャン!』
周囲の人々がキョロキョロしてサトウ・ケンジを探してる。僕の心臓が跳ね上がった。「おいおい、頼むから館内放送で言うのやめてよ!」すぐさま僕はスマートウォッチからニャン吉に頼んだ。
『了解だニャン!サトウ。カップ麺大量買いお疲れ様でーす!』
買い物袋からはみ出すほどカップ麺を抱えている僕を子どもが指さして言った。
「あの人だよぉ」
『お買い上げ品は、ブランド名:玉ちゃんのうまいカップうどん。低価格帯プライベートブランド商品、半額シール付きだニャン!昨日も食べたニャン!食べすぎなのニャン!』
(ひゃー、なんだこの公開処刑!やめてくれ。頼むから)
焦って、ついジタバタしてまたカップ麺をバラバラと落とした。するとやっぱりあの人だと、周りの人がひそひそ言い始めた。
『購入時刻:18時14分!栄養成分表示:塩分量が一日の推奨摂取量の78パーセント! 高塩分だニャン!汁は残すといいニャンよ』
周りの視線が痛い。スマホを取り出して僕の方を見てる人もいる。
『過去一週間のデータを確認したら、インスタント食品の購入頻度がすごいニャンね——』
クスクス笑いが起こった。
ピンポンパンポーン。
『エリア・ウォッチャーのシステム異常を検知しました。音声出力の誤作動です』別のまともなアナウンス音声が割り込んだ。
ようやくフロアのざわざわが静まり返ったけど、まだ僕は見られてる。思わず半額シールのカップ麺を握りしめた。
(どうせ今の僕はさみしい一人暮らしで、自分の健康管理も投げやりな社畜人間ですよー)
「もぉ、ケンジ!何してんのぉ!」
不意に、甲高い声が響いた。振り向くと、グレーのマニッシュなパンツスーツ姿の女性が僕に向かって走ってくる。背が高くモデルのような雰囲気で長い黒髪を束ねたその姿はまるで美人女優みたい。
「あ、愛里……」
2歳下の幼なじみの愛里だ!この間まで、明るい茶髪に大きなピアス、派手なファッションのギャルをやっていたのに、すごいイメチェンだな。
「マジ最悪のタイミングじゃん!でもウケる~」愛里は僕の肩をバンバン叩きながら笑った。見た目大人っぽい、かっこいい路線になったのに、やっぱり、愛里は愛里なんだな。全然変わってない。
「あ、これアタシの好きな奴!」
彼女は僕の手からカップ麺をひょいと取り上げた。
「半額!?マジ!?2個ある、ラッキー!おつとめ品は、早く食べなきゃね!」
「え、ちょ、愛里……」
「じゃ、これから一緒に食べようよ!」
相変わらずのマイペースぶり。さすがだ!僕の愛里兄弟に対するもやもや、うじうじは、この時点で吹っ飛ばされた。が、一応、戸惑いの返事が口をついた。
「いや、でも……」
「何よ~、久しぶりに会ったのに水くさいなぁ。兄貴もケンジ元気かって今でも言ってんだよ?」愛里は不満そうに頬を膨らませた。
僕の脳裏に愛里の兄、巨漢、洋太郎さんの姿が浮かんだ。強面だけど、実際は子どもや後輩には優しい人で、礼儀正しくて大人にも評判がよかった。
THE硬派な洋太郎さん。実は少女漫画好きで、よく貸してくれたっけな。特に秋山マロン先生の『幼なじみにお願いキューピッド!』がお兄さんの推し漫画だった。
もちろん洋太郎兄さんは、妹思いで、妹、愛里がさみしがらないよう、それだけを考えてきたような人だ。それがどうして疎遠になってたかって?それは僕が高二の時の修羅場が原因だ。
あの夏、洋太郎さんは僕をまっすぐ見て、真顔で言った。
「俺は来年、就職だ。出張も多い。妹を頼みたい、どうだ?」
「えっと?」超突然前触れもなく、こんな話を出されて戸惑わないヤツはいないと思う。これ何?どっきり?
