姉の方を所望していたと言った婚約者に、突然連れ帰られて気づいたら溺愛されています

ねむたん

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それきり母親はリリアーナを置いて立ち去り、翌日にはいつもの無関心な顔に戻っていた。

なぜこんなに大切なのか、理由は教えてもらえなかった。
お守りのようなものだと、リリアーナは思っていた。精霊への供物か、家の守護か、あるいは母親にとって何か個人的な意味があるのか。詳しいことはわからないが、大切なものなのだろうと。

だから外したいと思ったことは、一度もなかった。
これが母親から向けられる、ほとんど唯一の関心だったから。

首輪がそこにある限り、母親は廊下で足を止める。確認する。安堵する。それだけだが、それがなくなったらどうなるかを、リリアーナは考えたくなかった。

地味な革紐に、地味な石。
イザベラは「みすぼらしい」と言った。確かに、宝石を身につける侯爵令嬢の装飾品としては、あまりにも地味すぎた。でもリリアーナには関係がなかった。これは飾りではないから。

首に触れると、革紐の感触がある。
石はいつも、体温と同じくらいに温かかった。



その日の昼過ぎ、母親が食堂から出てくるところに行き合わせた。
昼餐を終えたばかりらしく、侍女を連れていた。リリアーナの方を向いた時、一瞬だけ、母親の顔が動いた。

何かを言いかけたように見えた。
口が、かすかに開いた。
リリアーナは立ち止まって、母親を見た。

何を言われるのだろうと思った。
名前を呼ばれるかもしれないと思った。「元気にしているの」と聞かれるかもしれないと思った。そんなことはほとんどないとわかっていても、かすかに、ほんのかすかに、思ってしまった。

母親の視線が、リリアーナの首元へ向かった。
革紐を確認した。石を確認した。

「……首輪はついているわね」

「はい」

「そう」

母親は侍女を連れて歩き出した。
廊下に一人残されて、リリアーナはしばらく動けなかった。
別に、何も期待していなかった。

期待していなかったはずなのに、口が「はい」と答えた後に、胸の奥が少しだけ冷えた気がした。

これが普通だと、知っている。
これ以外を、知らなかった。

リリアーナは背筋を伸ばして、廊下を歩き出した。
今日の夕食が来るかどうかを、考えながら。




夕方、イザベラが地下室に来た。
今日は手ぶらだった。食べかけの皿はない。ただリリアーナを見下ろして、腕を組んで、部屋を見渡した。

「今日は何もないわよ」

「……そうですか」

「昨日の残飯、美味しかったでしょ」

「はい」

「感謝してる?」

リリアーナは少し間を置いて、「はい」と答えた。
イザベラは満足そうに頷いた。

「じゃあ、その首輪、ちょうだい」

リリアーナは顔を上げた。
イザベラが首輪を指さしていた。細い指が、リリアーナの首輪を指していた。

「みすぼらしくて見ていられないのよ、それ。あなたが持っているよりも、私が持った方がよっぽどいいでしょ。宝石箱にしまっておいてあげる」

リリアーナは何も言わなかった。

「聞こえてる?」

「……外せません」

「なぜ」

「お母様が、外してはいけないと」

イザベラは少し眉をひそめた。それから、ふっと笑った。

「お母様があなたを気にかけているとでも思ってるの? 首輪が気になるだけよ。あなたじゃなくて」

リリアーナは黙っていた。

「まあいいわ」

イザベラは肩をすくめた。

「みすぼらしいものはみすぼらしいままでいれば。あなたらしくて丁度いいじゃない」

踵を返して、出ていった。
扉が閉まった。

リリアーナは首輪に触れた。

革紐の感触。石の温かさ。
イザベラの言葉が、頭の中で静かに反響した。

お母様があなたを気にかけているとでも思ってるの? 首輪が気になるだけよ。あなたじゃなくて。

知っていた。
知っていたから、何も言い返せなかった。
腹が、鳴った。
今日の夕食は、来なかった。




夜、リリアーナは寝台に横になって、天井を見た。

石造りの天井は、ひびが入っている。去年からあるひびで、雨の日には染みが広がる。今日は雨ではないから、乾いた灰色のままだ。
首輪に触れた。
石はいつも通り、体温と同じくらいに温かかった。

外してはいけない。約束した。

だからこれはずっと、ここにある。
それだけのことだと、リリアーナは思った。
それだけのことなのに、なぜかその夜は、首輪の温かさが少しだけ、心強かった。

暗い部屋の中で、リリアーナはそっと目を閉じた。

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