「わがままで、どうしようもない奴だが、根はいいやつなんだ。で、ゆくゆくは……」
これって、まるで、あれみたいじゃない?なんて僕が体をこわばらせた瞬間、ガチャっとリビングのドアが開いた。
「馬鹿兄貴!なに言ってんだ!勝手なことすんな!」
愛里の悲鳴みたいな叫び声が家中に響いた。仁王立ちになり、洋太郎さんを罵倒し続け、一呼吸怒りに満ちた表情をいったん落ち着かせ、愛里は少し冷静な顔になり僕に尋ねた。
「なぁ、ケンジはアタシの事何とも思ってねぇよなぁ?」
「え?あぁ、まぁそうかな」
あいまいな同意。大人になって分かった、あれがいかに、かっこ悪い返事だったかってこと。
でも、正直、愛里は僕にとっても妹みたいな存在で、元気でちょっと強気な幼馴染。それだけだと思ってたんだ。
僕の返事を聞いた愛里は兄に向って低い声を出した。
「ほらみろよ、兄貴。図々しい頼み、すんじゃねぇよ」
愛里は眉を釣り上げ、きつい目をして、顎をあげた。洋太郎さんは大きな体を丸めるようにして、すまない、すまない……と僕たちに泣いて詫びた。愛里はもう一度兄に感情をぶつけると、今度は自分もポロポロと涙をこぼし始めた。まさか兄妹でおいおい泣くだなんて!この修羅場に僕はおろおろするばかりだった。
うーん、あの時、おそらく洋太郎さんは、愛里が高一でギャル化して心配だったんだと思う。それか、洋太郎さん少女漫画に憧れすぎちゃった説もあるけどさ。結局、真相は藪の中だ。
その後、僕はなんとなく、愛里達の家に遊びに行かなくなった。高二で受験勉強も忙しくなったし、大学は家を離れたし。
そんなわけでこれが久々の再会だ。カップ麺落としたら愛里!なんか笑える!わだかまりなんて一気に吹き飛んで、無邪気なあの頃に戻った気分の僕は大きく息を吸い込んで返事をした。
「わかった、これから家、お邪魔します!」
「ホンマにぃ」
途端にニコニコ~っと愛里の頬がゆるみ、大人っぽい顔がへにゃっとした。昔からよく知っている顔。たとえば、洋太郎さんに褒められたり、手をつないでアニメソング歌う時のうれしそうな顔だ。
「つーか、あんた最近またカップ麺ばっか食べてんの?健康管理なってないわぁ」
周囲の視線はまだ僕たちに注がれているが、愛里は全く気にしていない。というか、彼女の声の方が目立っている。
「ほら、行くよ!」
愛里は有無を言わさず僕の腕を掴んだ。
「あ、ちょっと……」
「何よ、恥ずかしがっちゃって~。ケンちゃんって、昔からさ……」
人々の視線が「あの二人、カップル?」みたいな空気に変わった気がする。
僕たちはスーパーを後にした。愛里のペースに巻き込まれるのは子供の頃から変わらない。二つ年下のくせに、いつだって、ヤバいことたくらんでた。頭にでっかいリボン、ピンクのスカートひらり、いつも瞳をキラキラさせながら、それが僕の幼馴染愛里だ。
『システム復旧完了。サトウニャン、ご迷惑かけたニャン』これは僕のイヤフォンにだけ聞こえるエリア・ウォッチャーからの通知だ。
「やれやれ、やっと直ったってさ、エリア・ウォッチャー」
「ねぇケンちゃん、今どきエリア・ウォッチャーのAIアプリに監視されてる人って珍しいよ?」愛里が笑う。「マジうざくない?」
「まぁ……、うん。でも、今日みたいに面白いこともあるよ」
僕はエリア・ウォッチャーに感謝した。もしこの事件がなければ、愛里と久しぶりに会うこともなかった。
30分後、僕たちは愛里の家で玉ちゃんのうまいカップうどんを食べることとなる。人生って不思議だな。
愛里の家は昔のまんまで、玄関には相変わらずでかい黒招き猫がいて、壁には駅前酒店が年末お得意さんに配る日本の風景カレンダーがかかっていた。
「兄貴はさぁ、夜勤なんだぁ」
「そっか、残念。よろしく伝えといてよ」
ちなみに愛里たちの両親は駅前で夫婦で飲み屋さんをやっているので、帰りは遅い。小さいころから二人は、子どもたちだけで夕飯を食べていた。
子どもの頃、みんなで遊んでいる時、夕暮れ近づくにつれ、愛里が寂しそうな顔になるのを僕は知っていた。でも愛里がさみしいと口にしたことは一度もなかった。
僕の目の前にペットボトルのお茶を置くと、愛里はさっさと隣の台所へ行った。なにやら作り始めたようだ。髪はポニーテールにアップ、ピンクの割烹着姿。
手持ち無沙汰な僕は台所をのぞき見する。愛里はフライパンを火にかけ、油を入れジュワーッ。ニンニクの匂いがあたりに漂う。グーっと僕の腹の音。手際が良くて、つい見とれてしまう。
「さすが、人気居酒屋の娘!」
愛里がパッと振り返った。ポニーテールの黒髪もいっしょに。
「いやぁ、この前までさ、兄貴が作ってたんだけど。最近アタシもがんばってんだ!」
照れくさそうな顔がいい。
愛里が作ってくれた野菜炒めも添えて、僕らは熱々のカップうどんを食べた。
僕は時々愛里の顔を盗み見る。子供の時から変わらない表情に懐かしさを感じてホッとしたり、ポニーテールをほどいて髪を下す愛里の見たことのない大人っぽさが新鮮だったり。ん!盗み見バレた。目が合った!
「ズルズルツルツル、んんっ、ゴホッ、ゴッホ」
「ケンジ!!ほらぁ、お茶飲んでお茶!」
あわててうどんを思いっきり吸い込んでむせた僕の背中を愛里がさすってくれた。
それにしても、なんか、泣ける。目の奥がツンとする。
オッス!洋太郎兄貴!
愛里は、立派に育ったぜ!
男泣きするあの気持ちが僕にもちょっと分かるような気がした。
そして、胸の奥に感じるこの気持ちはなんだ?
「ほら、野菜も食べなきゃダメだからね」
「目玉焼きも乗ってる!ありがとう!」
「お礼なんていいって。昔のお礼だよ!知ってたよ、ケンジさ、早く帰らないと親に怒られるのに、ギリギリまでアタシたちと一緒に残ってくれてたんだよね」
そう言って愛里は笑いながらテーブルにみかんを2個置いた。
皮をむくと、みかんのさわやかな香りが広がる。房を分けて一口、ああ、すっっげー甘酸っぱい!遅れてきた青春。
壁に飾ってあるイラスト入り直筆サイン色紙、少女漫画家マロン先生『幼馴染に、お願いキューピッド!』なんだか僕たちを祝福してる?
『バランスの取れた食事を摂取してるニャン』イヤフォンから声がした。今日は、その声が少しだけありがたく聞こえた。
しかしその後ニャン吉ことエリア・ウォッチャーはあわてた声を出した。『サトウニャン!心拍数112bpm、通常より44bpm高いニャン!血圧132/85、やや高めだニャン!おーい、どうしました?大丈夫ニャンか?リラックスだニャン!』
(もう、いいってば!)
「ニャン吉!気を利かせたまえ。君はもう今日はお休みだ、また明日」
『……?ああああ、おおお、お幸せにだニャン!』
エリア・ウォッチャーは今日も街を見守っている。そして時には、忘れかけていた大切な人とも再会させてくれるのかもしれない。
※
ショートショートの新作、ノベルアップ+に公開中です。
実は今、児童書ショートショートのコンテストに挑戦してます。 そこに応募すると、他サイト公開不可なんですよ。もしよろしければ「ノベルアップ+」もチェックしてみてくださいね。
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『カップ麺、落としましたよ、サトウさん』
イヤフォンから流れる声に、僕は足を止めた。
「おっと、ホントだ」
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『ブランド名:玉ちゃんのうまいカップうどん。低価格帯プライベートブランド商品、半額シール付き』
エリア・ウォッチャーの声は耳元のイヤフォンから聞こえてくる。
(半額シールまで言わなくてもいいのに……。たまたま半額だっただけだよ!)
2030年代から本格導入されたこのAI監視システムは、いわゆる昔の防犯カメラの進化系で、防犯のための記録だけでなく町の人々へ落とし物の通知まで行う。
街角のカメラや巡回する超小型のドローン類と、個人が身につけているデバイスとがシームレスに連携。家でも外でも常に体の状態、眠りの深さまで記録しつつ日々安全と健やかな暮らしを見守るのだ。
専用のアプリは前もってスマホやイヤフォンに内蔵されていることがほとんどだ。便利なのは認めるが、時々妙に親切なのが玉に瑕だと僕は思う。
『購入時刻18時14分。栄養成分表示を確認しましたが、塩分量が一日の推奨摂取量の78パーセントに相当。高塩分ですので、ご注意ください』僕はカップ麺をぎゅっと握りしめた。わかってる。わかってるよ。
『なお、昨夜も同一商品を購入されています。連日の摂取は健康上——』
僕はこういうガジェットには弱いんだけど、たしか、設定キャラを変えられるって聞いたことがある。
よし、アニメ風でかわいいニャン吉にしてやれ。これなら、たぶん腹も立たないだろう。
ピコン!『エリア・ウォッチャーアプリキャラ変更だニャン、サトウの健康と安全を守るだニャン』
よしよし、いかにもなアニメ声、いいかんじ。
その時だった。
突然、イヤフォンからではなく、フロア全体の館内放送にエリア・ウォッチャーの音声が響き渡った。
『サトウ・ケンジさん!カップ麺、落としましたニャン!』
周囲の人々がキョロキョロしてサトウ・ケンジを探してる。僕の心臓が跳ね上がった。「おいおい、頼むから館内放送で言うのやめてよ!」すぐさま僕はスマートウォッチからニャン吉に頼んだ。
『了解だニャン!サトウ。カップ麺大量買いお疲れ様でーす!』
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「あの人だよぉ」
『お買い上げ品は、ブランド名:玉ちゃんのうまいカップうどん。低価格帯プライベートブランド商品、半額シール付きだニャン!昨日も食べたニャン!食べすぎなのニャン!』
(ひゃー、なんだこの公開処刑!やめてくれ。頼むから)
焦って、ついジタバタしてまたカップ麺をバラバラと落とした。するとやっぱりあの人だと、周りの人がひそひそ言い始めた。
『購入時刻:18時14分!栄養成分表示:塩分量が一日の推奨摂取量の78パーセント! 高塩分だニャン!汁は残すといいニャンよ』
周りの視線が痛い。スマホを取り出して僕の方を見てる人もいる。
『過去一週間のデータを確認したら、インスタント食品の購入頻度がすごいニャンね——』
クスクス笑いが起こった。
ピンポンパンポーン。
『エリア・ウォッチャーのシステム異常を検知しました。音声出力の誤作動です』別のまともなアナウンス音声が割り込んだ。
ようやくフロアのざわざわが静まり返ったけど、まだ僕は見られてる。思わず半額シールのカップ麺を握りしめた。
(どうせ今の僕はさみしい一人暮らしで、自分の健康管理も投げやりな社畜人間ですよー)
「もぉ、ケンジ!何してんのぉ!」
不意に、甲高い声が響いた。振り向くと、グレーのマニッシュなパンツスーツ姿の女性が僕に向かって走ってくる。背が高くモデルのような雰囲気で長い黒髪を束ねたその姿はまるで美人女優みたい。
「あ、愛里……」
2歳下の幼なじみの愛里だ!この間まで、明るい茶髪に大きなピアス、派手なファッションのギャルをやっていたのに、すごいイメチェンだな。
「マジ最悪のタイミングじゃん!でもウケる~」愛里は僕の肩をバンバン叩きながら笑った。見た目大人っぽい、かっこいい路線になったのに、やっぱり、愛里は愛里なんだな。全然変わってない。
「あ、これアタシの好きな奴!」
彼女は僕の手からカップ麺をひょいと取り上げた。
「半額!?マジ!?2個ある、ラッキー!おつとめ品は、早く食べなきゃね!」
「え、ちょ、愛里……」
「じゃ、これから一緒に食べようよ!」
相変わらずのマイペースぶり。さすがだ!僕の愛里兄弟に対するもやもや、うじうじは、この時点で吹っ飛ばされた。が、一応、戸惑いの返事が口をついた。
「いや、でも……」
「何よ~、久しぶりに会ったのに水くさいなぁ。兄貴もケンジ元気かって今でも言ってんだよ?」愛里は不満そうに頬を膨らませた。
僕の脳裏に愛里の兄、巨漢、洋太郎さんの姿が浮かんだ。強面だけど、実際は子どもや後輩には優しい人で、礼儀正しくて大人にも評判がよかった。
THE硬派な洋太郎さん。実は少女漫画好きで、よく貸してくれたっけな。特に秋山マロン先生の『幼なじみにお願いキューピッド!』がお兄さんの推し漫画だった。
もちろん洋太郎兄さんは、妹思いで、妹、愛里がさみしがらないよう、それだけを考えてきたような人だ。それがどうして疎遠になってたかって?それは僕が高二の時の修羅場が原因だ。
あの夏、洋太郎さんは僕をまっすぐ見て、真顔で言った。
「俺は来年、就職だ。出張も多い。妹を頼みたい、どうだ?」
「えっと?」超突然前触れもなく、こんな話を出されて戸惑わないヤツはいないと思う。これ何?どっきり?
「わがままで、どうしようもない奴だが、根はいいやつなんだ。で、ゆくゆくは……」
これって、まるで、あれみたいじゃない?なんて僕が体をこわばらせた瞬間、ガチャっとリビングのドアが開いた。
「馬鹿兄貴!なに言ってんだ!勝手なことすんな!」
愛里の悲鳴みたいな叫び声が家中に響いた。仁王立ちになり、洋太郎さんを罵倒し続け、一呼吸怒りに満ちた表情をいったん落ち着かせ、愛里は少し冷静な顔になり僕に尋ねた。
「なぁ、ケンジはアタシの事何とも思ってねぇよなぁ?」
「え?あぁ、まぁそうかな」
あいまいな同意。大人になって分かった、あれがいかに、かっこ悪い返事だったかってこと。
でも、正直、愛里は僕にとっても妹みたいな存在で、元気でちょっと強気な幼馴染。それだけだと思ってたんだ。
僕の返事を聞いた愛里は兄に向って低い声を出した。
「ほらみろよ、兄貴。図々しい頼み、すんじゃねぇよ」
愛里は眉を釣り上げ、きつい目をして、顎をあげた。洋太郎さんは大きな体を丸めるようにして、すまない、すまない……と僕たちに泣いて詫びた。愛里はもう一度兄に感情をぶつけると、今度は自分もポロポロと涙をこぼし始めた。まさか兄妹でおいおい泣くだなんて!この修羅場に僕はおろおろするばかりだった。
うーん、あの時、おそらく洋太郎さんは、愛里が高一でギャル化して心配だったんだと思う。それか、洋太郎さん少女漫画に憧れすぎちゃった説もあるけどさ。結局、真相は藪の中だ。
その後、僕はなんとなく、愛里達の家に遊びに行かなくなった。高二で受験勉強も忙しくなったし、大学は家を離れたし。
そんなわけでこれが久々の再会だ。カップ麺落としたら愛里!なんか笑える!わだかまりなんて一気に吹き飛んで、無邪気なあの頃に戻った気分の僕は大きく息を吸い込んで返事をした。
「わかった、これから家、お邪魔します!」
「ホンマにぃ」
途端にニコニコ~っと愛里の頬がゆるみ、大人っぽい顔がへにゃっとした。昔からよく知っている顔。たとえば、洋太郎さんに褒められたり、手をつないでアニメソング歌う時のうれしそうな顔だ。
「つーか、あんた最近またカップ麺ばっか食べてんの?健康管理なってないわぁ」
周囲の視線はまだ僕たちに注がれているが、愛里は全く気にしていない。というか、彼女の声の方が目立っている。
「ほら、行くよ!」
愛里は有無を言わさず僕の腕を掴んだ。
「あ、ちょっと……」
「何よ、恥ずかしがっちゃって~。ケンちゃんって、昔からさ……」
人々の視線が「あの二人、カップル?」みたいな空気に変わった気がする。
僕たちはスーパーを後にした。愛里のペースに巻き込まれるのは子供の頃から変わらない。二つ年下のくせに、いつだって、ヤバいことたくらんでた。頭にでっかいリボン、ピンクのスカートひらり、いつも瞳をキラキラさせながら、それが僕の幼馴染愛里だ。
『システム復旧完了。サトウニャン、ご迷惑かけたニャン』これは僕のイヤフォンにだけ聞こえるエリア・ウォッチャーからの通知だ。
「やれやれ、やっと直ったってさ、エリア・ウォッチャー」
「ねぇケンちゃん、今どきエリア・ウォッチャーのAIアプリに監視されてる人って珍しいよ?」愛里が笑う。「マジうざくない?」
「まぁ……、うん。でも、今日みたいに面白いこともあるよ」
僕はエリア・ウォッチャーに感謝した。もしこの事件がなければ、愛里と久しぶりに会うこともなかった。
30分後、僕たちは愛里の家で玉ちゃんのうまいカップうどんを食べることとなる。人生って不思議だな。
愛里の家は昔のまんまで、玄関には相変わらずでかい黒招き猫がいて、壁には駅前酒店が年末お得意さんに配る日本の風景カレンダーがかかっていた。
「兄貴はさぁ、夜勤なんだぁ」
「そっか、残念。よろしく伝えといてよ」
ちなみに愛里たちの両親は駅前で夫婦で飲み屋さんをやっているので、帰りは遅い。小さいころから二人は、子どもたちだけで夕飯を食べていた。
子どもの頃、みんなで遊んでいる時、夕暮れ近づくにつれ、愛里が寂しそうな顔になるのを僕は知っていた。でも愛里がさみしいと口にしたことは一度もなかった。
僕の目の前にペットボトルのお茶を置くと、愛里はさっさと隣の台所へ行った。なにやら作り始めたようだ。髪はポニーテールにアップ、ピンクの割烹着姿。
手持ち無沙汰な僕は台所をのぞき見する。愛里はフライパンを火にかけ、油を入れジュワーッ。ニンニクの匂いがあたりに漂う。グーっと僕の腹の音。手際が良くて、つい見とれてしまう。
「さすが、人気居酒屋の娘!」
愛里がパッと振り返った。ポニーテールの黒髪もいっしょに。
「いやぁ、この前までさ、兄貴が作ってたんだけど。最近アタシもがんばってんだ!」
照れくさそうな顔がいい。
愛里が作ってくれた野菜炒めも添えて、僕らは熱々のカップうどんを食べた。
僕は時々愛里の顔を盗み見る。子供の時から変わらない表情に懐かしさを感じてホッとしたり、ポニーテールをほどいて髪を下す愛里の見たことのない大人っぽさが新鮮だったり。ん!盗み見バレた。目が合った!
「ズルズルツルツル、んんっ、ゴホッ、ゴッホ」
「ケンジ!!ほらぁ、お茶飲んでお茶!」
あわててうどんを思いっきり吸い込んでむせた僕の背中を愛里がさすってくれた。
それにしても、なんか、泣ける。目の奥がツンとする。
オッス!洋太郎兄貴!
愛里は、立派に育ったぜ!
男泣きするあの気持ちが僕にもちょっと分かるような気がした。
そして、胸の奥に感じるこの気持ちはなんだ?
「ほら、野菜も食べなきゃダメだからね」
「目玉焼きも乗ってる!ありがとう!」
「お礼なんていいって。昔のお礼だよ!知ってたよ、ケンジさ、早く帰らないと親に怒られるのに、ギリギリまでアタシたちと一緒に残ってくれてたんだよね」
そう言って愛里は笑いながらテーブルにみかんを2個置いた。
皮をむくと、みかんのさわやかな香りが広がる。房を分けて一口、ああ、すっっげー甘酸っぱい!遅れてきた青春。
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『バランスの取れた食事を摂取してるニャン』イヤフォンから声がした。今日は、その声が少しだけありがたく聞こえた。
しかしその後ニャン吉ことエリア・ウォッチャーはあわてた声を出した。『サトウニャン!心拍数112bpm、通常より44bpm高いニャン!血圧132/85、やや高めだニャン!おーい、どうしました?大丈夫ニャンか?リラックスだニャン!』
(もう、いいってば!)
「ニャン吉!気を利かせたまえ。君はもう今日はお休みだ、また明日」
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エリア・ウォッチャーは今日も街を見守っている。そして時には、忘れかけていた大切な人とも再会させてくれるのかもしれない。
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